事件
「きゃあっ!ちょっと、どういうことですの?」
そのとき、大広間に女性の声が響き渡った。その金切り声は、室内に流れる王宮付きの楽団のしらべや人々の雑談の声をも上回り、それらを中断させるのに充分だった。
「あなた、どうしてくれるの?このドレスも装飾品も、あなたが一生働いたってまかなえないほど高価なものなのよ」
この金切り声には聞き覚えがある。
耳が痛くなるほどの金切り声を上げられるのは、貴族令嬢の中でも一人しかいない。
王太子殿下に失礼を詫びてから、その騒動の方へ向かった。
何が起こったのか、すぐにわかった。
メイドの一人が、侯爵令嬢のテレズ・ドーファンに飲み物をぶちまけたらしい。しかも、トレイに抱えている葡萄酒の入ったグラス全部をぶちまけたのだろう。
彼女の真っ白なドレスと、豊満な胸元にぶら下がっているネックレスが真っ赤に染まってしまっている。
その横では、このパーティーの主役であるオレール・リスナール第一王子が、腕組みをしてカッコつけて立っている。
その白い正装にも、返り血みたいに葡萄酒のシミが点々と出来ている。
そして、ピッカピカに磨き上げられている大理石の床の上には、幾つあったのかわからないほど大量のワイングラスが無残に砕け散っている。
よりにもよってテレズに粗相をしてしまうなんて……。
彼女は、第一王子の婚約者候補の一人である。
それが決まったとき、彼女はある貴族子息との婚約破棄のことでもめにもめていた。
彼女曰く、それが理由で第一候補になれなかったらしい。
だから、彼女のわたしに対するいやがらせやいびりは、想像を絶するものがある。
その彼女にすれば、いまが最高のチャンスのはず。
「いいわ。下がりなさい。あなたでは話にならないから。だれか、メイド長を呼びなさい」
ほら、きたわよ。彼女の標的は、最初からわたしだったわけね。
ここは王宮なのに、彼女はわが屋敷のように振る舞っている。
あらかた、自分が正妃にでもなったつもりでいるんでしょう。
失態をしたメイドとすれ違った。
視線が合った。わたしよりも二十歳以上も年長で、グラスをぶちまけるなどという失態を犯すなど考えられない人である。
彼女の口角が上がった。
なるほど。
テレズ・ドーファンにお金で雇われたのか、それとも利害が一致したのか、とにかくグルなわけね。
これで、わたしはクビかしら?
お母様をはじめ、先達たちに申し訳が立たない。
「ちょっと、メイド長。どうしてくれるの?あなたの采配なのでしょう?あなたの指導が行き届いていないから、こんな初歩的なミスが起こるのよ。今夜という大切な日が台無しよ。ほかのゲストの方々も、いい迷惑だわ」
それはそうでしょうね。わたしは、他人をおとしめるためにグラスを誰かにぶちまけるなんていう、指導はしたことがない。そんな愚かなことを思いつくだけの思考力もない。
そんなことより、一刻もはやくドレスをどうにかすれば?
ここにいらっしゃるほとんどのゲストが、これが茶番だということを知っている。
なにせほとんどのゲストが、あなたが婚約者第一候補になりたがっていることを知っているのだから。
くどくどと続く嫌味と非難を右から左に流しつつ、ふと隣国の王太子のことが気になった。
こんな事件が準備されていたのだったら、いっそあのまま部屋にひきとっていただいたのに。
申し訳ないことをしてしまった。
「申し訳ございません」
茶番だと知っていても、メイド長としては謝罪しなければならない。
「謝ってすむことではないわ。ドレスだって使い物にならなくなってしまったし、なにより「ドラゴンの泪」がだめになってしまった。これは、王太子殿下からいただいた貴重な石なのよ。弁償してもらわなきゃ。もっとも、小間使いのあなたにできるわけないでしょうけど。だって、デジール家って、上流階級の下働きで生きてきているんですものね。そんなあなたが、王太子殿下の婚約者候補になるだなんて……。下働きは下働きらしく、わたしたちにこき使われればいいのよ。あなたのお母様だって下働きでしたものね。価値の低い存在だわ。それで伯爵家なんですから、驚きでしかない」
一瞬、怒りで口から言葉が出そうになった。
たしかに、デジール家はメイドをまとめる役をあたえられている。
でも、お母様がそうであったように、わたしもメイドやメイド長という務めに誇りを持っている。栄誉だと感じている。
メイドをバカにされる謂れはない。
メイドがいなければ、あなたはその立派な金色の巻き毛がごちゃごちゃのまま、ここにいることになっていたのよ。
自分自身のことを悪く言われるのはかまわない。だけど、お母様やデジール家そのもののことは言われたくない。




