子供達の想い
「ゆっうすっけさん!朝ですよ!」
「ふあぁ……。おはようございます、陽太さん。」
余命告知をされてから一週間経ったなって、寝起きの頭で考える。
まだまだ元気なつもりだし、体力とかもあんまり落ちてないとは思うんだけど、朝に弱くなってきた、気がする。
朝ご飯を見てもそんなに食欲が湧かない、けど腹は減ってるから食べる、みたいな。
「どうかされました?」
「うーん……。悠介さん、また少しやつれたかなって。体重、今日あたり測りましょうか。」
「そうですか?鏡見ないから、わかんないですよ。」
そう言いながら、陽太さんはとりあえずと病室を出ていく。
俺は、食欲が湧かない中、食べなきゃなって言う気持ちで、ご飯を食べ始めた。
「体重、五キロ落ちてますね。」
「五キロかぁ、思ったより落ちてるなぁ……。」
朝ご飯を食べ終わって、陽太さんに連れられて診察室に来た俺は、体重計に乗ってびっくりする。
八十キロ位あった体重が、七十五キロまで落ちてた。
ダイエットなんて生涯出来ないと思ってたから、この減り方には驚きだ。
「元が食べすぎ、ってのがあったんでしょうね。病院食って味が薄いですし、前の俺だったら絶対足りないって思ってましたし。」
「そうでしょうね、悠介さんは恰幅が良いから、購買でお菓子なんか買ってると思いましたよ。血糖値に気を付けなきゃ、なんて先生が言ってましたよ?」
「あはは……。それも、杞憂で終わりそうですけどね。」
血糖値、それは癌になる前から健康診断で言われてた事だ。
このままだと糖尿病になる、運動をしてください、なんてかざりっけのない言葉を言われて、めんどくさがったなって。
でも、入院してから採血はしたけど、何も言われてないし、多分血糖値は大丈夫なんだと思う。
何かあったら言われてるだろうし、先生がそれを確認しないとも思わないし、何よりここ、大学病院だし。
「足が腐るなんて言いますけどね、本当に腐っちゃうんですよ!糖尿病って。悠介さん、改善出来てて良かったですね?」
「死ぬ前に足切り落とす、みたいな話にならなくて良かったです。……、おっと……。」
「大丈夫ですか?ふらつきます?」
「ずっとベッドで座ってたり寝てたりだったから、多分バランス感覚がちょっとなくなってきたかもですね……。」
体重計から降りようとすると、ふらついて転びそうになる。
陽太さんがさっと支えてくれて、なんだか重病の患者みたいだ、って言うか余命半年なんだけどさ。
「先生から何か言われてます?運動とか。」
「何にも言われてないですよ。もう半年の命なんだから、運動した所で意味がないんでしょうね。」
体力の衰え、というか筋力の衰え。
それは少しずつ感じるし、日に日に座ってられる時間も短くなってきて、寝転がってる時間が増えてきた。
だから、そろそろ体が動かせなくなり始めるんだと思う。
もう一回くらいどこか出かけたかったけど、多分無理かな。
「悠介さん、また休憩でお邪魔しますよ?」
「陽太さん、お疲れ様です、看護師長さんに、怒られませんか?」
「怒られますよー?でも、悠介さんとお話出来るのなら、怒られ甲斐があるってもんです。」
午前十時半、陽太さんがひょっこり顔を出してくれる。
俺は読んでた小説を置いて、陽太さんがニコニコ笑いながらそんな事を言うもんだから、クスクスと笑いがこみあげてくる。
「何読まれてたんですか?」
「闘病日記、ですかね?色んな方の闘病日記というか、自伝を読んでるんですよ。」
「それ、読んでて気が滅入りません?病気の人の事って、あんまり知りたくないでしょう?」
「逆なんですよ。色んな人がいて、色んな病気があって、色んな形の結末があって。それぞれの結末に興味があるっていうか、なんか励まされるんですよ。最後には死んじゃったとしても、その人が生きた証があるんだなって。」
「はー、そうですか。やっぱり、悠介さんは珍しい考えをお持ちだ。病床の人って、他人の病気と自分を比べて安心する事はあっても、他人の死を観察する様な人って少ないですよ?」
「でしょうね。大部屋だった頃、俺がすい臓がんだって聞いて、自分はなんだかんだって自分語りする人、いましたもん。お見舞いに来た人なんかも、そんな人いましたし。家族の病気より重たい病気の人間を見て安心するか、自分より軽い病気の人間を見て不幸自慢するか。俺、それが嫌で個室取ってもらったんですもん。丁度、空きが出来たって言うのもありますけどね。」
なるほど、って陽太さんは頷いてる。
病院の中じゃ珍しくもない、普通の光景なんだろう、って俺は思う。
励ましてくれる人もいたけど、結局は自分が安心したいから、って言うのがわかっちゃったし、そういう意味では、人間不信になりやすい環境って言えるのかもしれない。
「ここの個室……、いえ、これは悠介さん相手でも話せませんね。守秘義務に反する、って怒られちゃいます。」
「前の人ですか?ちょっと気になりますけど、まあ聞かなかったことにしますよ。……、どういう結果だったかだけ、聞いても良いですか?詳しい病状とかじゃなきゃ、守秘義務にも反しないでしょう?」
「……。亡くなりましたよ、悠介さんが個室に来られる半月前に。女の子でした、人懐っこい、可愛い女の子。」
「恋でもしてました?もしかして。」
「そんな事はありませんよ!ただ、若くして亡くなるって言うのは、似ているかもしれませんね。……。悠介さん、なんで、良い方ばっかり、早くに亡くなってしまうんでしょうかね……?神様が本当にいるのなら、仏様が本当にいるのなら、なんで一番に救わなきゃならない人達を、殺めてしまうのでしょう?私もね、色んな宗教の方を診てきましたけど、皆信心深いんです。でも、神様仏様は、無残にも命を捨てていく。それって、なんでなんでしょうかね?」
「俺は無神論者ですから、それを聞かれてもちょっと困りますよ。ただ……。ただ、そういう運命だった、の一言で片づけられるのは、ちょっと嫌ですよ。抗ったかもしれない、受け入れたかもしれない、それは人それぞれ。でも、それぞれ生きてきた軌跡があって、生きてきた証があって、それを運命だったの一言で済ませる神経が、俺にはわかんないです。」
「私もですよ。仏教では輪廻転生、十二因縁なんて言葉があるらしいですけどね、なんだったか、人は生まれるべき所に生まれて、死ぬべき所で死ぬ、なんて言ってる人がいましてね。なら、なんでこの人が死ななきゃならないのか、説明してみろ!ってね。」
無神論者、というのは若干嘘をついたかもしれない。
運命と一言で片づけられるのが嫌だ、それは本心だ。
運命だったとしても、その人が生きた理由や意義は何処かにあるはずだし、事故なんかで亡くなる人もいるんだし、そんな安っぽい言葉で片づけられたくはない。
ある種プライドみたいなものがある、って言うか、そういう言葉が嫌い、って言うのが正しいかもしれない。
「私はね、本当に思うんですよ。神なんて、仏なんて、いないんだって。いるんだったら、こんなに苦しむ人達がいて、それを放っておく理由がどこにあるんです?理不尽な試練なんて与えて、何が楽しいんです?」
「……。神は民草に試練を与え、それを乗り越えた者を楽園へと誘う。そんな言葉に絆されて、信じた方が楽な人間、なんてのが沢山いますからね。俺もカウンセラーやってると、そういう人いるんですよ。子供が辛い目に合ってるのに、神だなんだに縋って何もしない手合いってのが。そう言うの、俺は嫌いですよ。子供が苦しんでるって言うのに、そんなものに縋ってる様、中々無様ですよ。」
「信じたくなる、縋りたくなる気持ちは、わからなくもないですけどね。でも私は、そう言うのは信じないって決めてるんです。かええって、辛くなりますから。」
カウンセラーをやってると、周りに言われてきたけど、神だ仏だの加護があるからうんたらかんたら、なんて言う手合いはたまにいる。
そう言うのもうんうんって頷いて、うまくこっちのペースにもっていくのが仕事だったんだけど、俺はそういう人を見ると忌避感が湧いてくるというか、嫌いっちゃ嫌いだ。
目の前の医者とかカウンセラーの言葉より、信仰してる神様が大切なら、最初から来るな、って思っちゃうから。
「こんなお話、本当は患者さんにするべきじゃないんですけどね。悠介さんには、なんでか話して良いって思っちゃうんですよ。なんででしょうかね?」
「多分、俺がカウンセラーだから、って言うのと、波長が合うからでしょうね。陽太さんと俺、多分ちょっと似てますもん。こんな変人に似てるって言われると、むかつくかもしれないですけど。」
「光栄ですよ、悠介さんに似てるだなんて。私、誰かの為に何かが出来たらなって、ずっと思いながらこの仕事をしてきたんです。その誰かの為に、が一番な悠介さんと似てるだなんて、嬉しいけど、烏滸がましい様な気もしますよ。」
「俺はそんな立派じゃないですって。」
きっと、陽太さんも、誰かが傷つくのが見てられないってだけ。
自分が傷つくよりも、誰かが傷つくのが許せないってだけ。
でも、俺は陽太さんを立派な人だと思う。
俺達はきっと、似た様で違う戦場にいて、一緒に戦える相手を見つけられた、ただそれだけの事だと思う。
でも、それがたまらなく嬉しいんだ。
「今日はこの辺にしとくかな……。」
「悠介、お疲れ様。果物、食べる?」
「お、浩介。いただこうかな。」
一仕事して、ちょっと休もうかなって思った所に、浩介が来てくれた。
時間は六時半、まだ夜ご飯にはちょっと早いけど、果物って言われると魅力的だ。
「林檎でいい?」
「うん、ありがと。」
浩介はスーツのまま、通勤鞄の中から林檎を出して、渡してくる。
俺が皮ごと食べるのを知ってるから、事前に皮を洗ってくれたみたいで、ピカピカで真っ赤な林檎は美味しそうだ。
「今日、雪積もってるよ。庭、出てない?」
「今日は出てないな、積もったのか。」
そう言えば、外を見るなんて事もあんまりしなくなった。
浩介に言われて外を見てみると、大きな桜の木に雪が一センチ位積もってて、外は寒そうだ。
浩介はマフラーを外すと、ふーって一息ついて缶コーヒーを鞄から出してる。
「雪、綺麗だよな。」
「うん。楽しかった思い出も、沢山あるしね。」
「覚えてるか?昔、大雪が降った時にさ。浩介と悠治と三人で人型を作って、くしゃみしながら帰ったらさ、浩介のお母さんに怒られて、一緒に風呂入ってあっついって言ってさ。」
「覚えてるよ。あの頃、懐かしいね。」
膝くらいまで積もった大雪の中、はしゃいだ記憶。
それは、懐かしい過ぎるくらい懐かしくて、遠い昔のように思えて、つい最近の様にも感じられて。
もう出来ないであろう、もうする事もないであろう、楽しかった記憶。
「雪合戦とかしたよね、懐かしいなぁ。」
「浩介と悠治は野球やってたからさ、投げ方とかが違ってたな。ずるい、って思ったけど、あれは楽しかった。」
「悠介も野球やれば良かったのにね、ずっと誘ってたでしょ?」
「俺はどう足掻いても文系だからね、野球とかってのは肌に合わないよ。見てる分には、楽しいんだけどさ。」
「そっか。」
林檎を頬張りながら、浩介の顔を見る。
浩介はまだ無理をしてるみたいで、泣いた跡が頬に残ってて、拭ったんだろうなって。
せめて俺の前では泣きたくない、って思ってるんだろうな、っていうのがよくわかる。
「浩介、ありがとな。」
「なんで?」
「こうして毎日来てくれて、話をしてくれて。俺、嬉しいんだ。……。ホントは辛いだろうに、それを見せないで笑顔でいてくれてさ。」
「……。だって、だって、泣いたって悠介は長生き出来ない、でしょ?だから、せめて悠介も前では、笑っていたいなって、思っただけだよ。」
浩介は、もっと感情的な子だった。
良くも悪くも感情的で、涙もろくて、優しくて。
そんな子だと思ってたから、そう返されると意外というか、ちょっと驚かされる。
「強くなったな、浩介。昔はあんなに泣き虫だったのに。」
「強くなんてないよ。僕だって、悠介が他の誰かの為に何かをしたいって思ったみたいに、悠介の為に何かをしたいって思っただけだから。」
「それが強くなったって事なんだよ、浩介。強くなった、ホントに強くなった。」
なんだか、安心するのと同時に、ちょっと寂しい気がする。
俺がカウンセラーになったのは、最初は浩介の為、今では誰かの為。
浩介を守りたくて、守る術を身に着けたくて、カウンセラーになった。
「強くなんて、無いよ……。」
「……。ごめんな、浩介。でも、ホントに強くなったって思うんだ。誰かを思いやって行動出来る、その心が、俺は嬉しいんだよ。」
気が抜けた、というより保っていられなくなったんだろう、浩介はぽたぽた涙をこぼす。
多分、強くなったからいつでも安心して逝ける、って意味で捉えちゃったんだろう、それが悲しいんだと思う。
「何も今日死ぬってわけじゃないんだ、大丈夫だよ。」
「でもさ……。死んじゃうんだよ……?もう、生きられないんだよ……?」
「……。そうだな。もう、長くは生きられない。でも……。でも、俺はそれでも、幸せだと思える死に様でありたい。浩介達も、生きてよかったと思える様な生き様であってほしい。そう願ってるから、俺は笑っていられるんだ。」
それは本心だ。
浩介達にも後悔しない人生を送って欲しくて、良い人生だったと思える様な生き方をして欲しくて、だから、頑張って今こうしてる。
悲しんで欲しくない、なんて思わない、それは必然だと思うから。
でも、最期には笑って過ごして欲しい、笑って、最高の人生だったって思える様な人生を送って欲しい。
だから、今俺に出来る事をしたいんだ。
「いつか、浩介達も俺と同じ所に来るんだと思う。死ぬ間際になって、何かを感じるんだと思う。俺は、それが早かったってだけで。……、苦しいと思う、辛いと思う。俺だって、同じ立場になったら、辛いから。でも、信じて欲しい。俺の言葉は、決して悪い事ばっかりじゃないんだって。きっと、これから先生きて行くのに、使える事があるって。それだけで、俺は満足なんだよ。」
「……。ずるいよ、悠介は……。全部、わかってて……。先に、いっちゃうんだもん……。」
いっちゃう、それが何を指したのか。
逝ってしまう、なのか、それとも言ってしまう、なのか。
それを考えてる内に、浩介は帰らなきゃ、と身支度をする。
「また来てくれるか?」
「毎日来る、って約束したでしょ……?」
「そうだったな、ありがとう。」
時間を見ると丁度十九時で、そろそろ陽太さんが夜ご飯を持ってくる時間だ。
陽太さんと顔を合わせるのが気まずい、って言う感じで、浩介は時々俺の方を振り向きながら、帰って行った。
「悠介さんは、泣かないんですね?」
「陽太さん……。父親に、昔言われたんですよ。病気で死ぬのなら、死ぬまでに時間があるのなら、最期まで自分らしく生きろ、って。俺らしさってなんだろうって考えたら、こうして人に伝える事なんだって、泣くよりも大切な事があるんだって、そう思ってるだけですよ。」
「自分らしく、ですか。それはまた意外な答えが。私は、悠介さんは自分を押し殺してるんだと思ってましたよ?」
「そう見えますかね?」
「はい。自分の気持ちを押し殺して、皆さんの為にと動かれてる。私には、そう見えてしまって仕方がないですよ。もっと、自分の心に正直になった方が楽なのに、って。」
「正直なつもりなんですけどね。一週間前、余命宣告を受けてから、なんでか知らないけど、死ぬのが怖くなくて。むしろホッとしてる俺がいて、だから皆の為に何かをしたいんですよ。」
俺は本心からそう思ってるんだけど、陽太さんはそう思えないらしい。
俺が心を押し殺してる、って言うのは、多分死に対する恐怖が本能的に薄れてきてる事、だと思うんだけど、俺は本心から死ぬのが怖くない、って思う。
でも、色んな患者さんを診てきた陽太さんの言葉に、意味がないとも思えない。
心のうちで考える、俺は本当に怖がってないのかって。
「変な事言っちゃいましたかね。じゃ、私はまた行ってまいります。」
「行ってらっしゃい。」
陽太さんは、また看護師長にどやされる、って急いで他の人の所に夜ご飯を届けに行く。
俺は出された夜ご飯を、半分くらい食べた所でお腹いっぱいになっちゃって、ため息。
林檎を食べたから、その分お腹が空いてない、って事なんだろうけど、多分それ以外にも、食欲が落ちてきてるっていうのはあるだろうから。
「……。」
もう一度考えてみる、本当に死ぬのが怖くないのかどうか。
怖くはない。
ただ、寂しい。
皆と一緒に居たかった、皆と一緒に生きたかった。
頭の中はそんな事ばっかりで、結局恐怖って感情はちっとも湧いてこなかった。
「悠にぃ、大丈夫そうだった?」
「父ちゃ、げんきだったー?」
帰路に着いた浩介は、今日の悠介の様子を皆に伝える。
それが、毎日見舞いに行っている浩介の日課になっていて、皆の安心材料になっていて。
まだ生きている、まだ生きられそうだ、そんな安っぽい言葉が、誰しもが安心出来る万能薬の様な状態だった。
それだけ、皆疲弊しているのだろう、それだけ、辛いのだろう。
身近な者の死、それを経験してきた人間からしても、それが近づいてくるというのは、辛いのだろう。
「そうだ、明日は僕達も行こうかな。あ、でも、誰かと会う用事あるのかな?」
「明日……。明日は、祥太君達が来るって言ってたよ。でも、お昼くらいじゃないかな?」
「じゃあ、少し時間ずらしていけばいっか。」
「にいちゃ達、父ちゃの所いくのぉ?僕も行きたい!」
「じゃあ、浩ちゃん達が学校終わったら行こうか。」
「うん!」
明日は平日、悠治は丁度仕事が休みだ。
祥太君達、という子達は悠治達も知っていて、浩希達も仲良くしてもらっている。
というよりも、カウンセリングで訪れたほとんどの人が、浩介達と仲がいい。
特に浩希達は、遊び相手になって貰う事が多く、皆可愛がってくれている。
「父ちゃ、げんきかなぁ?」
「元気だよ、きっとね。さ、夜ご飯食べよ。」
「はーい!」
幼い子供達もわかっている、もうすぐ一緒にいられなくなる日が来るという事は。
だから、今一緒にいられる時間を大切にしたい、大切なものにしてあげたい。
浩介達は、そう考えた。




