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16:伝えない

「本当に行く気? 買い物ぐらい、あたし一人でもよかったのに……」


 通るのは少しばかり久しぶりになる道を、シェラとアザミが並んで歩く。

 二人とも荷物はなく、ほとんど手ぶらの状態でいる。この日は物を売りに行くためではなく、急に必要になった日用の品を買いに行くからだ。


「いい加減、恐いからって理由で引っ込んでいたくなかったし、自分の好みの品を探しに行きたかったから……それに、ねえ様と二人だけで話したい事もあったし」

「ふ~ん……まぁ、あんたが気にしないなら別にいいけど」


 以前はアザミに手を引かれ、おっかなびっくりといった様子で森を進んでいたシェラだったが、今やもうアザミの前に自ら出ている。

 知らない間にかなりの度胸をつけていることに、アザミは誇らしいやら寂しいやら、複雑な心境となっていた。


「向こうの治安も、相変わらずみたいだからねぇ……妙な事に巻き込まれないうちにさっさと帰るに限るよ」

「王国と皇国の小競り合い、いつになったら落ち着くんだろうね」

「さぁ? 人の好くはいつまでたっても無くならないから、どっちかが斃れるまで続くんでしょ。巻き込まれる方としちゃ、堪ったもんじゃないけどね」

「…それは、人間の事? それともその他の人種?」

「ん~…虐げられる者全員の事」

「そっか…」


 さして益のない世間話をしながら、二人は草地を抜け、小川を越え、森の出口に向かっていく。

 シェラは自身の、姉より少し短い耳を触りながら、憂いを帯びた表情でため息をこぼした。


「…何が気に入らないんだろうね。見た目が少し違うくらいで、敵と認定して。何も悪い事してないのに、捕まえて酷い事して…」


 少女の脳裏に過るのは、以前に王国を訪れた際に目撃した、余りにも残酷な光景。

 母の為であろう、姉の作った薬を大事そうに抱えていた獣耳を持った少年を、巡回中だった王国の兵士が見とがめ、痛めつけて連れ去って言った姿である。

 一年たった今でも、その様は少女の心に傷を残したままで、時折恐怖を甦らせていた。


「…人ってのはさ、大多数の意見に流されやすいんだって。一人一人は違う意見を持ってたとしても、大人数が同じような考えを口にしたら、そっちの方が正しいのかなって簡単に同調するの―――じゃなきゃ、自分が排除されるから」


 自分でも苛立ちを禁じ得ないのだろう、険しい顔でアザミが唾でも吐くように語る。

 不満を抱きながら、それを解消できない鬱憤を募らせ、しかし妹分の手前八つ当たりすることもできない。見る見るうちに、姉弟子は不機嫌になっていった。


「人間は感情の生き物。本能より先に感情が出て、簡単に不合理な判断もできる歪な生物なんだって。だから余所者は受け入れにくいし、異端は排除したがる……お師匠がそんな風に愚痴ってた」

「……でもお師匠は、そんな人じゃなかったよ」

「だからあそこで一人引き籠ってんだよ。自分が異端な事を知ってるから…そんで、同じ異端であるあたし達の事も普通に受け入れてくれてる」


 森の奥の家の、いつもの場所で寛いでいるであろう師の事を思い浮かべているためか、アザミの表情は途端に柔らかくなる。

 どれだけ他者に存在を否定されようと、決して拒絶することのない師の存在に、ささくれ立つ心が癒されているようだ。


 そんな姉の、自分に対しては見せる事のない穏やかな横顔を見上げながら、シェラは不意に口を開く。


「……ついでに聞いておきたいんだけど、ねえ様?」

「ん? 何?」


 訝し気に問い返しながら、張り出した樹の根の上を跳びこえている姉弟子に、シェラは昨晩から抱き続けているある疑問を口にしてみた。


「おししょう様のこと好きなの?」


 その瞬間、アザミは足を滑らせ、頭から地面にひっくり返った。


 ぶわっ、と地面に溜まっていた枯葉が舞い上がり、上下が逆様になったアザミの上に降り注ぐ様を見下ろし、シェラがじっと黙ったままそこに佇む奇妙な時間が流れる。

 やがて、ようやく思考が再起動を果たしたアザミが顔を上げ、真っ赤な顔でシェラを凝視し始めた。


「なっ、ななな、なっ…!」

「ねえ様、大丈夫?」

「いっ、いきなり何を聞いて…!」

「? 何かおかしなことを聞いたかな?」


 不思議そうに首を傾げるシェラを見やり、アザミは少し考えるとほっと息をつく。

 自分が受け取った言葉の意味と、妹分が問いかけた言葉の意味が、微妙に異なっているのだ、とそう考えたのだ。


「…そりゃあ、そうだよ。あたしにとって恩人でお師匠だもの。好きに決まってるじゃない」


 シェラの言う好きとは、好ましく思い、気に入る事の意なのだ。家族、友人、知人、あるいは同士や仲間に対して抱く、人間関係を構築する上での繋がりの意である。

 それとは異なる意味での好きと勘違いしていた、とアザミはフゥと汗を拭ってみせる。


「何年も一緒にいるからねぇ……好きじゃなかったら一緒にいないし、嫌いだなんて言うはずないよ。まぁ、ちょくちょく辛辣な事ばっかり言ってくるのは腹が立つこともあるし、指導に容赦がないのは玉に瑕だけど、それも含めてお師匠だし、むしろそれが―――」

「……ううん、そうじゃなくて」


 赤くなった頬から熱を引かせられないまま、照れ臭そうに普段本人を前にして言えない本音を口にし始めるアザミだが、途中でシェラが遠慮がちに止めに入る。

 いつもの彼女らしからぬ、有無を言わせない圧を感じたアザミは動きを止め、なぜか冷や汗を流しながらその場で固まらされる。


「な、何…?」

「…異性として、そういう思いを抱いているのかって聞いてるの」


 僅かに目線を逸らすことなく、真っ直ぐにそう問いかけるシェラに、アザミは今度こそ愕然となり、棒立ちになる。

 息も止めるほどに驚愕し、固まる姉弟子を見つめるシェラは、答えを急かすことはせず、しかし誤魔化すことは許さないというような圧を見せ、姉を前に相対し続ける。


 妹分の強い眼差しに射抜かれ、目を逸らしたアザミは、あーうーと人語を解すこともできずに唸るばかり。

 その間もピタリと静止したまま、アザミの返答を待ち続けるシェラをちらちらと見やり、アザミはがっくりと肩を落とした。


「……そういうのは、真正面から聞かないのが暗黙の了解ってものなんだよ」

「…そんなに恥ずかしいこと?」

「少なくとも……誰かを好きになった奴は、あたしと同じことを考えると思うよ。そっとしといてほしいって」


 赤くなった頬を覚ますように、パタパタと手で仰いで風を送るアザミに、シェラはやはり不思議そうに首を傾げる。

 穢れの無い真っ直ぐな瞳で射抜かれる姉貴分は居心地が悪いのか、向けられる視線から少しでも逃れようと必死に目を逸らし続ける。が、好奇心に陽が付いた妹分は、顔が見えないくらいでは引き下がらなかった。


「…シェラ、あんたその……どこでそんな知識を? だってその…そういうのを知る機会なんてなかっただろうに」

「……ねえ様が隠れて読んでる本。一番最近読んでいた本に少しだけ載ってた」

「…隠し方が甘かったか」


 妹分が知らない間に成長していることに、喜ぶべきか嘆くべきか。そう思い悩み、険しい顔でますます眉間にしわを寄せるアザミ。

 シェラは未だに赤い顔で唸っている姉弟子の後姿を見つめたまま、ずずいと彼女の耳元に顔を寄せ、再度問いかける。


「…それで、どうなの?」


 うやむやにすることも許さない、という視線の圧に負け、アザミは肩を竦めて頷いた。


「……あー、そうだよ。あたしはあの人の事が好きだよ。一人の男としてね」


 アザミはシェラの顔を見ないまま歩き出し、背中越しに質問に対する答えを口にする。

 シェラは先に進む姉弟子の後姿を見上げ、赤くなっている彼女の両耳に気付き、興味深げに観察を始める。初めて見る姉弟子の反応に、少女の好奇心は刺激されっぱなしだった。


「最初はねぇ、親みたいに慕ってたんだと思う。血の繋がった方があんまりに嫌な奴らだったから、その反動で甘える相手が欲しかったんだろうなって。…でもね、年頃になって来ると、そういうんじゃないってなんとなくわかってきちゃったんだよね」

「…思春期に、おししょう様を異性として意識し始めたってこと?」

「難しく言っちゃえばね……あー、その…周りにお師匠以外の男が一人もいなかったせいってのもあるけど」


 バリバリと頭をかき、やや速足になったアザミが肩を竦める。今更ながら、妹分にこうも迫られ、本人を前にしては決して口にできない本音を語らされる状況が、恥ずかしくて仕方ないようだ。


「忌子だ悪魔の子だって言われ続けて、血の繋がった家族に殺される前に逃げ出して……一人ぼっちで泣いてたところを拾われた。たぶん、そのころから意識してたんだろうなぁ」

「……昔、ねえ様と出逢った私と同じ年の頃?」

「たぶん、大体そのくらいかな……ませてる上に単純でしょ?」


 口にして、ますます恥ずかしさが強くなってきたようで、林檎のように照っていた頬がより赤くなる。

 しかし、羞恥よりも誇らしさが勝るのか、開いた口が閉じる事はない。むしろ、勝たれる相手を得られたことが嬉しくて仕方がないように、隠していた本音が席を切ったように紡がれる。


「自分の存在を肯定されたのが、無茶苦茶嬉しかったんだな。それまで否定され続けていたから……でも拾われた最初は、あんたと一緒で肯定的な言葉が信じられなくて、結構喚いたり八つ当たりしたもんさ」

「ねえ様も、私とおんなじだった…?」

「うん……自分の殻に閉じこもろうとするあたしを、あの人は外に引っ張り出してくれた。それで…こう、落ちちゃったんだろうね。自分を想ってくれるから」


 自嘲気味に鼻を鳴らす姉弟子に、シェラは返す言葉が見当たらず、あいまいに呻いて目を逸らす。

 果たして、その経験が人に好意を抱くのに不十分か否か、未だ他者に対する苦手意識が強く残る少女には、即決では判断しかねる。同じ状況でも、シェラを救ったのは同性のアザミであるからだ。


「出会った最初は……この人のところにずっといたいなーって想いで、大人に近付いてくると、この人のために何かしたいな、って想いになって。今じゃ一笑ずっと、この人とともに在りたい…そう思うようになった。できるなら……あの人が望むことを、全部してあげたいって思う」

「……夫婦になりたい?」

「それができたらどんなにいいか……うん、そうだね。あの人と一緒になって…子供を作って、孫を抱いて、最期は隣で一緒に永遠に眠りたい。そう思えるぐらい、あたしはあの人の事が好き」


 そう答え、遠い空を見上げて微笑むアザミの横顔は、思わずシェラが息を呑むほど艶やかに見えて目を奪われ。

 そして同時に―――ひどく、儚げで寂しそうに見えた。

 それが何故か分からないシェラは、大きな戸惑いを抱いて首を傾げる。


「……それ、お師匠には言わないの?」

「言わない…言えないよ」

「どうして? ねえ様がそうしたいって言うなら、おししょう様も拒絶したりはしないんじゃないの?」

「……いや。きっと、受け入れてはくれないと思う」


 アザミはシェラに困ったような、切なげな苦笑を見せてため息をこぼす。

 まるで、まだまだ人の心の機微に疎い、手のかかる妹分に呆れているような態度で、シェラはますます訝し気に唸る。


「…壁があるからね。あたし達みたいなちっぽけな存在じゃどうすることもできない、大きな大きな壁が」

「…種族のこと?」

「ううん……もっともっと大きな、どうしようもないものさ」


 姉弟子が何を言わんとしているのかわからず、頭を抱えて悩みだすシェラ。

 アザミは苦笑したまま、また背を向け、先へ進みだした。


「…あたしとお師匠は、同じ時間を生きられない。同じ世界を見ていないんだ。だから…一緒になったら、いつか絶対に破綻する。だから、あの人は受け入れはしないし、あたしも受け入れてもらおうとは思わない……それでいいのさ」

「……? どういう、こと?」

「わからなくてもいいよ。お師匠と一緒にいたら……いつか、自然とわかる事だから」


 アザミはそれ以降、口を開くことはなかった。黙々と獣道を進み、森の出口に向かって歩き続けるだけで、シェラに視線を向ける事もない。

 それが自分の想いに関して、シェラの質問を受け付けるつもりはないという意思表示のように感じられ、シェラもそれ以上問い質すことはできなくなる。気にはなるが、無理に聞くのは野暮な気がして、もやもやとした気分を抱えたまま後に続く外になかった。


 ただ一つ、想いを伝える事が、どうして許されないのかと。

 悔しげな横顔を見せる姉弟子を見つめ、そう思わずにはいられなかった。

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