灯明台
船縁に掲げられた灯火に夜の海面が照らし出され、水面付近まで誘われた烏賊が足を窄めて飛び交う。菅笠に蓑を纏った父がソクと呼ばれる、七十尋にも届く釣具を用いて群れを誘った。浮上してきた獲物を、今度はトンボという桐材の取っ手に一本の女竹の竿を取りつけたものを用い、九尋もの天蚕糸の口糸を垂らす。その先端には鉄製の疑似餌がぶら下がっており、烏賊が触手を広げて絡みつく。
まだ見習いである息子は、一柄一竿の一本ヅノを使って烏賊を釣っていた。本来は桐材に二本の女竹の竿を取りつけた漁具で、竿の先から柄の根元までの糸をつけ、鉄のツノドウに十四本ほどの鉤をつけたツノバリを結びつけた。いわゆる一柄二竿の形を取るのがツノで、習熟すると両手に一本ずつ握って互い違いに上下する太鼓釣りという手法で多くの漁獲を揚げた。
肥え松を燃やした集魚燈に照らされた水桶の中からは、夥しい触手が蠢き、烏賊がひしめいていた。
今夜は大漁だった。面白いほどに釣れた。胴の間に溢れた烏賊が暗黒色から赤褐色に変化し、二本の触腕を這いずらせている。
夜が明けようとしていた。もう良いだろう、と口数の少ない父が言った。大漁の烏賊を土産に、櫂を漕いで引き上げることにした。
ところが急に濃い霧が立ちこめた。陸が見えなくなり、自分たちの居場所を把握できなくなった。海は凪いでおり、波音さえ静かだった。烏賊どもの狂騒だけが喧しい。
父は険しい眼差しをしていた。濃霧に目を凝らし、どうにか目印を発見しようとしているのがわかった。山や岬などを目視できれば、長年の経験から自分たちの位置を把握できるだろう。その目論見は上手くいかなかった。濃い霧が視界を阻み、どの方向へと進めば良いかわからなかった。
沖で立ち往生した。迂闊に漕げば、大海を小舟で漂流することになる。
息子は声を上げた。その指差した先に、霧の中に灯る光を見出すことができた。
灯明台だと彼は言った。岬に建つ灯明台の篝火に、誰かが火を灯してくれたのだろう。口元を引き結んでいた父の表情が和らいだ。
二人はその光が灯る方角へ舟を漕ぎ出した。櫂を握る手に力がこもる。これだけの烏賊を持ち帰れば、きっと漁村で待つ家族は喜ぶだろう。
霧の向こうから船影が見えた。なぜか灯明台の篝火から逆方向に、つまりこちらへと向かってくる。衝突を避けるために舟を漕ぐのを止めた。父が声を張り上げて警告した。
迫ってくる舟は止まらなかった。やがて霧を突き破り、その様子が詳らかになってきた。自分たちと同じ格好をした、つまり烏賊釣りの漁師が櫂を漕いでいる。その表情は必死で、こちらの舟よりも大きいにも関わらず一人だった。舳先が海水を切り裂き、舷が接触せんばかりの距離ですれ違った。
潮水を被り、父が怒鳴り声を上げようとした。その直前で漁師の男は叫んだ。
「仲間が食われた。あれは灯明台の光なんかじゃねえ」
その言葉を残して舟は行ってしまった。
発言の意味を考える父の後ろで、息子は灯明台の明かりを見つめていた。水桶の烏賊たちがしきりに囃し立てている。
光が大きくなっていた。こちらへ近づいてくる。