生きていく事、死んでいく事
「坂入さん、朝ですよー?起きてくださーい!」
「んぅ……。河野さん、おはようございます。」
「朝ごはん、持ってきましたよ?食欲、あります?」
「少しだけお腹が空いてます、もう朝ご飯ですか?」
癌を告知されてから、ずっと夜眠れない日々が続いてたから、久々にぐっすりねむった気がする。
食欲はあんまりないけど、食べれないって程でもないし、体力はつけてた方が後々楽だろうし。
「昨日ね、帰ってから考えたんですよ、恋人さんになんていうかって。」
「それで、河野さんだったらなんて声かけます?」
「結局、坂入さんと同じ結論でしたよ。ちゃんと向き合いたいってなったら、そういうんだろうって。私、看護師やってて色んな人が亡くなるの見てきましたけど、坂入さんみたいな人はあんまりいませんでしたから。」
どういう意味なんだろう?
って聞こうと思ったら、河野さんは慌てて他の人に朝ご飯を渡しに行っちゃって、聞けずじまい。
「まあいっか。いただきます。」
朝ご飯は焼き鮭にご飯、みそ汁と漬物、それに牛乳。
牛乳はお腹を壊しちゃうから飲めないけど、それ以外は美味しそうだ。
「……。」
昨日浩介に言った、これでよかったんだって。
その気持ちに嘘はない、今もこれでよかったんだ、って思ってる。
でも、浩希と悠介の事が気がかりだ。
特に悠介はまだ五歳、浩希もまだ七歳。
まだまだ世話のかかる年齢だし、代理と言っても父親は必要だろう。
そう言えば、浩介の両親が亡くなってから、父親代わりとして一緒に暮らしてきたけれど、本当に可愛いし、よく懐いてくれてたな。
「美味しいな。」
父親を失い、母親を失い、今度は代理の父親を失う。
それを考えると、もう少しだけ生きて、傍にいてやりたいなって思う。
でも、それは叶わない願い、もう半年も経たない内に、俺は死ぬだろう。
「……。」
きっと、皆が元気な子に育ててくれる。
きっと、勇気のある優しい子達になってくれる。
そんな希望的観測を持ってるから、それでも大丈夫だって思えるんだ。
「悠にぃ、体調はどう?」
「悠治、ありがとな。綾ちゃんも来てくれたのか。」
「あったり前でしょ?悠にぃ、聞いたよ。余命、半年なんだって?」
朝ご飯を食べ終わって、仕事のファイルをパソコンで片づけてると、悠治と綾ちゃんが来てくれた。
悠治は今日は仕事が休み、綾ちゃんは専業主婦だから一緒に来てくれたみたいだ。
お土産に果物の盛り合わせを持ってきてくれたんだけど、今はちょっと腹がいっぱいだ。
「浩希と悠介には話したのか?まだわかるかどうかもわかんないけど。」
「ううん、まだ話してない。だって、お父さんがあと半年でいなくなっちゃうなんて、僕達の口から言っちゃいけないと思って。」
「そうだな……。それは、俺の役割だな。今度の週末に、話をするよ。」
「ねぇ悠にぃ、本当に平気なの?辛くない?」
辛くない、と言い切れば嘘になると思う。
でも、あんまり辛くないって言うのが今の所の感想で、それは死ぬまで変わらないんじゃないかって思うんだ。
「辛くない、かなぁ。なんだか、ホッとしたよ。もう、怖がる必要も無いんだなって。」
「そっか……。僕達、頑張るからね。」
「頑張る?」
「悠にぃが癌見つかった時に言ってた、皆笑顔でいて欲しいって。だから僕達、悠にぃと一緒に笑ってたいんだ。」
それは嬉しいな。
俺が笑っていたいって思った様に、浩介達にも笑っていて欲しいから。
それは、無茶なお願いなのかもしれない。
でも、悲しんで涙に呑まれた毎日より、笑顔で過ごす毎日の方が、絶対に楽しい。
残り少ない人生だからこそ、楽しんで生きたい、明るくってのは無理かもしれないけど、笑って過ごしたいんだ。
「でも、無理はしないでくれよ?辛かったら、辛いって吐き出すのも大事だからな。」
「悠にぃ、ここまで来て私達の心配なんて、本当に根っからのカウンセラーよね。貶してるんじゃないわよ?凄いなって、純粋に思うのよ。」
「褒められても、何も出ないけどな。でも、ありがとう。そう言ってもらえると、やってきた甲斐があるよ。」
思えば、綾ちゃんとの出会いは、カウンセリングだった。
自宅でカウンセリングをしてた俺の所に来て、悠治に出会って、それが綾ちゃんが高校生の頃だ。
悠介が生まれてすぐ、浩介達の両親が亡くなって、それで私にも何か出来ないか、悠治が好きで何かしてあげたい、って結婚して。
それから四年経つけど、今ではちび達も「ねえちゃ!」って懐いて。
今では考えられない位弱くて、心が脆かったのが、いつの間にか肝っ玉母ちゃんになって。
「私ね、悠にぃと浩にぃに会えて、浩ちゃん達のお姉ちゃんになれて、良かったなって思うの。勿論、悠治の奥さんになれたのが一番嬉しいんだけどね?でも、皆がいてくれたから、今の私がいるんだなって、心からそう思うの。」
「綾ちゃんは強くなったよ。俺達も、綾ちゃんに出会えて良かった。じゃなかったら、今頃は、浩希達育てられてなかったかもしれないしな。」
「それは、私がしたいと思ったからしただけ。悠にぃに出会って、元気をもらって、悠治に惹かれて、私に出来る事をしたいんだ、って思ったの。だから、私はずっと後悔してないわよ?」
「本当に、綾ちゃんありがとうね。僕も、綾ちゃんと結婚出来て良かったと思ってるよ。浩ちゃん達だって、きっと嬉しいと思ってるんじゃないかな。」
「ホントに、浩希達は幸せだよ。悠治、これから先も、綾ちゃんの事大切にするんだぞ?」
「うん、約束する。」
悠治の笑顔は、少しひきつってる。
無理して笑ってるんだな、本当は泣きたいんだなって気づいたけど、頑張ってる悠治の気持ちを無碍にはしたくない。
綾ちゃんも、少し昔に戻った様な、泣きそうな笑顔を浮かべてて、本当は無理してるんだなって言うのが、よくわかる。
伊達に心理学を学んできて、カウンセラーをやってきたわけじゃない、それに、兄弟の事なんだからすぐにわかる。
でも、頑張ってくれてるのが嬉しくて、その頑張りを駄目にはしたくなくて、何も言わないし、言えない。
「カウンセリングの子達には、もう連絡したの?」
「これからしようと思ってるんだ。もう、カウンセリングも出来ないから、新しい先生の紹介とかしなきゃだしな。いい先生がいるから、きっと皆元気になれる。」
「でも、悠にぃじゃないとヤダって子達もいるんじゃない?私だったら、そう言っちゃうかなぁ。」
「それは嬉しいけど、前を向いて行く為には必要な事だからな。今は難しいかもしれないけど、きっと皆、前を向いてくれるって、俺は信じてるから。」
俺は主に未成年者相手のカウンセリングをしてて、学生の相手をする事が多い。
個人のカウンセラー業なんだけど、口コミとか病院からの依頼だとかで、なんやかんや学生を相手にする事が多くなった。
気難しい思春期の子が多いから、どうなるかはわかんない。
でも、きっと皆前を向いて歩ける様になる、そう信じてたし、俺はその為に働いてたから、信じたい。
「皆が生きてくれる事が、俺の生きた証だ。皆が幸せになってくれる事が、俺の生きた意義だ。だから、これから先もずっと、皆が幸せになれる様に、俺は俺に出来る事をしなきゃならない。」
「無理だけはしない様にね?」
「ありがと、わかってるよ。」
「そう言って無理するのが、悠にぃなんだけどね。私、知ってるのよ?今だってそうじゃない?」
何年も関わってる内に、こっちの感情にも敏感になってきたんだろうな。
多少心に蓋をしてる事、多分ばれてるんだろうな。
「坂入さん、先生が呼んでましたよー?あら、悠治君じゃないですか!お隣の方は奥さんだったかな?」
「河野さん、ありがとうございます。今行きますよ。」
「それじゃ、僕達は今日は帰るね。浩にぃが後で来ると思うよ。」
「わかった、ありがとな。」
そう言うと悠治と綾ちゃんは椅子から立って、病室を出ていく。
それを見送った後、俺は診察室までゆっくり歩いていく。
「坂入さん、今の所は痛みなどはありませんかな?」
「ないですね。末期がんって痛みが凄いって聞いてましたけど、俺は別にって感じです。」
「それなら、まだ様子見でいいですな。投薬に関しては昨日のお話の通り、まずは鎮痛剤、それが効かなくなってきたらモルヒネに切り替わります。神経ブロックは、今からしても少し遅いですからな。それで、恋人の方には説明されたので?」
「はい、弟達がさっきまで来てくれてました。浩介も、夜仕事が終わったら来てくれると思います。余命半年である事は、素直に伝えましたよ。」
「そうですか。坂入さん、私達に出来る事があれば、何でも仰られて下され。若くして命を落とされるのは、とても悲しい。出来うる治療はしますよ。」
大学病院の中でも立場が上の方なこの先生、矢沢先生は、俺の癌が見つかった時に摘出までしてくれた人だ。
病院内で一番優しい先生だ、ともっぱら噂になる程優しい先生で、顔つきはやせ型で少し彫は深いけど、優しい目をしてる。
「一つだけ、お願いがあるんですけど、我儘言ってもいいでしょうか?」
「何でしょうかね?」
「俺が今まで関わってきた、カウンセリングを受けてくれた子達と、もう一度だけ会いたいんです。最後の餞別じゃないですけど、最期に顔を一回見ておきたくて。面会が多くなっちゃったら、迷惑じゃないですか?」
「そう言えば坂入さんはカウンセラーでしたな。わかりました、良いでしょう。ただ、これから徐々に体力が落ちてくる事は確実ですから、あまり無理はなさらない様に。」
「了解です。ありがとうございます、先生。」
矢沢先生は、困ったなって顔をしてる。
末期がんの人間が、仕事しようとしてるんだから、ある意味当たり前っちゃ当たり前なんだろうけど。
俺は、これだけはきちんと子供達に伝えたい、って言うのがあって、それが出来るまでは死ねないな、って思った。
「痛みが出てきたり、食欲が落ちてきたら、すぐに看護師に申し付けて下され。倦怠感などもご注意していただいて……。」
先生の説明はもう少し時間がかかる、俺は忘れない様にしなきゃなって思いながら、先生の話を聞いていった。
「悠介!」
「浩介、お仕事お疲れ様。」
「何、してたの?」
「これまでの子供達の状況の引継ぎをな。次のカウンセラーが困らない様に、特徴とか病状とか、そういうのを纏めてたんだ。」
後任の先生はまだ決めてない、子供達との相性もあるだろうから、それぞれに適任の先生を決めなきゃならない。
その為にも、詳細なファイリングが必要だし、後任の先生達とのすり合わせもしなきゃならない。
休んでる暇、意外となかったりして、まだ死ぬっていう実感もなくて、案外これからも生きて行くんじゃないか?って思ったり。
「無理、しちゃだめだよ?あ、悠治達来てくれたんだ。」
「果物、一緒に食べるか?」
「うん、食べる。」
昨日の取り乱し方からは少し落ち着いて、泣く事も無い浩介。
でも、やっぱり無理はしてるみたいで、優しいその瞳は少し怖がってて、悲しんでて、辛そうで。
「メロン、悠介好きだったでしょ?」
「そうだな、一番好きなのは梨だけど、この時期じゃ入んないだろうしな。」
梨、もっかい食べたいけど。
でも、それまでは生きられないと思うし、我儘になっちゃうな。
「はい、どうぞ。」
「ありがとな。」
メロンは甘くて、とってもジューシーだ。
いいところの果物を集めてるのか、どれもこれもフレッシュで美味しそうに見える。
苺やら林檎やらもあって、苺は早めに食べないと痛んじゃうな、って思いながら、メロンを頬張る。
「それで、カウンセリングの子達には連絡もうしたの?」
「ううん、これから。繊細な子供達だから、どう説明したら良いのかなって、ちょっと考えてるんだ。」
僕だって弱いよ。
そう、浩介が言いたげな顔をしてる。
でも、俺の言う「弱い」は、精神的な部分って言うのもあるけど、他者との繋がりが、って意味が強い。
カウンセリングに来る子供達は、大概友達が少なかったり、家族とうまくいってなかったり、他人との関係性が希薄だったり悪かったりする。
だから、俺に依存してしまっている部分が強いと思うし、浩介には悠治達がいてくれるから安心してる、って言う意味合いもある。
「浩介、一人で抱えないで、悠治達を頼るんだぞ?浩介は独りじゃない、皆が傍にいてくれる。だから、俺がいなくなった後も、笑って生きて行って欲しいよ。」
「でも、僕は……。」
堪えてた涙を、思わず流すって感じで泣き始める浩介。
俺は酷な事を言ってるんだと思う、浩介にとって、それだけ俺が大切な存在なんだって、そう思わせられる。
でも、俺はもう隣にはいられない。
近いうちに別れの時は来ちゃう、だから浩介には伝えておかなきゃならない。
「浩介、浩介の周りには、沢山の人がいてくれる。それを忘れちゃいけないよ?俺がいなくなったとしても、それでも。たくさんの人と関わって、沢山幸せになって、最期まで幸せだったって思える様な人生を送ってほしいんだ。俺は今、幸せだよ。浩介が、悠治が、綾ちゃんが、ちび達が、子供達がいてくれて、沢山の笑顔をくれて、沢山の幸せを御裾分けしてくれて、沢山の幸せを一緒に経験してくれて。終わりかもしれない、俺は死ぬ。でも、俺が生きた証は、浩介達の中に生き続けるんだ。」
「生きた……、証……?」
「そう、生きた証だ。それは、俺がいなくなってしまったとしても、浩介達の中にずっと残ってくれる、俺が生きてたっていう証明だ。浩介達が覚えてくれてる限り、俺はずっとそばに居るよ。」
わかんないよ。
浩介は、首を横に振りながら、ならなんで一緒に生きられないの?と問いかけてくる。
それは、俺にもわからない。
一緒に生きて行きたかった、それは願いだ。
でも、それはもう叶わない願いだ。
ずっと一緒にいて、爺さんになるまで一緒に暮らして、最期まで一緒に笑って、そんな人生を思い描いてた時期もあったけど、それを切望していたけれど、でももう、それは出来ない。
なら、今出来る事をしたい。
それは、浩介達が生きていける様に、自分達の意思で幸せになれる様に、前を向いて歩ける様に。
声をかける事、それが俺に出来る最期の餞別だと思うから。
「なんで……、悠介が……。死ななきゃ、いけないの……?」
「それはわかんないよ。でも、神様が本当にいるのなら、運命って言うのが本当にあるのなら。俺は、皆を送り出す為に、今を生きてるんだと思う。」
浩介の頭を撫でながら、俺はゆっくりと話をする。
それは俺の本心で、ちょっとした嘘でもある。
心のどこかで、まだ死にたくない、まだ一緒に居たいと思っている。
でも、それは出来ないとわかっているから、俺は自分にちょっとした嘘をついた。
「僕……、ずっと一緒に……。」
「……。俺も、ずっと一緒に居たい。それが叶わない願いなんだとしても、それでも。浩介と、皆と一緒に居たい。だから……。だから、幸せになってくれ。俺がいなくなったからって、不幸になるんじゃなくて。俺がいなくても、幸せになってくれ。それが、俺の幸せだから。」
「ずるいよ……、悠介……。そんな事、言われたら……。」
浩介は泣きながら、ひっぐひっぐと嗚咽をこぼしながら、頷く。
わかってる、酷な事だってことは。
でも、それでも、そうして欲しいと願う事は、決して悪じゃないって、俺は信じてた。
だから、俺は死んでも構わない。
それで、皆が幸せになれるのなら。
神様が本当にいて、運命が本当にあって、それが俺の人生の終着点なのなら。
最期まで、誰かの為に生きたい、浩介達の為に何かをしたい。
きっと、最期にはそんな事も考えられなくなるんだと思う。
モルヒネを打って、意識が無くなってきて、そのまま死ぬんだと思う。
だから、今だけは。
今だけは、誰かの為に生きたい、そう願った。




