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 アオが死んでからだいぶたったあとのことだったかと思う。誰も神さまがくださった蛇の話なんてしなくなっていたから、休日の朝、久しぶりにお父さんと一緒に朝食をとっているときに、突然、そんな話をするものだから、あたしはひどく驚いてしまう。

 この頃、あたしはトマトのジャムづくりに精を出していて、トーストにたっぷり塗って頬張ほおばるのをたのしみにしていた。トマト嫌いのお父さんはいやそうな顔をした。あたしはお父さんのことが好きではない。というより、お父さんが顔をしかめたくなるようなことをするのが、今は何よりも大好きになってしまっている。

 涼しい夏の朝のことだった。グラスに檸檬レモンを輪切りにした水をそそぎ入れ、想像力の力で檸檬水レモンすいの湖面に雲を浮かべてみる。あとは蜂蜜を混ぜてからごくごく呑むのだ。この檸檬水レモンすいにしてもお父さんはきらいみたいで、そんなお父さんをみているとあたしはすこぶる心地がよくなってくる。


 戸外の緑を通過した風がカーテンをふくらませたり、かと思えばすぼませたりする静かな時間、しかめっ面をしながら、それでも至福を噛みしめているらしいこのひとときを、お父さんが愛しているということはわかる。


「神さまがいるかも、ってことは、この歳になると、なんとなくわかってくる。むしろ、いないとする方が何かと不合理だということも、同じくらいわかってくる」


 何の話だろうと思い、グラスに浮かべた雲の観察はひとまずやめることにして、あたしは輪切りにしたひとひらの檸檬レモンのスライスをつまみ、口にふくむ。と、お父さんをみつめた。お父さんは困惑した表情を浮かべながらも話をつづけた。


「神さまがどんなものであるかはいえないけれど、神さまは魂の汚い人にも、きれいな人にも平等に存在している。きれいな人にだけ恩寵おんちょうがあるのだとしたら、それはずるいことだと思う。神さまはズルはしない。いい人にも悪い人にも、ひとしく雨は降るのだから」


「蛇のこと、いってるの?」


「そう、蛇のこと。プシコパニキアのことは残念だったけど」


「そうだね」


 あたしは、にっこり笑ってうなずいた。お父さんの言うとおり。お父さんは間違っていない。もうお父さんのことは好きでも嫌いでもなかった。


 あたしはいまでもアオや、草色のクサのことを考える。

 そうして、あやかなちゃんの眼が依然として怒りとなって大気圏を震わせているのを目撃することだってあるのだ。あれからあやかなちゃんは消息不明になってしまったけど、怒る眼として空中を浮遊し、あたしのこと、絶対に許してくれないのだ。

 でも、あたしは怒りの眼を見つけると、


「あ、あやかなちゃんだ。ねぇね、元気してる? そういえばさ、この前、ばったり田口と会ったよ。あの子、ずいぶん痩せちゃっててさ、それでもって、あやかなちゃんのこと、懐かしがっていてさ」


 なんて話しかけながら空中にむかって手なぞを振ってみせたりするのだ。


 思いだしたり、想像してみたりする。

 あの頃のあたしの気持ちを、あやかなちゃんの心を。

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