機械になれない
目覚ましは鳴り続ける。
消す。
眠りにつく。
目覚ましは再び鳴り続ける。
消す。
再び眠りにつく。
こんなことを繰り返し、完全に起床するのはいつも午後2時を回っていた。テレビでは関西出身と思われる司会者が今日も節操にうごめく芸能界のニュースとも言えようないニュースを必死の形相で切りさいている。なぜこの司会者はこんな昼間からこのテンションを維持できるのか。いや、彼はテレビマンとして、労働者としてプロフェッショナルなだけかもしれない。たいして有名じゃない芸能人の結婚、離婚、それをここまで盛り上げ掘り下げひとつのTVショーにする。うん、プロフェッショナルだ。それにしても、世の中の主婦達はこういった視野の狭い報道にいつまで踊らされているのだろう。自分の目で見ないとわからないことばかりの世の中なのに。
「テレビは真実を映してはくれない。とくに、ここ最近は。」
机の上に無造作に置かれた黒い表紙のノートになぐり書き。これが、俺の作家活動だ。「このあてもない社会への俺様からの一刺し」そう表紙に白字で書かれたこのノートは小学生4年生の頃からスタートし、すでに7冊目となった。日頃思い立ったこの世界への思いを痛烈に、ダイレクトに、書き刻んだこのノートは自称天才作家の俺の原点であり、俺の頭脳、いや心そのものだった。通称「社会ナイフ」と呼ばれる(俺が呼ぶ)そのノートは、小説を書くときの大事なキーワードであり、柱となることも多かった。が、5冊目くらいからはすでに「社会ナイフ」に、自分の思いを投げるだけが目的となってしまった。もう、3年ほど、完結させた物語はない。
そう、俺は客観的に見れば、ただのニート。それも自惚れニート、社会ピラミッドの底辺に君臨する29歳である。自由に使える金は底をついていた。1日の食費は500円、それを超えると俺のライフバランスは一気に崩壊を招いていく。収入源は親の仕送り、貯金の底の底が見えたときだけ仕方なく行う派遣の短期バイト。幼い頃、いや大学2年くらいまで思い描いていた未来図はこんなんではなかった。いや、誰もがこんな姿描かないだろう!みんなスーパーな未来図を描いて、それでいて一回そのカラフル未来図を上から白ペンキで塗り替えて、紫とか黄土色とかクレヨンでも最後まで残るような色のペンキで無理やり塗りたくる。それでいてこれが描いていた未来図です。ってな感じで元のカラフルな未来図を無かったことにする。みんなそれをどこかでこっそり誰にも見られないようにやって、社会人という機械になる。その作業を拒んだ俺は、社会という枠組みから外れ、黒いペンキで塗りたくられた。誰もが目で見て分かるように、こいつはニートだと。はぁ、とりあえずまた派遣の短期バイトを探そう。機械になることをまだ拒んでいる俺は、自分なりの人間的足取りでいつもの散歩道を歩いた。