最終話
低く、はっきりした声がした。
「1人じゃなかったのか?」と。
血の気が、音を立てて引いた。
——私じゃ、ない。
理解した瞬間、
体が冷たくなりすぎて、動けなかった。
——それを言われているのが、誰なのか。
わかってしまったから。
男は、もう私を見ていなかった。
廊下の奥。
部屋のほうを見ていた。
部屋の扉を開く音がした…
あいつは気づいたのか、
それとも最初から、気づくつもりだったのか。
一歩、踏み込まれる。
視線が、床へ落ちる。
——見た。
その顔に浮かんだものを、
私は予想ができている。
嫌悪でも、恐怖でもない。
理解だ。
ああ、と思った。
この人は、わかったのだ。
子供達がこの部屋にいることを
男が知らなかったことの理由を…
私が何者で、
この部屋が何なのか。
なら、もう——。
背後に回る。
音を立てないように。
考えないように。
手にしたのは、
そこにあっただけの、
ドライヤーの細いコード。
名前を呼ばれる前に。
声を上げられる前に。
薬で眠らせているとはいえ、
近くで物音が続くと起きてしまう。
さわは五年前。
きみかは三年前。
めぐは二年前。
ここへ迎え入れた。
子どもたちを鎖で繋ぎ、
外に出さず、
“母親”として暮らしてきたことを。
いまだに寝言で本当の母を募る子供たち…
体が反り、
足元がもつれ、
床を叩く音が鈍く響く。
必死に、何かを掴もうとする動き。
空気を求める音。
意味をなさない痙攣。
私は、数を数えていた。
時間だけが、正確だった。
やがて、
そのすべてが、静かになった。
——朝。
階段前の踊り場。
いつもの場所。
運転席だけが、
そこに残っている。
誰も気に留めない。
ただの変な置き物。
通勤の足音。
通学の声。
私の部屋の中では、
三人が、必死に“普通”を演じている。
「おはよう」
「おはようコーンフレーク食べる?」
「めぐも」
箱を渡し合う手だけが小刻みに震えている。
廊下の向こうで、
私は別の仕事をしている。
まだまだ大きい骨には苦戦しちゃうわ…
誰も見ない。
誰も、気づかない。
外を歩く小学生たちの笑い声が、
窓越しに聞こえる。
その音と、
こちらの静けさが、
あまりにも、よく似ていて。
——ほら。
今日も、世界はちゃんと回っている。




