一歩ずつ、進む【企画candy store】
作家でごはん、星空文庫に多重掲載しました。
叶ってしまった。
僕の、小さい頃からの夢が。
昼伎長亮、将棋指し、肩書きは四段
去年から、念願のプロになる事ができた。
しかし、僕の勢いはそこでいとも簡単に止まってしまった。
勝てない、どんなに研究を重ねても
同じ四段にも勝てず、収入は減る一方だ。
次やれば分からない。
僕と相手の勝負の終わった後を見れば、口をそろえて皆同じことを言う。
それでも、僕にはそれを信じる事が出来なかった。
自分と相手の間に、何か越えられない壁があるような気がしてならない。
勝負の世界は厳しい、そんなことは分かっている。
だが、自分には何も残っていないと感じていた。
夢が叶ってしまうのは、こんなにも虚しいものなのか。
新しく四段になり、輝いている者もいた。そして、それが何より眩しかった。
そんな中、携帯電話が鳴った。
「……はい、もしもし」
≪やっと出たな≫
「……どちら様ですか?」
≪……明錐修史、忘れちまったか? ジュゲム四段≫
ジュゲム、久しぶりにそう呼ばれた。
落語の寿限無は最後 長久命の長助で終わる。
その長助を僕の長亮と引っ掛けて、ジュゲム。
「修史か……久しぶり……」
≪なんだよ、眠そうな声しやがって≫
「……今何時だと思ってるのかな?」
≪三時だろ≫
「夜中のね」
≪朝の三時だ≫
「……どっちだっていい、僕は凄く眠い」
≪今日飲み行かないか?≫
「人の話を聞こうか、僕は眠い」
しかし、彼はそう簡単に話を聞かなかった。
≪おい、飲みに行こうぜ≫
小学生が遊びに誘う様な軽さ、そしてしつこさだ。
眠気から、早く会話を終わらせたかったのかも分からないが
僕はその誘いに対し、二つ返事で引き受けてしまった。
午後九時、予定をほとんど片付け
僕は指定された居酒屋へと向かった。
呼び出した本人は、僕より五分ほど遅れてやって来た。
そして、僕らはテーブルでひとしきり思い出話をした。
まるで、小学生のような会話。
僕の思い出は、小学生の頃の話が多い。
彼に出会ったのも小学生だ。
学校を純粋に楽しんだのは、小学生までのように思える。
プロを目指す人は小さい頃から道場に通う場合が多く、僕もその一人だ。
中学以上では単位や出席数を稼ぐために、ただ卒業の証明を貰う為に登校していた。
そういうこともあって、僕は小学生の頃の友達である修史とはとても仲が良い。
僕はカバンから、いつも持ち歩いているお菓子を取り出し、一つ口の中へ放り込む。
「ずいぶん幼稚なもん食べてるな」
「チョロルチョコは幅広い年代に愛されるお菓子だと断言できる」
「百歩譲ってそうだとしても、居酒屋にビールのつまみとして持ち込む奴はそういねぇよ」
そう言いながら、お皿に出された柿の種を一つまみ口の中へ放り込んだ。
そして、ビールを飲み干すと、少し真剣な顔になり酔って赤くなった顔を僕へ向けた。
「で、今日は商談に来たわけだが」
「……修史と話すと先が読めない」
「まぁそう言うなって、ジュゲム四段。頼みがあるんだ」
「頼み?」
「バイトしないか?」
「……なんの?」
「指導対局、バイト代は――二十万までなら出そう」
「……将棋がしたいなら道場行けば?」
「俺じゃねぇよ、俺の教え子」
「教え子ぉ!?」
意外だった。僕の知らない間に、修史は教員になっていた。
人に何かを教えるイメージが無かっただけに、僕の驚きはかなりのものだった。
「それで、将棋部を受け持ったってわけだ……凄いねぇ」
「一応俺も将棋は出来るんだが、どうにも手ごたえが無くてよ。そこでプロの登場! な? 頼む!」
「……とりあえず、空いてる日だけは教えておくよ」
「そうか! 助かった!」
誕生日プレゼントを貰った子供のように、はしゃいだ彼は
調子に乗って、今日は驕ると言い始めた。
きっと、今の話も酔った勢いだろう、流石に指導対局で二十万貰えるのはよほど腕の立つ棋士だ。
少なくとも、僕が指導して受け取れる金額では無い。
ある程度飲んだ次の日に、彼から電話があった。
≪今月の、第三日曜日。どうだ?≫
「……また飲みに行くの?」
僕は自室のテーブルに置かれた手帳を手に取り、今月のページを開いた。
第三日曜日に何も書かれていない事を見つけると、彼は呆れた声を上げた。
≪お前……指導対局だ、空いてる日書いたメモこっちに寄こしたろ? 覚えてるか?≫
「あぁ、本気だったんだ」
≪なんだその言い方は! 忘れたとは言わせ…≫
「大丈夫だよ、何時頃どこに行けばいいの?」
いらついた気持ちを抑えるように、修史は淡々と学校の住所を電話口に流し込んできた。
どうやら、中学校のようだ。
その後、最寄駅から学校までの地図がメールで送られてくる。
さらに、忘れたら多少の怪我は覚悟しろ。と脅迫文が送られてきた。
時が流れるのはとても早い、将棋を研究しているうちにその日はやってきた。
「こちらが、今日特別講師を務めてくださるジュゲ……昼伎四段だ」
「「「宜しくお願いします!」」」
十人くらいの将棋部に、やる気に満ち溢れた声が響いた。
「こちらこそ、宜しくお願いします」
とはいっても、人に将棋を教えるのは久しぶりだった。
駒の動かし方は流石に皆知っていたが、実力はまちまちのようだ。
初心者には分かりやすい戦法から教えてみよう。
中級者は、とにかく指してみてからかな。
まずは、二人相手に指してみる。
修史も二人相手に指し、他の部員は自由に対局をしたり
僕と部員の対局を見たりしていた。
少し緊張気味に、ぎこちなく駒を動かす彼らをみて、僕の小さい頃と重なった。
「……これは、ここに打たれるよ?」
そう指摘すると部員は「あっ!」と驚いたようなやってしまったと言ったような声で今指した手を戻す。
それは、将棋を始めたばかりの僕そのものだった。
「先生は、どうやって強くなったんですか?」
二人の対局が終わった時、隣で見ていた部員が僕に質問した。
僕は彼らに、将棋を始めたきっかけやプロになるまでの道のりを話す。
この前までこの話は「夢が叶ってしまった」そんな、燃えカスの話だった。
しかし、何が変わったのか、今話したのは「夢を叶えられた」そんな話だ。
内容は変わらない、言っていることもきっと同じだろう。
でも、何かが違っていた。
部員の帰った部室で「何が変わったんだろうね?」僕は修史に聞いてみた。
「知るか、ほれ、バイト代」彼は放り投げるように茶封筒を僕へ投げる。
中をそっと覗くと、少しシワの付いたお札が入っていた。
おそらく二十枚入っているのだろう。
「悪いんだけど、これは受け取れないかな」
「そう言うな」
「でも……」
「じゃあ、次からはタダ働きだ」
彼は一向に封筒を受け取る気配が無かった。
僕はため息をついて諦め、話題を変えることにした。
話しているうちに、二十万が惜しくなるのではと思ったのかもしれない。
「二十万円って、結構な額だよね」
「まぁな、割と頑張った方だ」
「なんで、僕にそんな額が出せるの?」
「お前に出したんじゃねぇよ、教え子に投資したんだ」
「……中学生からプロになるのはなかなか難しいんじゃない?」
「誰もプロにさせる気は無い。経験と苦労は買えって言うだろ?」
「言わないよ」
話しているうちに、一つ修史に二十万を返す方法を思いついた。
「……これから、飲みに行こうか?」
僕は、茶封筒をヒラヒラと揺らした。
「……それいいな」
思惑通り居酒屋へ足を運び、修史は調子に乗って高いお酒を頼む。
僕は普段持ち歩くカバンから、チョコレートの箱を取り出し中身を一粒口へ放り込む。
「溶けないのか? チョコ」
「保冷剤の入ったポケットかあるんだよ」
しばらくの沈黙の後、彼はするめいかを齧りながら思い出したようにつぶやいた。
「ジュゲムはさ、覚えてるか? 小学生の……一年から三年までの担任」
「柏原先生?」
「そうそう、あのでかい男の先生、俺はあの先生目指してんだ」
「へぇ……」
「あの先生だけなんだよな、結構真面目に俺の事怒鳴ってくれたのは」
「あぁ、怒られてたね」
「俺の出会った中では後にも先にも……俺の成功を喜んでくれたのはあの先生だけだった気がするなぁ」
修史はそう言うと、机に並べられた焼き鳥を手に取り、齧りついた。
彼は酔うと様々な事を話す、目標にしている先生が居たことは初耳だった。
ただ楽しかった。
その言葉が本当に似合う瞬間だった。
一週間後、僕はカレンダーに「指導対局」と赤で書かれているのを確認すると、チョコの入ったカバンを持ち家を出た。
「これじゃぁ……何しに行くのか分からないな……」
僕はここしばらく、相手との間に壁を感じなくなっていた。
前よりも、自分の指したい手を指せている気がしていた。
それは、僕の中で新しい夢が生まれたからかもしれない。
先週来たこともあり、指導対局はスムーズに終わった。
修史は帰ろうとする僕を引きとめ、駒と盤を手に取りテーブルへ置き、駒を並べ始める。
「久しぶりにやるか?」
修史は僕にそう聞くが、すでにやる以外の選択肢は無い。
僕も駒を並べた。
「不思議だよね」
「ん?」
「世の中何が原因でどうなるか分からない」
「なんかあったのかよ」
「このまえ、ここでプロになるまでの事話したじゃん?」
「あぁ、おかげで俺の部員が将棋指す時間を二時間ももぎ取られたっけな」
「あれから、成績が上がった気がするんだよ」
「ほぉ……不思議なこともあるもんだな」
「僕はさ、きっと夢が叶ってそのまんまにしちゃったんだ。それで、そこから一歩も踏み出さなかった。だから……何て言うんだろう、僕にもわからないけど……気付かせてくれたのは修史とあの子たちかな。僕は自分の将棋を良い、って言ってくれる人のために将棋を指したいって思った」
「何言ってんのか全然わかんねぇよ……」
「そうなんだけどね……まぁ、お礼が言いたくてさ、ありがとう」
「やめろ気持ち悪い」
僕らはじっと将棋盤を見つめ、手を動かす。
「俺は、良いと思う。お前の将棋」
僕はそれに何も答えず。部室には会話をするような駒の音だけが響いていた。
はい、記憶喪失とか特別自然保護区域とかいろいろやったので
たまには日常風景を、と思った結果こうなりました……
次はどうなる事やら……