この世界のほろびのうた
近々、この世界は滅ぶらしい。
ポーションの瓶に映った冴えない顔した、かろうじて若いとわかる男の顔を見てため息をつく。
自分の顔だ。
だがこの街と同じく、草臥きっているのだ。
かつて整っていた石畳はガタガタ。店や屋台は撤収するか、無人で放置され風に晒されている。勇者がこの広場を凱旋したことなんて誰も信じないだろう。
この世界は終わる。ただそれだけのことだ。
ここはかつて彼方の世界の者達が何百何千と溢れ、活気付くがあって賑やかな街だった。
俺もうちの自慢の魔力を回復する食い物を声を張りながら売っていたことが懐かしい。
この前まで、金が足りないと嘆いていた新人が、暫くしてどかっとアイテムを大量に購入していくのを見ると自分のことのように嬉しいものだった。
しかし、年を追うごとに人影は消えて行った。
最初は見知った旅人の顔が消えても、新しい顔がどんどん入ってきた。
だが、時が経つにつれ彼方からの来訪者は少なくなっていく。
数十人単で、何百、何千と来訪者が減っていくにつれてこの世界は虫食いの本みたいに不便で、見ていると気持ちが寂しくなる。
穴から傷が広がり、そこから何かが落ちていくかのように色々なものが抜け落ちていく。
嘆く声は各地から上がったが、それすら崩れゆくように消えていく。
家がなくなりギルドがなくなり、精霊や妖精が居なくなる。
やがて国が地図から消えていき、地図すらなくなった。
目に見えるものも全てに手入れがされなくなり急速に朽ちていった。
もう見かける人の形をしたものは少ない。
エルフやら精霊やら妖精やら魔族やら、それらが一等先に見えなくなっていった。
比較的人間は残りやすかったが、ここまで終わりが近いなら種族の比較なんて意味がなくなってきた。
俺もいずれ消えるだろう。
だが、嘆くまい。嘆く時間はとうに終わってしまったのだ。
これほど明らかな終わりの予感を見せつけられれば、諦めるしかないのだ。
この世界はここまで、何せ物語は終わったのだから。
勇者が負け、魔王も死に、神も死に、魔法使いが死に、人間を含めた多くの生き物が死んで絶えるとはこういうことなのだ。
暗い思考に気持ちが沈んでいく。
じわじわと体と精神の輪郭が溶けるような気配を感じたが、もう珍しくもなかったので自らを顧みることもなかった。
ふと、耳に届く旋律がある。
……いつの間にやら、夕方のようだ。
この広場には仕掛け時計がある。決まった時間に音楽を鳴らして1日の流れを教えてくれる。
もう消えたこの国の王様が権威を持って作らせた仕掛け時計だ。
ほとんど普通の時計と役割は変わらないが、一つ特色を挙げるならその中身だろう。
その中には、アーティファクト、古代遺物があるのだ。
美しい少女を模した外見の自動人形が眠り、時々歌う。簡単にいえばからくり時計だが通常の時計と違い様々な魔術が掛けられている。
その自動人形、どうにも扱いに困るものだったようで、終の住処として王家に提供された様だ。
言ってしまえば厄介払いだが、そこには金がかなりかかっていた。
からくり時計の中には何十にも術が張り巡らされ、その人形の歌う呪いの歌を無害なものにしているそうだが、その術いくつかで領地が買えると聞いて驚いたのは懐かしい話だ。
作られて間もない頃は批判もあったようだ。
だが、今ではむしろ感謝しかない。
もう世界は時間すら正確に刻むのをやめ始めているが、必ず彼女は歌ってくれる。
彼女は必ず、かつての時間通りどこの国とも知らぬ歌を歌うのだ。
それだけが滅びる世界の唯一の時間。
自動人形の姿を見たものは発狂するらしく、彼女は時計から出てこない。
だが、透明な声は街をふるわせ天を揺らす。
家屋に残った僅かな人々もこの時ばかりは広場に集まる。
彼女は、魔王由来の品。
何百何千と人を呪い、狂わせた最悪の過去の遺物。
だが、今ここでは唯一の光だった。
俺は店の椅子に座って目を瞑る。
今日の曲はこの国ではない、どこかの国の子守唄だった。
この国の流行りの歌から、誰も知らない国の歌まで、彼女は歌うことが出来る。
最近は可愛らしい赤ん坊を宥める歌、所謂子守唄ばかりだ。
ああ、きっと。
もうすぐ全てが終わるのだと、気づく。
どこからともなく小さな祈る声が響く。
絶望はなかった。
そっと店じまいの準備を始める。
もし消えていなければ、明日もここに来ようと思う。
俺は、目を開けて空を見る。
屋台の屋根に空いた穴から見える空は曇っている。
だが、あの雲の上は空のはず。
俺は笑う。
なぜならこの世界の終わりは、優しい。
穏やかな子守唄のような終わりだからだ。