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10:二つの強国

「いやぁ……大変でしたよ、ここまで来るのは。このような野蛮……いえ、危険な場所にお住みになっているとは、流石は賢者様ですな。我々にはとても真似できそうもありませんよ」


 最近片づけられた本の山の間、用意された椅子に腰を下ろした小柄で太った男が、丸い顔を気持ちの悪い笑顔で歪めて饒舌に語る。

 机を挟み、向かいの椅子に腰かけた師は、そんな彼に無言で仮面の奥の赤い目を向ける。とはいえ、彼の姿をしっかりと見ているかどうかは全く分からなかったが。


「しかしやはり、こうも厄介な道となると色々不便なこともございましょう? 以前にも使いの者が申したとは思いますが、我が国に着てその叡智を披露していただくのはいかがでしょう。陛下も貴殿がお越し下さる日を心待ちにしておりますぞ」

「…………」

「お、お越しいただけたならば、貴殿には相応しき地位も相応しき権力も…お望みのものは何でもご用意できます……今日こそはいいお返事を戴ければと思いますが」


 下卑た笑みを隠す気など一切ないまま、黙り込んだままの師を誘う男。

 それに一言も返さず、ただじっと椅子に腰かけ続ける師に、次第に男のこめかみに脂汗が噴き出し始める。ぴくぴくと笑みが崩れかけるが、どうにかそれを保ち、再び師を賛辞する言葉を吐き出した。


「き、貴殿の叡智は、世界中の誰もが欲する素晴らしきものです! 貴殿さえ頷いてくだされば、数えきれない数の人々がその恩恵にあやかれ、幸福な生活を手にすることができます! あるいは無情に虐げられる者達が、貴殿の手によって救われるのです! それこそ、貴殿の望む事ではないでしょうか……?」


 引き攣った顔で、苛立ちを目に露わにしながら、男は椅子から腰を上げて、師を持ち上げる言葉を考えつく限り口にしていく。

 しかし、師がそれらに声を返す事は、ただの一度もなかった。

 無言で椅子の上で佇み、仮面に開いた穴の奥の目を向け続けるだけであった。




 長い長い、依頼者の話が終わるのを、護衛の男達は師の家の外の草地で腰を下ろし、待ち続ける。

 この場に来た初めは頭上にあった陽も、だんだんと下がって光も弱くなり始めている。

 暗くなれば森の中は危険さを増し、戻る時間もなくなりそうなのに、それを考えられずしつこく話を続ける依頼者に、護衛達全員がうんざりした様子を見せていた。


「……お茶のお代わりは必要ですか」

「…いらん」

「無用だ」

「引っ込め、亜人」


 盆に乗せた木製の容器を運んでくるフードの少女の問いに、隊長格の男がぶっきらぼうに答え、その他の者達も厳しい目を返す。

 少女は小さく嘆息すると、さっさと背を向けて家の裏へと引っ込んでいく。

 その背中を見やり、護衛達は胡乱気な表情を浮かべた。


「…小間使いの割には、態度のでかい餓鬼だな」

「あれが噂の賢者の弟子か? 亜人を抱えるなんて……何考えてやがるんだ、あの野郎は」

「おい、聞こえるぞ」


 護衛の一人が、受け取った容器の中身を覗き込んで顔をしかめる。

 色こそ、さほど変わったところのない緑色の液体、おそらくは茶の一種であろう飲み物だ。しかし、亜人が淹れて持ってきたという印象の為か、汚らしいものを与えられたような、そんな顔を全員が見せている。

 中には、受け取ったはいいが飲む気になれず、その場に捨てる者さえいた。


「毒じゃねぇだろうな…あんまり撒き散らすなよ」

「亜人と言えど、そこまで馬鹿じゃないだろう。ここで俺達を殺したところで、何の益もない……あるならむしろ、彼の方の目の前にいるあの男だろうな」


 そう言って、隊長格の男が師の家に目を向ける。汚れた窓を覗いたところで、中の様子を伺うことはできそうになく、何よりそうした時点で師に悪印象を与えかねない。

 蔭り始めた空を見上げた仲間の一人が、苛々した様子で舌打ちをこぼした。


「くそっ…いつまでかかってんだよ。あいつ、あんな糞みたいな奴だけど、一応帝国の貴族だろ? 命令すりゃあ、あの賢者だってすぐに連れ出せるんじゃねぇのか? どのくらい偉いのか知らねぇけどよ」

「さぁな……余程頑固なのか、それともあの男が気に入らないのか。いずれにせよ、今我々にできるのは待つことだけだ」


 話し声一つ聞こえてこない、物音一つ聞こえてこないのをいいことに、一時任務から解放された護衛達は好き勝手に話し始める。

 不満げに頬杖をついていた一人が、不意に疑わしげな表情になり、師の家に視線を向けた。


「…何でもいいけどよぉ、さっさと面倒事は終わらせてほしいもんだよ」


 心底面倒くさそうに呟く彼に、仲間達は全員呆れた様子でため息をつくも、気持ちは同じなのか目を逸らし、肩を竦めるのだった。




「……ふん、だ。お前らなんかにお師匠が真面に相手するもんか」


 暇そうに草地で寛ぎ、思い思いに時間を潰している護衛達を、家の影から覗き込んでいたアザミが睨み、吐き捨てるように呟く。

 薬草の山を板の上に乗せて運び、裏口近くに腰を下ろした彼女は、ぶすっと不機嫌そうな表情のまま腰を下ろし、種類毎の選別を始める。

 その隣にシェラも座り込み、彼女の作業を手伝い始めた。


「ねえ様、あのひとたちは何をしに来たの?」

「お師匠にね、『ウチの国に来て働け』って言いに来たの。行くわけないのにね、まったく…」


 深く深くため息をつき、気怠さを顔中に表しながら、アザミは手を動かす。

 ぽいぽい、と適当に見えて的確に薬草の種類を選別し、小分けにしていくが、手つきはやはり苛立ちが混じり、ガサガサと耳障りな雑音が混じっている。

 シェラも同じく選別を行い、そしてアザミの前で首を傾げた。


「……国って、ガルムのこと?」

「ん? いや…ああ、そう言えばまだ説明してなかったね」


 シェラの質問を受けて、アザミは忘れていたというように目を見開き、手を止める。

 一旦作業を中断すると、アザミは近くにあった棒きれを拾い、先端で地面をガリガリと削り、線を刻み始める。


「あたし達がいるこの森は、二つの大国に挟まれて存在してるのよ。西のガルド王国と、東のウェンベリル皇国…あ、どっちも国土の大きさは大体一緒なのね」


 シェラにわかりやすいように、アザミが簡単な地図を描く。

 二つの歪んだ形の円を間を開けて描き、ちょうど中間地点を棒の先端で指す。それが王国と皇国、双方からの距離がほぼ同じ地点ということを示しているのだと、シェラはすぐに理解する。


「で、この二国ってめっちゃくちゃ仲が悪くて、森の切れ目である北と南でちょくちょく小競り合いとかを繰り返してんだよね。ただし、総力をぶつけ合うような戦争は、今のところ起きてないけどね」

「それは……どうして?」

「この森に阻まれてるから」


 簡潔に答え、アザミは森とそれぞれの国の接地面に×印を書き記す。

 どういうことか、と視線で問いかけてくるシェラに、アザミは辺りの樹々の奥を見やり、やや引き攣った表情を見せて続きを答えた。


「前にも話したことあると思うけど、この森って無茶苦茶危険な動物がうようよしてるやばい所だからさ、大軍なんか送り込んだら、とんでもない被害を被ることになるわけ」

「…私達も住んでるけど」

「……まぁ、そのへんはあの人の弟子だからって事で」


 もっともな指摘を受け、姉は気まずそうに目を逸らす。

 が、注目すべきはそこではないと首を横に振り、咳ばらいを一つしてから地図に視線を戻した。


「武力主義……兵士とか兵器の方面で強い力を持ってるガルムに対して、ウェンベリルは魔術方面で潤ってる国でね、お師匠の知識でさらに軍事力を上げようって考えてるみたい。…もう、10年くらい使者が来てるけど、お師匠は絶対頷かないんだよね」

「ま…じゅつ」

「そう、お師匠は現代魔術の開祖って言われるぐらいすごい人……らしいよ」


 らしい、という曖昧な言葉に、シェラは思わず肩眉を上げ、アザミを見つめる。

 そもそも魔術というものが何かさえ、まだまだ多くの事を知らずにいるシェラにとっては想像もつかない代物である。しかし彼女の脳裏には、自分がこの姉に引き取られた翌朝の事が、師と初めて二人きりで対話をした時の事が蘇っていた。


「…魔術って、何もない所から火を出してみせたりするあれのこと?」

「あ、見た事あるの? お師匠ってば滅多に使ったりしないから、あたしもあんまり見た事ないんだよね~。運がいい方だよ、あんたは」


 けらけら笑い、アザミは中断していた薬草の仕分け作業に戻る。

 だが、シェラは気づく。さりげなく作業を再開しようとしているが、見るからに話題を逸らそうと試みていることに。

 シェラも同じく薬草に手を伸ばしつつ、視線は姉に向けたまま、さらに質問を続けた。


「魔術って……他にも何かできるの? 昔、ねえ様が読んでくれた御伽噺に載ってたことも? 空を飛んだり、花を咲かせたり…」

「…さぁ、どうだろうねぇ」

「一晩でお城を作ったりは? 不治の病を治したりは? …ねえ様は何かできないの?」

「ほ、ほら! 手が止まってるよ! あいつらのせいで作業が遅れてるんだから、さっさとやっちゃおう! あと、晩御飯の用意もしないといけないし、あー忙しい忙しい!」


 だんだんと興奮気味になるシェラを誤魔化そうと、アザミは声を張り、先ほどよりもさらに乱雑に仕分け作業を行う。

 その様にやがて昂りが醒めてきたのか、シェラは半目でアザミを見つめ、彼女の目を覗き込もうとする。やはり姉は、妹分と目を合わせようとしなかった。


「…ねえ様、実はおししょう様のことよく知らないの?」

「それを言っちゃあ……それだけは言っちゃや~よ!」


 じとっとしたシェラの視線を受け、アザミは渇いた笑い声をこぼすと、頬を赤く染めて顔ごと視線から逃れる。図星を刺されたのか、冷や汗がこめかみから垂れ落ちていた。


「んんっ…あ、あたしはお師匠に薬学について学ぶために弟子入りしたから。それ以外の事は基本、正直いってどうでもいいのさ。お師匠も、『魔術なんて何の役に立たないどうでもいいものだ』って前に言ってたし、平気平気」

「……役に立たないなら、どうしてあの人達はここに来るの」

「まぁ……価値観の違いかなぁ。あたしやお師匠にとってはどうでもよくても、他の人から見たら何より欲しいものなのかも」

「…ふ~ん、変なの」


 シェラが耳を澄ますと、家の中からはまだ、あの来客がしゃべり続ける声が聞こえてくる。気のせいか最初よりも勢いと大きさが増し、焦っているようにも聞こえる。

 もう数時間は立っていると思うが、そこまでして協力を取り付けたいほど、魔術というものは魅力的なものなのだろうか。シェラはそう感じ、また首を傾げた。


「…おししょう様は、どうして手を貸さないんだろう」

「んー、単純に人間が嫌いだからじゃない? だからこそこんな危ない森の奥に住んでるわけだし。あたしが最初にお師匠に出逢ったのもこの森だったし……あれがなかったら、いつまでも一人でここに住んでたんじゃないかな」

「……私も、人間は好きじゃない。できるなら関わりたくないのは、よくわかる」

「……あたしもさ」


 冷めた表情になった姉妹は、深いため息をこぼして俯く。

 奇妙な沈黙の続く、気まずい空気の中で黙々と作業を続けていたアザミとシェラは、不意に表の方から聞こえてくる騒がしい音に、ハッと顔を上げた。


「―――もういいわ! こうも虚仮にされて黙っていられるか! 貴様などに頼みに来たのが間違いだったわ!」


 続いて聞こえてくる、来客の放つ高慢で耳障りな喚き声に、アザミとシェラは何事か、と入口の方を覗き込む。表で待っていた護衛達も訝しげに振り向き、どかどかと鼻息荒く飛び出してくる依頼者に困惑した目を向けていた。


「この私がこれだけ頭を下げ、殊勝な態度を見せているというのに! 何だ貴様のその態度は!? 馬鹿にしているのか!?」

「…そもそも、己はお前を招いてもいないし、歓迎してもいない。応対してやっただけありがたいと思え、愚か者が」

「この…! 栄えあるウェンベリル皇国貴族であるこの私の頼みなのだぞ!? 泣き叫んで喜びをあらわにし、望んで引き受けるのが貴様ら下民の在るべき姿であろうが! ふざけるなよ得体の知れぬ不忠者が!」


 開いたままの扉越しに、室内から全く出てくる様子のない相手に向かって吠えるが、師は椅子に腰かけたまま振り向きもしていない。

 ますます顔を真っ赤に染める訪問客を見やり、物陰に潜んだアザミとシェラは、嫌悪感に顔をしかめていた。あまりにも不遜な、子供でもこうはならないだろうという姿に、呆れて言葉も出ない。


「……話が終わったなら疾く失せろ。お前の耳障りな声を聞くと胸糞が悪くなる」

「…! 覚えていろ!」


 訪問客はどすどすと荒々しい歩き方で背を向け、師の家から去る。その後を護衛達が慌てて追い、ガサガサと足音が森の奥へと消えていく。

 師はそれ以降口を開くことはなく、開きっぱなしになった扉の向こう側を見やって、気だるげに頬杖をつく。


 人の気配がなくなってから、アザミとシェラはひょっこりと顔を出し、いつもの椅子の位置に座り直し、黙々と書き物を再開する師の元に歩み寄った。


「今回のお客は、ずいぶん面倒臭い連中だったねぇ……」

「そんな事は端から分かりきっていた事だ。お前も予想はしていただろうに」

「まぁね…今更だとは思うよ」


 後頭部で腕を組み、やれやれと肩を竦めて見せるアザミに、師は仮面の奥の目を呆れるように細める。しかし特にそれ以上言及する事はなく、視線を手元の白紙の本に戻した。

 しかし今この場には、師やアザミ以上に苛立ちを抱いている少女の姿があった。


「……追い返せばよかったのに」

「そういうわけにもいかないんだよ、シェラ」

「ねえ様の淹れたお茶、捨てるし…おししょう様には偉そうに怒鳴るし……あんな奴ら、どうなったっていいと思う」

「…それには概ね同意するけどさ」


 自身が気遣いを見せた際、あからさまな蔑視を向けていた護衛達のことを思い出し、アザミは苦笑をこぼす。

 アザミとて、普通の娘と変わらない感性を持つ少女ゆえ、あの態度に苛立ちや悔しさを覚えなかったわけではない。

 が、彼らを見捨てたとしても、その負の感情が解消されるわけでもないのだとわかっていた。


「さーて、お客さんも帰ったし、さっさと晩御飯の用意しなくっちゃね〜。シェラ、手伝って」

「…はい、ねえ様」


 腹の立つ話はここまで、というように態とらしく声を張り上げ、アザミはシェラを室内に誘う。

 なおも不服そうに唇を尖らせるシェラだが、それをどうにか押さえ込み、促されるまま姉の後に続く。


 ふと、背後の森に視線を向けたシェラは、さわさわと不気味な静けさに包まれる木々の奥を見つめ、じっと息を潜める。

 やがて彼女は興味を失ったように、ため息とともに扉を閉じる。


 森の奥で蠢く、いくつもの黒い人影になど、気付かずに。

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