第2話
階段を降りようとして、足が止まった。
踊り場に置かれたそれは、今日もそこにあった。
運転席だけ。
電車なのか、バスなのか、もう考えないことにしている。考えたら負けだと、体が覚えてしまった。
「……すみません」
声をかけられる前に通り過ぎようとした、その瞬間だった。
「運転、代わって」
低い声。だが、語尾が掴んで離さない。
断ろうと息を吸った。
「ちょっとでいいから」
「すぐ戻るから」
「困ってるんだ」
言葉を出すたび、上から被さってくる。
会話じゃない。圧力だ。
「無理です」と言うはずの舌が、喉の奥で絡まって音にならない。
視線が逃げ場を塞ぐ。
階段も、
手すりも、
もう遠い。
「……少し、なら」
自分の声なのに、他人のものみたいだった。
男は、にやりともせず、淡々と席を立った。
「ありがとう」とも言わない。
部屋に入っていく背中を見送りながら、私は運転席に座った。
何も起きない。
レバーも、
計器も、
沈黙している。
——これなら、すぐ降りられる。
そう決めて、立ち上がった。
階段を降りる音が、やけに大きく響いた。
買い物は、何事もなかった。
レジの音も、外の空気も、全部が現実だった。
……だから油断した。
アパートに戻ると、踊り場に人影があった。
「おまえの……」
声が割れる。
「おまえのせいだッ!」
振り向いた瞬間、距離が一気に詰まった。
腕が伸びる。
爪が見える。
考える前に走っていた。
鍵を回す。
閉まる。
体当たりの衝撃がドア越しに伝わる。
「開けろ!」
「おまえが——!」
声は、壁に吸われていった。
私はドアに背中を押し付けたまま、
なにを“運転”してしまったのかを、まだ理解できずにいた。




