第3話
子どもたちが寝静まると、アパートは別の顔を見せる。
食器も片づけた。
風呂の準備もできている。
「……さあ、お風呂」
独り言が、廊下に吸われた。
浴室前の廊下は、玄関からは見えない。
曲がり角の奥。
安心するはずの場所だった。
——そのとき。
コツ。
玄関のほうから、音がした。
靴音じゃない。
ドアの音でもない。
何かが、触れた音。
体が一瞬で冷える。
耳だけが、勝手に玄関のほうへ伸びる。
コツ、
ガサ、
コツ、
·····
ギギ。
来る。
近づいている。
動けない。
息をする音さえ、うるさい気がする。
じっとしていれば、気づかれない。
そう、どこかで思っていた。
——でも。
壁だった。
玄関と、この廊下を隔てているはずの壁。
そこから、
人の顔だけが、ぼわりと浮かび出た。
首も、体もない。
輪郭が、にじんでいる。
お向かいの男だ。
ゆっくりと、
本当にゆっくりと、
視線が動く。
探す目。
獲物を測る目。
——見つかった。
焦点が、私で止まる。
口が、歪む。
音はないのに、
「ここだ」
と、言われた気がした。
私は、悲鳴を忘れたまま、
浴室のドアノブを掴んでいた。




