表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/64

11.挑戦者

 風がサブレ・ノルマンの匂いを運んでいく。甘い。特にバターと卵の匂いが、傍を通った人の鼻をくすぐる。

 気になったほとんどの人が振り返り、その魅惑的な匂いの源を探す。


「おい、あれさ、新しくアランシエル様が採用した人間じゃないか?」


「ああ、確かぱてぃしえーるだっけ。平民街にまで来るんだ」


「あら、何か美味しそうなお菓子ねえ。ほら、あんなに子供たちが集まっているわ」


 彼らは魔族領(ゼノス)の一員であり、そして魔王城に近い領土に住む者だ。

 魔族領(ゼノス)には人間も住んではいるが、その大半はそれ以外の種族である。

 各種獣人の他には、蜥蜴の特徴を持つリザードマンや半人半馬のケンタウロスが多かった。

 今、楓らを遠巻きにして見ているのは、そうした人外の者達だった。そして、楓からも彼らの姿は見える。


「ね、ねえ。なんかあたし注目されてない? 気のせいかな?」


 シーティアとルー・ロウに思わず聞くと、二人は顔を見合わせた。まずシーティアが答える。


「注目されてますわよ。だってある意味カエデさん、有名人ですもの」


「何っ!? 何でよ! あたし、ただのパティシエールよ?」


「ただのパティシエールだから、ですわ」


 驚く楓に、シーティアは右目をつぶる。軽いウィンクを受けて、楓は別の意味で動揺した。それを見たルー・ロウが補足する。


「シーティアの言う通りですよ、カエデさん。いいですか。地球のお菓子を作ることが出来るのは、今まで魔王たるアランシエル様だけだったのですよ。けれど、魔王様の仕事は菓子作りだけではありません。それに民に配るにしても、一人で作る菓子の物量には限界があります」


「うん、それは分かるよ」


「はい。そこに連れてきたのが、カエデさんなのです。もちろん一番の目的は、大いなる菓子の祭典(グランドスイーツ)における勝利の為です。ですが平時においては、純粋に菓子作りの助手として働かれています。つまりは、平民達にとってはおこぼれに預かる恩恵が広がる。少なくとも、そう見ているのですよ」


「理解出来なくはないわ。でも、そんなに皆楽しみにしてるの? たかがお菓子よ?」


「たかがお菓子でも、ですよ。ルー・ロウも含め、皆がお菓子を好きです。けれど残念ながら、ナノ・バースでは菓子作りの技術が未発達です」


 ごく僅かに語尾に力をこめ、ルー・ロウは楓に語り続ける。いつになく真剣な表情だった。


「リシュテイル王国との戦乱により、菓子作りなど二の次、三の次でした。精々が砂糖漬けの果物や簡単なクッキーやビスケットくらいしか無かったのです。人間達とのスイーツ戦争に勝ちたいという理由も、もちろんあります。しかしそれ以上に――平和な時代の象徴として、皆お菓子を欲しているのですよ」


「ああ、だから――」


 ルー・ロウの言葉には熱があった。

 その熱を受け止めるように、楓は軽く唇を噛む。

 パティシエールを志して以来、これほど期待されたことがあったか。あるわけがない。


 日本でも、スイーツはむろん好まれる。けれど、これほど切望されてはいない。

 スーパーに行けば誰だってお菓子は買える。街のケーキ屋でも簡単に手軽なケーキが買えるのだから。


 "ここではそもそも手に入らないんだ"


 そんな余裕は、ナノ・バースには無かったのだから。

 菓子作りの技術を伸ばす余裕も、材料を揃えるゆとりも、それを作る人材も。何もかも。


「そうですよ、カエデさん。勝手なこと分かっています。でも、あなたが作る美味しいお菓子を皆が期待してるんですの」


 シーティアのその言葉に、楓は振り向く。

 彼女の後ろには、獣人の子供達が並んでいた。サブレ・ノルマンは食べ尽くされてしまったのか、一個も残ってはいない。


 十四、五人の子供が集まれば、六十個のサブレなんかあっという間だった。どの子供もいい笑顔をしている。


「お菓子おいしかったー! ありがとー!」


「あたし、こんな美味しいお菓子初めてー、お口の中でほろほろ~ってしてて」


「甘くて、卵の匂いがふわーってしてた!」


 わらわらと子供達が寄ってくる。圧倒されながらも、楓は自分の顔が緩むのを感じた。

 しゃがんで目線を合わせながら、ぐるりと子供達の顔を見る。


「あたしこそありがとう。皆に食べてもらって嬉しかった。また作ってくるからね」


 わっと歓声があがる。

 ダイレクトに手応えがあることがこれほど嬉しいとは、予想していなかった。自分の技術がこの子達の笑顔を生んだ。それが誇らしい。

 笑顔が自然とこぼれた。そんな楓を見ながら、シーティアがルー・ロウに声をかける。


「良かったですわね。あんなに喜んでくれてますわ」


「子供達が? それともカエデさんが?」


「両方に決まってますでしょ、もう。ん、待って。ルー・ロウ、気がつきました?」


「ああ、今気がついたばかりだけどね」


 二人の声が低くなる。

 午後も遅い時間となり、陽射しは赤みを帯びていた。ゆっくりと黄昏へと向かう街へと、サキュバスの少女は視線を走らせる。

 それと同時に、ルー・ロウは三歩前に出た。黒い執事服に包まれた右腕が上がる。


「誰だ、そこにいるのは?」


 彼が声をかけたのは、一軒の建物の方角。暗い陰になっており、そこには誰もいないように見える――常人には。だが、ルー・ロウは常人ではない。


「おや、見つかってしまったか。中々やるじゃないか、インキュバスの坊や」


 伸びのある声と共に、何者かが陰からこちらへ踏み出した。長い赤髪がルー・ロウの目に留まる。

 人間の若い女だ。二十歳を少し越えたくらいに見えた。見た目は普通の旅装であり、特別な点は無い。

 けれど、ルー・ロウの警戒心は一気に高まる。


「何者か、お前。一目で僕をインキュバスと見破るなど、ただ者ではないな」


「ふふ、よく見知った魔物だからな。私なら造作もないよ。そこのメイドはサキュバスだろう?」


「あら、お分かりになるのね」


 見抜かれたと分かり、シーティアも前に出る。

 多分リシュテイル王国の者か。赤髪の女というキーワードから、一つの名前が浮かんだ。

 シーティアの可憐な唇が開く。


「もしやロゼッタ・カーマインですの?」


「名乗る必要がなくて助かるよ。こちらのオークの衛兵よりは、君らの方が察しがいいらしい。おい、もう帰っていいぞ。この子らに聞くから」


 ロゼッタと呼ばれた女が背後を向く。

 そこからこそこそと顔を覗かせたのは、二匹のオークだった。

 怯えとバツの悪さに、顔をひきつらせている。


「す、すいやせん、ルー・ロウの坊っちゃんにシーティアのお嬢! 俺ら、この女に脅されて!」


「魔王様にスイーツ決闘(デュエル)を挑みたいと言われ、道案内を押し付けられてっ! 面目ねえ!」


 不穏な気配が平民街に満ちる。ほのぼのした雰囲気は消えており、群衆達は怖そうにその場を退いている。

 この空気の変化に気がついたのは、里崎楓も例外ではなかった。怯える獣人の子供達をかばいつつ、眉をひそめる。


「えっと、スイーツ決闘(デュエル)ってことは、この人挑戦者?」


 その質問に堅い声で答えたのは、ルー・ロウだった。


「はい。思い出しました、ロゼッタ・カーマインだ。先の戦争時に、魔王様とも剣を合わせた女騎士です。強いですよ」


「で、でもそれって実際に戦っての話でしょ。スイーツに関しては別よね?」


「それが悔しいことに、スイーツにも強いんですよ。何回かのスイーツ決闘(デュエル)で、魔王軍の職人が倒されています。被害甚大です」


 それはヤバいのではないか。

 ようやく楓も事態のまずさを察した。

 恐る恐るロゼッタの方を見ると、目が合った。ぎゅっと心臓を掴まれたような錯覚。


「ん、何だ。人間の女性? 王国からの逃亡者でもなさそうだな」


「逃亡者なんて失礼ね。魔王アランシエルの助手こと、カエデ・サトザキよ。職業パティシエール、よろしく」


「パティシエール、ああ、女性の菓子職人か。その黒髪に黒い目、こちらの世界の者ではないな」


 ロゼッタは馬鹿ではない。

 この場に漂う珍しい菓子の残り香と楓の珍しい髪と目の色から、楓が異世界人だと割り出した。

 楓の沈黙を肯定と受け取り、ロゼッタは微笑する。


「ふ、異世界からわざわざ助手をつれてこなければならないとはな。魔王もヤキが回ったと見える。助手がこんなちんちくりんでは、魔王も大した菓子は作れまい」


「は?」


 あからさまなロゼッタの嘲笑に、楓の顔がひきつる。

 自分はいい。自分の見た目は馬鹿にされてもいい。

 だがアランシエルの腕を馬鹿にされたのは、見過ごせなかった。


「何か文句でもあるのか、カエデとやら」


「あるから言ってるのよ。あなたも騎士を名乗るなら、口より先に実力で勝負なさいよ。それとも何、アランの前に出るのが怖いから、私に喧嘩売るくらいしか出来ないの? とんだ腰抜けよね、リシュテイル王国っていうのも。こんな人材しかいないんじゃ、たかが知れてるわ」


「――言うじゃないか、その言葉忘れるなよ」


 西日が徐々に傾く中、楓とロゼッタはにらみ合った。

 楓にとって初めてのスイーツ戦争が、ここに幕を開けたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ