外伝 紅蓮の吟遊詩人――リア――
遠い砂漠の最果てに、その国はあるという。何もかもが赤に染められし国“リア”。
だが、誰もその国をその名で呼ぶ事はない。
“赤の国――”
大概の者はその国をそう呼んだ。
紅蓮の炎の髪と瞳を持ち、深紅の衣に身を包む者たち……。
かつて、その国から旅立った若者がいた。
その名は、“LIAS(赤)”。
終わりでもなく、始まりでもない者。
赤の国と同じ名を持つ彼は、竪琴一つを持ってある日、国を出た。
今は遙けき――遠き昔の物語なり――。
紅蓮の炎がいま、地平線の彼方へと沈んでゆこうとしていた。
ルジーナの草原は、その色を紅から闇色へと染め変えようとしている。その中を、一人の若者が歩いていた。
その髪は紅蓮の炎よりも赤く、その瞳は深紅の血よりも紅い。
だが青年の容貌は、すべてを焼き尽くす紅蓮の炎とはほど遠いものであった。
深紅の瞳は優しげに細められ、物言いたげな唇は淡い微笑を刻んでいる。
その唇が、不意に歌を口ずさんだ。彼の唇から紡ぎ出される澄んだ声音に、草原を歩いていた動物たちが振り返り立ち止まる。
遙か遠き 最果てに
リアと言ふ国ありて
熱砂と砂塵の最果ての
其は赤に染められし 異端の国
一目みたいと 訪ねれど
未だ一人とて 辿り着けぬ
かつて辿り着いたは 吟遊詩人
其に憧れし子供が一人
赤に染まりし夕暮れ時に
竪琴一つ 抱いて砂塵に消えた
おお――
赤き熱砂の国よ
今も紅き大地はそのままか
紅き衣はそのままか――
美しく哀しい歌声であった。
その声を聞くだけでも、彼が吟遊詩人としては一方ならぬ人物である事が知れる。きっと彼の背中に担がれた竪琴も、一度紡がれればその声音に劣らぬ程に素晴らしい音色を奏でるのであろう……。
だが今は、草原にいる動物たちだけが彼の客なのであった。
しばらく歩くと、森が目の前に見えてきた。
躊躇うことなく、彼は森の中へと入ってゆく。
歌は…まだ紡がれていた。
「吟遊詩人か?」
不意に頭上からそう声を掛けられ、彼は驚いたように上を振り仰いだ。
「…いかにも――」
見上げた空に、人影はなかった。
「良い声だ。できればその背の竪琴の音も聞かせて貰えるとありがたい」
「それは構いませんが……」
「金なら払おう」
言われ、彼は微笑する。
「お金よりも、私は貴方の姿を拝見したいのですが?」
その問いに、頭上の声は応えなかった。
彼は自分に話しかけてきた相手が何者なのか知りたいと思った。
高く澄んだ、色で例えるならば黄金色のような声音を持つ人物――。
吟遊詩人として長く旅をしているが、今聞いたような声音は一度として耳にした事はなかった。
暫しの沈黙の後、黄金色の声音が困惑したような色を浮かべ言った。
「……下に降りるのは構わないが、お前の歌には呪力がある。今の俺の姿は、人間には見せられない――」
「何故に?」
また沈黙が降りる。彼は仕方なく、荷物を下ろしてその場に座った。
「お前には、人並みの欲があるか……?」
問われ、彼は素直に答えた。
「それなりに」
「お前は嘘つきか? バード――」
「仕方のない嘘ならば」
「お前の心は天空の高みにあるか?」
「それでも地上からは離れられません」
くすくすと、澄んだ声音が笑う。
「面白い奴だ、バード――…。いいだろう。いま…下に降りよう――」
声がするなり、頭上の木々が揺れた。
空から降ってくる無数の葉と共に純白の羽根が舞い落ちてくる。
薄闇色の空から地上へと降り立ったのは、純白の羽根を持つ天空人であった。
「――なる程。貴方が地上へと降りてこられない理由がわかりました」
優しげな笑みを浮かべ、彼はゆっくりと竪琴を構えた。
「さて。何かご所望の曲がおありかな?」
黄金の瞳で、天空人は紅蓮の炎のような彼の瞳を見つめる。まるで、彼の心の内を探るかのように……。
「…できれば、30年前の勇士の歌を――」
「ああ。東の大国、リード国の勇士ですね? 名は確か…聖ジル・ロード殿…でしたか?」
応え、彼は歌い出す。
かつて東の大国リードに“その人あり”と言わせた聖騎士の歌を――。
かつて東の遠き地に
大地の女神に愛されし 大国ありて
その国 名をリードと申す
聖戦の名残 未だ晴れず
闇に染まりし 時の魔道士によりて
豊かなる大国は 地獄と化さん
聖なる騎士は立ち上がり
一国を守らんと 命をかけ戦い挑む
なれど 運命は過酷なり
果敢に戦えども 勝利は遠く
今では騎士の行方も知れず
かつて 騎士に救われし人々は
今もその騎士を称え 歌わん
聖ジル・ロード
汝の血が流れし者が
必ずやこの地に帰らんと――
かつて“聖騎士”と謳われた英雄は、今では生きているのかさえも判らない。
彼の歌に浸っているのか、天空人は気持ちよさそうに両羽根を伸ばす。
瞳を閉じて口元に微笑を浮かべる天空人の横顔が、黄金色の輝きを放っているように見え、彼は思わず歌を止めた。
「どうした?」
不審そうに見やる天空人に、彼はゆったりと首を降る。
「いいえ。ただ、貴方が金色に光輝いているように見えたもので……。天空人とは、みなそのように輝いて見えるのですか?」
問いに、天空人は陶器でできた人形のような綺麗な顔を歪め、ニヤリといたずらっ子のような顔で笑った。
「いいや。俺は特別なのさ」
「特別?」
「ああ」
それ以上、彼は問いただそうとはしなかった。言葉少なに答える天空人が、それ以上の質問を厭うているように思えたのだ。
再び、竪琴を奏で歌い出す。
そうしてやがて紅蓮の炎を焚き、それを囲うようにして一晩の宴が催されたのだった。
彼の歌を聴いている間中、天空人は呪縛から逃れた者のように、その身体を淡く発光させていたのだった。
翌朝、二人はその森から旅立った。森の終わりで、二人は最後の言葉を交わす。
「バード。お前ただの吟遊詩人ではないな? 俺の変化魔法を歌で解いたやつは初めてだ……」
「ええ。私は呪歌士なのですよ。古の旋律と言葉を奏でる歌謡いです」
「なる程な。ではバードラ、名を聞いておこう」
天空人の尊大ともいえる言い方に、彼はそっと足を引きその身を折った。
神に最も近しい存在のその人に尊敬の意を表し、彼は初めて名乗る。
「“リアス”――と申します、美しき天の使い人よ。呪歌士のリアス。して、貴方様の御名をお聞きしてもよろしいか?」
古い言い回しに、天空人はクスリと笑った。
「“ヒューガ”。ヒューガ・イシュマだ、バードラ――」
煌めく光のような御名に、リアスはそっと頭を下げた。
「覚えておきましょう。…いずれ…貴方様の歌を歌う日が来るでしょうから……」
紅蓮の瞳で、彼はそう予言する。
暖かみのある深紅の瞳に笑いかけ、天空人は背の羽根を畳むとルジーナの草原を抜けるように歩き去ってゆく。
その背を見送り、彼はゆっくりと踵を返して歩き出した。
新たなる天地を求めて……。
子供が遙か遠い彼方を見つめている。その先にあるのは、熱した砂と風ばかりだ。
紅い髪を風に揺らし、少年は佇む。
『いつかこの先にある国へと俺は行く。この国から旅立った“吟遊詩人リアス”のように……』
この赤の国から旅だった吟遊詩人は、今では伝説となっていた。
いつか少年は、彼のようにこの赤一色の国を旅立つつもりでいる。伝説となった彼のように、この国から旅立ち他の国々を観て回るのだ。
そうしていつか……。多くの物語を語れる歌い手となって、この国へと帰ってくるのだ。
そう、この国“リア”へと――。
昨年、他小説を連載の途中で、諸事情により休止状態となっておりましたが、ようやく時間が取れるようになったので、まずはリハビリがてら、以前書いたものを直してアップしていく予定です。