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10.平民街にて

 空を仰ぐ。高く高く視線を上げた。青い空に浮かんでいるのは、白い雲だ。二十年の人生で見慣れてきた雲と、それは相違ない。


「こっちでも空は同じなんだね」


 楓がそう言いながら、足取りも軽く歩く。公園の遊歩道にも似た土の道、そこを革のショートブーツで踏みしめる。空気が美味しい。こちらの世界にも四季はあるらしく、今は春の終わりだそうだ。


「それ、初めて外に出た時も言ってましたよ。もう見慣れたんじゃないですの?」


「うん、いい加減見慣れたんだけど、やっぱり不思議だなと思ってね」


 シーティアに答えてから、楓は両の手を広げた。外は気持ちがいい。そのまま周りを見渡すと、何軒かの屋敷が見える。楓の感覚からすれば、結構なお屋敷だ。テニスが出来そうな広い庭には、綺麗に刈り込まれた植え込みが植わっている。その奥に見える屋敷は白壁が美しい。ヨーロッパにありそうな大邸宅に見える。


「不思議というと、この風景がですか。ルー・ロウには普通ですが」


「あたしにとっても普通なんだけど、こう、いい意味で期待を裏切られたの。魔王が統治する領地って、もっとおどろおどろしいと思っていたから」


「ほう、そうなのですね。まさか空は真っ赤で、怪鳥がゲーゲー鳴いていて、魔獣がうろついてるような?」


「そうそう、ん。なんでルー君はそれを知ってるの?」


 楓が問うと、ルー・ロウはくすりと笑った。少年用にあつらえた執事服をひるがえし、楓を見上げる。上目使いだ。


「アラン様が教えてくれました。地球には魔王はいない。だが物語やゲームの中にはおり、そこでは倒すべき悪者なんだと。相当ショックを受けたご様子でね。あれは可哀想でしたよ」


「そうですわ。別に魔王だからって、悪逆非道を尽くすわけではないですのに」


「あはは、あたし達の世界には人間しかいないからさ。どうしても人間中心の世界を考えた上で、架空のお話(フィクション)を作るのよね。ごめんね」


 途中から参加したシーティアにも軽く謝りつつ、楓はふと考える。アランシエルは魔王なのである。その当たり前の事実を噛み締める。

 これがゲームなら絶対に悪役でラスボスだ。彼の正体を見た瞬間に、一瞬だけヤバいと思った。今でもたまに怖いなと思うことはある。赤眼だけならいいが、角があるのだ。やはり異なる生物なんだな、と思う。


 "でも、こっちの世界だとどうなんだろう? やっぱり恐怖の対象なの?"


 勇者だ女騎士だという単語も聞いた。リシュテイル王国にも、魔王と戦える人材はいるらしい。そう考えると、魔王が唯一絶対の強大な悪という固定観念は、違うかもしれない。むしろ、勇者らと並列の強者の一人あたりなのか?


「ねえ、シーティア、ルー・ロウ。アランって怖いの?」


 ぽつりと疑問を口にした。二人は顔を見合わせてから、楓に答える。


「あんまり怒られたことないですわ。私も失敗はするけれど、大体笑って済ませてくれますし。本当に怒ったアラン様って、一回か二回くらいでしょうか」


「ルー・ロウも同意見ですね。基本的に優しいし、皆に慕われております。ただ、人間達はどうかな。やはり怖いと思いますよ。魔王様と戦えるのは、人間たちの中でも限られますしね」


「そっかあ。仲間内では慕われているんだね」


 シーティアもルー・ロウも嘘はついていないだろう。彼らの返事を聞きながら、楓の中の魔王像が少し変わる。敵には恐ろしいが、味方には人気がある。そして街並みを見る限り、別に変な残虐趣味などは無さそうだ。まともだ、ここまでは。


「なんで皆仲良く出来ないのかしらねー」


 白い雲を仰ぐ。答なんか期待していない。地球でだってそうだろう。いつもどこかで内戦があり、夜中のニュースで取り上げられる。

 魔王アランシエルが絶対脅威でなかったとしても、主義主張が違えば敵意は向けられる。今は剣の代わりに、スイーツで戦っているだけの話だ。


 柄にもなくそんなことを考えながら、楓は平民街への道を歩く。手に持ったバスケットには、サブレ・ノルマンが大量に詰め込まれていた。

 季節に似合わない重い考えを、サブレの甘い粉とバターの匂いがさらっていった。



† † †



 楓は自分の技術に自信はあった。あくまで一年目の駆け出しパティシエールとしては、だが、それなりだと自負している。

 だからサブレ・ノルマンを作った時も、そこそこ美味しいサブレになっているとは予想していた。過信ではない。自分の技量と手間暇からの、純粋な予想として。


「ふぁっ、このお菓子うめっ! さっくさくの歯触りだー!」


「口の中でホロホロするぅ、こんなお菓子初めてー! 卵、これ卵の味だー!」


「キメが粗いのが逆に美味しいですうー。癖になりそおー」


 そう、味に自信はあった。けれど、こんな熱烈歓迎を受けるなんて、予想を遥か上回る。

 群がっているのは、平民街の住人だ。その多くが人と獣の中間の存在――平たく言えば、獣人だった。顔は人間なのだが、体の幾つかの箇所が動物のそれだ。例えば耳。


「ピコピコしてるのね、触ってみたい」


 犬耳だったり、猫耳だったり、兎耳だったりするのだ。

 楓は別に動物フェチではないが、もふもふした物というのは単純に触りたくなる。気持ち良さそうだなと思ったが、体の一部を触るのは失礼だろう。そしてそれ以外にもある。耳と並ぶ獣人の特徴と言えば、尻尾だ。


「本当に生えてるのね。スカートとかどうなっているのかしら」


 楓の何気ない問いに答えたのは、犬の獣人の女の子だった。ダックスフントのような垂れ耳をしており、愛くるしい目をしている。


「あのね、ちゃんと穴が空いてるんだよ! ほら!」


 くるっと回り、お尻の辺りを指差す。なるほど、スカートの後方が丸く切り取られている。そこから細い尻尾が、ぴょこんと飛び出していた。それがフリフリと揺れる。これは反則的な可愛さだ。


「あ、ありがとう。よく分かったわ。もういい、もういいからね?」


「うん! あ、おねーちゃん、サブレありがとう! おいしいね、これ!」


 これはヤバい。直感的に楓は思った。幼い犬耳少女が目を輝かせ、自分の作ったサブレ・ノルマンにかじりついているのだ。ロリコンでなくても、理性が崩壊する。

 くらっときたが、何とか耐えた。ルー・ロウが「大丈夫ですか?」と声をかけてきたが、大丈夫な訳がない。


「ふぅ、危ういところだったわ。可愛いの破壊力を舐めていたのね、あたし」


「ああ、もふもふ系は慣れない人にはヤバいですからね。ルー・ロウも初めて狐系獣人の尻尾に顔を埋めた時は、意識が遠くなりました」


「な、何て羨ましい真似をしてるのっ!? ルー君、よく生きてるわねっ」


「病み付きになりますね、あれは」


 ペロと舌を出し、ルー・ロウが妖しく笑う。インキュバスの少年だけあり、妖艶な笑みだった。けれどもその笑みはすぐに消え、視線はサブレ・ノルマンへと向かう。


「あのお菓子、大好評ですね。あんなに喜ばれてる」


「そこまで難しいお菓子じゃないんだけどね。こっちの世界では、サブレみたいなホロホロした歯触りのお菓子はないみたいね。珍しいんじゃないかな?」


「ええ、それはありますね。それはそうとシーティア! 君、平民達に混じって食べ過ぎだ!」


 ルー・ロウが声を張り上げた。その声を聞いてはいたが、シーティアはサブレを食べる手を止めない。既に四個目だ。

 唇の端についたサブレの粉を、幼いサキュバスは舌で舐め取った。赤い舌が心なしか淫靡だ。


「だってえ、このお菓子美味しいんですもの」


 シーティアは本心から感想を言う。



† † †



 茶色のサブレの生地に歯を入れると、さっくりと表面が崩れる。そこから舌に踊るのは、裏ごしされた卵の黄身の軽い食感だ。そこから更に味覚が展開していく。火の通ったサブレの生地は、ほろほろと崩れる。口の中でバター特有のコクがほどけ、甘さがざくりと広がった。


 食感はサブレらしく軽い。キメの粗い生地の歯触りは癖になる。そして卵とバターの甘いうまみも。このサブレ・ノルマンという菓子を、シーティアはいたく気に入ってしまった。


 口の中のサブレを飲み込みながら、シーティアは思い出す。これを作ったのは、里崎楓だという単純な事実を。

 アラン様が直々にスカウトしてきたというだけあるなあと、シーティアは感動を覚えていた。この一ヶ月、ちょいちょい楓から菓子をもらっている。だから、その腕は大体分かっていたつもりだったけど。


「カエデさん、凄いですのね」


 青色の目を賞賛で満たし、シーティアは恍惚の表情をする。



† † †



 楓の作ったサブレ・ノルマンが好評を博していた同時間帯、少し離れた場所のことだ。平民街の端、そこには外の街道に続く門がある。豚の獣人であるオークという魔物が二匹、ここの門を守っていた。つまりは衛兵だ。


「あー、こうも何も起きないと退屈だなあ」


「ま、俺達が退屈なのはいいことさ。侵入者がいないってことだからな」


 二匹とも呑気なものだ。それも無理はない。停戦協定以来、本物の戦争は無いのだから。命のやり取りがないなら、警戒心も緩むだろう。ただし、この日に限ってはオーク達は無警戒過ぎた。


「おい、そこの豚面。門を通せ」


 ビクッと二匹のオークが震える。かけられた声の内容より、いきなり至近距離から聞こえたことに驚いた。

 視界は開けていたのに、どこから近づいたのか。遠い間合いから音もなく、高速で接近した。そうとしか考えられない。


「お前っ、どこのどいつだ!?」


「てめえ、リシュテイル王国の者だよなあ。舐めた口聞いてるんじゃねえぞ!?」


 二匹が速攻で動く。相手は人間の女らしい。

 まず目に入ったのは、赤い髪だった。艶のある赤髪がその人間の肩をつたい、胸まで垂れている。旅装越しにも、柔らかな曲線が見てとれた。まだ若い。

 だが――この威圧感は何だろうか。そしてすぐに、片方のオークが気がついた。牙の飛び出した口が、ぶるぶると震える。


「お、お前、まさか。いや、その赤髪は!」


「そうか、まだ私を覚えていた者がいたか。ありがとうと言っておくよ。オークの衛兵よ、魔王の下に案内しろ」


「あ? 名乗りもせずに勝手言うんじゃねえぞ、コラ!」


 女の前に、もう片方のオークが槍を出す。それを片手で難なく掴み、女はうっすらと笑った。茶色い両目がオークを睨み付け、その場で釘付けにする。

 槍を掴む女の腕は細い。だが、オークが両手で槍を引いてもビクともしない。フッ、と女はため息を漏らした。そしてオークを突き放す。


「雑兵に伝える名は無い。魔王にスイーツ決闘(デュエル)を申し込む。逃げるなよ?」


 微風に女の赤髪が揺れた。底冷えのする視線を、女は二匹に投げかけた。

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