第二話【異世界初日】
というわけで異世界転生した俺だが現状に対する感情は喜び八割悲しみ二割といったところだ。
自分でも能天気な受け取り方だと思う、転生したとはいえ一度は死んだわけで家族や友人のことを思うと寂しい気持ちもある、だが俺はオタクなのだ。散々物語に憧れてきた身としてはこの状況は死んだことを差し引いても喜びの方が大きい。
チート能力による無双、異世界美少女との甘い恋物語、それから……。
超えることはできないと諦めていた壁を越えたどり着いた憧れの世界、止まらない妄想に口元がフニャリと緩む。
「サバイバルの知識とか無いけど、これだけ澄んだ水なら飲んでも平気でしょ」
移動中に見つけた川で乾いた喉を潤す、先程の場所は人気がなくあれ以上あの場に留まっていても無意味だと思い移動を始めていた。
手で水をすくい口に含む、変な味もしないし冷たくていい感じだとか考えていたら水面に映る自分の姿を見て口に含んだ水を吹き出した。
そこに写っているのは自分の姿では無かった。
見た目は一六歳くらいだろう、凛々しい顔立ちと綺麗な碧眼。
「ふ、ふーん?俺よりちょっと、ちょーっとだけカッコいいじゃん?」
嘘、ちょっとどころではないかも。
「他人の身体に異世界転生したのか……ふむ、まあそういうパターンもあるか」
オタクはこういう事への順応は早い。
セオは自身の適応力を自慢気に思いながら、これまでに見た物語を参考に何が起きているのかを推察する。
俺は現世で命を落とし魂だけがこの異世界にやってきてこの身体に宿った、だとすると元の持ち主はどうなったのだろうか。
セオは自身の知識と擦り合わせ推論を繰り広げるが情報不足につき程々で諦めた。
「しかし見れば見るほど──!?」
・・・
貧しくみすぼらしい家に似つかわしくない絢爛な服装に身を包んだ男が子どもを抱き上げる。
「嗚呼!予言の子ラヴィオット・ハルトよ、勇者の誕生をどれほど夢見たことか」
自分を抱き上げる家族のものでないその手に嫌悪感がほとばしる。
・・・
ドーム状の訓練場にて多くの人間に見世物のように視線が集められる。
「何を休んでいる!早く立てッ!」
擦りむいた膝から血が流れている、これ以上怒られないために早く立たないと。
・・・
まだ温かい返り血が頬を伝い落ちる、辺りには数え切れないほどの屍の山。
「一匹残らず魔族を殺す、それがお前の役割だ」「それが世界の平和のためだ」
そんなことを手を握り目をみて本気で語りかけてくる。
・・・
「居たぞ!アイツが勇者だ!」「王国の犬め!」「殺せ!」「世界の平和のために!」
こちらに剣を向ける人々の目は敵意に満ち溢れている。
・・・
突然の記憶のフラッシュバックに頭痛が伴う。
今のはこの身体の記憶だろうか、とても悲しい夢を見た様な気分だ。
断片的な記憶だったが悲しい気持ちが残穢のように残っている。今の記憶だけでは何があったのか判断できないがラヴィオット・ハルトという名前と彼が"勇者"だったいうこと、そして命を狙われていたことは分かった。
歩き始めてから随分と経つが変わったことといえば植生が草原から背の高い木に代わり、草原から森に変わったくらいだ。
ぐうーー。
空腹を身体が音を立てて伝えてくるがそんなことはとっくに自覚している。どうやらこの身体に俺が転生した時点で最後の食事から時間がたっているのだろう、はじめから若干の空腹感を感じていた。
異世界転生に舞い上がったテンションも既に落ち着き、目の前の現状が現実味を帯び始めていた。
食料と寝床を確保する必要があるが現状まったくもってアテがない、それにもし凶暴なモンスターとかが居たらと思うと今一人で歩いていることすらも少し不安に思えてくる。
「ネガティブになるな俺!せっかく異世界転生したんだぞ、異世界美少女も見ずに死ねるかってんだ!」
活を入れて自らを奮い立たせる。
命の危険を感じた時、人は本音が出るというがそれで出た言葉が”これ”とは我ながら煩悩にまみれてるなと呆れてしまう。
それに今考えるとこんな森の中で大声を出したのはあまりにも不用心だった。
セオは何か物音を聞きつけたわけではない、ただ感じたのだ──。
突然背後からマントに身を包んだ男が剣で切り掛かってきた。
迫りくる刺突を寸前のところで躱す、剣は横腹あたりの服を少し切り裂いて通り過ぎた。
何が起きた?襲われた?誰に?何故?
セオの思考が一気に駆け巡る、そしてすぐに原因らしき答えにたどり着く。
そうだ勇者だ、この身体が勇者だから狙われている。
突然襲ってきた男は黒い仮面で顔を隠している。手には刀身の中心が空洞という奇妙な細工の施された細身の剣が握られている。
初めての命の危険に正直泣き出したいくらいだが、お陰でなんとなく世界観に察しがついた。
この世界はまさに王道ファンタジーだ。剣に魔法にダンジョンというやつだ、でなければわざわざ剣で襲って来たことに辻褄が合わない。
それにしてもまさかあんな速度の剣を自分が避けられるとは思いもしなかった、これも勇者の身体のお陰なのだろう。
仮面の男はすぐさま次の攻撃に備え構えを取る。
その構えはまるでよろめいているかのようで不気味極まりない。言葉を発することなくまるで人形のようにひたすら剣を振るう。
勇者の体のおかげで何とか攻撃を避けることはできる、しかし避けれるからといって反撃の手段がないのでは勝ち目がない。
いや、チート級の魔法とかでこいつを一撃で倒せるというご都合展開の可能性もある。
セオは自身の物語に毒され切った思考に疑心を抱くことなく、自信を持って右の掌を仮面の男に向け突き出す。
「喰らえッ!!」
やり方とか分からないがとりあえず気合を込めてみる……がなにも起こらなかった。
黒仮面はセオの奇行に一瞬警戒し距離を取る、微妙な間が生まれお互いの間に一瞬の困惑が生じる。
すぐに何も起きないことに気づいた黒仮面は再び剣を構え突っ込んでくる。無意味に突き出された右手を引っ込めて迫りくる剣を回避しようとするが足元の石に躓いて体勢を崩す。
やばい、死んだかも。
死を覚悟したセオを何者かが服の首筋を掴み放り投げた。
宙を舞いながらその人物に目を向ける、身長は一九〇センチはあるだろう並外れたガタイの大男だ、年齢は二〇代後半に見えるがその立ち姿からは年齢以上の積み重ねを感じさせる。
「貴様何者だ?何故コイツを狙う?」
戦闘に割って入ってきた大男は仮面の男に質問を投げかけるが、仮面の男がそれに答えることは無くそのターゲットを大男に移すだけだった。
仮面の男の持つ剣はかなり細身で軽量そうだが大男の剣は大きく長い、その剣の重量には倍以上の差があることが見て取れる。
重量の差は速度の差に直結する、大男よりも仮面の男の動き出しの方が素早く大男は防戦を強いられる。
「その重量の剣でこれほどの威力、一体どういうカラクリだあ?」
攻撃を防ぎながら大男が疑問を口にする。
「…………」
黒仮面は沈黙を破ることなく凄まじい速度で剣撃を繰り出し続ける。
この戦いが目で追えるのはこの身体だからだろう、眼の前で繰り広げられる戦いはそれほどまでに常人離れしたものだった。
「俺にはお前の小細工がわかったぜ、剣に速度が乗ってから剣の空洞に何らかの魔術で質量をプラスしているな?だからそれだけの速度の威力をしているわけだ」
大男はそれを見破るとすぐに防御の方法を変えた。
今まで正面から受けた剣撃を流すように弾いていたが、大剣を自身の方に引き込み鍔迫り合いの状況を作り出した。
軽い剣に魔術で重量をプラスしている黒仮面と、自力で大剣を振るう彼が力の比べ合いをしたのならどちらが勝つかは明白だ。
「どうして俺が”小細工”といったかわかるか?仮面野郎、簡単に対処できるからだッ!」
大男はその圧倒的な筋力で鍔迫り合いを押し切り相手の体勢を崩す、そしてその一瞬の隙を逃すこと無く大剣を振り下ろす。
黒仮面も何とか剣で防御を取るがその剣は砕け身体にまで直撃する。
地面に血しぶきが飛び散り、ダメージを受けた仮面が割れその素顔が晒しだされる。
髪も眉もまつ毛も生えていない男の顔がそこにはあった。
ここまで無言だった奴が言葉を発する。
「我一人で勝つことは叶わぬ、ならば……来い!!」
手を上げなにかの合図を出す……しかし何も起こらない。
「何故だ?何故何も起きぬ?」
「──彼らをお呼びかな?」
草むらから続々と人影が現れ、奴と同じ衣装と仮面をした死体がドサドサと放りこまれる。
「仲間がいるのはお互い様だったようだな?」
剣は砕け満身創痍おまけに仲間も既に倒された後、奴は今絶体絶命になったわけだ。
仲間までいるとはいよいよただ事とは思えない、本当に勇者とは狙われる存在なのだろうか。
「ここまでか……」
男は口の中に仕込んだ何かを飲み込み、そのまま倒れ動かなくなった。
「……仕込み薬か、徹底してるな」
大男はそれを見て冷静に何かを判断しているようだった。
「それはそうとお前さん大丈夫だったか?」
「ああ、問題ない」
「そうか、それならいいんだが……本当に?」
彼が心配したのはセオが強がって吐いた言葉とは裏腹に地面にへたり込んでいたからだ。
安心したら腰が抜けた。