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 一度眠れたからと言って、状況が変わったわけではない。あれから、環境や時間帯、曲目や、傍にいる人など……つぶさに試験してみたが、狙い通りドルミールが眠ることはなかった。


 しかし、全く期待していない時に、再びドルミールが眠りについたことがあった。

 婚約お披露目パーティの為に、シャンテがワルツの練習をしている時だった。ステップに合わせ、つい口ずさんでしまった歌に反応したらしい。


 練習をしている部屋の外から再び悲鳴が聞こえてきて、シャンテは大いに驚いたものである。時間は勿論、昼日中。ドルミールは、出勤しているはずの時間であった。どうしても外せない来客の為に、一時帰宅していたという。


 修道院で過ごしていた頃と、ドルミールが眠った二回の共通点を探した。


 日中ということ。

 シャンテが穏やかな時間を過ごしていたということ。

 そして――ドルミールがいるはずがないと、思っていたこと。


「君は、僕の前では緊張してしまうのかな」

 シャンテは肩をすぼめた。そう言われてみなくても、彼の前で歌うときはいつもカチンコチンなのは、自分が一番わかっていたからだ。


「緊張状態がきっと、君の歌を縮こまらせてしまうんだろうね」


 深い眠りから覚めた後のドルミールは、いつにも増してシャンテとの触れ合いを好む。

「君の素敵な歌をずっと聞いてもいたいけれど……君と共に眠る夢を見たい」

 彼がベッドの上から、所在なさげに立っているシャンテの腕を引く。腰に巻き付き、シャンテの腹部に頭を押し付ける。


「シャンテ、早く僕に慣れておくれ」

 早く僕を、好きになって。


 それはとても難しいことだと、シャンテは思った。


 答えられずに、唇をかみしめたままのシャンテに、ドルミールが笑みを送る。


「これからはもっと一緒にいる時間を増やすよ。下も育ってきたし、君のおかげで仕事の効率が上がったからね」


 ドルミールが笑う。女神に嫉妬されるほど、美しい顔で。

 シャンテは直視出来ずに、曖昧に笑って、視線を逸らした。




***




 宰相補佐は有言実行の男だった。きっとこの国の未来は安泰だろう。

 ドルミールは仕事の時間を減らした。休日も設けた。それまで休日がなかったことに、シャンテは驚きすぎてひっくり返りそうだった。


 ドルミールはシャンテとの時間を作ってくれた。

 食事を共にとり、ワルツのステップを二人で踏み、歌を口ずさみ、チェスを教えてくれた。

 朝はともに白い息を吐き、夜は星の読み方を教えてくれた。雨の日は図書室で並んで本を読み、曇りであれば流行の観劇に出かけ、晴れればピクニックに連れ出してくれた。


 共にいる時に、ドルミールがうつらうつらとすることが増えた。

 これまでは、減った睡眠時間をどこかで補うこともなく、ただ仕事に集中していたようだった。しかし、適度に休憩を挟んだため、体が休息を求め始めたのだろう。そんな無理を強いていて、良く体を壊さなかったものだ。

 熟睡とまではいかずとも、膝や肩をうたたね程度貸すことが増え、目の下のくまはずいぶんやわらいだ。


 それだけでもきっと、快挙に違いない。


 だけどシャンテは焦っていた。ドルミールがいつまでたっても、シャンテの歌で眠れなかったからだ。


 その頃にはシャンテは、ドルミールが不在の時に歌うことにすら、緊張するようになってしまった。もし今、意図せずドルミールが聞いていたら――そう思うと、どうしても体が、頭が、強張ってしまうのだ。


 もう、冬になる。

 この屋敷に来た時、まだ庭の木々は明るく色づいていた。それがもう全て、地面を彩っている。


 それだけ長い間、シャンテは成果を出せないでいるのだ。


 ドルミールは、変わらず優しい。落ち込むシャンテに、毎度「大丈夫だよ」と声をかけてくれる。使用人たちも彼を立て、厳しく接することはない。


 それでも、シャンテは焦った。


 早くドルミールに休息を与えたかった。

 彼に心からの安堵を渡してあげたかった。

 そのために呼ばれたのに、そのために選ばれたのに。


 緊張しないように、意識しないように、うまく歌おうと思わないように――


 ように、ように、ように……


 思えば思うほど、普段の自分が分からなくなっていって、


「――踊る、踊るよ。紅茶の葉っぱ」

 暖炉のソファに腰かけたシャンテは、歌い終わって瞼を開いた。歌うときはいつも、緊張から瞳を閉じてしまう。


 気づけば、膝にいたドルミールの頭を撫でていたらしい。いつの間にか、彼を膝枕することにも抵抗を無くしていた。

 膝の上のドルミールと、目が合う。


「……シャンテ」


 暖炉で溶かしたバターみたいに、甘い瞳でドルミールが見上げていた。眦は赤く、口元はほころんでいる。咲いたばかりの蕾を見つけたように。葉に浮かぶ雫を眺めているかのように。

 シャンテはくしゃりと、顔を歪ませた。


「申し訳ございません。申し訳ございません、ドルミール様……」


 シャンテの表情を見たドルミールが、慌ててソファから転がり下りると、シャンテの前に跪く。そしてシャンテの小さな丸い顔を、ドルミールの手が包み込んだ。


「シャンテ、そんなに畏まらないでくれ。歌う君をこんな場所で眺められるんだ。役得だろう?」

 見つめてくるドルミールの瞳が優しくて、シャンテは目を合わせることも出来ない。


「私は、あなたに眠りを……」

「君が頑張ってくれていることは、僕が一番よく知ってる」


 ドルミールは柔らかく笑って、シャンテを抱きしめた。

 いつまで彼は辛い日々を過ごすのだろうか。いつまで待ってくれるだろうか。

 二つの気持ちが入り混じる。


「務めすらろくに果たせず、心苦しいばかりです。……もっと精進いたします」


 ――ガバッ

 ドルミールが抱きしめていたシャンテを引き剥がした。


 彼の大きな瞳が、更に大きく見開かれている。

 シャンテはパチパチと瞬きをした。


「……つと、め?」

 呟く声は掠れていた。

 シャンテは、彼が何に動揺しているのかもわからず、曖昧に頷く。


 ドルミールは何かに思い当たったのか「あれか……そういえば、言っていた……」と呟くと、両手で顔を覆って項垂れた。


「そう……君にとっては全てが突然だっただろうからね……」

 務め……。ともう一度呟いて、ドルミールは顔を上げた。


「シャンテ。二人の関係を見つめ直す必要があるようだ。しばらく、歌はよそうか」


 シャンテの顔が、絶望に染まった。






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