第一夜 堕天――Fall Down――
『―――――被害者はこれで三人目となります。しかし、現在も犯人は特定できず、警察による捜査が現状も続けられております。……次のニュースです――――――』
東京都、否『経済首都・東京』の墨田区。東京スカイツリーが完成してそこそこの年月がたったこの地に存在する、多店舗チェーンレストランの事務室で流れるテレビニュース。
テレビの正面の机で売上表を確認しているのはまだ若干の幼さが有るものの、職を持っていても可笑しくは無い年齢の黒髪の少年。
少年、蒲武陛斗はファイリングされた表のページをめく手を一旦休め、黒いレザーの張られたキャスター付き事務用椅子の背もたれに大きく寄りかかって息を吐きながら背伸びした。気になる程度ではないが、目下の若干のクマが陛斗の不摂生な生活を物語っている。欠伸をしながらつい先ほどの事を思い出す。
―――――――――天木第零高等学校女子生徒連続殺人事件。
ついさっき流れていたニュースだ。現在も犯人が逃亡中どころか、特定さえできていない殺人事件である。
狙われたのは墨田区にある高校、天木第零高校に在籍する女子生徒。最初の犠牲者が報道されたのが四日ほど前。二人目の犠牲が報道されたのが、二日前。そして、今日報道された犠牲者で三人目だ。
死因は不明。おそらく惨殺。ただ、全員が内蔵から脳に至るまで全てバラバラにされ、ブロック状の肉塊と化していた。DNA鑑定というモノがなければ本人と特定することなどまず不可能なほどひどい有様だったらしい。まったく犯人は被害者にどれだけの恨みを持っていたのか、それともただの変態の殺人狂なのか……。
陛斗はこの連続殺人事件と全く関わりのないというわけではなかった。被害者の通っていた天木第零高等学校。その学校に陛斗とその幼馴染、八束小夜合はその学校につい一週間ほど前までは"通っていた"のだから。
正規の卒業をしたわけではない。だからと言って、何か問題を起こして退学したわけでもない。ただの諸事情による自主退学だ。
このレストラン。元はきちんとした店長がいたのだが、突如として謎の失踪を果たした。つい昨日まで大らかに笑っていた人間が事務室の机に「探さないでください」と白いA4サイズ用紙に小さく書かれたものだけを残して消え去ったのだ。その月の給料も頂いていないアルバイトの人間にとっては堪ったものではない。
その時点ではただのアルバイトだった陛斗はバイトの中でも最古参だったので、周囲からの推薦で勝手に『店長代理』という箔が押された日から早二ヶ月ほど。店長代理と行っても店長のする仕事と全く変わりないことを繰り返していくうちに学校へ行き、その後仕事をする。それで一日終了。
さすがに社会人でもない。まだ若干十八歳の受験生がこんなことを繰り返していたら普通に身体を壊す。それでも二ヶ月耐えたのはさすがという他ないが、寝込む期間は約二週間。その期間中に陛斗は布団の中で決心した。
「学校辞める。……ああ、辞めてやるさ。身体が持たん。俺はまだ十代だぞ? なんでこんな青春の欠片もない生活送ってるんだ? ……腹立つ」
いや、そこで辞めるんだったら学校じゃなくて店長としての職じゃないのか?
陛斗の幼馴染の小夜合がその場に居たら透き通る声ながらの男言葉で絶対にこう諭しただろうが、生憎とほぼ一日中看病していた彼女は一時間以上前に去ってしまった。その時既に午前一時半。
それでも陛斗は高校三年が潮時なのかもしれない、と随分前から感じていた。
高校入学当時、なんとなく根暗な感じのオーラを放っていた陛斗は金髪、紫、ピアスに指輪。光りモノでぎらぎらと装飾した男たち。所謂不良というものの恰好の獲物だった。
昼休みに廊下でいきなり蹴る、殴るなど暴行のような大胆なモノから、机に入れていた教科書のページが表紙と背表紙を残して全て消え去る。座席が無くなるなど陰湿なモノまで、虐めのフルコースを一度は味わっただろう。最も陛斗は何か意見することも報復することも一度たりとも無かったのだが……
陛斗は高校一年が終盤を迎える時点で、突如キレた。
本当に突然だ。昨日まで虐めを甘んじて受けていた(周囲にはそう見えた)陛斗が教室に入って、自分の机の中身を確認するなり、机を約7mほど先まで不良の屯っていた机を巻き込みながら蹴り飛ばした。
その時は不良どころかただの一介のクラスメイトも唖然としただろう。根暗ないじめられっ子がいきなりどこから沸いた脚力で机を蹴り飛ばして不良に喧嘩を売ったのだから当然である。
もちろんプライドの無駄に高い不良共がその行為を黙って見過ごすわけもない。握り拳で指をボキボキと鳴らしながら金髪リーゼントのいかにも特攻隊長のような男が先鋒として出陣した。
結果。ボキボキしていた指どころか足の指まで余すところなくボキボキにされて全治三ヶ月。
中堅として参戦したのは重力に逆らってツンツンに立った紫髪のヴィジュアル系なり損ない男。
「リーゼント(仮)の仇は絶対に取ってやるよ! 許さねぇ!」など勇ましい言葉を並べて次は首をゴキゴキと鳴らして指をグーパーさせて出陣。
結果。首はさすがにボキボキにならなかったもののしばらくは空を見上げ続ける生活になったそうだ。
大将はこれまた個性的。ぶくぶくと太った巨体に、膨れた顔には銀色のピアスが幾つも突き刺さって見る側が痛々しい。わけのわからん英語(?)のようなものを高らかに吐きながらいきなり大振りの右で渾身の一撃を放った。
結果。顎がとにかくヤバイことになったらしい。アゴが。
当然のこと三人とも病院送り。救急車で搬送される三人。陛斗は生徒指導の教師に抑えつけられながらも、運ばれていく三人に対し窓からこう言い放った。
「今までの教科書代全部纏めて弁償しろやゴルァァァァァァァァァァァァッッッ!!!」
普段の蒲武くんじゃない………。鬼と形容するのが甘いくらいに恐ろしい表情で吠える陛斗にクラスのほとんどがそう恐れを抱き、教室から教師に連れ出されていく陛斗を恐怖の瞳で見つめていたが、一番後ろの席に座っていた幼馴染、小夜合はその様子を読んでいた本から目を離してくすくすと笑いながら見守っていた。
その後、同学年から高学年まで何度も学校の不良に絡まれ、病院送りを繰り返してきた陛斗だが病院から戻ってくる不良に復讐されると思いきや、戻ってきた不良は絶対として陛斗に対しこう叫ぶ。
――――――――――アニキぃ! 一生付いて行きますぜいっ!
いつの時代の任侠物語だ。全く持って意味がわからない。
あー、別に兄貴とかどうでもいいし、一生付いてこられたら迷惑だし、ただ教科書代返して。
そう気だるげに言う陛斗に対し、財布ごと渡す不良。……しかもあまり金は入っていなかった。
どうでも良くなったのか次々と渡される財布から一銭も取らずに陛斗は全て持ち主に返還した。一部の不良はかなりの金額を財布に入れていたが、清いものではないだろう。
しかし、その行動がさらに不良が心の中で持つ"アニキ度"とやらに火をつけ、益々意味不明のまま"アニキ"として尊敬されてしまうことになるのだが。
そんなことも有り、なんだかんだで一学年なのに学校の不良頭とされてしまった陛斗は他校とのイザコザに本人の意思などないまま巻き込まれることになってしまい。やがて停学処分を食らった。
他校とのイザコザのお陰で唯一の友人と呼べる存在を得たのが唯一の救いだったが。
結局、様々な要因が重なって自主退学という道を選んだのだ。あの時は面倒と思いつつもなんだかんだで楽しかったのかもしれない。今でこそそう思うが、戻りたいとは思わない。
ただ、陛斗にとって一つだけ後悔はあった。"彼女"には話しておけばよかった、と。
――――――――――旧千代田区『災害地区A』での女性徒転落自殺。
天木第零高等学校女子生徒連続殺人事件が発生する前に世間を騒がせ、メディアを一人占めしていた自殺事件。
『災害地区A』旧千代田区の立ち入り禁止現場にて天木第零高等学校の女性徒が自殺したという。なんとも単純なものだ。しかし、それは都心で大規模な猛威を振るった大地盤沈下にて大きな悲しみを生み出したことの象徴とされた。
恋人の後を追った。両親、家族の元へと逝った。様々な死の理由を付けられた人間。それは陛斗の幼馴染で同じ高校に通っていた八束小夜合という少女である。
長く美しい黒髪が特徴で学校の看板とも言える美少女。ぶっきらぼうな男言葉が妙に似合っていて、男子生徒からは憧れ、女生徒からは頼りにされる。まさに絵に描いたような少女だ。
偶然か必然か、幼稚園からずっと陛斗と学び舎を同じくしているため、関わりも深く、陛斗の弁当は小夜合が毎日作っていたという。
誰に対しても毅然とした態度で、一言で例えるなら"凛"。着飾った金のような美しさではない日本刀のように洗練され、無駄のない。そして鋭く、人を引き付ける。そんな魅力を持った少女が、何の前触れもなく自殺。明らかに不自然な節がある。
陛斗は自殺の原因が、自分と何らかの関わりが有るのではないかと考えてやまない。……自殺した日が学校を退学した翌日だったからだ。偶然にしては良く出来過ぎている。
しかし、だからと言ってそれを解明する術は無い。死者にはただ祈りを。
失礼な話だが、亡くなった人間のことを思っても復活は無い。ただ、思い出の中で生きていてくれればいい。―――――――――――――――そんなものは詭弁だ。
どれだけ割り切っていても悲しみは消えないし、逆に悲しむことを止めてしまったらいけないと思う。それがいつまでもその人を想っているという証だと思うから。
ぱたり、ファイルが閉じられる。外を見ればもう暗い。労働時間もそろそろ終了だ。
「バカてんちょーっ! 帰りますよー! さっさと来てくださーい!」
"代理"をつけろ"代理"を。
ドアの向こう側から聞こえる少女の声にそう呟くと、陛斗はファイルを棚に戻し、荷物である灰色のドラムバッグを肩に背負って、部屋を後にした。
墨田区のとある高級住宅街。
旧日本風の庭園付き豪邸から、西洋の館を模したような噴水付きの豪邸など様々な住宅が存在するこの街では夜になると出歩く人間は全くいない。
政府の要人やら大企業の社長やら、都心が消え去ったことにより全てが無くなった人間たちの最後の財のほとんどがこの地に集約されている。
一度ほぼ全てを失った人間は残った遺産に死ぬほど執着する。いくら体格のいいガードマンを連れていても銃弾の前には無力な人間だ。ただでさえ物騒な事件が起こっているというのに底に出てくるほど肝の据わった人間などいない。
「……ハッ、……ハァ……ッ…」
人一人として存在しないこの通りに荒い息遣いが響く。40kmマラソンでもしてきたのか、と問いたくなるほど荒い息遣いの"男"は夜の闇でも十分に映えるほど美しかった。
肩を越すまで伸びている純金の輝きが霞むほど、光のような輝きを放つ金色の髪。それに対するかのように瞳はオニキスのような夜と同じ漆黒。だが、その瞳の光は引き込まれていくような妖しい魅力を惜しげもなくふりまいていた。
一見するとどこか高貴な生まれの人間かと思う。が、服装はやけにボロボロでベルトがこれでもかと付いた拘束衣のような闇色の丈が長い外套。男の180はあろう長身とサイズはぴったりだったが、服装はあまり似合っているものではない。材質も革のように見えるが、よく見ると違う。巨大な蝙蝠の翼を縫い合わせた様な、そんな艶と外見をしていた。
「チィッ……傷が思ったよりも深い、か……こんな環境じゃマトモに回復するどころか悪化する一方だしな……早いところ戻るか、"契約者"を探さねぇと本気で拙いことになるな……」
一般人には全く理解不能の言葉を男はどんどん紡いでいく。ただ、解ることと言えば男は傷を負っているということ。
壁に沿い、寄りかかって歩くような男の進んできた道のりには血痕など全くない。しかし、男は刀で切り裂かれた、銃弾で撃たれた。そんな具合に激しく苦しんでいた。
男は歩く。夜の道を、闇の道を。この先に待ち受けるものが何なのかは"この世の君"と呼ばれた男でも解らない。
「―――――――それでねー、あの子ったらもう可笑しくて……」
「ハイハイ、近所迷惑になるからボリューム下げなさい。ただでさえお前の声は響くんだから」
「む、なんかバカにされたような言い方だ。バカてんちょーのくせに生意気だぞっ」
だから代理をつけろ、代理を。
地区何十年だが不明の自宅、ボロアパートへの帰り道を陛斗と一人の少女は歩いている。
茶色の長いツインテールがぴょんんぴょん跳ねる少女、御門平良は陛斗が"店長代理"のレストランのアルバイトである。
本当はそこそこイイところのお嬢様で通っている高校も所謂お嬢様学校というヤツだ。しかし、災害によって両親を失い、一人残った彼女は一生暮らしていけるほどの遺産が有ったものの、本人曰く"社会勉強"のため自分の食いぶちくらいは少しでも稼げるようにとアルバイトをしている。……もちろん学校側には内密に、である。
「……ねぇ、てんちょー」
「んぁ? んだよいきなり沈んだような声出しやがってなんかあったか?」
陛斗が尋ねると、平良はふるふると首を横に振って言葉なく、否定した。ただ、言葉の代わりに陛斗の手を握ってきつく身を寄せた。
「……オイ、何の真似だ。婚前の女子がそういうことをするな。軽い女だと思われるぞ」
若干の威圧が有る声で陛斗は言い放つ。しかし、彼女は離れない。むしろさらに身体を寄せて、一ミリの間も無い。
今の季節は冬。夜は昼間よりも格段と冷える。コートを着ていても寒いものは寒い。
寄り添うお互いの体温を交換し合う右側は寒さを感じない。手袋も付けていない手は平良が両の手でしっかり握りしめ、包み込んでいるからだ。おまけに肘の部分は妙に柔らかい感触が有る。
……役得、かも。いやいや、いけないだろ? 別に付き合ってるわけでもないし、店長代理とアルバイト。俺たちの関係はそんなものだ。
―――――――離れろ。聞かないなら無理やりにでも引き剥がすつもりだったが、その言葉は平良の放つ言葉によって吐き出されることは無かった。
「天木第零高等学校女子生徒連続殺人事件のこと……どう思ってる?」
「――――――――――――――――!?」
またそれか……もういいだろ。関わりたくないんだ……
テレビの前のキャスターもラジオのパーソナリティも他人も、バイトもどいつもこいつも人様の心を抉るのが大好きらしい。
『主よ、何故我を見捨てたもう』
信奉者ではないが、今は祈ろう。
「どうもこうもない。ただの殺人事件だ」
「ちょっ、それだけで終わらせていいの!? てんちょーが通ってた学校でしょ? 自分の知ってる人間が殺された事件に何にも感じないのっ!?」
五月蠅い……今は気分が悪いんだ。理由は不明だが、頭が酷く痛い……
強く歯噛みしながら陛斗は頭痛に耐える。平良が何か言っているようだが、あまりよく聞こえない。視界が歪む。何かに引き寄せられるような、思考が先へ先へと闇の中へ導く。
――――――――――bdybeofunaeugyiavdyevifbewuobuidgaifboeanfpinaeubfwubda…………
だから五月蠅いって言ってるだろ……! いい加減にしろよ!
「てんちょー? ちょっと、大丈夫!? 顔がすごく青白いよ!? ごめん、私がヘンなこと言っちゃったから……急いで帰ろ?」
「……ああ、わかった。いいか、よく聞け。あの事件はただの変態サイコ野郎が起こしたただの殺人事件だ。二度と俺の前で口にするな……っ!」
平良が頷く。そしていったん離れた手を再度つないで歩き出す。そうして家に帰る。帰れるはず、だった。
―――――――――あの声が呼び止めるまでは……
「酷いじゃないか、私の事を変態サイコ野郎だなんて。まさか、陛くんからそんな汚い言葉が出てくるとは流石の私でも予測できなかったかな? 十年も一緒なのに私もまだまだ陛くんのことをよくしらなかったってことなんだろうね」
背後で声が呼んだ"陛くん"と。それは蒲武陛斗という人間の愛称。定着していた十年前、それ以降その愛称で陛斗を呼ぶ人間は一人しかいない。
――――――振りかえるな。幻聴だと思え。有り得るはずがない。だって、アイツは………
脳が呼びかける。だが、理性ではなく感情が声の在り処を求め彷徨う。そして、振り返る。
「やあ、陛くん。久しぶり? でもないかな。だって、私が死んだところには毎日来てくれてたしね。でも、こうやって顔を見れただけでもこの上ないくらいに嬉しいよ」
空気よりも澄み渡り、水よりも柔らかい。その声の主は陛斗に微笑んだ。
腰まで伸びた長い黒髪。瞳は深紅のルビー色。服装は天木第零の女子制服。見間違えるはずなど無い。十年間彼女を見続けてきたのだから。誰よりも近くで、誰よりも知っている。
それは最後に陛斗が見た彼女、八束小夜合と寸分の違いもなく、目の前に存在していた。
な、長い……本当はもっと内容を詰め込みたかったのですが、長すぎるのもアレなので次話にしようと思います。
感想など、頂けたら幸いです。