草原を駆ける
ドアンナ達は、暗く長いトンネルを進んだ。
地下道は乾燥していた。地下水面よりはるか地下にあるこの場所を、水分から遮断するのは、かなりの技術が必要なはずだ。
壁面は、むき出しの混凝土に覆われていた。この地下道は、相当古い時代に建築されたに違いない。ドアンナは、そんなことを考えた。
ドアンナたちは、およそ五分は歩いただろうか、ようやく出口に差し掛かった。出口は上り階段になっていた。ドアンナが先頭に立ち、階段を登っていると、突然、出口を塞いでいる蓋にごすんと頭を強くぶつけてしまった。
【ドアンナ】「いっつ(;´Д`) !」
【レイセン】「お馬鹿( ̄∇ ̄;)」
ドアンナは頭をさすりつつ、蓋の端を指先で探った。やがて取っ掛かりを見つけると、力を込めて蓋を持ち上げた。外気が差し込み、青空が見えた。突然現れた太陽の眩しさに、みな目がくらんだ。
ドアンナは、地下道から出て、地面に立った。地下道の出口は、深い葦に囲まれていた。ここは、大外城の東に広がる葦原だろう。
ドアンナは後ろを振り返り、階段を登ってくるアマンダぼ手を引いた。そして全員が外に出た時、彼女たちの背後から、散発的な大砲の轟が響いてきた。
ローゼンハイムは、燃えていた。黒い煙が城のあちこちから立ち上り、空はどんよりと薄暗い雲に覆われていた。
みな、押し黙ったまましばらく動かなかった。
【レイセン】「さて、これからどうする」
【ドアンナ】「まず双子城に向かいましょう。どのみちブリスコーへ向かうには、あそこを通って川を渡る必要があるわ」
【レイセン】「わかった」
双子城とは、ここから東へ進んだところにある、ラインベルクの支流の一つに掛けられた防鎖砦だった。それは、左岸と右岸の城塔が線対称に等しく造られているので、そう呼ばれていた。
彼女たちは、葦をかき分け、双子城に向かって歩き出した。双子城へは、ここからおよそ8マイルの距離があった。葦原をかき分けて進むとなると、およそ6時間以上はかかるだろう。
【ドアンナ】「今何時?」
【アンナ】「多分、11時ぐらいだと思う」
アンナが答えた。アンナの答えなら、多分合っているだろう。ドアンナは、急に空腹を覚えた。
【ドアンナ】「あのさあ、誰かごはん持ってたりしない?」
【アマンダ】「あ、それならわたしが持ってるわ。さっきパン屋さんで盗んできたの」
【ドアンナ】「おお、ナイス。王女泥棒じゃん( ̄ー ̄)」
【アマンダ】「誰が王女泥棒よ(´・д・`)」
彼女たちは、一旦その場で休むことにした。彼らは葦を平らに踏んで窪みを作り、車座になって座った。
アマンダが懐からパンを取り出し、引きちぎって皆に分けた。みなパンのかけらを受け取ると、もぐもぐとかみ始めた。
ドアンナは手をはたいてパンくずを払うと、地面に大の字になって寝そべった。
【ドアンナ】「あたし、なんだか瞑想が必要みたい……」
【レイセン】「わたしも同じく」
レイセンは、ドアンナにならい、地面に横になると、膝を抱えた。そして、股の間から狐尾を出すと、それを顔面に押し付けて目を閉じた。これが、彼女の最も落ち着く姿勢だった。
魔術師は、自らの魔法の力、すなわちオーラを消費した際、それを再び体内にみなぎらせるために、瞑想を行う必要があった。
瞑想の姿勢は、人それぞれだった。彼女たちが瞑想する時、それは無意識下の言語化不能な領域にまで意識を沈めていた。そのことは、アンナも、ペトラも、そしてアマンダも、魔術師であるがゆえによく理解していた。三人は、なるべく音を立てないよう静かにしてそこに座っていた。
そのとき、そよ風と葦の揺られる音しか聞こえない空気の静寂に混じって、どこか遠くから、金属と金属の撃ち合う甲高い剣戟の音が聞こえてきた。
レイセンは耳を引くつかせて目を覚ました。そして、体を起こし、葦の間から音のする方角を覗き込んだ。
遠くに、銀色の甲冑の背中が陽の光を反射して瞬いた。それはローゼンハイムの剣士が着込む、白銀に磨かれた甲冑だった。兵士は、葦の向こうで、何かと対峙していた。
レイセンは、顔を少し上げて、それがなんなのか覗き込んだ。
兵士が対峙していたのは、悪魔だった。それも、およそ体長30フィートに達する、大きな黒い悪魔だった。
コヨーテのような、悪魔の細く赤い目が光った。悪魔が右手を大きく振りかぶると、毛むくじゃらの指先から白く大きい鉤爪がむきだしになった。
それは鉤爪を振った。兵士は剣でそれを受けようとした。しかし、人間の膂力では、それを受けきることはできなかった。
悪魔の放った横薙ぎの爪に、兵士は上半身を吹き飛ばされ、散った。血霧が空に舞い、やがて風に吹かれて何処かへ消えていった。
あの悪魔には、絶対に勝てない。
レイセンは、あわてて葦の影にしゃがみこんだ。そしてドアンナたちに首を振り、絶対に覗き込むなと合図を送った。
彼女たちが耳を澄ましていると、遠くから、再び剣戟の金属音が風に乗って聞こえてきた。
ドアンナたちは、息を詰めてその音を聞いていた。やがて、剣戟は途絶えた。あたりを静寂が支配した。それでもなお、彼女たちは誰一人、動こうとはしなかった。
やがて雲が動き、太陽は隠れ、影がドアンナたちを覆った。気温が下がり、一迅の風が吹くと、それはなんだか肌寒く感じられた。
レイセンは、ようやく顔を上げ、再び葦の向こうを覗き込んだ。そこにはすでに、人も、悪魔も、誰もいなかった。
レイセンは仲間を振り返りうなずいた。彼女たちは、ふたたび葦原を進みだした。
遠く背後からは、再びはじまった散発的な大砲の砲撃音が響いてきた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
彼女たちは道を進んだ。その歩みは遅かった。
最初にドアンナが先頭を歩んだ。そうしてしばらく進んだが、葦を踏みしめながら歩くため、彼女はくるぶしが疲れ、段々と痛くなってきた。彼女はレイセンと先頭を交代した。
レイセンも、立ちはだかる葦に難儀した。彼女は腰の剣を抜き、葦に向かってひょいひょいと何度か振り回したが、すぐに無為だと悟ってやめた。
次にアンナが先頭に立った。しかし、彼女は体力がなく、運動神経も鈍いので、すぐに疲れ果ててしまった。そうしてまたドアンナが先頭に立った。
そうして彼女たちは、進み続けた。やがて正午も過ぎ、陽は段々と陰り始めた。
やがて、ようやく、先頭を進むドアンナが、葦原から道に出た。それは、大東門から双子城へ続く、石畳の広い道だった。
彼女に続いて、皆が葦原から這々の体で出てきた。ドアンナは、ううんと唸り声をあげながら背筋を伸ばした。アンナは、相当疲れたのか、杖に寄りかかってはあはあと口で息をしていた。
アマンダも、脚の筋が張ったのだろう、膝を曲げたり伸ばしたりしていた。ペトラは最後尾を歩いていたからか、あまり疲れていない様子だった。
ドアンナは道の右手、進路の方向を見た。その先には、避難民たちの背中が見えた。彼らの最後尾には、銀の甲冑に青いマントを着込んだ騎士が、殿を務めていた。彼らに追いつけば、ひとまずは安全だろう。
ドアンナがみなを振り返ると、レイセンだけは、道の左の方角に顔を向けて、身動きもせず何かを凝視していた。
西の方角には、ドアンナたちが地下をくぐり抜けた、ローゼンハイムの大城壁があった。レイセンはむき出しのうなじをドアンナたちに向けたまま、ピクリとも動かなかった。
【ドアンナ】「レイセン?」
ドアンナは声をかけた。しかし依然、彼女は道の先を見つめるままだった。
突如、彼女の屹立した狐耳が、ピクリとなにかに反応した。
【レイセン】「なにか来る……」
レイセンは言った。その声には、切迫した響きがあった。彼女は地面に伏せ、狐耳を地面に押し当てた。そしてすぐにがばりと身を起こすと、叫んだ。
【レイセン】「なにか来る!隠れて!」
彼女はそう叫ぶと、葦原の中に突っ込んだ。
ドアンナ達も彼女に続いた。そして、彼女に倣って、葦原の中に伏せた
彼女たちは待った。一分の間、彼女たちは伏せた。その間、時はただ過ぎ、何も起こらなかった。
しかし、やがて、それはやって来た。ドアンナは、地面に押し当てた手のひらに、なにかの振動を感じ取った。それは、段々と段々と大きくなっていった。
汗がドアンナの手のひらを濡らした。
ドアンナは横目でレイセンは覗き見た。レイセンは、顔を小さく振り、動くなと合図を送った。
やがて、風そよぐ空気の中に、地面を蹴る振動音が混ざり始めた。
それは、巨大な振動音だった。巨大な重量物が地面を蹴る、はるか遠くから響く重低音だった。それは、段々と彼女たちに近づいてきた。
ドアンナは、地面に押し付けた自らの胸に、心臓の早鐘を感じた。
やがて、その重低音が近づくにつれ、それは解像度を増していった。ひとつ大きく響く巨獣の足音の狭間狭間に、より細かな他の振動音……人間が走り地面を踏み抜く音、甲冑の擦れ合う金属音、荷車が地面の轍に揺れ動く音、そして、馬の走る音が混じり聞こえてきた。
それは、軍隊の進撃の音だった。今、彼女たちの後方から、軍隊が近づいてきているのだ。
ドアンナは、そのことを理解した途端、青ざめ、背筋が凍った。
軍隊は、やがて彼女の後方100フィートの距離まで迫った……そして、それは50フィート、40フィート、そして30フィートの距離まで近づいてきた。
やがて、軍隊は、彼女たちの隠れている葦原の、ちょうど真横で停止した。
ドアンナの心臓が、口から飛び出すほどの心拍数で鳴り響いた。
彼女の理性は、今はピクリとも動くなと命じていた。なぜならば、彼女が動いたとして、何ができよう。軍隊を相手に、一体何が?動かなければ、わずかなりとも、見かられない可能性が上がるる。
ドアンナは、地面に伏せながら、むかし学校でイエレンに叱られた時の様子を思い出した。
その時、彼女はギルドからの依頼で授業中にアジサイを咲かせていた。彼女は教卓の前に立たされ、皆の前でこっぴどく怒鳴られた。そうして半泣きで自分の席に戻っていく際に、教壇からの景色を見た。
その時、たしかに、教壇からは、最後列といえども、生徒のやってることなどまるわかりだな、などと思ったのだった。
敵はいま、跨った巨獣の上から、ドアンナたちの姿を凝視しているのではないか。それは、教壇の上から、最後列の生徒を眺めるようなものではないか。敵はドアンナたちの反応を、半笑いしながら眺めているのではないか。
理性は、変わらずドアンナに動くなと命じていた。しかし彼女は、本能に抗えなかった。彼女は、ゆっくりと顔を上げ、巨獣の方を向いた。
巨獣の正体は、見たこともないほどの巨大な象だった。
これはいわゆる戦象というやつだろうか。それは、馬鎧を着た軍馬のように、全身を甲冑で覆われ銀色に輝いていた。鼻の脇から飛び出た三日月状の巨大な牙は、白磁のように白く磨かれていた。
その背骨の中央に据えられた赤い鞍に、ひとりの悪魔が跨っていた。
風が、悪魔のウェーブした金髪を揺らした。全ての悪魔がそうであるように、その側頭部から、一対の角が飛び出していた。その深い眼窩の奥に据わる水色の虹彩を持つ瞳は、はるか道の先を凝視していた。
道の前方、双子城へと続くその道の先には、我らがロードラン軍が立ち塞がっていた。先頭に立つ騎馬兵が高く掲げる、青いロードランの軍旗は、風にはたむき波のように揺らいでいた。
悪魔とロードラン軍とは、互いに対峙したまま、動かなかった。
ふと、ドアンナは、自らの脇になにか気配を感じて、視線を動かした。
アマンダが、彼女の銃の銃口を覆う布の、紐を引っ張り取り外していた。
最初、彼女は、アマンダが何をしようとしているのか分からなかった。脳が、アマンダが何をしようとしているのか、理解を拒んだのだ。
アマンダは、銃をゆっくりと構えた。そして、悪魔の白い首に、狙いを定めた。
ドアンナは、目を見開いて、首を小刻みに振り、やめろと念じた。しかしアマンダは、ドアンナを一瞥すると、銃床に頬を押し当て、再び照準線を覗き込んだ。
悪魔が剣を抜いた。そして、その剣を高く掲げ、進撃の合図を後方に送った。そして、その剣を、道の先に向かって、振り下ろした。
悪魔の軍勢が突撃を開始した。馬が走り出し、道に砂埃が舞った。
巨像もまた、悪魔に手綱を引かれ、走りださんと、そ巨大なかかとを浮かした。その瞬間。
ドアンナはマスケット銃の引き金を引いた。
撃鉄のからくりが外れ、黒いフリントが赤い火花を散らしながら、火皿に向かって打ち下ろされた。
銃身の最奥に込められた黒い火薬が爆発した。それは、手前を塞ぐ黒い弾丸を押し出し、マズルから開放した。
鉛の弾丸は音速で直線軌道を描いて滑空し、悪魔の生白い細い首に吸い込まれた。
悪魔は真横から首を穿たれたその側面を走る2つの頸動脈は破壊された。
首に開いた2つの穴から、赤い血液が吹き出した。悪魔は瞬時に意識を失い、崩れ落ちた。そして、地面に墜落した。
彼が地面に衝突すると、小麦の袋を地面に落下させたときのような、どすんという鈍い衝撃音が響いた。
軍隊は、その足を止めた。一瞬の沈黙が、悪魔の隊列を支配した。
悪魔たちは、葦原を振り返り、アマンダ達を指さした。悪魔を殺したマスケットの銃腔から、黒い煙がゆらゆらと立ち昇っていた。
【ドアンナ】「逃げるぞ!」
ドアンナが叫んだ。彼女たちは、走り出した。
隊列から、無数の矢が放たれた。それは矢の雨となり、葦の草原に降り注いだ。複合材料の長弓から放たれた太矢は、空恐ろしい風切り音をたてて、ドアンナたちの頭上を横切った。
彼女たちは、力の限り走り続けた。がむしゃらに葦をかき分け、半身をよじりながら、背丈より高い葦をかき分け、彼女たちは走り続けた。
しかしすぐに、兵士たちが甲冑を鳴らしながら走る音が、彼女たちの背後に迫ってきた。
【ペトラ】「ドアンナ!私のことを肩車して!」
ペトラが叫んだ。ドアンナはペトラの股ぐらに頭を突っ込み、背後を振り返った。
兵たちは、彼女たちのわずか50フィートの距離まで迫っていた。
【ペトラ】「やつら、もうそばまで来てる!」
ペトラが叫んだ。
【レイセン】「わたしは炎で追手を撒くわ。あなた達は先に走って!」
レイセンはが叫んだ。彼女は掌印を結ぶと、深く深く息を吸い込んだ。
【レイセン】「灼熱の炎を吹き付ける魔法」
彼女は、乾いた葦原に向かって、灼熱の炎を吹き付けた。彼女は首を左右に振り、なるべく広範囲に炎を吹いた。摂氏六千度を超える灼熱の火炎に吹き付けられ、葦の原は、瞬時に炎に包まれた。
炭化した葦は、コークスのような黒い煙を上げて燃えた。黒々しい煙に視界を遮られて、兵士たちはその場に立ち往生した。
【ペトラ】「私が囮になります!レイセンも先へ急いで!」
【レイセン】「おい!ちょっと待て!」
ペトラは、返事も待たずに、追手の兵士たちの方へ走った。
彼女は、炎を突っ切り、そのまま身をかがめて進んだ。兵士たちは、ほのおにきをとられ,ペトラに気がづかなかった。
彼女は葦原を駆け抜け、追手たちの背後を取った。
彼女は、最後尾の兵士に目をつけた。そして、身をかがめながら、彼の背後からゆっくりと近づいた。
ペトラは、兵士の膝の裏の、むき出しの箇所を認めた。そこは、全身甲冑の唯一の弱点だった。そこを鎧で塞ぐと、人間は屈曲運動ができなくなるのだ。
ペトラは、ナイフを水平に寝かせ、無防備に露出した膝裏に突き刺した。
【兵士】「ぐわ!」
兵士は叫び声を上げ、片膝をつき崩れた。
突然の敵襲に、兵は怒りにかられ、剣を抜きがむしゃらに振り回した。しかし、ペトラはすでにその場を離れ、葦の茂みに身を潜めてい。彼の剣先は、無意味に葦の細い茎を断ち切るばかりだった。
【兵士】「おい、大丈夫か?」
彼の一つ前を走っていた兵士が、彼のもとに舞い戻った。ペトラは、その兵士に向かって、立てた投げナイフを葦の隙間から投げつけた。
ナイフは甲冑にあたり、キンという金属音をたてて弾かれた
【兵士】「誰だ貴様は!隠れていないで、そこから出てこい!」
兵士は叫んだ。
前後から起こった襲撃に兵士たちは混乱した。その間に、ドアンナたちとの距離は開いていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ドアンナたちは走った。葦をかき分けながら走る行為は、非常に体力を奪った。ドアンナは、息が上がり、足が萎え、葦をかき分ける腕は上がらなくなり、くるぶしに激痛が走った。
それでも彼女たちは走り続けた。そうして彼女たちは、ようやく葦の原を抜けた。
彼女たちの前方に、双子城の城壁が見えた。胸壁の上には兵士たちが立ち並び、弓を構えて待ち構えていた。
【ドアンナ】「あともう一息よ!頑張りましょう!」
ドアンナは言った。彼女たちは、再び全速力で駆け出した。
しかし、その直後、背後の葦で物音がした。ドアンナは、後ろを振り返った。
葦をかき分けて、ザクセン兵が、その姿を表した。
兵はドアンナを見ると、剣を抜き、全速力で走り出した。
ドアンナ「急いで!」
ドアンナは叫んだ。
背後でさらに物音がした。第二、第三のザクセン兵たちが、葦をかき分け、その姿を現した。
彼女たちは、懸命に走った。
すでに疲労困憊の極にあった足は、この全力疾走に悲鳴を上げた。脚の奥底に沈殿した乳酸が、筋肉に激痛を引き起こした。
それでも彼女たちは走った。気管支に裂けるような痛みが走り、横隔膜が痙攣を起こした。それでも彼女たちは、走り続けた。
やがて、最後尾を走るドアンナのすぐ後ろに、ザクセン兵の走る足音が、迫ってきた。
ドアンナは振り向くことができなかった。もし振り向いたら、一瞬でも減速したら、すぐにそこで追いつかれる。そうすれば、地面に転がされて、剣で刺し貫かれて自分は死ぬだろう。
彼女は、残された力を振り絞って、走った。
やがて彼女は酸欠状態に陥った。視界がぼやけて、周辺視野が暗くなった。
その時、彼女は地面に蹴躓いた。
彼女は倒れ、地面に頭から突っ込んだ。その拍子にメガネがどこかに吹き飛んでいった。
彼女は、急いで背後を振り返った。
兵士が、彼女の足元に立ち、頭上高く剣を振りかぶっていた。その鋭利な切っ先が太陽を反射し、まるで北極星の瞬きのような、硬質で冷たい光を放った。
剣が、ドアンナに向かって、振り下ろされた。彼女は腕で顔をかばい、叫び声を上げた。
彼女は目をぎゅっと閉じ、震えていた。しかし、なにも起きなかった。
彼女は、恐る恐る目を開けた。
兵士が、胸甲を矢に貫かれながら、仁王立ちで固まっていた。
その胸に開いた黒い穴から、赤い鮮血が吹き出した。
さらに多くの矢が、彼に向かって放たれた。兵士は、ハリネズミ様に、数多の矢に串刺しにされた。
兵士はやがて、その手から剣を取り落とした。そして、仁王立ちのまま、後ろ向きに倒れた。
ドアンナは、腰が抜けて動けなかった。
アンナとレイセンが、彼女の元に駆け寄り、手を握って立たせた。ドアンナは震える足で立ち上がった。
ドアンナは振り返った。
他の追手達も、矢の的となり、殺されて地面に倒れ伏していた。
アンナ「もう砦までちょっとよ!頑張って」
アンナは言った。彼女たちは、再び走り出した。砦の門前では、先にたどり着いたアマンダが手を振っていた。
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ドアンナたちが門にたどり着くと、アマンダは訊いた。
【アマンダ】「ペトラはどこ!?」
ドアンナたちは、葦の原を振り返った。
ペトラの姿は、どこにも見えなかった。囮として、今も葦の中に潜んでいるのだ。
ドアンナたちは、とりあえず砦の中に入った。
砦の中庭は、人で溢れかえっていた。
地面には、たくさんの負傷者、そして死体が寝かされていた。そのまわりを、修道女たちがあるきまわり、包帯をまくなどして応急処置をしていた。
数人の神官が、壁にもたれかかり、目を閉じて、瞑想していた。彼らは、すでに相当に力を使ったのだろう。しかし、彼らの人数に対して、あまりにけが人が多すぎる。ここは、すぐに傷病者であふれかえるに違いない。
アマンダは中庭の様子に一瞬あっけにとられたが、直ぐに気持ちを切り替えると、走って城壁の階段を登った。彼女は、胸壁に立ち並ぶ兵士たちの一番端に立ち、荷袋を解いて銃に火薬を込め直した。
ドアンナたちも、彼女の脇に立ち、葦の原を見つめた。
しばらく時間がすぎると、葦のからまりが、一箇所ガサゴソと動いた。そして、ペトラが葦の間から顔を出した。
【アマンダ】「ペトラ!」
アマンダが叫んだ。ペトラは、すぐに走り出しだ。
彼女が葦を割って出たすぐ隣の場所から、追手の兵士が出現した。彼は剣を抜き、ペトラに後ろから追いすがった。
ペトラの小さな体は俊敏ではあったが、互いに全力疾走した場合、やはり人間が走るよりも足は遅かった。ペトラは、わずかずつだが距離を詰められた。
アマンダはマスケットを構え、兵士のかなり上空に照準を合わせて、ためらうことなく放った。それは、どんな長弓の射程よりも、はるかに長い距離だった。
音速で放たれた銃弾は、空気抵抗を受けて減速しながら、ゆるやかな放物線を描いて兵士の兜の中央に吸い込まれた。
弾は兵士の頭蓋骨を砕き、兵士は、倒れ、死んだ。
ペトラは彼を置き去りにし、残りの距離を走りきった。
【老人の声】「お見事です」
突然、隣から老人の声がかけられた。アマンダたちは、声の主を振り返った。
【アマンダ】「ザハード様!」
アマンダは、彼を見て言った。ザハードの名前を聞き、アイルもまた顔を上げた。そこには、彼の村長が立っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ザハード様、なぜここにおられるのですか
様々な事情ゆえな クラスメイトもいるでな
ということ
アリア!テオ!
なんだお前たち、いたのか
ああ、いるよ
よっしゃ
これから避難民とともに東へ向かい、
ヴェリザードへ向かえ
わかりました
校長はどうするのですか
和紙はここに残って時間を稼がねばならん
わかりました
そうして、ヴェリザードへ向かった。
レイセンが残って、多々kっている最中に、 囲まれて、そしてアリアに助けられる、のほうが迫力がある