5 お嬢様と僕の城
翌朝、目が覚めた。はっとして時計を見ると、もう昼前だった。
「っ!」
とんでもない大寝坊だ。
「おはようございます、お嬢様。」
部屋にアルバンが入ってきた。
「あっ、アルバン…ごめんなさい、私、私っ…」
「何か謝られる事でも?」
「だって!寝坊しました!」
「それが何か?現在、このお館にはお嬢様と私だけでございます。」
「…はい?」
何気にすごい事を聞いた気がする。
「旦那様と奥様、そして妹様は殿下のお誕生日を祝う祭典へ出席されています。そして同伴した者以外の使用人たちには今日と明日のどちらかでお暇が出ております。」
「そうですね、昨日まで働き詰めでしたから休まないと。」
「ええ、今朝まで慌ただしかったので、お嬢様の眠りを妨げぬよう夜の内に別館へ運ばせていただきました。」
「そういえば…」
なんだか雰囲気が違う。
「でも家具一式は同じですね。」
「はい、内装一式、かつてここにあった部屋の物と取り換えさせていただきました。」
「そんな、あの忙しい中こんなにある家具を一夜で取り換えるだなんて冗談にも程が…いいえ、あなたはアルバンでしたね。」
「ええ、左様にございます。普通の使用人…いえ、ロードすらも難しいでしょうが、全てやったのは私でございますから。」
アルバンはたま~にすごい事をさらっとやる。気付いていないだけで、本当は常に何かしらやってくれているのかもしれないのだけれど。ホント、私にはもったいないわ。
「でも別館にいるなら本邸に戻る必要がありますね。」
「その必要はございません。」
ベッドを降りようとしたら、アルバンに止められた。
「旦那様に許可はいただいております。ここをお嬢様のお城にいたしましょう。」
「はい?」
「お嬢様、もうここでは化粧も着替える必要もないのです!髪ぼっさぼさのままで、深夜までぐ~たらしても誰も咎めません!」
え…。
「…。」
理解するのに時間がかかった。
「…アルバンは怒りませんか?」
「まさか!もうあなたは体裁を気にする必要がございません故。」
「…ベッドで食事をしたいとか、お風呂上がりに下着姿で歩いていても良いですか?」
「忠誠を誓っている以上ないとは思いますが、私がお嬢様に欲情してしまいそうな時とお嬢様のお体とお心に著しく悪影響がありそうな事以外は全て自由です。」
最高じゃん!
「ですから…お嬢様さえよろしければ、昨日のお化粧を放置すると肌かぶれにつながりかねませんので、今日中に落とさせてくださいませ。あと、髪型の方も…」
「そうですね、それは落とさなきゃ。」
「あらかたピンなど危険な物は取っておいたのですが…」
「ありがとうございます。」
寝ている間に頭にぐさって刺さったら危ないもの。
「あと、大変失礼ながら寝ていらっしゃる間にお着替えをさせていただきました。」
「そういえば…」
ネグリジェになってる。
「ありがとうございます。」
「ふふ、お嬢様のためでございます。」
アルバンは綺麗に一礼した。
「ブランチはいかがされます?」
「ブランチ…」
「遅めの朝食であり早めの昼食にございます。」
「素敵な言葉ですね!」
この言葉を生み出した時代の人々もきっと朝はゆっくりしたいと思っていたんでしょう。激しく同意いたします。
「何を食べましょうか。」
普通の朝食と同じだったら午後がお腹空きそう…いや、ゆっくりする分には消費しないから足りるかもしれない。
「いつもの朝食みたいに、パンとおかずとサラダとスープとフルーツヨーグルトの4皿が良いです。」
「お嬢様、私の方はいかがされます?」
「…はい?」
アルバンはただニコニコしている。
えっ、メニューを言っていく流れで「私の方は」って…アルバンも食べる対象になるわけで。もちろん、カニバリストではないのでアルバンだけはその…そういう意味だよね。
「あの、どういう意味ですか?」
一応、確認しておこう。アルバンがそういう事言うわけない。
「私が食事のお相手を致した方が良いか否かを伺っております。」
「あっ、そういう事ですね…今日は誰もいなくて寂しいのでお願いします。」
「かしこまりました。では、2人分用意させていただきます。が…」
はい。
「お嬢様、先ほどは何を想像なさいました?」
「想像にお任せします。」
「私、精一杯お嬢様のお気持ちを汲もうと努めておりますが分からない事もございますからねぇ?そのあたり不十分だと思われたらハッキリ仰ってほしいものです。」
いや、絶対分かってる顔だよ。
「どうなさいました、お嬢様?私は前に挙げた2点さえ守っていればほぼ全ての命令を受け入れますよ。」
「良いですから、早く準備してください!」
「ふふふ、お待ちくださいませ。」
アルバンが不敵な笑みを浮かべながら部屋を出て行った。
昔から2人きりになるとからかってくる事が多々あったんだけど、さすがに婚約者がいた手前こういうイタズラはしてこなかった。だから何か新鮮だ。
そもそも私自身に対して軽口を言われた事が無かった。アレクサンダー殿下のご機嫌取りのために「お美しい」とか言われた事はあるけど、最後にくるのは「さすが殿下ですね」「殿下が羨ましい」とかいう言葉。分かっているし、舞い上がりもしてない。
だからこそ、アルバンのさっきのからかいにはちょっと対応に困ってしまった。
彼はよく私を「綺麗だ」「美しい」とか褒めてくれるけど、それは単純に「特に問題ないです」という意味だろう。だから彼からも軽口を叩かれた事は無い。
「お嬢様、お食事をお持ちいたしました。」
「ありがとうございます。」
アルバンがてきぱきとテーブルに食事を並べてくれた。そして私の背後に回る。
「アルバン?」
「失礼いたします。」
アルバンは私のネグリジェの袖をまくり、エプロンを付けてくれた。
「これって…」
「どうぞ、私以外に何者も見ておりませんので、思いっきり好きな食べ方をなさってくださいませ。」
「はい?」
「お嬢様…トーストの上の半熟卵とベーコン・チーズを載せましょうか?」
そういう事か。
今まで絶対こぼすし食べ方が汚くなるから出来なかった禁断の食事法…皇太子妃となるためのマナーを叩き込まれている際に私が愚痴ったのを覚えてくれていたんだ。
「覚えていてくれたのですね。」
「当然でございます。」
食い気味に答えられたのでびっくりしてしまう。
「そ、そうですよね…アルバンはものすごく優秀です」
「お嬢様専属たる者の務めでございます。」
「は、はあ…」
アルバンは私の正面に座り、微笑んだ。
「婚約破棄までは望んでおりませんでしたが、お嬢様が羽を伸ばせる環境を模索していたのは事実でございます。またとない機会で、お嬢様が私に主菜をお任せとあれば、真っ先にこちらが思いつきました。」
「アルバン…」
「私だけはお嬢様が他に隠されたい事を受け入れる者でありたいと思っております。お嬢様の機密情報を扱う立場でございます故。」
彼は自分のトーストにもチーズと卵、ベーコンを乗せた。
「さあ、冷める前に召し上がれ。」
「そ、そうですね。ありがとうございます…アルバン。いただきます。」
半熟卵の表面にナイフで傷をつけると、ややしばらくしてとろとろっとした黄身が流れ出した。そのままナイフを押し込み、トーストごと切る。
じわぁ…っと白い陶器製の皿の表面に黄身が流れ出す、この罪悪感よ。
「アルバン…ごめんなさい。」
「どうぞ、どうぞ、お気になさらず。」
あっ…罪悪感を超えた所にあるこの禁忌ともいえる黄身とベーコンの織り成す旨味!それにチーズという高カロリーな物質とパンという炭水化物!悪魔の誘惑に等しい食事だ。
絶対口元にぐるっと黄身が付いてるだろうけど、気にしない。はふはふっと半分を食べきってナプキンで押さえる…はずだった。ナプキンで隠して舌でぺろっと一部舐めとってしまった。
アルバンの方をちらりと確認すると、彼は上品にナイフを使って黄身と細かくした白身のぷるぷるをパンに塗っていた。
その手もあったかぁぁ~っ!くっ、残り2分の1切れの上の白身だけでも…。
「お嬢様、もしよろしければ4分の1切れ召し上がられます?」
「へっ?」
アルバンが初めて顔を上げ、自分の皿を示した。
私の2分の1切れより、アルバンのがずっと美味しそう。というか、綺麗だし。
「…く、ください。」
「ええ、どうぞ。」
アルバンがフォークとナイフを器用に使って私の皿に載せ、残り3切れを口に運んだ。今まで基本的に無言だったのはトーストをこの魅惑的な状態にドレスアップしていたからだったらしい。
「あっ…」
「どうされました?」
「アルバンの分…取ってごめんなさい。」
「いいえ、私は数時間前に朝食を別に取っておりますので問題ありません。」
それはそうかもしれないけれども。
「人の物を取るなんてはしたない」
「お嬢様と私だけの世界にそんな価値観は存在いたしません。」
「え…」
「この館はお嬢様のお城でございます。だからここではあなたが法です。」
アルバンがサラダのレタスを容赦なくフォークで突き刺した。容赦なく、というのは何となくそう見えたからで。
「お嬢様の敵はこの城の住民である私の敵でございます。情け容赦なく潰します故。」
アルバンが何枚かのレタスを口に運び、咀嚼した。もちろん音は立てないのだけれど、なんだか生々しく思えた。
「お嬢様の『敵』が求めるような理想など、ここでは気にしないでくださいませ。」
「そっか、アレクサンダー殿下の事」
「お嬢様は、美味しい物を美味しく召し上がって良いのです。」
アルバンは私の言葉を遮ってぴしゃりと言った。
彼の言葉がただただ私は嬉しかった。