12話 煌めく閃光・穿つ一閃
リアは震える脚を踏みしめ、杖を掲げ叫んだ。
「光脈返照・循環聖歌(ルミナ・リゼル=サンクティア)ッ!!」
直後、白光が戦場に爆ぜた。
真っ白な光が草原一帯を満たし、影という影を飲み込んでいく。
空気が一瞬だけ凍りつき、音が消えた。
ミナトとライアンの体が、その光に包まれる。
皮膚をなぞるような温度のない感触。
それが、次の瞬間には骨の奥まで染み込んでいく。
裂かれたはずの筋肉が滑らかに繋がり、ひびの入っていた骨が、何事もなかったかのようにまっすぐに戻る。
肺に残っていた焼けるような痛みも消えた。
ミナトが右手に力を入れる。
力が、すとんと元の位置に帰ってきた感覚。
握った指先に、さっきまであった鈍い痛みはもうない。
ライアンも肩を回し、驚きに目を見開く。
「……マジかよ……」
リアは杖に体を預けるように立っていた。
足先が小刻みに震えている。
魔力のほとんどを一度に放った反動が、全身を重く縛っていた。
吐く息がかすれ、胸が激しく上下する。
だが、その瞳だけはいつも通りの強気を失っていない。
「……見た? いまの……。
わたしの……サンクティアは……“完全回復級”なんだから……っ……!」
言葉の端々が途切れそうになりながらも、誇りだけは手放さない。膝がわずかに揺れる。
それでも、リアは杖を突き立てて踏みとどまった。
呼吸は乱れている。
それでも、リアの表情は崩れない。崩そうとしない。
「ほ、ほら……早くやっちゃいなさいよ……。わたしが開いた……最高の舞台なんだから……っ……!」
ミナトとライアンは、その言葉に一瞬だけ振り返った。
震える肩も、無理やり張った声も、全部わかっている。
ミナトが短く笑った。
「……勝つよ」
ライアンも力強く頷く。
「詠唱の件はそれからだ」
リアは一瞬だけ目を伏せ、すぐに顔を上げて、いつもの“術者の表情”を取り戻す。
二人はそれを確認すると前方に向き直った。
◆
赤亜種が吼えた。
喉の奥から絞り出されるような、獣と金属が混ざり合った声。
草原の空気が震え、光球の淡い光まで揺らぐ。
巨体がゆっくりと立ち上がる。
黒い体毛の隙間から赤い紋様が浮かび上がり、
その一線、一線が心臓の鼓動に合わせて脈打っていた。
片手に握られた剣は、人間が両手で扱ってようやく振れるほどの大きさだ。
それを赤亜種は、まるで木の棒でも振るかのように軽々と構える。
第2段階。
先ほどよりさらに力強く見える。
ミナトは剣を握り直し、赤亜種との距離を測る。
ライアンが半歩前へ出て、上体を少し沈めた。
「……行くぞ、ミナト」
「うん」
赤亜種の足が地を踏み抜いた。
重い一歩。
土が沈み、草が大きく倒れる。
次の瞬間、赤い紋様が一段と強く光った。
巨体とは思えない加速で、距離を詰めてくる。
「来る……ッ!」
ライアンが前へ飛び出す。
赤亜種の剣が弧を描き、横薙ぎに振り抜かれた。
空気がつぶれたような音がして、足元の草が一斉に吹き飛ぶ。
ガァァンッ!!
真っ向から受け止めるのは無理と判断したライアンは大剣の角度を変え、力を流すように受ける。
それでも土にヒビが走り、ライアンの足が半歩沈んだ。
「ぐっ……!」
腕の骨がきしむ。
回復したとはいえ、さっきまでの疲労が完全に消えたわけではない。
それでも、ライアンは歯を食いしばりながら踏みとどまる。
赤亜種の刃圧がすべり、軌道が下へ流れ体勢を崩す。
その瞬間、ミナトが動く。
「っ……!」
ライアンの左側を抜け、そこからミナトが滑り込み、斜め上から脇腹へ向かって斬り込む。
ザシュッ!
硬い肉を割る感触。
赤い血が飛び散るが、相変わらず浅い。
だが、その一撃で赤亜種が一瞬怯んだ。
ここぞとばかりにライアンが大剣を叩きつける。
「おらぁぁあ!」
その追撃を赤亜種は後退しながら受けることでダメージを減らす。
それでも胴体に新しい裂傷ができる。
この戦闘で経緯はどうあれ、初めてライアンが反撃に成功したのだ。
ミナトは距離を取りながら呼吸を整えた。
完全回復と言っていいほど体は軽い。
だが、赤亜種の一撃一撃が、それを一瞬で削りきるほど重いのは変わらない。
油断した瞬間、また死ぬ。
「ミナト、次は右から来るぞ!」
「分かってる!」
赤亜種の肩がわずかに動く。剣の起点が右側へ。
そこまで見えれば、次の軌道も読める。
右からの薙ぎ払い。
ライアンは半歩左へずらしてから、斜め上へ受け上げる。
ガギィンッ!!
金属の悲鳴のような音。
火花が散り、赤亜種の剣が頭上を通り過ぎる。
そこで生まれた一瞬の空白に、ミナトが入り込む。
今度は右足。
踏み込みの足首を狙い、短く鋭い一閃を入れる。
ザッ。
斬撃の深さは浅い。
だが、足元を崩すには十分だった。
赤亜種の体がわずかによろめく。
ライアンはその揺れを逃さず、前へ踏み込んだ。
「せぇぇいッ!!」
大剣が、怪物の剣に重なるように下から打ちつけられる。
衝撃で、赤亜種の腕が少しだけ上へ弾かれた。
押せる。
ミナトはそう感じた。
ライアンが受け止めて、ミナトが隙をつく。
本来あるべき立ち位置に戻った今、
二人の動きは、お互いの意図をなぞるようにかみ合い始めていた。
◆
リアは少し離れた位置から、その攻防を見ていた。
今のところ戦況は上々。だが一回のミスも許されない。
身体的なダメージはなし、問題は自分の魔力だ。
「……はぁ……っ……はぁ……っ……」
まだ呼吸は荒い。
頭の奥がじんじんする。
魔力の流れがさっきまで乱流だったせいで、管の内側に傷が残っているような感覚。
さすがに、サンクティア級の魔法はもう撃てない。
だが、補助魔法や小規模の妨害なら、まだいけるはず。
リアはポーチから細く青い瓶を取り出した。
色の濃い液体が、中でとろりと揺れる。
震える指で、蓋をねじ切るように開ける。
「……っ……」
躊躇なく一気に飲み干した。
喉の奥を、熱が通り抜けていく。
胸の内側で何かが再び回り始めた。
魔力が回復していく。
細かった水路に、一気に水が流れ込み、形が整えられていくような感覚。
2人を援護するには十分な魔力だ。
リアは震える息を吐き、口元をわずかに吊り上げた。
「……戻るがいい……わたしの光脈――まだ滅びを受け入れる段階じゃないわ……っ」
杖を構え直し、ミナトの背中へと狙いを定める。
「迅光脈・加速輪ッ!!」
杖先から放たれた光が輪になり、草原の上を疾走する。
その輪はミナトの足元で弾け、淡い光の帯となって足首に巻きついた。
光が脈動する。
心臓の鼓動とは違うリズムで、足元の感覚が軽くなる。
ミナトは一歩踏み込んで、それに気づいた。
「……足が……」
地面を蹴った感覚が違う。
同じ踏み込みでも、一歩分先へ進んでいるような感覚。
体が加速している、というよりラグが消えている。
リアは息を乱しながら、次にライアンへ杖を向けた。
「護盾環・反衝律ッ!!」
今度は重い光。
輪ではなく、厚みのある環が空中で組み上がり、
ライアンの両腕に絡みつく。
光が沈み込み、筋肉と骨の芯へ吸い込まれていく。
ライアンが腕を軽く振る。
そのたびに、わずかな“跳ね返り”が走った。
「……助かる!」
受け流すだけで精一杯だった剣筋を、今度は「受け止める」想像ができる。
リアは息を荒げながらも、笑みを浮かべる。
「当然よ!トリニティ・レイは、こんなとこで負けないんだから!」
◆
赤亜種が、再び吼えた。
今までよりも低く、長く響く咆哮。
目の色が赤く光、赤い紋様も一斉に強く光る。
その光が、血管のように全身を走った。
次の瞬間――
赤亜種の姿が、視界から消えかけるほど速く動いた。
「っ……!」
ミナトには、地面を蹴る音しか聞こえなかった。
気づいたときには、もう目の前に来ている。
(速いっ!!)
「このっ……!」
ライアンが本能で前に飛び出す。
大剣を盾のように構え、その一撃を真正面から受けた。
ガギャァァンッ!!
耳をつんざくような音。
火花がまるで雷のように散った。
支援を受けている腕ですら、骨が悲鳴をあげるような衝撃。
「ぐぅ……っ!!反則級だろ…」
ライアンの足が、地面を滑る。
支えきれず後ろへ押し込まれ、土を抉りながら数歩下がった。
第3段階。
速度も重さも、さっきまでとは別物だ。
「ライアン!!」
ミナトが叫びながら横合いに回り込もうとする。
だが、赤亜種の反応も異常に速い。
押し込んでいた剣をすぐに引き、ミナトの方へ振り返る。
片手で振られた剣が、空間ごと斬り裂くように迫ってきた。
ミナトは地を蹴る。
足元の加速輪が、わずかに彼を攻撃範囲内から押し出す。
それでも、頬をかすめた風が熱い。
「っ……!」
髪が切れた気配。
遅れて、頬にじんとした痛み。
赤亜種の剣が地面を叩き割る。
土が跳ね上がり、足元の草が一瞬で吹き飛んだ。
ライアンがその隙を逃さず、横から大剣を叩き込む。
「おらァッ!!」
ドガッ。
赤亜種の脇腹に切れ味の悪い大剣が食い込み、巨体がわずかに揺れる。
だが、その目はまだ死んでいない。
むしろ、興奮に濁っている。
赤亜種の剣が、今度は上から振り下ろされた。
ライアンが大剣を構え、受け止める。
ガガガガガッ!!
刃と刃が噛み合い、そのまま押し潰されそうになる。
反衝律のおかげで、なんとか踏みとどまれている状態だ。だが持って数秒。
「ぐっ……おおおおおッ!!」
二人の間で火花が散る。
ミナトはその脇を駆けながら、隙を探した。
速い。
第二段階になった赤亜種は、もう“隙を見せてくれる”相手ではない。
わずかな狙いの甘さを作るしかない。
その時――
リアが杖を握り直した。
杖の先の石には僅かな光が宿っている。
息はまだ整っていない。
だが、魔力の流れは整っている。
(……撃てる!)
「……眩閃ッ!!」
細い光弾が、一直線に赤亜種の顔へ飛ぶ。
威力は低い。だが倒すためではない。
ただ、視界を乱すためだけの魔法。一瞬でも動きを乱せれば2人が動ける。
光弾が、赤亜種の眼前で弾けた。
バチンッ!
白い閃光が、ごく近い距離で弾け、
一瞬だけ視界を白く染める。
赤亜種の瞼が、条件反射のように閉じかける。
ほんの一拍。
わずかに剣の圧力が甘くなる。
「らあッ!!」
反衝律が込められた腕に、全力で力を込める。
押し込まれていた剣を、一転して上へ弾き返す。
ギンッ!
重い剣が軌道を外れ、赤亜種の頭上へ流れる。
その動きにバランスを少し崩した赤亜種の胸元。
そこに、ぽっかりと穴のような空間が生まれた。
ミナトは、体が先に動いていた。
草を蹴り、加速輪の光を踏み、全力でそこへ飛び込む。
風が耳を裂く。
心臓の鼓動がうるさい。
刀身が、手の中でまっすぐ伸びている。
赤亜種が、反射的に左手を伸ばしてくる。
掴んで潰そうとする動き。
「させるか……ッ!」
ミナトは右へ滑り込む。
足元の加速が、その回避を半歩分だけ速くする。
指先が髪をかすめただけで、掴まれることはない。
左手が空を切り、その下、胸部へ一直線の軌道が見えた。
――ここだ。
ミナトは剣を構え直し、
速度を殺さずそのまま踏み込む。
「うおおおおおッ!!」
突き出した刃が、赤亜種の胸板に突き立つ。
硬い皮膚を割り、厚い筋肉を押しのけるように進む。
ゴリッ、と骨の手前で止まる感触。
だが、止まるわけにはいかない。
「押し込めぇぇッ!!」
ライアンの叫びが、背中を押した。
ミナトは全身の重みを刃に預けるように、さらに踏み込む。
足に力を込め、腰を押し出し、肩で押し込む。
骨が軋む。そして、割れた。
グシャッ。
刃がさらに奥へと滑り込んだ。
赤亜種の口から、濁った息が漏れる。
体全体から力が抜けていくのが、剣越しに伝わる。
巨体が大きくのけぞり、瞳から光が消え、空を仰ぐように倒れていく。
ドォォンッ!
地面が揺れ、草原に土煙が舞い上がる。
ミナトは剣を引き抜き、その場に膝をついた。
肩が大きく上下する。
全身から汗が噴き出していた。
ライアンも大剣を地面に突き刺し、
その柄に体重を預けるようにして立っている。
「……やった、のか……?」
ライアンが、息を切らしながら呟いた。
赤亜種は動かない。
赤い紋様の光も、完全に消えていた。
少し遅れて、リアが杖をつきながら二人に近づいてくる。
足はまだふらついている。
呼吸も荒いままだ。
それでも、顔だけは誇らしげだった。
「……当然よ……。トリニティ・レイなら……これぐらい“必然”なんだから……っ……!」
ミナトとライアンは顔を見合わせ、同時に小さく笑った。
草原を撫でる風が、ようやく戦いの終わりを教えるように、静かに吹き抜けていった。




