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14:目覚めた才

 心地良い朝の光を顔に浴び、シェラの意識はゆっくりと浮上する。

 寝具の、温もりの誘惑をどうにか払い除けた少女は、寝ぼけ眼で隣で眠る姉の顔を見つめる。

 昨晩酷く涙を流したせいか、やや赤く腫れた目元をしているが、穏やかな表情で寝息を立てている。その事に安心し、シェラはフッと小さく笑みを浮かべる。


「…んぅ、シェラ?」

「お、おはよう……ねえ様」


 しばらくすると、アザミも自然と目が覚めたのか、ぼーっとした様子でシェラを見つめてくる。

 起こすこともなく、じっと姉の寝顔を見ていたことへの気恥ずかしさが今さら出てきて、シェラは思わず赤面する。


「ぐっすり眠れたみたいだね……よかったよかった」

「うん…なんだかね、今はすごく…気分がいい」

「…そっか」


 妹分は初めての寝坊に、なぜか心地よさを覚えて苦笑を浮かべ、姉はそれに安堵した様子を見せる。


 今までは、強迫観念に似た気持ちがシェラを突き動かしていた。

 無償で守られ、生かされる筈がない。渡せるものが無いのなら、何か行動で代価を返さなければならないという意志があり、シェラに気を抜くことを許さなかった。

 故にシェラは、誰に求められることなく、進んで働こうとしていたのだ。


「それでいいのさ……あんたはあたしが守る。してほしい事があったらちゃんと言う。…何かしてほしいから連れて来たんじゃないんだから、ただ……あんたを助けたかっただけなんだ」

「…うん」


 当然、アザミはそんな献身は求めてはいない。かつて自分が受け取った温もりを、誰か他の者にも与えてやりたかっただけなのだ。

 互いの本音を受け取り合った姉妹は、以前には存在していた壁を抜け、何の柵もない状態で相対し、笑いあう事ができていた。




 既に日が昇り、明るく照らされている本まみれの部屋。

 アザミとシェラが赴いた時には、予想通り師はいつも通りの位置に座し、積み上げた本の山に手を伸ばしていた。


「……起きたか」

「あ…お、お師匠」

「お、おはようございます…」


 本に向けていた視線を上げ、ぎろりと仮面の奥の目を向けてくる師に、姉妹はやや気まずげに挨拶を返す。昨晩の騒動について思い出してしまったからだ。


 姉は騒動の中心として師に手間をかけさせたうえ、家の主人である彼に対して見苦しい様を晒したことに。妹は自分勝手な自己犠牲で迷惑をかけ、図々しく姉に対する師の物言いに口を挟んだことへの申し訳なさで。

 二人とも、師がまた何も言わずに迎え入れてくれたことに感謝しながら、その事に対して何も言えないままでいる事を恥じていた。


「え、えっと……昨日は、その……ごめんなさい」

「偉そうなことを言って……申し訳ありませんでした。おししょう様の言っていたことは…間違ってなかったのに」

「……謝る必要があるのか」


 ペラペラと頁をめくる手を止め、揃って頭を下げる姉妹にそう問い返す師に、アザミとシェラは訝し気に顔を上げて眉を寄せる。

 師はため息交じりに二人を見つめ、ばんっと本を閉じると二人に体ごと向き直る。心なしか、彼も姉妹に対して遠慮しているように見えた、気がした。


「己は最初に言ったな、『好きにしろ』と。…アザミ、お前がいくら騒がしくしようと、最後まで責任を取るつもりだったなら口を挟むつもりはなかった。…流石に喧しかった故に割って入ったが、出て行けと言ったつもりはない」


 以前に自分で口にした宣言を挙げられ、思慮の浅さを示されたことで、罰が悪そうに唇を噛むアザミ。

 続いて師はシェラに視線を移し、頬杖をついて少女の目をじっと見つめ始める。


「そしてシェラ……お前はそれでいいのだ。己の意見を臆することなく口に出来るようになることこそが、お前に必要な変化だ。何も後悔する必要はない」


 姉妹を見つめる師の態度に、相変わらず責めるような素振りは一切見受けられない。淡々と事実のみを、そして自身の抱いた意見のみを告げ、姉妹それぞれの行いを否定しない。

 アザミとシェラは、思わずきょとんと惚けた様子で師を見つめ、向けられる言葉を受け止めるだけであった。


「…己はそもそも此処に在るだけ。弟子を名乗るも名乗らぬも自由。此処で如何に過ごそうと文句は言わん。…己の作業の邪魔をしない限りはな」


 返す言葉も見つからず、相手を見上げる他にない姉妹を横目で見やると、師はまた本を開き、何かを書き込む作業に戻ってしまう。

 いつも通りの、悪くいえば一切の変化がない師の淡白な対応に、アザミもシェラも顔を見合わせ、フッと笑みをこぼしていた。


 だが不意に、アザミがハッと目を見開いたかと思うと、辻手死に非常に申し訳なさそうな表情を向ける。


「……あー、えっと。お忙しいところ大変申し訳ないのですが、もう一つお師匠に…その、言っておきたい事があってですね…」

「…………」


 もじもじと指先をこすり合わせたり、頬を掻いたりと忙しいアザミに、師は振り向くこともしない。

 姉の態度の変化に不思議そうに首を傾げるシェラの前で、アザミはやがて意を決したように直立の体勢になり、師に向かって深々と頭を下げだした。


「……この子にも、お師匠の魔術を教えてやって下さ―――」

「断る」

「―――って早いよお師匠!!」


 殆ど直角の、見事しか言いようがないほどに綺麗な例を見せるアザミの声を途中で遮り、師は弟子の願いを一蹴する。

 当然アザミは納得できず、涙目になりながら、執筆作業を続ける師に抗議の声と眼差しを向け、膝をついて黒衣の裾に縋りついた。


 その際、聞こえてきた情報の一端に強く反応したシェラが、アザミと師に驚愕の視線を向けた。


「…魔術」

「お師匠だって見たでしょ! あの子さらっと凄い事してたよ!? でもほっといたら結構危なそうなことやってたよ!? 絶対教えといたほうがいいって! 何もしなかったらお師匠絶対後悔するって!」


 戸惑いの声を漏らすシェラを、当の本人を放置して、ガバッと勢いよく立ち上がったアザミが師の襟を掴んで前後に揺さぶる。しかし、揺れるのは師の黒衣の身で、本とペンを持つ師の体そのものは微塵も動いていない。

 暫くの間されるがまま、というか全く相手にしていなかった師は、やがて至近距離で騒がれて鬱陶しくなったのか、弟子の頭を片手で掴んで持ち上げ始めた。


「お前……これ以上己にどれだけ手間をかけさせる気だ。流石に目障りになるぞ」

「あだだだ…! そ、そんなこと言わずに! この子ならきっと凄い魔術師になれるって…いだだだ!」


 ミシミシと軋む頭を掴まれたまま、グラグラと前後左右に揺らされるアザミは、悲鳴を上げながら師に懇願を続ける。何とか万力のように食い込む指を外そうとし、悲痛な声で妹分を怯えさせる。

 師は徐々に余裕がなくなっていく弟子の様を見て、それ以上続ける気が削がれたのか、ポイッと煮物でも放るようにアザミを放り投げ、床に頭から落下させる。「ぐぎゅっ!」といやな声が聞こえたが、師はやはり気にしなかった。


「…そもそも、学びたいなら勝手にやれと己が根負けするまで、ほとんど押し掛ける形で無理矢理弟子になっただけだろうが。何を根拠に学べると思ったのだ」

「あたた……い、いやぁ、あたしとしては、ちゃんと本当の弟子のつもりなんだけどなぁ~…」


 鼻を押さえ、ついでに頭蓋が歪んでいないかと確かめたアザミが、引き攣った愛想笑いを浮かべて師を見上げる。

 師は作業の手を止めてアザミに向き直ると、仮面の奥の目を細めて見つめ返した。


「そいつの素質に関しては既に認識している……それ故に、断る」

「なっ! なんでさ! だからこそ教えるべきでしょ! 出なきゃ本当に取り返しのつかないことになるじゃないの!」

「……取り返しのつかない事って」


 やる気が一切見られない師の態度に、思わず食って掛かるアザミ。

 目を吊り上げる姉の背中を密得ていたシェラは、彼女がこぼした言葉の一端を聞き逃さず、つい自分で口に出してしまう。その瞬間、アザミはしまったと言わんばかりに目を見開き、シェラの方にぎこちなく振り向いた。


「あ、あー…いや、あのさ。これは……」

「…ねえ様、どういうことなの? 私に魔術の才があるって事はわかったけど……私が魔術を学ばないと、それが取り返しのつかない事になるって……どういうことなの?」


 シェラは鋭い視線をアザミに向け、これまで一度も出したことがない様な、有無を言わさぬ低い声で問いかける。

 妹分から齎される初めての圧に気圧されたアザミは、だらだらと冷や汗を滝のように流し、必死に目を逸らそうとする。どうにか口を閉ざしているが、歳下から放たれる気迫に圧されて息が漏れ出そうになる。

 やがて観念したのか、アザミはがくりと肩を落とし、神妙な態度で妹分に向き直った。


「……昨日の夜のこと、どれくらい覚えている?」


 問われ、昨晩の記憶を辿ろうとするシェラだが、何故だかもやがかかったように思い出す事ができず、眉間にしわを寄せてから首を横に振る。

 アザミはそれに、やっぱりかというように大きなため息をつき、不安気に表情を歪めるシェラの目を見つめる。

 その目が宿す鋭く、聞き逃すことを許さない威圧に、シェラは思わずごくりと息を呑む。


 そして、姉が告げた内容に、妹分は頭の中が真っ白になるような気分に陥らされた。


「…あんたは昨日、魔術を使ったんだ。それで―――人を、殺した」

「……!?」


 語られた言葉に、シェラは顔から血の気を引かせ、びくりと肩を震わせる。

 質の悪い冗談ではないのか、と微かな期待を込めて縋るように見つめるものの、アザミの向ける視線は揺らぐことなく、一切の嘘や偽りがないことを示している。


 だがそれでも、シェラはその時のことを……人を殺めたという当時の記憶を取り戻せなかった。

 そのために、シェラは逆に自身がとんでもなく恐ろしく思え始めた。無意識のうちに、自分がどうしようもない危険人物になってしまったのかという不安と恐怖で、少女の全身がガタガタと震えだしていた。


「ね、ねえ様……私、私……!」

「…ごめん、いきなりこんなこと言われて、恐くないわけないよね。でもね、あたしは確かに見たよ。あんたの力で、人が死ぬのを」


 がっ、と両肩を押さえ、より至近距離から顔を覗き込んでくるアザミに、シェラはますます怯えた様子で顔を曇らせる。

 悲痛に顔を歪める様に胸を痛めるアザミだが、心を鬼にするつもりで鋭い眼差しを保ち、後退りそうになるシェラをその場に留めさせる。


「…正確に言うなら、あれは魔術じゃなくて魔力の暴走。あんたの感情の昂りで漏れ出した魔力が偶然、元素分解の術式を作り上げて、あんたに害を為そうとしたあいつを消し飛ばした。……でも、偶然とはいえ、危険なことには変わりない」

「元素分解の術式……」

「魔術において基礎とされる術式の事……これを習得して初めて、魔術師は火を操ったり、水を操ったりできる。創造には必ず、破壊が必要とされるんだ」


 懇々と語って聞かせるアザミを見つめているうちに、シェラは気づく。今この場で心を痛めているのは、アザミも同じだということに。

 自分がしっかりしていなかったせいで、耐えがたい恐怖感から妹分を暴走させ、命を一つ奪わせてしまった後悔が、彼女を苛んでいるのだと察させた。


 心配そうに見上げてくるシェラを宥めてから、アザミはその場で正座すると、師に向き直って真っ直ぐな眼差しを向ける。


「…これでわかったでしょう? もし、この子が魔術を暴走させたとき、一番傷付くことになるのはこの子自身だって…。だからあたしは、この子に魔術を覚えてもらいたい。はずみで誰かを傷つけて、この子自身が傷付かないように」


 なんとしてでも、師を頷かせようとするアザミの願い。

 だが、それでも師は頷かなかった。相変わらずの興味の欠片もない様子でそっぽを向き、気だるげに本の頁をめくる作業を続けるばかりである。

 アザミもさすがに苛立ちを覚え、無視を続ける師にさらなる抗議の声を上げようと口を開く。


「おししょっ……」

「―――先生」


 だが、苛立ち交じりに声を出そうとしたその直前で、シェラが震える声で師を呼ぶ。

 出鼻をくじかれたアザミは思わず固まり、躊躇いがちに、しかし強い決意を宿した目を見せるシェラを凝視した。


「私からも……お願いします。魔術を……この力の使い方を、教えてください」

「…使い方を知ったところで、使いこなせるかどうかは知らんぞ」

「それでも……構い、ません。自分で、どうにか、できるように…いいえ、して、みせます」


 甘く見るなと言わんばかりに、ぎろりと鋭い目を仮面の奥から見せる師に対し、シェラは微塵も退くことなく見つめ返す。

 その様に、さすがの師も気圧された様子で赤い目をわずかに見開き、本の頁をめくる手を止めていた。


「…此度の事で、此奴も反省したことだろう。もう前回のような無様は晒さぬと思うが? 無理などせず、守られていればいいのではないのか?」


 師の問いに、シェラは首を大きく振って否定を示す。

 大きく目を見開き、隣で固まっているアザミに気付くことなく、シェラは強い意志を感じさせる表情で師に詰め寄る。


「私が怖いのは……ねえ様を傷つけてしまうかもしれない事。今何もしなかったら、私はきっと同じ事をしてしまう。そうなるのは、絶対に嫌。私は…ねえ様を傷つけたくない」

「シェラ……」

「これはねえ様に言われたからじゃなく、私がそうしたいと思ったから……自分がそうしなくちゃいけないと思ったから。だから…お願いします」


 無言で見下ろしてくる師に向けて、シェラは深々と頭を下げる。

 状況に流され続け、守られるばかりであった自分の現状に情けなさを覚えていた少女は、今胸中に芽生えた自分の意志で、賢者に弟子入りすることを強く望む。

 妹分の懸命な姿に、アザミはつい感極まり、口元を覆って身を震わせる。


 しばらくの間、家の中には沈黙が降り続けていた。誰も何も言わず、重苦しい緊張感だけが漂い、時間が過ぎ去っていく。

 そしてその沈黙を破ったのは、大きく肩を竦ませた師の方だった。


「……授業の始まりは朝。普段着に着替え、準備を整えておけ。寝坊をしたら、その瞬間授業は取りやめる」


 本を閉じ、山に戻しながら淡々と告げる師に、一瞬呆けるシェラ。だが徐々に内容を理解し始め、やがて満面の笑顔が浮かぶ。


「あ、あの! 掃除を終えてからでも…いいですか? 毎日やっているから、やらないと落ち着かなくなっちゃって…今も、その……」

「……好きにしろ」


 心底呆れた様子で告げると、師は椅子から立ち上がり、家の奥に引っ込んで行ってしまう。


 シェラはほっと安堵の息を吐き、後ろから泣きながら思い切り抱きついてくるアザミに目を瞬かせる。

 新しい時間が始まるのだという、未知の期待に胸が躍るのを、一歩を踏み出す勇気を始めて発揮した少女は、止められなかった。

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