3話 いざ2階層
迷宮の二階層。その空気は一階層よりも重く湿っているような気がした。
土の匂い、苔の匂い、奥から漂うじっとりした湿気――それらが肌にまとわりつき、視界の薄暗さと相まって、自然に喉が鳴った。
ミナトは手にした骨剣を握り直し、慎重に前へと進む。
足音を消すように歩き続けていたその時、茂みの奥で「ギギッ」という耳障りな声が走った。
(来る……!)
次の瞬間、三体のゴブリンが茂みを掻き分けて飛び出してきた。
棍棒を振りかざし、鋭い歯をむき出しにし、狂ったような血走った目でミナトを狙ってくる。
(3体か!でも大丈夫……ゴブリンなら、もう慣れた)
自分に言い聞かせるように呼吸を整え、最初に突進してきた一体を正面から受け止めた。
骨剣と棍棒がぶつかり、甲高い衝撃が腕に響く。
ミナトは手首を返し、相手の力を流し、踏み込みと同時に横薙ぎの斬撃を放った。
骨剣の刃がゴブリンの胸を裂き、緑色の血が散った。
一体が崩れ落ちる。
(よし……あと二体!)
しかし、残った二体は一階層のゴブリンとは明らかに違った。
一体が正面から襲い掛かり、もう一体が低く回り込み、ミナトの右側を狙う。
「っ……!」
正面の攻撃は上体をそらして回避することに成功したが、側面からの骨剣に完全には反応しきれず――。
鋭い痛みが右脇腹に走った。
「ぐっ……!」
自分の体から熱い血が流れる感覚に、心臓が跳ねる。
(斬られた……!まさか連携なんて……!)
痛みで思考が濁りかけたその瞬間、正面のゴブリンが棍棒を振り下ろしてきた。
反射的に剣で受け止めるが、腕が痺れるほどの重さだった。
(まずい……!)
ミナトは骨剣の角度をずらし、棍棒の力を受け流す。
棍棒で攻撃してきたゴブリンが体勢を崩した隙に、
ミナトは一撃目を入れてきた“骨剣持ち”のゴブリンに踏み込み、ゴブリンが反撃するよりも早く剣を振り抜く。
「はあっ!!」
刃が胴体を横に裂き、肉が割れる感触が腕を伝った。
悲鳴を上げ、ゴブリンが崩れ落ちる。
残るは一体――だが、脇腹の痛みで呼吸が浅い。
汗が額を伝い、視界が滲む。
(呼吸が……苦しい……でも、あと一匹なら……!)
体勢を立て直したゴブリンが棍棒を振りかぶり、突進してきた。
ミナトは横に大きくスライドし、痛みに顔を歪めつつも攻撃を紙一重でかわす。
空振りしたゴブリンの背後に回り込み、ありったけの力を込めて骨剣を振り抜いた。
スパッ。
緑色の頭部が空を舞い、地面に転がった。
「……っ、は……はぁ……!」
倒れたゴブリンの死体は光となり消え、粗末な木製の棍棒がポンと残る。
ミナトは深い呼吸を繰り返しながら近くの岩に背を預け、その場に座り込んだ。
ポケットから回復薬を取り出し、一気に飲み干す。
魔力が体内を巡り、傷がみるみる塞がっていく心地よい感覚が広がった。
「……本当にすぐに回復するんだ……ダンジョン外でも使えたらいいのに……」
苦笑しながら立ち上がり、さきほどの棍棒をマジックポーチにしまう。
魔力付きの袋は見た目以上の容量を持ち、探索者には欠かせない相棒だ。
その後も、連携してくるとはいえ、所詮はゴブリン。立ち回りさえ気をつけてさえいればそこまで苦戦をすることはなく、探索は進んだ。
骨剣は戦闘を重ねるほど手に馴染み、ミナトの動きも安定してきた。
しかし回復薬が尽きたところで、無理はできないと判断した。
(今日はここまで……)
最後の戦闘が終わり、ドロップ品の骨剣をポーチにしまった。
これっていくらで売れるんだろうな。装備は素材アイテムより割高で売れるって聞いたけど。
換金するのを楽しみにしながらポーチに骨剣をしまっていると、視界の端に不自然な影が映った。
岩陰の奥、苔に覆われた小さな石の扉がある。
(……あった。三層への道……事前情報通りの場所だ)
扉の前に立つと、胸が高鳴った。
けれど同時に、痛みが完全には消えていない体が、その足を止めさせる。
(……次だな。今日は帰ろう。)
ミナトは帰還石を取り出し、軽く握る。
石が淡い青白い光を放ち、その光が視界を包んだ。
次の瞬間――街の喧騒が耳に戻る。
ゼファリアの白い石畳、夕暮れの匂い、パン屋から漏れる小麦の香り。
生きて戻ったという実感が胸に広がり、ミナトはほっと息を吐いた。
帰還石は新人には痛い出費だ。
けれど死ぬよりは遥かにいい。
ミナトはそのままギルドへと足を運び、手に入れた棍棒と骨剣を受付に差し出す。
「低階層のゴブリン棍棒と骨剣ですね。どちらも無印ですので、合わせて銀貨5枚になります」
無印――魔力を帯びない装備。
魔力を帯びている装備は“魔武器”と呼ばれ、特殊効果がついている。
ミナトが使っている骨剣も魔武器だ。
鑑定してないが、多分“重量緩和系”だろう。
(……命がけで稼いだのに、銀貨5枚……)
意外と少ない金額に少し落ち込む。
「お願いします」
取引を終え、ギルドの外に出ると空は赤く染まり始めていた。
手元の銀貨は少ない。
回復薬を買えばほぼ消える。
それでも、初めて“自力で稼いだ金”はどこか誇らしかった。
ミナトはその足で薬屋へ向かい、回復薬を3本を銀貨3枚で購入する。
店を出ると、通りの先に見覚えのある背中があった。
大剣を担いだ青年――ライアンだ。
ほぼ同期の探索者で、初日でいきなり五階層まで進んでいるとギルドで聞いた。
(すごいよな……声、かけてみたいけど……今日は、いいか)
すれ違うでもなく、遠目に見つめるだけで、ミナトは歩みを戻す。
その後、露店で帰還石を購入する。
1つ銀貨5枚と、これひとつで今回の収入を全部使ってしまうわけだが、帰還するためにわざわざ死ぬと言う選択肢はミナトには取れない。
街灯がともる頃、次回探索の下準備は完了し、ミナトは夜の街をゆっくり歩き始めた。
(今日は……赤字だなぁ)
苦笑するが、不思議と後悔はない。
(次は三層……もっと慎重に。でも、前に進む)
静かな夜風が吹き、石畳を照らす灯りが揺れる。
迷宮都市ゼファリアは、今日も探索者たちを見守るように煌めいていた。
ミナトは新たな決意を胸に、一歩一歩、家路へと向かっていった。




