足は捻挫、心は恋
森田宗一は小学五年生の体育の授業でバスケの才能をすぐに発揮した。
シュートが一発で決まったときは、感動して尿を漏らすかと思った。
体育館にリバウンドしたバスケットボールをつかんだ瞬間、バスケ選手になるという夢が展開した。
森田はクラスメイトに誘われて地域のバスケットボールのチームに入り、すぐにスタメンになった。
高校はバスケの強い高校に推薦入学できて、バカだけど高校に入学できてよかったと森田の母は泣いて喜んだ。
森田は授業にはついていけない。
ガチャで「また被った、いらないからあげる」と言われてみんながくれるガチャガチャのフィギュアを「お道具箱」に集め、授業中はそれを机の下で戦わせて遊んでいる。
「森田、高校生がやることか」
教師に見つかって、フィギュアは没収された。クラスのみんながまた森田か、と笑っている。へへへ、と森田も笑って教師にはさらに「ヘラヘラするな」と叱られた。
授業中の眠気と退屈さを我慢して、ようやく部活の時間になると森田の心は弾む。
「んじゃーね、また明日ー」
森田はクラスメイトに手を振って部室まで急ぐ。誰よりも早くロッカールームに行き、パンイチで先輩に「あざっす!」とペコペコ頭を下げる。
「森田、今日は赤いパンチかよ」
先輩が笑う。みんなが笑うのが森田は嬉しいので奇行を思いついたらすぐやる。
パンイチの時もあれば、下にハーフパンツを履いて姉のルーズソックスを首に巻いて「あざっす!」
ハーフパンツに上は裸で姉の制服のリボンをつけて、ルーズソックスを履いて「あざっす!」
常に面白いことを考え続けている。
入学して3ヶ月、森田はすぐ部活に馴染んだ。
先輩は後輩に優しく、部長の時川はかなりの人格者だ。怒らずに叱る。注意も丁寧でわかりやすく、指導もうまい。
副部長の村本はちょっと怖い顔だが話をよく聞いてくれる。
体育館にバスケットボールが床にあたる、バンバンという心地よい音とシューズのキュっという音が鳴る。
最近、買ってもらったばかりのアシックスのミッドカットのシューズを森田は気に入っている。
いつものようにドリブル練習をしていると、
「森田!」
と急に名前を呼ばれた。
男子マネージャーの青谷悟だ。最近彼は微妙な六月というこの時期に転校してきた。彼はいつもせわしなく体育館を歩き回っており、話したことがあまりない。
青谷は眉間に皺を寄せて、怒った顔をしている。
「森田、そんな足で練習するな。足首、痛めているだろう」
青谷が言う。森田は首を傾げて、左足首を動かしてみた。確かに少し痛い、ような気がする。森田は痛みに鈍感なのだ。
「そのまま練習を続けたらケガするぞ。病院、行くぞ。時川部長、森田を病院に連れて行きます」
「いや、病院行くほどでは」
森田が言うと、青谷に睨まれた。
「自分の体を大事にするのも強い選手になることに不可欠だ」
青谷の言葉に逆らえないな、と感じて森田は財布と携帯を持って近くの接骨院に行った。待っている間、青谷はスマホに高速で文章を打ち込んでいた。
「何してんの?」
「ChatGPTで練習メニュー組んでる」
青谷はスマホを見たまま答える。
「ああ、あのAI。暇だからかわいい猫の絵でも作ってもらってよ」
「無理、時間ない。画像生成って結構時間かかるから」
「じゃあTikTokみよ」
「ここ病院だぞ。うるさい」
青谷はツンケンしているな、と森田は思う。こいつだけは自分の面白さが通じないかも、悲しき、と思っていると森田は診察室に呼ばれた。
軽い捻挫で湿布を処方された。
診察代を払おうとすると、財布の中に二百円しかなかった。
そうだ、昼にシュークリーム食べたんだ。すると青谷が黙って支払いを済ませてくれた。
「ごめんな、すぐ返すよ」
「いつでもいいよ。軽い捻挫でよかったな。部室で湿布はってテーピングしよう」
「すまないな、青谷。面倒見てもらって」
「なんで謝る? 才能あるおまえみたいな選手をサポートするのが俺の仕事だから」
青谷はキリッとして答える。自分の肩の位置にある青谷は顔がとても小さくて、丸い目をしている。態度や話し方が大人っぽいけれど、意外にも童顔だと気づいた。
ロッカールームのベンチに座ると、青谷が森田の左足首にそっと湿布をはってくれた。ツンとする涼やかな匂いがして足がひんやりする。
「この上から、このアンダーラップを巻く。湿布がずれないように軽く押さえて」
青谷が湿布の上に薄い布をおおう。
「それから、テーピング。湿布の上からテーピングするときはこうすること。覚えておいて。帰りにガーゼとか買っとけよ。痛くないからって湿布貼るの忘れるな」
青谷のテーピングは丁寧かつ、きっちりと足が固定されていくのがわかった。
「青谷って、なんでバスケのマネージャーやろうと思ったの?」
「…………中学の時、アキレス腱断裂してな。バスケはもう無理って言われた。それでも大好きなバスケに関わりたくて、アスレティックトレーナーを目指すことにしたんだ。まあ、痛い目にはあったけど、今はここでマネージャーやってんのも楽しいよ」
青谷が少し目を伏せる。長いまつ毛に過去の痛みと今の楽しさ、どちらも乗っかっている複雑な表情だ。
「念のため、右足首もテーピングしといてやるよ。痛めた足を庇って片方の足もダメージあるからな」
森田は右足のソックスを脱いだ。
「いいか、テーピングは少し足に違和感があったらすぐにやったほうがいい、しっかりとな。ちゃんと見てろよ、まずこうしてくるぶしから…………」
青谷がテープを鮮やかな手捌きで動かすのを見ていたが、つい彼の顔に視線がいってしまう。
少しうなじにかかった髪はさらっとしていそうで、つむじがきれいな真ん中にある。ジャージを腕まくりしていて、白い腕に青白い血管が浮いている。顔は童顔だが手は無骨だ。
そういえば青谷はさらっと森田のことを「才能ある選手」と言ってくれていた。
「おい、聞いてんの?」
「ごめん。別のこと考えてた」
「はぁ? こっちは丁寧に教えてやってんのに。何考えてたんだよ」
「えー、んー今日も見たTikTokでさぁ、猫がドアの前であかなーいって、もう鳴き声っていうか喋ってるやん、っていう動画で」
森田が言うと、青谷はため息をついた。
「アホか、おまえは。いいか、ちゃんと自分の体のメンテナンスできてこそプロなんだぞ。もっと真面目しろ」
「すいません…………」
「まったく、おまえってほんとふざけてばっかだな。…………でもそれ、その動画ちょっと観たい。見せて」
森田はスマホで猫の「あかなーい動画」を見せた。
「ん、言ってる。あかないって、これ完全に喋ってる。ふっ、あっはははは」
青谷が文字通り腹を抱えて笑い出した。
満面の笑みの青谷は、かわいい。
こいつ、黒目がちで笑って口角上がるとかわいい。
青谷はしばらく笑い続けて、あー面白かった、と息を吐いた。
「じゃあ、今日のところ帰って休めよ。風呂上がりにちゃんと湿布はってな。テーピングのやり方はちゃんと覚えてもらうぞ」
「好きだ、青谷」
森田は言った。
青谷がきょとんとした顔になる。
「俺、青谷のこと好きだ。今の笑ってる顔見て、惚れた」
森田は一直線に言う。
青谷はジャージのポケットに両手をつっこんで、うつむいて黙り込んだ。
どうしよ、勢いで告白してしまった、と森田の心臓は張り裂けそうに痛くなり、カッと顔が熱くなる。
「んー…………俺の方は、もしかしたらおまえのこと、好きになるかも」
青谷は顎を引いて上目遣いで言うと、にっと笑った。
「じゃあな、また明日」
青谷は部室を出て行った。
「なん、それ。チャンスありっことか」
森田の心臓はバウンドした。