表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【電子書籍化】あの猫を幸せにできる人になりたい  作者: 霧島まるは
本編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/37

言葉の通じる、タロ

「花……猫はどうだったの?」

 家に帰って母に言われて、花は「あっ」と声をあげた。当初の目的を、彼女はすっかり忘れてしまっていたのだ。

「ごめん、明日見てくる」

 壁に手をつき、彼女はうなだれた。

 今日、花が体育館の裏に出向いたのは、捨て猫がその辺りにいるという情報が入ったからである。

 きっと子猫が可愛いからと、生徒がお弁当の残りなどで餌付けしたのだろうと考え、花は様子を見に行った。場合によっては、そのままシェルターに連れて帰ろうと思っていた。

 しかし、予定外の人間不信の少年に遭遇したため、すっかり忘れて帰ってしまったのだ。

 制服を脱いでハンガーにかけると、花は汚れてもいい普段着に着替えてエプロンをつける。

「タロはどう?」

 母が家の夕飯の準備をしている間、花は犬猫の夕飯の準備をする。そこで、日課のように母にそれを聞いてしまう。

「まだ何の連絡もないわよ。明日は定期連絡の日だから、ちゃんと様子は分かるわよ」

「そっか」

 カリカリのドックフードを大袋から出しながら、花はとりあえずほっとする。

 いま、タロは「トライアル」中だ。

 タロを飼いたいという人のところに、二週間という期限で一時的に預けている。そのまま、家族と相性が良いようであれば、晴れて本当の飼い主になってくれる、というワケだ。

 もしも駄目な場合は、ここに帰ってくることになる。

 花はこの一年、タロに特に心を砕いてきた。だからこそ、うまくいってほしいと願っている。

 仏壇の祖父母に手を合わせる時に、無関係だというのに、「タロがうまくいくよう守ってやってください」とお願いしてしまうほど。

 一年という時間で、タロはだいぶ人間への不信感が拭われるようになったが、それでもまだ臆病で。子供のいる家庭へのトライアルだけに、タロが昔のように不安定に戻ってしまわないか心配だった。

 あの人も。

 カラカラと、ドッグフードが落ちていく音を聞きながら、ふと花は体育館裏の男子生徒を思い出した。

 あの人も、大丈夫だろうか、と。


 あ。

 花は、出そうになるその声を呑み込んだ。

 翌日の放課後の体育館裏。猫を探してやってそこで、彼女はまた彼と遭遇したのである。

「よしよし……ほら、食べなよ」

 体育館裏の奥まったところ。

 木の陰に置かれたダンボールの中に、彼は手を入れていた。頼りない「にゃあ」の声を聞けば、そこに何がいるのかは見なくても分かった。

 餌付けしてるのは、この人だったのかと、花は彼と二日連続で出会った理由を理解した。

 昨日は彼が逃げた方角だったために、花はあえてそっちに近づかないようにして帰った。

 彼のダンボールの中へ向ける横顔は、昨日とまるで違っていて、優しく慈しむ美しいものだった。まるで絵画のようである。

 花はついついその横顔に見とれてしまった。

「……!」

 そんな彼の目が、びくっとこちらに向けられる。途端に強張る顔の筋肉。さっきまでの表情は、まるで幻だったかのようだ。

「……」

 花は、ゆっくりと息を吸って吐いた。

「猫……」

 そして、一言だけ言った。

 興味があるのは、あなたではなく猫です、と。ただ、それだけを告げておこうと思ったのだ。

 彼とタロの違いは、日本語が通じるところ。

 いまはまだ、彼は硬直しているので、花の言葉をすぐに理解できるかどうかは分からない。だから一言だけ言ったきり、彼女は動かずにただそこに立ち続けた。

 視線は、彼ではなく彼の手元に向けて。

 んにゃっと、箱の中で小さな泣き声があがった。

 またも、沈黙の時間が流れていく。猫だけが、そんな空気をものともせず、小さく鳴いている。

「ね、猫……ど、ど、どうするの?」

 おっかなびっくり。

 どもりまくった声は、さっきとは全然違う彼の声。少し裏返った、落ち着かない怯えた音。

 花は表情を変えないまま、彼の手元を見つめ続けた。

「その猫が、幸せなら何もしません。幸せでないのなら……連れて行こうと思っています」

 静かな静かな彼女の声は、それでも彼の手元をビクリと震えさせる。

「だっ、ダメ! つ、つ、つ、連れて行かせない!」

 彼にしては声を張った方だろう。明らかな拒絶と共に、彼は白い毛玉を抱き上げ、ぎゅっとその胸に抱きしめる。

 自然と、花の視線も彼の胸元へと向かった。

 紺のタイの側で抱かれる、白い子猫。

「飼い主を探すまで預かるだけです」

 保健所に連れていくわけではないのだと、彼に説明するが、視線の上の方で頭が左右に強く振られるのが分かった。

「い、い、いやだっ。こ、こ、ここで、いい」

 ぎゅうっと猫を抱きしめ、彼は花の言葉に抵抗する。

 ため息をつきそうになって、花はそれをやはりぐっと呑み込む。

 彼だって、好きで駄々をこねているわけではないのだ。抵抗したい感情があり、それを抑えられないだけ。

 あれは、タロ。言葉の通じる、タロ──花は、心の中でそう呪文のように呟いた。

「人間の食べるパンやご飯は、子猫に良いものではないですし、牛乳も、おなかをこわしてしまいます」

 淡々と、花は彼の胸の中にいる毛玉のことを、語り始めた。

 ぶるぶると左右に振られる頭。

「ここではノミやダニが、猫につくでしょうし、皮膚炎になることもあるでしょう」

 振られ続ける頭。

「心無い生徒に虐められ、人のことが嫌いになってしまうかもしれません」

 一瞬、頭が止まった。

「その猫に……野良の大変さを、味わわせて生きさせたいですか?」

 頭は、止まったまま。

「……」

 彼が、ゆっくりとうなだれるのが分かった。視線を落として、胸の猫を見ているのかもしれない。

「その猫が、幸せになる手伝いができるところがあります……良かったら、その猫と一緒に来てみませんか?」

 無理やり取り上げるのは、彼にとってつらいことだろう。納得して猫を置いていけるよう、花はお膳立てしようとした。

「……」

 戸惑っているのが分かる。花のことを信用しきれていないのと、猫を手放すことを嫌がる気持ちが、ありありと伺えた。

「良かったら、ついてきてください……明日は雨ですよ」

 花は──彼に背を向けた。そのまま、一歩も動かずに後方の動きを待つ。

 足音は、近づくか離れるか。

 どちらの音がするか、ただ待つだけ。

「……」

 足音は── 一歩だけ、近づいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの猫を幸せにできる人になりたい(下) 書影

あの猫を幸せにできる人になりたい(上) 書影
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ