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婚約破棄と言われました。母様がブチ切れるまで、10、9...

 私が母様に付けてもらった名前はナイアーラです。

 食べ盛りの15歳で、毎日食事は5回、デザートは3回ないと足りません。


 「今日もなんか怖いな」とか、「あんな華奢な体のどこにあの量が?」なんてひそひそ声が聞こえますが、料理は美味しいのでまったく気にしていません。

 現在は公爵家の嫡男ジョゼフ様と婚約しています。


 「ナイアーラ! お前との婚約を破棄する!」


 私が食事をしていますと、ジョゼフ様の怒鳴り声が部屋に響き渡りました。

 ()()()()あって婚約してから8年ぐらいでしょうか?


 仮にも婚約者なので最初は仲良くしようとはしてみました。

 けれど、食事に誘ったら「胸焼けがしてとても食えたものじゃない」と暴言を吐かれ、12歳の時に刺繍して渡したハンカチが目の前で踏みつけられてからは、なにもしないことにしました。


 気にするだけムダです。

 私は料理が美味しければそれでいいのです。

 


 「食事中です。あとにしてください」

 

 今回はアルー牛のステーキですね。

 口の中で溶けると、肉の仄かな香りとソースの香りが鼻を突き抜けます。


 「...おい、聞いてるのか!? 婚約破棄だ、破棄! お前のような、無愛想で可愛げがなくて食ってばかりの平民の女なんか、こっちから願い下げなんだ! 俺はこの愛らしく、それなりの家格もあるアメリアと新たに婚約を結ぶ!」


 せっかく余韻に浸っていたのに、ジョゼフ様がうるさいです。

 悪かったですね。無愛想で可愛げがなくて。

 そもそも、公爵様がただの平民との婚約を結ばせるわけないじゃないですか。


 勝ち誇った表情をしているアメリア様は、髪の色はピーチで、瞳はマスカットといったところでしょうか?...食べたくなってきたので、今度のデザートに使ってもらえるよう、頼んでみましょう。


 「...あ」


 さあもう一口というところで、ジョゼフ様の後ろで仁王立ちしている女性にギョッとしました。

 

 「...母様?」

 「は?」


 ジョゼフ様が後ろを振り返ったその瞬間、女性は巨大な竜へと姿を変え、お邸が崩壊してしまいました。


 『きさまああああ!!』

 

 鱗と瞳はトマトのように真っ赤で、角と爪はイカ墨のように黒いこの竜こそ私の母様です。


 もともと、私はただの捨て子でした。

 森を彷徨い、餓死の一歩手前だった私を拾ったのが、たまたま上を通りかかった母様でした。

 母様に血を与えられ、竜の愛し子となったことで私は一命を取り留めたのです。

 瞳は母様と同じ真っ赤に染まり、膨大な魔力を得ました。

 

 しばらくは母様の傍で暮らしていた私のもとにやって来たのが、この辺りの領主である公爵様...ジョゼフ様のお父様でした。


 王家に内緒で竜の力を手に入れたかった公爵様は、私を人として育てたかった母様を言いくるめ、私と息子であるジョゼフ様との婚約を結ばせました。

 私は公爵様の野心に気づいていましたが、いろんな料理を食べさせてくれるのでまあいいかと思ったのです。


 領では様々な野菜、果物、肉、乳製品、小麦が作られます。

 港からは豊富な海産物が獲れ、異国の食材やレシピなんかも届きます。

 それらがお邸に運ばれ、数人の腕利きのシェフやパティシエが日ごとに腕を振るい、私の舌を楽しませてくれる日々は、ジョゼフ様に酷い言葉を投げつけられるだけの価値がありました。

 時々(長生きの竜らしく、年に一回ぐらい)様子を見にやって来る母様には不仲なのを黙っていたのですが、こんな形で知られてしまうとは...。


 母様の瞳はただでさえ真っ赤なのに、今回はさらに怒りの炎が燃えあがっています。


 『わらわの愛しいナイアーラがいるにもかかわらず、そこの小娘に現を抜かすとはなにごとじゃ!?』

 「あ、う...」


 ジョゼフ様たちはそのまま気を失ってしまい、服にはじんわりと黄色い染みが広がっています。

 騒ぎを聞いて駆けつけた公爵様は、ブルーベリーのように真っ青な顔で母様に必死で弁明しているようです。


 「申し訳ございません! 愚息は廃嫡させます! 下の息子にはこのようなことが起きないよう、今度こそ言い聞かせますので...」

 『ええい! きさまの言うよい縁談とやらはもう信用できぬ!』


 母様が忌々しげに尻尾を叩きつけると周辺では地震が発生しました。...安心してください。一人一人(ついでに料理)に防御壁を張っておいたので、怪我人はゼロです。

 

 料理を食べ終えたころ、母様がこちらをギロリと睨みました。

 

 『ナイアーラ、なぜわらわに黙っていた!?』

 「母様が怒るからじゃないですか。私は別に美味しい料理が食べられるのならそれでいいです」

 『ダメに決まっておろうがあああ!!!』


 そんなこと言われましても...。

 一度死にかけたからか、母様の血を受け入れたからか、私は人間らしい感情が欠けているようです。

 婚約者であるジョゼフ様を見ても、そもそも人を見てもなんとも思わないのです。

 美味しい料理が食べられるのなら、私は愛人でも白い結婚でも、どこかの後妻でも別にかまわないのですが...。


 『わらわはそなたに幸せになってほしいだけなのじゃ! なのに、そなたはどうしてこう、食い意地ばかり...』

 「母様...」


 床に突っ伏しておいおい泣く母様に、私は申し訳ない気持ちになりました。

 

 『......こうなれば...ナイアーラ、料理の中でそなたが一番好きなのはなんじゃ!?」

 「ええと...」


 私がさっき食べていたステーキも好きです。今朝食べたスクランブルエッグも好きです。昨日のクリームシチューも好きです。ガトーショコラも、季節のジャムで食べるスコーンも...あれもこれも、どれも大好きです。一番なんて決められません。


 『......なら...なら、毎日食べたいと思えるのはなんじゃ!?』

 「毎日、ですか?...クロムが作った、りんごのタルトでしょうか?」

 『それじゃ!!!』


 そう叫ぶや否や、母様は私を掴んでお邸から飛び出しました。

 ちなみにクロムは、母様の寝床がある山の麓の町の住人です。

 

  ◇◇◇


 あれは私が公爵様に引き取られる前のことです。

 お腹が空いた私は、いつものように一人で町に降りていました。

 

 ところが、私は母様からもらったお金をどこかに落としてしまいました。

 食べ物はお金がないと手に入りません。

 

 お腹が空くのは嫌です。

 母様に拾われる前の、辛い思い出が蘇ってきます。

 親に殴られ、ご飯抜きにされ、腐った残飯でひたすら空腹を(しの)いでいたあのころのことを。


 悲しくて私が泣いていると、一人の少年が練習がてら作ったりんごのタルトを食べさせてくれました。

 それが、当時13歳だったパティシエ見習いのクロムとの出会いでした。


 はっきり言って、タルトは売り物のほうが美味しかったです。

 それでもなぜか、私はまた明日も食べたいとクロムにお願いしていました。


 次の日から、私は山に帰る前にクロムのもとに向かうようになりました。

 そのたびに、クロムはりんごの、旬じゃないときは別の果物のタルトを作って出迎えてくれました。

 お金を渡したこともありましたが、練習で作っただけだからとクロムはお金を受け取ることはありませんでした。

 

 公爵様のお邸に行く前の日、クロムはちょうど旬だったりんごのタルトを3ホールも作ってくれました。

 最初のころに比べるとすごく美味しくなっていました。

 

 一度だけ、お邸のパティシエがりんごのタルトを作ってくれたことがありました。

 ですが、食べ終えた私はなんだか悲しい気持ちになり、それ以来りんごのタルトだけは食べていません。

 

 ◇◇◇


 「そなたに恋人はいるか! 想い人はいるか! いるのか!? いないのか!?」

 「母様、落ち着いてください!」


 人化して詰め寄る母様に、クロムはりんごのタルトを持ったまま固まっていました。

 今回の件について、クロムになんて説明しましょうか。...それにしても、美味しそうですね。


 「......ナイア、久しぶり、だね。...食べる?」

 「食べます!!」



 あのあと、竜の愛し子の秘匿および軟禁の罪により、公爵様は前よりも小さい邸に蟄居させられました。...私は別に閉じ込められていません。お邸から出ないようにと頼まれただけです。

 家督は次男が継ぐことになり、ジョゼフ様はアメリア様の家に婿入りとなりました。


 王家も公爵様と同じことを考えたそうで、私と王太子との婚約の話が出たこともありましたが、母様が「そんなことをしたら城を壊す」と言ったらそれもなくなりました。

 そもそも、母様が私に与えた血はほんのわずかで、子供に遺伝するほどの量ではありません。

 

 表情筋が死んでいるせいかほぼ無表情な私ですが、クロム曰く、美味しい料理を食べている私はとっても可愛いそうです。...食事が不要な母様は仕方がないとして、そんなこと誰にも言われたことはなかったです。

 クロムは私のために一生懸命料理を作ってくれます。

 料理はお邸のほうが美味しいです。ですが...。


 「クロム、まだですか?」

 「お父さん、早くー」

 「もうすぐだから待ちなさい」


 夕食後にりんごのタルトをクロムや子どもたちと食べる時間が、あのころよりも幸せだと感じるのはどうしてでしょう?

補足


・ナイアーラ 


 本人は気づいていないが、たくさん食べるのは愛情への飢えを紛らわすため(母様なりには注いでいたが、竜なので若干のズレがある)なので、お邸に来てからはさらに食べる量が増えた。

 クロムと結婚してからは、食事の量はだいぶ落ち着いていったもよう。

 妻の義務として家事を学び、今ではお菓子作り以外ならクロムよりも上手。

 クロムが付けた「ナイア」という愛称が割と気に入っている。

 最終的には5人の子宝に恵まれる。

・クロム


 自分のお菓子を毎日食べに来てくれるナイアーラのことが好きだった。

 婚約が決まってお別れになる話を聞いた時はこっそり泣いた。

 本業はパティシエだが、他の料理もそれなりに上手。

 

・公爵


 古くなって抜け落ちた母様の鱗を、密売して稼いだりもしてた。

 息子が余計なことを話さないよう、黙っていたことが裏目にでる。

 策士策に溺れる。


・ジョゼフ


 突然、どこの馬の骨かもわからない女が婚約者になり、一緒に暮らすことになったのが気に入らなかった。

 ある意味被害者。

 婿入り先では意外と上手くやれているそう。

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