24:この美しくも残酷な世界で
ざわざわと、風に揺らされて囁く木の葉。
苦悶で歪む人の顔を幹に張り付けた木が幾本も生えたその中心で、師は静かに佇む。その黒く大きな背中に、少年少女達はひたすらに圧倒され、そして怯えていた。
「…お師匠、あの」
一言も発することなく、背を向けたままの師に声をかけるアザミ。
だが口を開いたはいいものの、それ以上同語り掛けた者かと悩み、気まずげに目を逸らすだけに終わる。へらも同じく、困った様子で二人を交互に見やるばかりだった。
「……さて、色々と聞きたい事はあるが、それはまぁ後にする。まずは、この場で己が言っておきたいことを言っておく」
師はゆっくりと振り向き、ぎろりと二人の弟子を睨む。
鋭い、化け物じみた血のような赤い視線に、少年少女達はびくりと怯え、アザミとシェラの後ろに隠れる。
師は彼らに関心を向けることなく、おもむろに両手を掲げると、二人の弟子の脳天にゴッ、ゴッと手刀を落とした。
「半人前の未熟者が、一丁前に命を懸けるな。そういうものは、確実に生きて帰れる実力を持った者がやっていい事だ……己に助力を乞うなり、できる事はいくらでもあった筈だ。考えろ、愚か者共」
アザミとシェラは思わず肩を竦め、頭に残る痛みに俯く。
そして、冷たい血の色の眼を向ける師に、揃って頭を下げた。
「……ごめんなさい」
「…申し訳、ありません」
「よし…ならば帰るぞ」
姉妹の真剣な謝罪の態度に満足したのか、師は短くそう返すと踵を返す。
そのまま、王宮内の通路に向かって歩き出そうとする彼に気付き、アザミが慌てて追いすがった。
「あ、待った待った、お師匠待った! こ…この子達! この子達ほったらかしにしてる!」
ばっ!と必死の表情で呼び止め、後手所在なさげに立ち尽くし、怯えた視線を向けている少年少女達を指差すアザミ。シェラも同じく、子供達の後ろに回り、その姿を示す。
師は立ち止まるが、振り向く様は心底面倒臭そうで、向けられた目も弟子達に対する呆れがありありと表れていた。
「……何だ、そいつらは」
「こ…この城の地下牢に閉じ込められていた子達です。忍び込む時に見つけて……ねえ様を助ける時に、手を貸してくれて」
「こ、ここにいたら間違いなく連中に酷い目に遭わされる。助けてもらった恩も返してないのに、それじゃあんまりだよ」
「…それで? どうするつもりだ」
ぎろり、と師が子供達を睨みつけ、ぶるりと震え上がらせる。師の挙動の一つ一つが恐ろしく見える様で、先ほどから皆、青い顔で棒立ちになっていた。
師からのそんな視線を受け、アザミはつい気まずそうに目を逸らす。
反対にシェラは、突き刺さるようなその視線を受けながら、臆する様子も見せず立ちはだかっていた。
「同情で匿う気か、そんな大勢を…己の事すら満足にできん輩が、また抱え込む気か?」
「……同情じゃ、ないです」
「ほう? 己と殆ど同じ境遇にある者共を拾う行為が、同情以外の何だというのだ? 言っておくが、己は手を貸さん。以前と同じだ……何の関係もない小童に手を差し伸べるほど、己は暇ではない」
覚えのある構図に、シェラは思わず唇を噛む。
今、師に叱られている自分の姿は、かつて姉弟子が自分を拾ってくれた時と全く同じものだ。
不憫な境遇で苦しむ、自分より幼い子供が悲しむ姿に耐えられず、感情に突き動かされるまま手を差し伸べてくれたアザミと、全く同じ。
そしてその本心が、自分を救ってくれた人への憧憬からきていることも、同じだった。
浅い考えだと、自分でも思う。一度責められた姉弟子と同じく、浅慮な自分に、師は厳しい言葉をぶつけている。まったくもって正しい、ぐうの音も出ない指摘だ。
しかしそれをシェラは、黙って肯定するわけにはいかなかった。
「…私は、私達は彼らに救われました。一人では危なかった場面を、彼らの助けで脱する事ができました。それに対して…何も返さない事は、不義理なのではないでしょうか」
「…シェラ」
「私とねえ様が彼らを助けようと言ったのは、いずれ恩を返したいからです……そうしない者が、貴方の弟子を名乗っていいのでしょうか」
妹分が、ぷるぷると拳を震わせて告げる姿に、アザミや少年少女達が熱い視線を向ける。
シェラは自分に向けられる注目に酷く羞恥を覚えながら、それでも師に相対し続ける。
言葉は立派でも、為そうとしていることは師に対する甘えである。
アザミとシェラのみを連れて帰ろうとしている師に、自分達だけではどうにもならないからと、彼にとっては縁もゆかりもない子供達を連れ出させようとしている。
他力本願にもほどがある、情けない願い事である。
しかしそれでも、シェラはこの願いを取り消すわけにはいかなかった。
師は少年少女達を見つめ、何事かを考えこむ様子を見せる。
だがしばらくすると、王宮の奥の方からまたガシャガシャと騒がしい足音が聞こえだし、仮面の奥の目が細められた。
「…どうやら、問答の暇もないようだな」
「ど、どうしますか? このまま兵士達に囲まれて、余計な手間をかけられることになりますよ!」
「それで己を脅しているつもりか、馬鹿弟子が」
近付いてくる敵の音を、さも自分が読んでいたかのように語るシェラに、師は吐き捨てるように呟き、天を仰ぐ。
少しの間、上を向いたまま固まり続ける師。
やがて彼は、盛大に肩を落として踵を返し、シェラとアザミ達の方に近づいていった。
「人数が多いからな……少し、雑な運び方で行くぞ」
そう師が告げた直後。
アザミとシェラ達を、見る見るうちに巨大な影が覆い始めた。
「急げ! 我が城に侵入した不埒者共を決して逃がすな!」
「亜人のクソガキ共など、一太刀で殺してしまえ!」
研ぎ澄ませた刃と、固い鎧で武装した数十人の兵士達が、どかどかと王宮内の廊下を駆け抜けていく。
使用人たちがそれに驚き、慌てて脇にどいていく姿を横目に、殺意で目を燃やす兵士達は、騒ぎの中心である庭園に到達し、そこにいる者達に武器を突き付ける。
「動くな! 貴様ら全員、一匹ずつ駆除してくれ―――」
咆哮のような怒鳴り声をあげかけた、数十人の兵士達。
しかし、目標である亜人たちの姿を捉えるより先に、彼らの目に映ったものに、兵士達は大きく目を見開き、その場で凍り付いた。
鋼鉄のように輝く鱗に、赤い血のような輝きを放つ巨大な左目。
一本一本が名刀の如き鋭さを誇る角に、赤子ほどもある大きさの巨大な無数の牙。
数十人の兵士達を一度に覆えるほどに広がる翼に、それぞれで数人をまとめて踏み潰せそうなほどに巨大な四肢、そして数十人をまとめて薙ぎ払えるであろう巨大な尾。
漆黒の鎧を全身に纏う、怖気を催すほどに凶悪な形相をした一体の竜が、庭園の中心に鎮座し、兵士達を睨みつけていたのだ。
「グルルルルルル…!」
「…ぅ、うわあああ!?」
地の底まで響くような唸り声をあげ、ぎろりと輝く左目を向ける竜を前に、兵士達は瞬く間に恐慌し、悲鳴をあげて後退る。
立ち向かうことなどできるはずもない、あまりに恐ろしすぎる怪物に睨まれ、弱者を甚振る事しかできない兵士達は散り散りになって逃げ出していく。
「な、何なんだあいつはぁ!?」
「ま…まさか、あれが東の森に棲まうと云う怪物…!? こんな化け物だというのか!?」
「こ、殺せ!!」
中にも、多少は勇気がある、というよりは妙な自尊心から逃げるという選択肢を奪われた者もいて、黒竜に向かって槍や矢を放って攻撃を仕掛けだす。
しかし、鋭く尖れたそれらの凶器も、竜の鱗は一切を通さず、無残に砕けて地面に落下するだけに留まる。
一切の傷を負わず、その場に佇み続ける黒竜。
刃が効かずとも、徐々に苛立ちが募りだしたのか、黒竜はぎろりと左目を赤く光らせ、兵士達に向かって強烈な咆哮を放った。
「グルルル…グオオオオオオ!!」
「あ…ああ…!」
「に、逃げろぉ!!」
とても敵わないと悟った兵士達は、へたり込む見方も放置し、我先にと逃げ出していく。
途中で味方を押し退け合い、踏みつけ合い、自分だけ生き残ろうと見苦しい様を晒し、走り続ける。
竜はそんな彼らを詰まらなそうに睨み、ばさりと巨大な翼を羽搏かせる。
その背に数十人の少年少女達を乗せ、その重さをまるで感じさせることなく、竜は自身の巨体を空に浮かび上がらせる。
羽搏きによる爆風で兵士達が吹っ飛ばされるが、お構いなしに竜はより高く飛び立っていく。
亜人の少女の捜索で駆け回っていた、街中の数多の兵士達。そして賑わっていた住人達。
彼らの視線を一身に集め、巨大な黒竜は、悠々と空を過ぎ去っていった。
「す…すっげー!」
「空だ…空を飛んでる…!」
力強く羽搏く黒竜の背で、少年少女達がはしゃぐ声が響く。
彼らの腰には、先ほど兵士達に行われていたように、伸びた影が巻き付き、黒竜の身体に固定している。どれだけ騒ぎ、暴れても、その拘束が外れる事はない。
あまりに驚くべき光景のせいか、怯えていた彼らも年齢相応の反応を見せ、只管に楽しげに振る舞っている。
そんな彼らを横目に見つつ、アザミとシェラは黒竜に―――それに姿を変じた師に視線を移した。
「…お師匠、えらく派手な真似をしたね。驚きだわ」
「こんな事ができたんですね…びっくりしました」
「あの人数を連れて、邪魔者がうろつく街を往くのは、流石に面倒だったのでな……手間を省いた」
黒竜から、いつも通りの師の声が聞こえてくる。
騒ぐ子供達の声を鬱陶しがるわけでもなく、単に体を動かすこと自体が面倒くさいという様子で語るその姿に、姉妹から思わず苦笑がこぼれる。
師は目を細め、強風になびく髪を掻き分ける二人を見やり、再度口を開いた。
「…それで、あいつらをどうするつもりだ」
言いにくかった事柄を態々提示されたためか、アザミとシェラはグッと言葉に詰まる。
師は間髪入れず、彼女達が抱えている問題を一つ一つ上げていった。
「王城の奴隷を強奪し、国内に混乱をもたらし、挙句兵士を何人も再起不能にするとは……もうあの国には近づけまい。今後は薬も売れんぞ」
「いや! 兵士に関してはやったのお師匠じゃん! 押し付けないでよ!」
「きっかけはお前達だ。お前達が騒ぎを起こさなければ、己がああして暴れる事もなかったのだ」
あながち間違いでもないために、アザミは悔し気に歯を食い縛り、俯く。シェラも同じく負い目を感じ、唇を噛みながら表情を曇らせる。
師はぎろりと視線を移し、自身の背中の上に乗せた子供達を見やって問いかける。
「…よもや、ずっと面倒を見るつもりではあるまいな」
「う~ん…とりあえず、あの子たちの寝床を用意してやらないとなぁ。しばらく一緒にいるだろうし、いっそ小屋でも建てるか」
「食べ物は…ちょっと遠出すれば、何とかなるはず。無理ではない…と思う」
「無計画もそこまでくると清々しいな…」
竜の姿のまま、師は呆れた調子の声を漏らし、姉妹から目を逸らす。
揃って、苦笑いのまま頭をかくアザミとシェラは、ふと後ろにいる子供達に視線を戻す。
やせこけ、不健康そうな肌色を見せる彼らだが、ほとんどが周囲の景色に興奮し、明るい表情を見せている。
中にはまだ不安気な者や、疑わしげな目を向ける者もいるが、それでも最初の頃よりましな顔つきになってくれている。
それを見て、姉妹の心には安堵とやる気が溢れ出していた。
「……まぁ、何とかやるよ。妹が折角率先してやりたがってんだし」
「拾ったからには…その責は果たします、必ず」
師にそう告げてから、アザミとシェラはフッと不敵な笑みを浮かべる。
しかし少しすると、姉妹は困り顔で頬を掻き、申し訳なさそうに師の方に振り向き、掌を合わせて頭を下げた。
「ただその…できれば、あの…」
「…たまに助言や助力を乞えれば、と思います。情けない話だとは、思いますが…」
「……まったく、お前達は」
グルルル…とため息の混じった唸り声をこぼし、師は二人の弟子の台詞に嘆きの声を返す。
次第に遠くなっていく王都と反比例し、近付いていく森。そして、見えてくる住み慣れた我が家。
翳っていく陽の光と、それに照らされる世界を見やりながら、師はやがて二人に告げた。
「なら、最後まで面倒を見ろ……己がお前達に期待することなど、その程度だ」
シェラは師の、天邪鬼ながら姉妹の願いを否定しない言葉に、思わずくすりと苦笑をこぼす。
自身の肩にのしかかる責の重さを予感しつつ、シェラは隣のアザミに目を向け、思わず笑いあう。
虐げられるも這い上がった少女は、この美しく残酷な世界を眩しげに眺めるのだった。
第一章 薄幸少女と森の賢者達・完
これにて今作品は、一括りを終えました。
お察しの方はいらっしゃるとは思いますが、まだこの物語は終わりません、タグが一つのこっていますからね。
もしお楽しみいただけたのであれば、いずれ再開されるこの物語を楽しんでいただければ、と思います。
では、これにてご免。




