10話 三人の光路(こうろ)
迷宮の入口に立つ三人の前には、薄い霧をまとった草原が広がっていた。
草が風で揺れ、露がきらりと光る。
ここがゼファー迷宮一階層の始まりだ。
ミナトは二人を見渡し、息を整えた。
「今日は一階層から四階層までで連携を固める。
五階層に入る前に、三人の動きを揃えるのを最優先にしよう」
ライアンが大剣を担ぎ、力強く頷く。
「おう。前回の分、きっちり取り返すぞ」
その横で、リアは胸の前に杖を構え、すでに“何かの儀式”に入っていた。
ミナトが問いかけるより早く、リアが勢いよく詠唱を開始した。
《開幕照導——光脈よ、揺らぎを束ね、巡りを起こし、風の息を整え、道を照らし、歩む者らを導け……——開式!!》
光がぱっと広がり、入口周辺の草原が淡く照らされる。
「よし……今日の光、完璧!」
ミナトが眉を少し上げる。
「……リア、それは何の儀式なの?」
リアは当然のように胸を張る。
「“今日の光の巡り”を整える儀式よ!」
ライアンが小声でミナトに囁いた。
「……必要なのか、これ?」
「……たぶん」
リアは二人を無視して堂堂と杖を構える。
「さあ、入るわよ!」
三人は迷宮一階層へと踏み込んだ。
■ 一階層
草原の影から、ガサッ――とゴブリンが飛び出す。
「ライアン正面!」
「おう!」
ミナトは横へ回り、リアは後方で詠唱の準備に入る。
「リア、援護お願い!」
「任せて。《光矢・一条!!》」
光矢が飛び、ゴブリンの動きを牽制する。
しかしその瞬間、別のゴブリンが草の影から飛び出し、ライアンへ棍棒を振り上げて突っ込む。
「っと……あぶね!」
草で足を取られたライアンが軽く捻ってしまう。
「ライアン、大丈夫!?」
「捻っただけだ……」
リアは一歩踏み込み、大きく杖を掲げた。
《癒光・清息——循環起点、導光巡らせ、澄み渡り、揺らぎを祓い、形を戻し、光よ……ヒール!!》
光がライアンの足元に流れ込み、痛みが引く。
「……おお、痛みが消えた。詠唱は意味不明だが、それでもしっかり発動するんだな」
ミナトも感嘆する。
「すごい……というか、本当に長い詠唱だね……!」
リアは堂堂と胸を張る。
「もちろんよ!“巡り”を正すには、このくらいは必要なんだから!それに、これでも短縮してるのよ」
■ 二階層
二階層に入ると、胸の高さまで草があり、影が揺れて視界が悪い。
「ここは索敵が難しいね……慎重に――」
「任せなさい!《照光・灯点散布——星影の輪!!》」
ぽん、ぽん、ぽん、と光球が複数浮かび、草原の中に広がる。
ミナトが感心する。
「おお……視界が通りやすくなるね。助かるよ」
――しかしその直後。
ガサガサガサガサガサッ!!
一方向からだけではなく、四方八方の草むらからゴブリンが飛び出してきた。
その数――ざっと十匹以上。
ミナトは叫ぶ。
「ちょっと待って!? 多い!! 多すぎる!!」
ライアンも目を見開く。
「いや、多いってレベルじゃねぇぞ!? 何だこれ!?」
ミナトとライアンが光球を見る。
「……リア、これ光で“完全に寄せてる”よね!?」
リアは胸を張るどころか、勢いで押し切った。
「そ、そうよ!! 光は“呼ぶ”の!!」
「呼ばないで!? こんなに!!」
しかし、戦闘には不思議と余裕が出ていた。
草原の影が薄れたことで、三人の動きが以前より格段に合わせやすい。
■ 三階層
「右前方、影の動き……来る!」
草陰からシャドウウルフが飛び出す。
「おう!」
「援護いくわ! 《光刃・連射三条!!》」
三条の光刃が地面に着弾し、衝撃でウルフの足を止める。
その隙にミナトが間合いを詰め、一閃で撃破。
「やっぱり後衛がいるだけで凄い楽になるね」
ライアンも頷く。
「だな。危ないところもほぼない」
リアは誇らしげに鼻を鳴らす。
「光の流れが整ってる日は、私――冴えてるのよ!」
リアが胸を張って言う。
確かに頼もしさがあった。
■ 四階層
四階層は開けた草原で、遠くまで見渡せる。
「リア、回復をお願いできる? 五階層に入る前に整えておきたい」
「任せて。いくわよ!」
リアは堂堂と杖を掲げる。
「……また長いパターンか……」
《癒光・清息——再循環、灯心昇れ、澄流まとい、乱れを鎮め、光の理に還れ……ヒール!!》
光が三人を包み、体が軽くなる。
ミナトが息を吐く。
「……詠唱は長いけど、回復は確かなんだよね……」
ライアンも少し引きつつ同意した。
「最後の“灯心昇れ”って何の意味が……?」
リアはキッと睨みつつも満足げ。
「意味を感じてこそよ!」
ミナトは二人を振り返った。
「昨日決めた通りいくよ。アーチャーは僕が優先して処理する。ライアンとリアはホブゴブリンの引きつけをお願い」
「おう、任せろ!」
「了解よ!」
ミナトが草原の奥を見据える。
「行こう。今回で五階層突破だ」
三人は草の波を踏みしめながら、五階層へと進んでいった。
■ 五階層
胸の奥にわずかな緊張が残っているのを感じつつ、ライアンが横目でこちらを見る。
「……緊張してんのか?」
ミナトはうなずいて、静かに答えた。
「少しだけね。でも……前とは状況が違う。今日は準備もしてきたし、三人でパーティーとして挑むんだ。だから大丈夫」
ライアンは大剣の柄を握り直し、そのまま真正面を見据えて言った。
「そうだ……俺は何度挑んでも越えられなかった。でも今日は違う。三人で越える。今度こそ突破するぞ」
リアが堂々と胸を張る。
「当然よ! 今日は“光の巡り”が完璧なんだから!」
ミナトは二人の気配を背に感じ、視線を前へ戻す。
ここから先は、前回二人では越えられなかった領域。
五階層へ足を踏み入れた瞬間、空気がぴたりと重くなった。
リアが展開した光球がふわりと漂い、淡い筋のような光が草原へ静かに落ちていく。
前回のように広範囲へ散らさないよう、“細く”“静かに”照らす形だ。
ミナトが視線を向けると、リアは胸を張って言った。
「今日は“散布”じゃなくて“照導”よ。光が勝手に敵を呼んだりしないから安心しなさい!」
(名前が違うだけに聞こえるけど……、まあいいか)
ミナトは心の中で、小さく息をついた。
草は背丈ほどに伸び、光球が生む細い影が、妙に濃く揺れる。
ライアンが大剣を担ぎ直し、低く言った。
「この階層はアーチャーが何体か潜んでることが多い。しかもホブと連携してくるから厄介だ。慎重にな。」
「うん。影の揺れ、音……全部逃さないようにしよう。」
ミナトは息を整え、草原の中へと足を踏み出す。
ふと、風が止んだ。
一瞬、音の層が剥がれ落ちるような静寂。
その中で――ミナトの耳が、草を踏む微かな気配を捉えた。
「……右前方。軽い着地音。アーチャーだ」
光球の軌跡を追いながら目を凝らすと、草の奥で弓の影が浮かぶ。
ほかにも同じような影が別々の場所に点在している。
「……三体いる」
リアが一瞬目を丸くするが、すぐに瞳に火が灯る。
「三体?いい度胸じゃない!まとめて相手してあげるわ!」
ミナトは苦笑しつつも、二人へ指示を出そうとした――その瞬間だった。
──ズ……ズン。
地面が、深く鳴った。
音ではなく、“質量そのもの”が押し寄せてくる感覚。
風も草も、光球すら揺れる。
ミナトは反射的に前を見た。
そして――息を飲み、足がわずかに震えた。
「……なんだ……あれ……..」
草を押し分けて現れたのは、通常より一回り以上大きいホブゴブリン。
だが、その肌は異様な赤銅色。
眼光が獣そのもので、胸の上下だけで空気が震えている。
リアは杖を握り締め、声をひっくり返しそうになる。
「えっ……ちょ、ちょっと待って……!?もしかして…あれ……赤亜種……!?」
ライアンも息を呑んだ。
「おい……嘘だろ……ホブって……こんな化け物みたいな圧……あったか……?」
三人の心臓が、同じタイミングで跳ねた。
赤いホブゴブリン=赤亜種が一歩踏み出す。
それだけで地面がわずかに沈む。
ミナトの背中に冷たい汗が流れた。
(まずい……前のホブとは次元が違う…!)
リアは震える指を無理に止め、
自分に言い聞かせるように杖を構え直す。
「い、いいわよ……! 相手になってあげるんだから……!」
(完全に強がりだろうけど……今はそれでもありがたい)
ライアンは深く息を吸い、自身の鼓動を押し沈める。
「……よし。ビビってても始まらねぇ。やるしかねぇんだ。三人なら、いける!」
ミナトも一度目を閉じ、喉に詰まった緊張を押し下げた。
「……作戦通りいこう。僕がアーチャーを引きつける。ライアンは赤亜種を正面から。リアは援護と回復をお願い!」
リアは叫ぶように返す。
「いいわよ、やってあげる!!」
赤亜種が深く息を吸い――
その口が裂けるように開いた瞬間、
ギャアアアアアアアアアアアア!!!!
草原が震え、光球が一斉に揺れた。
同時に、アーチャー三体が草陰から飛び出し、弓を引き絞る。
ライアンが叫ぶ。
「ミナト! 気をつけろ!!」
ミナトは即座に草影へ飛び込み、アーチャーへ向かって走る。
リアは杖を振り上げ、光を集める。
「《光矢・二条!!》」
光が弾け、矢が走り、
赤亜種が地を砕く勢いで突進——
三人はついに、
五階層最大の脅威へと挑み始めた。




