文化祭中
高校の文化祭ってすごいなあと、花は新しい体験の数々に感心していた。中学の頃とは比べ物にならない自由さがあり、それに応じた作業量がある。
お菓子班の彼女は、文化祭前日に家庭科室にこもりっきりだった。ひたすらクッキーを焼き、アイシング用の卵白を練る。小皿に分けて色をつけていく。
卵黄はクッキーに、卵白はアイシングにと、卵を無駄なく使えて良いですねと、見回りに来た家庭科の教師に褒められたが、本人たちはそれどころではなかった。
「耳と尻尾を黒にすると、シャム猫っぽくない?」と、新しいアレンジが生まれると、みんな真似してしばらくシャム猫祭りになる。
お菓子班には女の子しかいないので、きゃあきゃあと黄色い歓声が家庭科室の中に響き渡った。
「花もアイシングしてみる?」
卵白を練っていた彼女を不憫に思ったのか、クラスメートが交代を申し出てくれた。アイシングのデザインは、クラスの美術部の子がしてくれて、かなり彩り豊かだ。白、黒、ブチ、キジと尻尾を垂らした猫の後ろ姿のクッキーが出来上がるのを、花も口元を緩めながら横目で見ていた。
「うーん、上手に出来るかなあ」
ボウルと泡だて器を渡しながら、席を変わる。小皿に乗った色とりどりのアイシングを眺め、それからデザイン画を眺める。けれどもどうしても、白猫に目がいく。漠然とした猫というより知り合いの猫の方が愛着を覚えるものだ。
花は白いアイシングの入ったコルネと呼ばれる絞り袋を手に取った。
※
いざ、文化祭。
最高の秋晴れ、最高の天気。
準備も万端──だったらどんなに良かったことか。花は大きなあくびを噛み殺しながら、ウェイトレスの衣装の入った服を持って登校した。衣装班が間に合わず、自分の衣装には自分で尻尾をつけること、とお達しが来たせいである。
衣装といっても自前の白か黒か茶のスカートに同じ色の尻尾をつけるだけというお手軽なものなのだが、とにかくひらひらエプロンと、男子が着るにゃんこの衣装に手間暇を取られてしまったしわ寄せだった。
白と黒の尻尾の人気が高く、花はあっさりその競争に負けたので、焦げ茶のスカートに茶の尻尾をつけた。これに白いふりふりエプロンと尻尾と同じ色の猫耳カチューシャをつければ出来上がり。着ぐるみを着ないウェイター男子も、これと似たようなものだった。
学校で着替えを済ませると、準備もまだ終わっていないというのに一斉に撮影大会が始まった。裏方組から怒られて、慌てて最後の仕上げを終わらせた頃、校内放送がついに文化祭開始を告げた。
花のクラスはそれなりに盛況だった。猫の着ぐるみ男子がお調子者感あふれる猫接待をしてくれるおかげで、教室は随所で笑いが起きていた。その楽しい声に、花まで楽しくなってついにまにましてしまう。ジュースやクッキーを運んでも、みな猫もどきに釘付けである。
笑い終わって喉が渇いたと紙コップのジュースに口をつけた後に、クッキーに気づいて「ちょっと見て」や「可愛い」と、違う種類の笑顔を浮かべるお客をこっそり見るのが好きだった。
子供が可愛いので持って帰ると言い出した親子が、最初にお持ち帰り用クッキーを買ってくれた。小さな袋にラッピングしたそれが売れたのを見て、近くの女子とやったーとハイタッチをした。
バタバタニャンニャンと喫茶店を回していると、あっという間にお昼になる。
「休憩行ってきたら?」と言われたので、彼女は友人と二人で、猫耳カチューシャだけ外して他のクラスを見て回ることにした。
最初に倉内のクラスの「王子&お姫様喫茶」を見に行こうということになった。文化祭が始まってすぐくらいに、客引きのプラカードを持った王子様とお姫様が廊下を通ったのだ。衣装班の本気が詰まった豪華な光景に、花は思わず口をあんぐり開けて通り過ぎるのを見送った。
倉内は詳しく話さなかったが、彼もあんな王子様姿なのだろうか。おそらく似合うだろう。というより、似合いすぎて驚くレベルだろう。
そんな楽しみを抱えて二年の階に下りた二人だったが──その願いが叶うことはなかった。教室の外に、列の管理をする人まで出ている大盛況ぶりだったからだ。とても休憩中に入れそうにはなかった。
「人気だね……残念、倉内先輩の王子っぷり見たかったのになあ」とぼやく友達にこくこくと頷きながら、しょうがなくその場を後にする。
お昼ご飯代わりにたこ焼きを頬張り、デザートのクレープをどの味にするか悩み、お化け屋敷の前でああだこうだ悩んで、結局入って後ろから大声で追い回されながらゴールした。
「あれ?」
文化祭を満喫して戻ってきた花は、不思議な物体が自分の教室から出てきたことに気づいた。黒いフードつきのマントで、頭のてっぺんから足近くまで隠れた人だ。まるで白雪姫にリンゴを持ってきた魔法使いのような。
何だろうと思いながらも、その後ろ姿が向こう側に歩いて行ったので、首を傾げながら自分のクラスに戻ると、「あ、花!」とクラスメートに指差された。
その勢いにびくっとして、思わず彼女は両手を上げた。相手は銃器を持っているわけではなかったが。
「いま倉内先輩来たよ? 花はいないって言ったら帰ってった」
瞬間、さっきのフードの後ろ姿が花の中で駆け抜けた。間抜けにも「あ」と口を開けて、驚きながら納得する。素顔をさらせない王子様が、お忍びで文化祭巡りをしていたのだろう。
「ごめん、すぐ帰ってくるから」
裏方に置いてある自分のバッグを開けて荷物を取ると、花は教室を出た。フードの男が消えた方向へ歩き出す。人が多く、廊下を走ることは出来ない。階段できょろきょろと見回す。二年の階に戻ったなら下り。他の一年の教室を覗いているならまっすぐ。
彼女は階段を下りた。
階段の踊り場を回れば視界が開ける。
けれど──倉内楓はそこにはいなかった。
階段を下りて三年の廊下に出てきょろきょろと見回したが、彼のクラスに並ぶ列の向こうまで、フードの人はいなかった。
すれ違っちゃったなあ、残念。
ため息をつきながら、花は自分のクラスに戻ろうとした。階段を上って、踊り場をくるりと回った次の瞬間。
「わ!」
「わ?」
目の前に黒いフードがあった。
「わあ、楓先輩」
思わず彼女は棒読みみたいな呼び方になってしまった。もうあきらめていたので、本当に不意を打たれてぼけっとした声が出たのである。
「は、は、花さん!?」
それは向こうも似たようなものだったのかもしれない。ただし彼は、驚きとどもりでいっぱいだったが。
「もう会えないかと思ってました。良かったです」
えへへと彼女が笑うと、「う、うん、僕も」とはにかむように視線をそらす。彼女はそんな倉内をまじまじと見たが、フードの鉄壁の防御により、彼の顔以外はまったく分からない。
「楓先輩、今日は王子様なんですよね?」
彼女が素直に聞くと、恥ずかしそうに赤くなって頷く。
このフードの下に王子様ファッションが──そう思うと、彼女の好奇心がうずうずと立ち上がりかける。隠されているからこそ、人は尚更見たくなるものなのだ。
「ちょっとだけ、見せてくれませんか?」
彼女の素直なお願いに、彼はうっと一瞬言葉を詰まらせた。しばし見つめ合う形になった後、「じゃ、じゃあこっちで」と、ついに彼が折れた。
やったあ、といそいそと階段の踊り場の角に行く。他の人に見られたくないらしく、彼は角の方を向いたので、彼女は角と倉内の間に入る。
廊下より少し暗いそこで、目の前から黒いフードの男に壁に追い詰められる、という錯覚を覚えそうなシチュエーション。そんな中、倉内楓はフードの内側から出した手で、両側にそれを開いて見せた。
最初に目に飛び込んで来たのが胸元のレースのひらひら。黒いジャケットの金の縁取り。袖口も金の縁取りがついている。
「おおー、本当に王子様衣装ですね」
ザ・王子様という衣装に感動して食い入るように眺めた後、彼女は顔を上げてしまった。
そう、見てしまった。
王子様衣装を着た倉内、というものを、だ。
さっきまで、花の中で首から上と下は別物だった。衣装に目を奪われるので一生懸命だった。けれど、見上げたことによりそのふたつがつながった。
黒いフードを着た、黒と金の王子。何故か彼が、少し切ない表情を浮かべていたせいで、国が乱れた憂国の王子に見えた。
この一瞬だけ、彼女は倉内に目を奪われていた。
「花さん……」
ゆっくりと彼の唇が動くのが見える。どもっていない。落ち着いているようだ。それに彼女は、はっと我に返る。
「見せてもらえて嬉しかったです、ありがとうございました」
あまり長い時間見ていると、妙な気分になりそうだったので彼女は笑ってそう告げた。そして思い出す。
「あ、これ!」
クラスから持ってきて、ずっと抱えていたものを彼に差し出す。
「うちのクラスのお持ち帰り用クッキーです。おなかすいた時に食べてください」
透明の小さな袋の中は、すべて白猫。
昨日、花が作ったアイシングのクッキーだ。ちゃんと自分用にとお金を払って買っておいたものである。
「え?」と驚きながら受け取った彼は、袋を持ち上げて少しでも明るいところにかざすようにそれを見た。
「これ、花さんが?」
「白一色だったのでそんなに難しくなかったです。あ、いくら白猫クッキーでも、フルールには食べさせちゃダメですからね」
そう言うと、うん分かったと倉内が──笑った。
嬉しそうに恥ずかしそうに笑った。いつもの彼だった。
思わず、花もつられて同じような笑顔になっていた。
憂国の王子様も格好いいが、やはり彼はフルールの王子様が似合っているなと思ったのだった。
倉内楓のブログ
ここしばらくずっと文化祭の準備で忙しかったので、フルールにあんまり構えなかった。
今日、文化祭が終わって少し遅く家に帰ると、フルールが玄関まで迎えには来てくれた。けど、すぐくるっと背を向けられた。その背中が「どうせ今日もあんまり構ってくれないんでしょ」とスネたものに見えたから、「フルール、ほら、おいで」とかがんで手を伸ばした。
フルールはくるっと身軽にターンして、飛び込んできてくれた。ぐるぐる喉を鳴らして僕の胸に嬉しそうに頭をこすりつけてきた。でも少ししたら肉球で顔を押しやる仕草もしてきたので、まだご機嫌は直りきってないようだ。
ごめんね、僕の可愛いフルール。これからまたいつも通りだよ。
文化祭は大変だった。朝から夕方までずっと、曖昧な返事ばかりをしていた。上手にしゃべれない自分と、上手に笑えない自分を知るばかりだった。フルール、僕もう疲れたよ。
でも、いつまでもいまのままの僕ではいられないことも分かってきたんだ。だからやりたくなかったけど文化祭の仕事も引き受けた。知らない人とも、普通にしゃべれるようにならなきゃ。
あ、一回だけ、文化祭でいいことがあった。尻尾、可愛かったな。茶色い大きい猫も、いいかもしれないと思った。あ、ごめん、フルール……嘘だよ! 猫は僕の可愛いフルールが一番だよ。
ブログを見た花
「茶色い大きい猫? そういえば、楓先輩、にゃんこ喫茶にいたもんね。茶色……茶色……あ! 山田くん!? あ、確かに山田くんならちょっと可愛かった! あとで写メ送ってあげよう」