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短編・童話集

真理子の言葉――幸運の女神――

 伊藤真理子は、わたしこと北村友美の親友で、校内では『幸運の女神』と呼ばれている。

 真理子は少々おせっかいな女の子で、そうしてわたしはその真理子から、頼まれると断れない女の子だ。

 ちょっと複雑な関係じゃない?

 いや、そうでもないか。


 その日の放課後、真理子はいつも通り、「ねえねえ、真理子ちゃん」とクラスメイトに手招きされ、教室を出て行った。

 そうして廊下へ出る扉を開きながら、ちらりとわたしへ視線を向けた。


 これは、いつもどおりのメッセージ。

 要するに、待ってて、ということだ。

 わたしは関係ないのになあ、とため息をつきながら、机の中に入れてあった文庫本を取り出した。


 十数分後、真理子は沈んだ顔をして教室へ帰ってきた。

 わたしは読んでいたメーテルリンクの『青い鳥』を閉じ、そばに置かれていた真理子とわたしのかばんを持って立ち上がった。

 ひょいっと真理子にかばんを投げると、彼女は眉をひそめながらわたしへ言った。


「どうしよう、友美」


「知らないよ」


 何かを聞くまでもなく、わたしはそう答えた。



   ※※※



 話を聞いて、まあ、予想どおり、やっぱりそんなことはわたしたちには何の関係もないと思った。

 夕闇が迫る校庭を進み、校門を抜けたところでわたしは言った。


「なんで人の恋路に真理子が立ち入らないといけないのさ」


「そういわれても……」


 といいつつ、実際には自分でもそう思っているらしく、苦笑いを浮かべながら頭をかいた。


「だけど、手助けは出来そうだなって。そう考えれば、悪いことでもないでしょ」


「悪いよ。女神様に頼らないとダメなんて考える人任せなやつが、好きな人と付き合えるわけない」


「きっかけになってあげればいいってだけなんだけど……」


 そういって真理子はじっとわたしを見る。

 わたしは大げさにため息をついてみせた。


「わかってるよ。手伝うから、わたしにその、『お願い』なんかしないでよね」


「いつもありがと、友美。すごく助かる」


 真理子からの感謝の言葉には、何の悪意もない。

 それがわたしにとっての救いだ。

 真理子という友人はいいやつだから、困っていれば助けてあげる。

 それだけのことだ。

 『お願い』なんか、されてたまるか。


「でもさ、それって本当にただのきっかけづくりなんだよね。それだけだよね」


「もちろん」


 真理子はそう言ってうなずいた。



   ※※※



 幸いにしてわたしは顔が広い。

 あの真理子の友達ということで、校内にはわたしを知っている人も多い。


 わたしはその日のうちに、情報収集をはじめた。

 内容はなるべく公にしないようにしつつ、依頼者と依頼対象の情報を、人づてに集めるのだ。

 主にスマホのアプリで。

 五人ぐらいと同時並行で、メッセージを送信したり返信したり受信したりするので、結構忙しい。

 だけども、一定の成果はあった。


 いま真理子に相談を持ちかけているのは藤沢真奈美という女子生徒だった。

 クラスメイトではないが、同級生だ。

 ソフトボール部に所属しており、ポジションはまだ得ていない。

 外野の球拾いばかりやっている、小柄で内気な二年生。

 顔は十人並み。

 なんていう表現はわたしのフィルターを通しているため、少し手厳しいかもしれない。

 だいたいわたしは、真理子に相談をしてくる人たちが好きではない。

 いや、正直にいえば、嫌いだ。


 その藤沢の希望は、『とある男子と親交を深めたい』というものだった。

 その男子とは、工藤和人という三年生。

 サッカー部。

 ポジションはフォワード。

 大柄で、イケメンといえばイケメン。

 そうして恋人はいない。

 誰か彼女でもいれば、さっさと手を引いた方がいいと、真理子を通じて藤沢に伝えるつもりだったのに。


 まあ、調べた限りではそんな感じ。


「フォワードって、どこのポジション?」


 真理子がそう、無邪気な顔をして聞いてきたのは、彼女から手伝いを依頼された、翌日の夕方のことだった

 説明するのが面倒だったので、わたしは校庭を指差した。


 校舎の前に広がる校庭では、サッカー部がグラウンドの半分を使って練習をしている。

 二つ並んだサッカーゴールの、一方のそばに工藤はいた。

 紅白戦らしきことを行っているらしい。

 飛んできたボールを胸で受け、ゴールへ向かってけりこんだ。

 惜しくもゴールポストを外れ、白と黒のボールはグラウンドを転々と進んでいく。


 グラウンドの残りの部分では、野球部がその大半を使用しており、遠くでは陸上部がダッシュをしていて、そのまた隅の方で、勢力の弱いソフトボール部がノックをしている。

 藤沢真奈美は、ノックの現場のはるか後ろの方で、それてくる球を集める役目を受け持っていた。

 そして工藤が蹴ったサッカーボールは、転々と転がりながら、彼女の方へ近づいていく。


 他にも何人かソフトボール部はいたが、藤沢が一番早く気が付いた。

 すぐに駆け寄り、サッカーボールを拾い上げる。

 おそらく彼女の期待には反していただろう、

 サッカーボールを取りに来たのは、紅白戦に参加していなかった一年生らしき小柄な生徒だった。


「たぶん、あんな風なきっかけがあって、工藤のことを知ったんだろうね」


 わたしはそう感想を述べた。

 何しろあの二人には他に接点がない。

 住んでいる地区も違えば、通学の方法だって違う。

 藤沢は自転車で、工藤は電車だ。

 委員会活動にも接点らしきものはなく、登校・下校時間にも大幅なずれがある。


「なるほどね……」


 真理子は何か意味ありげにつぶやいて、あごに右手をあてた。

 真理子がよくやる、何か考えています、というポーズだった。

 そうして、しばらくそんなそぶりを続けた後、再びわたしにたずねてきた。


「それで?」


「わたしが知ってるのはそこまでだけど。ていうか、それ以上深く調べる気もないけど」


「ねえ友美、どうしたらいいと思う?」


「知らないよ。たまには真理子が考えなよ」


 真理子は少し真面目そうな表情を作り、またしてもあごに手を当てた。


「あごに手を当てることが考えることだと思ってない?」


「その可能性は否定できないかな。何しろ、何にも思い浮かばないもの……」


 真理子は今度、額に手を当てた。

 そっちも、真理子がよくやる馴染みの動作だ。

 困ったなあ、というサインだった。



   ※※※



 しばらく観察を続けても、藤沢と工藤はただ部活を続けるだけだった。

 そしてその部活中には、ほとんど自由時間はなさそうだった。

 藤沢からの一方的な恋心とはとはいえ、彼ら二人が顔を合わせる時間なのだから、何か自然と仲良くなるきっかけというものが作り出せるかと思っていたのだけれど、なかなかどうして難しそうだ。


 私たちはとりあえず学校を出て、帰路についた。

 あとでまた電話する、と別れ際に真理子が言った。


 電話が来たのは午後七時半で、それに備えてわたしはお風呂を済ませていた。


「ねえ友美、私は少し考えてみたんだけど」


「あごに手を当てるだけじゃなく?」


「まあね。自分の身に置き換えてみて、どうなったらうれしいかなって想定してみたの」


 わたしは真理子のその言葉の意味を考える。

 『想定』をする、というからには、真理子には実際の恋愛経験がほとんどないはずだった。

 真理子は、高校に入ってわたしと知り合うまでは、引っ込み思案だったらしい。

 おどおどしていて、滅多に自分から発言したことがなかったそうだ。

 本人から聞いたことはないけれど、それはたぶん、彼女の持つ力と大きく関わりがあるはずだ。

 そうわたしは推測していた。


「ねえ、友美? 聞いてる?」


「ごめん、ちょっと考えごとしてた。それで?」


「やっぱり、工藤くんの方から声をかけてもらえた方がうれしいと思うんだよね。自分から声をかけて、あっさりと受け入れてもらえるのもいいけど、女の子としてはやっぱり、求めてもらいたいというか」


「工藤はやっぱり、藤沢のことを知らないのかな」


 口に出してから、考える。

 たぶんそうだろう。

 いや、どうだろう。

 調べておきたい事柄ではあったけれど、調べるあてがない。


「藤沢さんから相談されたときには、工藤くんと話をしたことはないっていってたよ」


 だろうな、とわたしは思っていた。


「じゃあその展開は、ダメ。工藤の方でも藤沢を気にしていることが確認できない限り、工藤から話しかけさせるのは許可しません」


 本当はわたしが許可するとかしないとか、そんなこと関係はないのだけれど。

 しかし真理子は非難するような声をあげた。


「えーっ、どうして?」


「だってさ、いまの状態で工藤が藤沢に声をかけることって、どれほどありえることだと思う? まともに話したことがない見ず知らずの男が、真理子に話しかけてきたらどう思う?」


「気になってる人だったらうれしいけど」


「ごめん、そもそも真理子はそのシチュエーションがいいと思ってたから、提案してたんだったね。……じゃあさ、逆に、工藤の立場になって考えてみて。真理子が見ず知らずの相手に、例えば街角で出会うその辺の男子に、興味もないのに声をかけさせられるとしたら、どう?」


「だとすると、それは……あんまりよくないね」


「わかってくれたのなら、いい」


 そう言いつつ、真理子が聞き分けのいい子で本当によかったと思う。

 もしも彼女が、悪人だったら。

 悪人とまではいかなくても、無理やりにでも自分の意思を通そうとする人間だったら。

 もしそうなら、今は電話だからいいとしても、明日、彼女と直接顔を合わせれば、わたしも、真理子の考えに従わせられてしまう。

 それもこっちの知らないうちに。


 だけど真理子は、悪人じゃない。

 だから、むやみやたらに自分の力を使わない。

 悪用もしない。

 それは間違いなく、とてもいいことだ。

 少々おせっかいなのはともかくとして。


「じゃあ、どうしよう。ねえ、電話だからお願いしてもいいでしょ。友美、お願い。いい方法を考えて」


「思いつかないし、そんなあいまいなお願いには応じようがないかな」


「どうしたらいいのかな……」


 真理子は少しの間黙り込んだ。

 その静かな時間に、わたしもまあ、義理で考えこんでみた。


 わたしだったら、どんな出会いがいいだろう?

 今のところわたしは、真理子と同じく、恋愛経験が豊富ではない。

 だから、思いつくシチュエーションは、ドラマとかマンガとか、そういうフィクションからの引用に近いものになる。


 そこから導き出されるわたしの理想は、相手は普通にクラスメイトか何かで、日常的に話す関係がいい。

 だから、今の藤沢と工藤にはまったく応用できない。

 一方、真理子の理想は、気になる相手だとすれば、突然向こうから話しかけてもらっても構わないそうだ。

 でもそれは、工藤が藤沢のことを知らない現状では無理がある。

 やってはいけないことだ、とわたしは思う。


 藤沢が工藤にサッカーボールを拾ってあげることからはじまった、一方的で貧弱な関係。

 藤沢から工藤に話しかければいいのだけれども、それができないから、真理子に相談に来ている。


 立場を入れ替えたらどうなるだろう。

 わたしはそんなことを考える。

 工藤がもし、飛んできたソフトボールを拾ったなら。

 それなら、それを受け取りに行くのは、たぶん藤沢だ。

 だけど、二人が話すきっかけとしては、それじゃあ弱い。

 もう少し、何かこう、アクシデントがあれば。

 そうしてわたしにふと、ちょっとした思いつきが生まれた。


「ねえちょっと、一つのアイデアとして聞いてみてくれない?」


「何か思いついたの?」


 真理子が明るい声をあげる。


「まあね。だけど結局は……藤沢が自分の力でどうにかするしかない、っていう話なんだけどさ」



   ※※※



 そのアイデアの準備をするのには、少し時間が必要だった。

 まず、ノッカーであるソフトボール部の顧問の先生。

 次にサッカー部の監督と部員。

 それからもちろん、工藤本人。

 みんなに、接触する必要があった。


 ソフトボール部の顧問は、わたしの世界史の教師でもあった。

 成績優秀なわたしが、真理子と共に質問に行くという形でそれは達成された。


 次いでサッカー部には、真理子のネームバリューを生かして、応援をさせてもらうという形で、みんなの前で話をさせてもらった。


「ええっと、そんなわけで、今度試合が控えているそうなので、みなさんがんばってください。勝てるんだろうと、期待しています」


 『お願い』さえしなければ、真理子の言葉は無害なものだ。

 そうして続けて、真理子はサッカー部のみんなに向けて『お願い』をした。

 それは聞いた直後に忘れ去られる性質を持っている。


 工藤はメインのフォワードだということで、直接話をする機会をもらった。

 がんばってくださいと真理子がいい、うん、がんばるよと工藤が一通りの返事をしたところで、真理子は工藤にお願いをした。


「ところで、『お願い』があるんですけれど。明日の午後四時三十分に、あなたは東のゴールの、南側のポストのそばに立っていてください。ゴールポストの外側のところに手をつけて、動かないでいてください。決して、動いてはいけません。どこかへ行こうとか、ジャンプをしようとかなんて、考えてもいけませんよ」


 普段より強い意思のこもった表情で、じっと工藤を見つめながら、真理子はそう言った。

 工藤はうんうんと、うなずきを返していたけれど、何を言われているのかは理解できていないようだった。


 やがて工藤はうなずきを終えると、それまで言われていた言葉とまったく関係なく返事をした。


「それじゃ、応援ありがとう。伊藤さんは本当に『幸運の女神』だって言うからな」


「そうですか。それは、まあ、ありがとうございます」


 工藤が行ってしまった後、わたしは嫌味をこめた口調で真理子に言った。


「神様扱いされるのも大変ね。ま、自業自得だけど」


「神様じゃなくて、女神様だよ」


 口をとがらせながらも、別段文句を言うようなトーンでもなく、真理子はそんなことを言った。

 実際、神様に近いところもあるかもしれない、とわたしはそんなことを思った。



  ※※※



 その翌日の放課後に、真理子は藤沢を呼び出した。

 彼女たちが話をした現場にわたしは居合わせなかった。

 ただ、真理子は打ち合わせ通りにやったらしい。


「工藤くんに何かよくないことが起こるかもっていったら、藤沢さん、青ざめてた。何しろ『幸運の女神』がそんなことを言うんだから、本当に心配になったんだと思う」


「それから?」


「どうしたらいいでしょうかって聞いてきた」


「そんなときまで神頼みなわけ? わたしやっぱり、そういう子、嫌い」


 まあ、この学校における真理子のウワサを考えると、わからないでもないけれど。

 わたしの発言に、困ったように首をかしげた後、真理子は続けた。


「だから、守ってあげなさいっていっておいた」


「『お願い』したわけじゃないんでしょう? そこ、大事なところだからね」


「うん、わかってる」


 そうして今、カチ、と音を立てて時計が動いた。

 教室の時計は、午後四時半に近づきつつある。


「ちゃんと紅白戦、やってるね」


 何の気もなく、わたしはそう言った。

 言ってから、紅白戦の開催そのものが、サッカー部の元々の練習に悪影響を与えていないか気になった。

 何しろそれは、真理子の言葉のせいなのだ。


 真理子の言葉。

 その『お願い』。

 サッカー部へ向けた、『わたしからのお願いです。明日の午後四時二十分から、紅白戦をはじめてください』という言葉。

 そうして、工藤は必ず紅白戦へ、フォワードとして参加するように。

 真理子はそう、『お願い』をしていた。


 工藤はこの前と同様に、フォワードとして最前線に位置しており、駆け回っていた。

 彼はいつもあのポジションなのだろうか?

 フォワードとひとくちにいっても、様々な位置取りがある。

 もしかすると、彼があそこにいるのは、すごく妙なことなのでは?

 真理子の言葉の影響は、どこまで及んでいるのだろう? 

 でもそれは、わたしには決してわからない。

 真理子自身にもわからない。


 なぜ真理子の言葉、『お願い』というキーワードが人の意思や行動に影響を与えるのかもわからない。

 暗示の一種なのかもしれない。

 でもそれは、通常考えられる暗示の範囲を大きく超えている。

 人の行動を規定し、操り、本来不可能なことまで可能にするその言葉。

 彼女が面と向かって、相手に『お願い』したその事柄は、それがその人の限界をはるかに超えていない限り、ほとんどなんでも、その言葉の通りに成し遂げられてしまう。


 ソフトボール部はすでにノックをはじめている。

 『お願い』したとおり、ノッカーはちゃんと顧問の先生がやっており、そして藤沢はまた球拾いをやっている。

 彼女はしきりに振り返っている。

 きっと、工藤に何か、よくないことが起きないように、確認をしている。

 もし何か起こっても、守ってあげられるように。


 藤沢が球拾いをしているのは、顧問の先生に『お願い』をしたことでもある。

 でも藤沢が工藤を気にしているのは、『お願い』をしたせいじゃない。

 つまり、本当に自発的な行動だということだ。


 わたしはふと気になったことを真理子に言ってみた。


「藤沢ってさ」


「んー?」


「足早いのかな」


 いま藤沢が位置しているところから、工藤が攻めているゴールまでは結構な距離がある。

 もしかすると、そこは調整すべきだったかもしれない。

 だけどわたしたちにも限界はある。

 真理子の言葉があったところで、なんでもかんでも、うまく事を運べるわけじゃない。


「うまくいかなかったらどうしよう」


 真理子が不安げな声を出す。


「そうなっても仕方がないよ」


 別段、そもそもが、わたしたちには何の関係のない話だし。


 午後四時半に近づきつつある教室にはもう、生徒たちはあまり残っていない。

 真理子に相談をかけてくる生徒も、今日はいなかった。

 例えいたところで、今日は断っていたはずだけれど。


 いつからだろう?

 真理子へ心配事を相談すると、なんでもうまくいくようになるというウワサが広まったのは。

 でもそれは、無責任なウワサでしかない。

 そうして人は無邪気に真理子に頼みごとをはじめ、何かがうまくいった後にはお礼を言いに来る。

 ただの偶然だと思っているのか、それとも本当に真理子を『幸運の女神』だと思っているのか、内心はわからない。


 わたしはそれを歯がゆく思うし、『幸運の女神』と呼ばれつつ、陰ながら人を手助けしている真理子にも、いらだちを感じることもある。

 だけどそれは真理子が望んだことでもあるのだ。

 そうしてウワサがウワサを呼んで、また真理子に、相談をもちかけてくる人が現れる。

 真理子はまた、裏で自分の力を使って、何かしてあげられないかと悩みはじめる……。


 午後四時二十九分。

 キーパーがシュートをはじき、ボールはゴールラインを割って転がっていった。

 球拾いをしていた藤沢が、サッカーボールへ向かって動きかけたが、すでに勢いを失っていたそのボールは先に、別のサッカー部員から回収された。

 そのまま、ボールはキッカーへ向けて蹴り返され、コーナーキックの体勢が整えられる。


 工藤は、真理子にお願いされた位置の付近にポジションを占めた。

 わたしは肘で真理子を小突いて言った。


「絶好の位置じゃん。コーナーキックなら、あんなところにいても不自然じゃない」


「本当に大丈夫なのかな」


 真理子は不安そうにそう答えた。


 わたしはソフトボール部の方へ目を向けた。

 改めて見ると、サッカーゴールまでは、結構な距離がある。

 顧問の先生がボールを打ち上げる瞬間、ふと考えた。

 ソフトボールってどれほど飛ぶものだろうか?

 実際の距離がどの程度かはわからないけれど、ソフトボール部が使っているホームベースから、サッカー部のゴールポストまではかなり離れている。

 ファールゾーンではあるけれど、場外ホームランぐらい飛ばさないと、わたしたちの求める場所までボールが届かないのでは。


 しかし、顧問の先生がバットを振ると、猛烈な勢いの打球が放たれた。

 問題なさそうだ、とわたしは思った。

 あるいはそれも、真理子の言葉の影響か。


 藤沢は、高く上がったその打球の方向を見た瞬間、何かに気が付いたようだ。

 誰よりも早く、サッカーゴールへ向けて走り出す。

 判断の早さからすると、たぶん藤沢の守備のセンスはいいのだろう。

 

 カチ、と教室で音が鳴る。

 その音を鳴らした時計に、わたしは目を向ける。

 ちょうど、午後四時半を指していた。


 グラウンドへ目を戻す。

 コーナーキックが蹴られる直前、工藤はゴールポストにぴったりとくっつき、そこに手をついていた。

 そして、コーナーキックのキッカーが右足を振りぬいた。

 だがそのキックのコントロールは悪かった。

 浮いてしまった球が、工藤のはるか頭上を越えていく。


 工藤はあごをあげてサッカーボールを見上げる。

 『お願い』をした通りの場所に、彼はいた。

 そうしてその目には、はるか遠くから近づきつつある、ソフトボールは映っていなかった。


 しかし、勢いよく走りこんできていた藤沢はすでに気が付いていただろう。

 このままでは何が起こるのか。

 ノッカーが放ったボールはまっすぐに、ゴールポストのそばに立つ工藤めがけて飛んでいく。


 わたしの目には、藤沢はぎりぎり間に合わないように思えた。

 若干、距離が足りない。

 ソフトボールの打球は、どんどんと高度を落としている。

 藤沢が何か大声をあげた。

 何と言っているのかはわからない。

 口が大きく開いていて、ここまでその声が届いた。


 ボールが落ちてくる。

 遠目には、どう見ても工藤へ直撃するコースで、わたしも少し心配になった。

 そんなはずはないのだけれど。

 そうして藤沢が飛びこんだ。

 もう間に合わないと思ったのだろう。

 ボールを取ろうとはしておらず、工藤へ向けて両手を開き、押し倒すように体をあずけていた。


 体格のいい工藤は、そのぐらいの衝撃では倒れもしなかったし、押し出されもしなかった。

 そうして落下してきたソフトボールは、工藤の頭部の少し上で、ゴールポストに直撃した。

 ゴン、と鈍い音が鳴り、ソフトボールはサッカーフィールドの中へと転がった。


 藤沢は、まだ何もわからない様子で、工藤を抱きしめていた。

 工藤は藤沢に腕を回したまま、戸惑った様子で、ゴールポストと、ソフトボール場の方向へと、交互に目を向けていた。

 そして珍妙な姿勢で立つ二人の周囲に、ソフトボール部とサッカー部の部員が集まりつつあった。

 その一部には、笑顔が浮かんでいるのも確認できた。


「……これって、成功なのかな」


 わたしは正直な感想を述べた。


 藤沢がうまいこと工藤を守ってボールをキャッチするか、あるいは間に合わずに、それでも工藤が驚きながらも藤沢にボールを拾ってあげるか、そのどちらかだと思っていたのに。


 もともと、工藤にはボールが当たるようにはしていなかった。

 ソフトボールは、ゴールポストの二メートル以上の高さに当てるように、顧問の先生に『お願い』していたのだ。


「まあ、……きっかけとしては、よかったのかな」


 そう言いつつ、真理子自身、あまりそう思ってはいないようだった。

 もっとロマンチックなのを期待していたのかもしれない。

 工藤を守る藤沢の見事なキャッチや、その後の見ている方でも照れくさくなる展開を期待していたのかも。

 でもそれは、あまりにも贅沢だ。

 それに、ああして最初に、みんなから笑いものになっていれば、藤沢だって何か吹っ切れるところもあるだろう。


「最善だよ、最善。そういうことにしておいて、帰ろう」


 わたしはかばんを持ち上げると、真理子の返事を待たずに教室の扉へと歩き出した。



   ※※※



 飛び込んだときに藤沢が足をくじいてしまっていた、というのは後から聞いた話だ。

 あの後で藤沢は、工藤から肩を支えてもらい、保健室へと向かった。

 そして工藤と少し話す機会があったらしい。

 終始恥ずかしがっていたそうだけれど、それでも連絡先は聞きだしたみたいだ。

 なかなかやるじゃないか、とわたしは藤沢を見直した。

 そうして二人は、今では顔を合わせると、あいさつぐらいはする仲らしい。

 工藤はどう思っているか知らないが、藤沢の好意は、きっと少しは伝わっているだろう。


 それ以上のことは、わたしも真理子も責任は持てない。

 とりわけ真理子は、責任を持ってはいけない立場だ。

 工藤の感情なんて関係なく、どうとでも『お願い』することが出来るのだから。


 藤沢は後で、真理子にお礼にやってきた。

 すでにわたしたちが知っている、例の成り行きを説明されながらも、真理子は嬉しそうにうなずいていた。

 そういうときわたしは、真理子がやっていることは正しいのかもしれない、と思ったりもする。

 そういうとき以外のわたしは、真理子はなるべくその力を使わない方がいいんだろうな、と思う。

 そうして最終的には、使いようの問題なんだと考える。

 力は力だ。

 どう使うかが問題だ。

 その力が好きか嫌いかは、まあ、さておき。


  

  ※※※



 真理子がわたしに感謝の言葉を語ったのは、その日の帰り道のことだった。


「今回もありがと、友美」


「いいよ、別に。わたしは大したことはしていないし」


「ううん。大したことをしてないのは、わたしの方だよ。わたしはただ、『お願い』をするだけだし。でも友美は違う」


 彼女はじっとわたしを見つめ、それから言葉を続けた。


「わたしのこの力が嫌いなのに、手伝ってくれてる。わたしの、ワガママみたいなものなのに」


 珍しく真剣な様子で語る真理子に、わたしは肩をすくめてみせた。

 真理子がそんなことを口にするのははじめてで、嫌いなのはやっぱり伝わってたのか、とわたしは少し驚いた。

 それから、軽い口調で彼女に言ってみる。


「真理子のワガママがその程度ですんでるのって、本当に、奇跡みたいなものだよね」


「どうして?」


「……何が、どうして?」


 わたしの問いかけに、真理子は少し眉をひそめ、それから不意に微笑んでみせた。


「だから、なんで手伝ってくれるのかな、って。別に友美に、『お願い』もしてないのに」


 そんなことを言う真理子に、わたしは、イラつきを覚える。

 だからだよ、真理子、と小さく口にする。


「え、なに?」


「そんなのがわかんないのなら、真理子なんかもう、友達じゃない」


 そう言ってわたしがそっぽを向いたその方向に、真理子があわてて、滑り込んでくる。


「いや、うん、もちろん何でだかわかってるよ」


「……答え合わせは、しないからね。何でなのか、よく、自分の頭で考えなさい」


 わたしのその言葉に、真理子は一度うなずいてみせ、それからあごに右手を当てた。

 歩きながら口をつぐみ、しばらくそうしていた彼女に、わたしはつい、微笑みかけてしまった。


「絶対、何も考えてないでしょ、真理子」


「……ああ、やっぱ、わかる?」


 そう言って、笑いかけてしまったわたしに、満面の笑顔を返してくる。

 まったく、この女神様はどこまでも能天気で、善良だ。

 わたしが真理子の力を嫌い、なのに彼女を手伝う理由なんて、そう難しいことじゃないのに。


 だってわたしは、真理子の親友だ。

 そう、わたしは『お願い』なんかされるまでもなく、自分の意思で、真理子と仲良くなることを選んだのだ。

 そしてわたしはただ、『幸運の女神』なんかじゃない、『お願い』もしない、ふつうの人間である真理子と一緒に、仲良く高校生活を過ごしていきたいだけなのだから。




  ※※※



 だけど、そんな想いはあっさりと裏切られるわけで。

 この能天気な女神様は、わたしの胸に秘めた『お願い』には、全然、気づいてくれない。


「ねえねえ、真理子ちゃん」


 そんな声が聞こえてきたのは、あれから一週間後の昼休みのことだった。

 真理子はわたしへ目を向けた。

 わたしは思いっきり、首を横に振ってみせた。

 しかし真理子はわたしに片手拝みをすると、話しかけてきた上級生らしき人たちについていった。

 それでいつものように、わたしは一人、これからどんなおせっかいがはじまるのかと、ため息をつくのだ。

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