親子夫婦
「ねぇ、みそ汁の具にキャベツってあり?」
冷蔵庫の野菜室から小ぶりのキャベツを取り出しながら夫の宗馬が訊く。
「んー。私個人としては入れたことないけど、入れる人もいるよね。宗馬が決めていいよ」
私がそう言うと宗馬は首をひねって「うーん」としばらく唸ってから「よし。入れよう」そう言って冷蔵庫の扉を閉めた。私達は狭いキッチンに並んで夕食を作っている。毎晩の日課だ。
私がメインを作り、宗馬は汁物担当。結婚した時に夫婦共働きだから家事は一緒にすると二人で決めたのだった。ちなみに朝食は私はご飯派で宗馬はパン派なので、それぞれ自分で用意している。
昨年結婚した私達は歳の差がありすぎる夫婦だ。
夫、相馬は二十四歳。妻である私、千春は四十五歳。歳の差、二十一歳。親子であっても不思議ではない歳の差だ。
*
私が大学を卒業したのは就職氷河期で、どこの会社からも内定をもらえなかった私は、スーパーでバイトを始めた。レジだけでなく陳列もするし、お客様カウンターで接客やサービスの案内もした。そうやって働いて、自分一人なら暮らしていける収入を得ていた。
アルバイトをしながら就活をするつもりが、何とか生活できているし、もうこのままでいいかなと思い始めていた。幸いアルバイトはころころ入れ替わるし、社員も異動があるので、人間関係で嫌なことがあってもリセットすることができた。
そんなこんなで気がつけば二十数年が経ち、私は四十歳を超えていた。スーパーの社員から正社員への登用試験を繰り返し勧められ、チャレンジしたら無事、受かった。四十を過ぎて正社員になった。
多少給料も上がったし、このまま平穏に過ごしていければなと思っていた時だった。
*
毎日午後二時。人気アニメのテーマソングが流れる。その音楽は売り場の整理整頓を促す合図だ。ちょうどお菓子の商品補充をしていた私は手を止め、陳列されている商品を整理することにした。
倒れている商品を起こし、お客様が手に取りやすいように手前に寄せる。ふと隣の列に目をやると、お菓子のエリアなのに小松菜の束が一つ置かれている。
たまにこういうことをするお客様がいる。買うのをやめたものをその場に放置。正直いらっとする。『いらなくなったものは元の場所に戻す』というマナーを守らない人は、一体どういうつもりなんだろう?
なんて考えながら小松菜を手に取り、青果売り場に持って行こうとした時だった。
お菓子が並ぶ棚の前にひっそりと佇む青年が目に入った。白いTシャツに黒いスウェット。どこにでもいる青年の格好をしているけれど、髪には寝癖がついていて彼が纏う空気はどこかどんよりしていた。覇気がない感じ。
少し気になりながらも、お客様なので私は会釈をして彼の後ろを通り過ぎた。
*
翌日、私はレジにいた。午後二時過ぎ。この時間帯は、比較的お客様が少なく、冷凍食品や生鮮食品を入れるビニール袋を広げておく作業をしたり、割り箸やスプーン、フォークを補充したりしながらレジを打っていた。
「いらっしゃいませ」
レジ台の上に複数のお菓子が置かれる。ふと顔を上げると、あの青年がぼんやりした顔で立っていた。やはり表情に生気はないし、うっすら無精髭も生えている。一人のお客様に感情移入している場合じゃないと自分に言い聞かせ、商品をレジに通していく。ピッ、ピッという耳慣れた音が、やけに鋭く聞こえる。
「ありがとうございます。615円になります。一番のレジでお願いします」
そう言って商品が入ったカゴを一番のセルフレジに移し、頭を下げる。次のお客様がいなかったので、私は目の端で青年の動きを伺っていた。
財布から千円を取り出しレジに入れる。手慣れた様子で操作し、お釣りを受け取ると青年は両手で商品を持ちその場を去った。
その日から午後二時前後になると私の気持ちはそわそわした。あの青年が来るのではないかと。そして実際、青年は毎日午後二時前後にスーパーに現れた。買うものはお菓子だ。スナック菓子とチョコレートやクッキーといた甘いお菓子を組み合わせて買って行く。
青年の瞳はいつも霞がかかったように濁っていて、相変わらず寝癖に無精髭の出たちで、纏っている空気は重い。一言で言えば〝訳あり〟というのがしっくりくる。
青年はほぼ毎日同じ時間にスーパーへやって来た。たまに数日見かけないと心配になった。ここ最近、これまでで一番長い間、姿を見ていない。今日来なかったら一週間になる。午後二時が近づくにつれて気持ちがそわそわし落ち着かなくなってきた。
今日、私はサービスカウンターにいる。レジの並ぶエリア全体が見渡せる。だから青年が来るかどうかしっかり確認できる。
おなじみのテーマソングが流れて十五分ほどが経った時だった。レジに向かって歩いて来る青年の姿が目に入った。
――よかった
と思っている自分がいた。不謹慎だけれど、生きていてくれた、と思った。そんな風に思ってしまうほど、青年には生きる意欲みたいなものが感じられなかった。
*
慣れた手つきで会計を済ませ、スウェットの後ろポケットに財布を無造作に突っ込むと、青年は両手に購入した商品を持ってその場を去った。
サービスカウンターの前を横切ろうとした時、ポケットから財布が落ちた。私は思わず「あ」と小さく声をあげた。しかし、青年は財布が落ちたことに気づいていない。
私はサービスカウンターから走り出て、床に落ちた財布を拾った。黒い合皮の財布は使い込んであって、角がよれよれになっていた。青年はやはり気づかず、スーパーの出口に向かっている。
「あの、財布落としましたよ!」
青年の背中に向かって少し大きめに声をかけると、その歩みが止まった。青年が私のほうに振り返る。私の右手に自分の財布が持たれているのを見ても、青年の表情は何一つ変わらなかった。声を発することもなかった。
財布を受け取ろうとして青年は自分の両手が塞がっていることに気づいたようだった。「商品お持ちしますよ」と私が言うと青年は囁くような声で「どうも」と言った。普段からあまり喋らないのだろう。その声は掠れていた。
青年はしっかりとスウェットの後ろポケットに再度財布を入れた。商品を手渡す時、突如、青年に声をかけたいと思った。というより、かけなければならないと思った。
「久々にお見かけしました」
気づくとそう言っていた。青年はまた「どうも」と言って頭を軽く下げると出口の自動ドアをくぐっていった。
*
その翌日から私がレジにいる時は、青年は私が担当するレジに来るようになった。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」といったマニュアル通りの言葉の他にも、「今日は天気いいですね」とか「このお菓子美味しいですよね」とかちょっとした話題を青年に振ってみた。
最初は無反応だった青年もごくたまに頷いたり「まぁ」と一言返事を返してくれるようになった。その時の青年の表情が迷惑そうだったら、私は声をかけ続けなかっただろう。
青年が何かしら私の言葉に反応してくれる時、彼の頬が緩むのを確認したからこそ、私は青年に声をかけ続けたのだった。そして、そのちょっとしたやりとりが私にとってもかけがえのないものになりつつあった。
*
あの日のことは今でもよく覚えている。
夕方だった。
「コンビニに明日の朝の食パン買いに行ってくるから宗、お留守番お願いね」
ソファーに寝そべってゲーム機を手にしていた小学一年生の俺に母親が声をかけた。コンビニは家の前の道路の角にあった。国道に面していて駐車場もイートインスペースもある規模の大きなコンビニだった。
往復十分。買い物五分。だから十五分後くらいには母親は戻ってくる。「わかったー」と母親の顔を見ずに返事だけ返した。
母親は永遠に帰って来なかった。
家出したのではない。事故に巻き込まれて亡くなった。あの日、コンビニの駐車場に停まっていたトラックが周囲の確認を怠って発車した結果、たまたま近くを通りかかった母親が巻き込まれた。どうやら即死だったようだ。
いつまで待っても母親が帰って来ず、不安になりゲームに集中できなくなった時、父親が血相を変えて帰って来たのだった。
父の運転する車に乗り病院へ向かった。父は多くを語らなかったけれど、母親が死んでしまったことだけはわかった。
病院に着いてからの記憶はなく、気がつけばぽつんと一人リビングの隅で膝を抱えていた。葬儀が終わってから一週間が経っていた。母の急逝で生活が落ち着くまでは近くに住む父方の祖母が、父と俺の生活を助けてくれることになっていた。
「宗馬。無理することないよ。また、学校に行きたいって思える日が来る」
祖母はそう言って俯いている俺の頭を優しく撫でた。そう俺は学校に行けなくなっていた。父も祖父母も急かすようなことはせず、俺が立ち直るのを待ってくれたけれど、俺が学校に行ける日は永遠に来なかった。学校の配慮があり義務教育だけは何とか卒業できた。
*
俺は引きこもりになった。今年で二十二になる。もう十五年そうやって過ごしている。カーテンを締め切った部屋で寝られるだけ寝て、お腹がすけば何かを食べる。トイレと入浴、食べ物の調達のために近所のスーパーへ行く。それだけが俺が部屋を出る時間だ。
外へ出られるのだから俺は完全な引きこもりではない、と自分に言い聞かせていた。いつかは社会へ出られる。でも、それがいつになるのかはさっぱり見当がつかなかった。
父も祖父母もそんな俺を叱ることなく責めることもなかった。彼らにとって俺はいつまで経っても、突然、母を亡くした可哀想な子どもだった。
成長するにつれ、学校に行かず近所のスーパーにしか出かけない俺のことを彼らはどう扱っていいものか困っている様子になった。
叱責してくれればいいのに。いつしか俺はそんな風に自分がこうなってしまった責任を彼らに押し付けるような気持ちになっていた。
そんな行き場のない思いに心が支配されていたときにあの出会いがあったのだ。
*
「あの、財布落としましたよ!」
突然、背後から声をかけられた。振り返るとそこにはえんじ色のエプロンを付けたスーパーの店員が立っていた。その右手には黒いボロボロの財布を持っている。店員は女性で年齢は四十代に見えた。
化粧っ気がないからか清潔感があった。長い髪を後ろで一つに束ねている。財布を受け取ろうとして両手が塞がっていることに気づいた。
「商品お持ちしますよ」と店員が言ってくれる。何も言わないのはさすがに駄目だろうと思い、「どうも」と返事した。普段、ほとんど声を発していないからか、その声は掠れていた。
スーパーからの帰り道、何か気持ちが揺れるような感覚があった。人に親切にしてもらったからなのか、声をかけてもらったからなのか。財布を拾ってくれた女性に親近感を抱いたような気がした。
そこで、はたと気づく。もしかして母親ってこんな感じか?
その翌日からあの女性店員がレジにいる時は、そのレジに並ぶようになった。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」といったマニュアル通りの言葉の他にも、「今日は天気いいですね」とか「このお菓子美味しいですよね」とかちょっとした話題を俺に振ってくれる。
最初はどう反応していいかわからず、硬直していま俺もごくたまに頷いたり「まぁ」と一言返事を返せるようになった。その女性店員の言葉に心が温かくなり、頬が緩む感覚があった。自分にも表情というものがあったのだ、と思った。
*
そんな何気ないやりとりを重ねていくうちに、俺は自分の気持ちの変化に気づいた。率直に言うと女性定員に好意を抱いた。最初は母性のようなものを求めていたが、その気持ちはいつしか消え、好意に変わっていた。
とはいえどうアプローチしていいのかわからない。十五年も引きこもっているのだ。でも、女性定員ともっと親しくなりたいという気持ちは変わらなかった。
少しでも前向きな気持ちになると神様は味方してくれるらしい。ある日、いつも通りスーパーに行くとレジに並んでいる女性店員が目に入った。休憩に入るのだろう。左手におにぎり弁当を持っている。一人間を挟んで同じレジに並んだ。
会計を済ませるとサッカー台の所で女性店員が声をかけて来た。
「今日も来てくださったんですね」
俺は頷く。それを見て女性店員はにこりと笑顔になり言葉を続けた。
「私、これから休憩なんですけど、すぐそこの公園で休憩取ってるんです。もし、方向が一緒なら途中まで歩きませんか?」
思ってもみない誘いだった。「いいですよ」と自然に言葉が出ていた。その声は初めて話した時みたいに掠れていなかった。
*
その日以来、彼女の休憩時間に合わせて俺はスーパーに行き、彼女の休憩時間の半分ほどを公園で一緒に過ごした。
毎回彼女と話すのは他愛ないことだ。好きな食べ物、天気の話、趣味。俺が発する言葉は少なかったが彼女は気を悪くする風でもなく、俺からの言葉をいつでも待ってくれた。
そんなやりとりを続けていくうちに、俺に確かな気持ちが芽生えた。
――彼女のことが好きだ。
おそらく母親が生きていたら彼女より少し年上だっただろう。母親ほど年齢が離れている女性を好きになるとこに一瞬、迷いが生じたが好きなものは好きだ。その気持ちは変わらなかった。
気持ちを伝えるかものすごく悩んだ。おそらくうまくいかない確率の方が高い。しかし、自分の胸にだけ秘めておくのも嫌だった。彼女は既婚者かもしれない、家庭があるかもしれない、結婚していなくても恋人はいるかもしれない、俺が気持ちを伝えることは彼女に迷惑になるかもしれない、そんな風に思考が堂々巡りを繰り返す。
でも、もし、気持ちを伝えられたなら、その経験は身動きできずにいる今の俺にとって、何かを始められるきっかけになるような気がした。
結果がどうであれ彼女の迷惑になったとしても、今、俺が彼女に抱いている気持ちを伝えようと決心した。
*
「……単刀直入に言って、千春さんのことが好きです」
その言葉を聞いて彼女は口に運びかけていたおむすびを下に下ろした。おむすびを持った右手が見える。怖くて彼女の顔は見ることができなかった。空気が薄くなったような気がして、浅い呼吸を繰り返す。しばらく二人の間に沈黙が流れた。
「……びっくりした」
何秒か経ってから彼女の声がした。いつもと変わらない声だった。それだけでほっとする。明らかに迷惑そうな声や強く拒絶されることも覚悟していたから。
勇気を出して顔を上げると優しい笑みをたたえた彼女の顔が目に入った。
「何て言ったらいいのか……正直に言うとさっきの言葉は嬉しかったよ。でも……」
「でも?」と続きを促すと彼女は恥ずかしそうな表情になり右耳の後ろを掻いた。すぅと小さく息を吸い込んで話し始めた。
「私ね。こんないい年なのに恋愛経験皆無に等しいんだ。引くでしょ? こんな風に男の人からアプローチされるなんて、私の人生ではあり得ないって思ってた。宗馬君とは多分、親子ほど年が離れているよ」
彼女は俺の顔を見ずに真っ直ぐ前を向いていた。横顔は哀しそうにさえみえた。
「それでも好きになりました」
馬鹿の一つ覚えのように「好き」しか繰り返せない自分に苛立ちを覚えながらも、俺は必死に思いを伝えた。
「宗馬君の気持ちは嬉しい。ありがとう」
その日はそこで話が終わったのだった。
*
「困る」とか「嫌だ」とか「ごめんなさい」と言われた訳ではないから保留と考えていいのだろうと、あえてポジティブに捉えるようにした。
公園で二人で過ごす時間は告白後も続いていた。そして他愛ないお喋りも。そのことが俺の心の支えだった。
会話の弾みで「このままずっと側にいて欲しい」と言うと彼女はちょっと困った表情になった。
――断られる と咄嗟に身構えた。
「歳の差がありすぎるよ」
ぽつりと彼女が呟く。
「そんなの気にしない。千春さんがいいんだ」
珍しく自分でも驚くほど大きな声が出た。彼女も目を丸くしている。自分のことを全てきちんと話そうと思った。母を亡くしたことをきっかけに引きこもり生活をしていること、千春さんに出会ってこの生活を変えたいと思ったこと、頑張るから側で見守っていて欲しいこと。
話せば話すほど、子どもがわがままを言っているように聞こえてきた。でも、今、口にしているのは俺の確かな今の気持ちだ。最後まで話を聞き終えると彼女は言った。
「本当に私でいいの?」と。
俺はゆっくりと深く頷いた。すると彼女の表情から不安や哀しさがふっと消え、純粋な笑顔だけが残った。
「よろしくお願いします」
そう言って俺たちは握手を交わした。
*
テーブルに今日の夕食が並ぶ。
私が作った鮭のホイル焼きと宗馬が作ったキャベツと豆腐のみそ汁。ダイニングテーブルに向かい合って座り「いただきます」と声をそろえる。
食事中は言葉少なだけれど、今日一日の出来事を軽く報告しあう。私は印象に残ったお客様のことや、新商品やイベントのこと。宗馬は子ども達とどんな遊びをして、どんな会話をしたか。
*
二年前から宗馬はフリースクールでスタッフの補助として働き始めた。その仕事は私の同僚が持ちかけてくれたものだった。同僚のお子さんがフリースクールに通っていて、「補助のスタッフを募集しているんだけど、誰かいい人いない?」と声をかけてくれたのだ。
その話を聴いた時、真っ先に宗馬の顔が浮かんだ。辛い状況にある子ども達の心に宗馬は寄り添えるのではないか。宗馬にその話をすると初めは「自信がない」と言った。
宗馬が私に気持ちを伝えてくれた時のように、私も根気よく宗馬に話をした。そして「やってみる」と言ってくれたのだった。
「もし、俺がその仕事を続けられるようになったら」
宗馬が言う。
「うん」
私は相槌を打つ。
「一緒に暮らそう。っていうか結婚して欲しい」
思ってもみなかった言葉に動揺して、私はテーブルに乗っていたお茶のグラスを倒してしまった。
「ちょっ! そんな驚かなくても」
宗馬はそう言って近くにあったティッシュで机に溢れたお茶を拭いた。幸い残りが少なかったので、テーブルの上に溢れただけで済んだ。私も台拭きを持って来て拭く。
「で、どう?」
宗馬が私の顔を覗き込む。本音は天に上るくらい嬉しかった。宗馬といると素の自分でいられたから。何も取り繕わず、飾らず、手足を投げ出してリラックスできる自分。そんな自分でいるためにも宗馬の存在は必要だった。
けれど、私でいいのだろうか、と心配になる。もっといろんな人と出会ってから宗馬は生涯のパートナーを決めるべきではないか、とも。
そんな私の考えを見透かしたように宗馬は言った。
「千春さんを介して俺は世界を広げていきたい。だから側にいて」
その言葉を聞いて心が決まった。私は宗馬の側にいたい。
「私も宗馬の側にずっといたい」
私がそう言うと宗馬は全身脱力するように体を緩ませ「よかったー!」と言った。その時の笑顔は今までで一番輝いていた。
*
早速フリースクールで働きはじめた走馬は、たちまちなくてはならない存在になったようだった。悩みや辛さを抱える子ども達へのフォローが他の職員より群を抜いていたようだ。
子ども達からの信頼も熱く「宗馬くんに相談したい」とか「宗馬くんとこのゲームしたい」とか引っ張りだこだったらしい。毎日フリースクールでの出来事を嬉しそうに教えてくれた。
そうして半年が過ぎる頃。
私達は結婚を決めた。うちの両親は私の結婚を諦めていたらしく、「結婚する」と報告した時には狂喜乱舞という四字熟語がしっくりくるような喜びようだった。歳の差を伝えると一瞬、絶句したけれど歳の差があっても添い遂げたいと思える相手に出会ったことを喜んでくれた。
私が心配だったのは自分の両親より宗馬の父親が、私達の結婚を認めてくれるか、ということだった。歳の差でいけば、彼の父との年齢の方が近い。宗馬は「大丈夫だよ」と繰り返し言ってくれたけれど、挨拶に伺うまでは心配で仕方なかった。
宗馬の父親は五十代半。私と十歳程しか年齢が変わらない。ポロシャツにデニムという出立ちだけれど、細身の体型でこざっぱりとした男性だった。目元が宗馬に似ていた。私を見るなり「ようこそ。いらっしゃい」と相好を崩した。その表情で受け入れてもらえるかもしれないという安心感を覚える。
和室に通されるとお義父さんは台所からグラスに入ったお茶を三人分持ってきてくれた。それぞれの前にグラスを置いてくれる。「ありがとうございます」と頭を下げると「緊張なさってるでしょ。気を遣わないでくださいね」と言ってくれた。
宗馬がお茶に口をつけたので、私も「いただきます」と言って一口飲む。やはり緊張していたのだろう。お茶の味がしなかった。
「宗馬から話は聴いています」
お義父さんは私達の向かいに座ると開口一番そう言った。
「千春さんのおかげで俺は変われたから。結婚してこれからも支えてもらう方が多いかもしれないけれど、俺も千春さんを支えたいと思う」
宗馬は父親の顔をまっすぐに見つめて言った。その表情に緊張はなく覚悟が宿っているようだった。
「千春さん」
お義父さんに名前を呼ばれ「はい」と言った声は緊張で固くなっていた。
「あなたに感謝しています。千春さんに出会ったことで宗馬は本当に変わりました。ずっと暗闇の中に一人でいたのに、今では一応社会人らしくやっています。息子を救ってくれて本当にありがとう。そして、これからもよろしくお願い致します」
そう言ってお義父さんは深々と頭を下げた。
「こちらこそ宗馬さんにいろいろお世話になり、助けて頂いています。二人で力を合わせて生活していきたいと思います。至らない点も多いとおもいますが、よろしくお願い致します」
思ったよりもすらすらと言葉が出た。下げていた頭を上げると隣に座っていた宗馬が膝の上に置いた手をそっと包むように握ってくれた。そして満面の笑みで私を見て頷いた。
その時、私は宗馬と一緒に生きていくのだ――と決意した。
私達は籍だけ入れ、二人で住むマンションを探し引っ越した。二人で生活を始めて一年。あっという間だった。
*
「うん。サーモン柔らかいし、いい焼き加減」
「みそ汁にキャベツって意外とあり」
夕食を食べながら互いの料理について語る。
とあるマンションの一室での私達の暮らしは日々穏やかだ。
周囲から見れば明らかに親子に見えるだろう。これから先、穏やかでいられない時も来るかもしれない。 でも、私達は夫婦として最後まで添い遂げてゆく。
私達が作った幸せだから。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




