4 その男、主を優しい眠りへ誘う
自室のベッドで私は枕を抱いていた。
「うっ、うっ…」
さすがに声を上げて泣くのははしたないのでしないけれど、耐えられなかった。
メイドの人達もばつが悪そうな顔をして離れた場所に控えている。
その時、紅茶の良い香りがしてアルバンが部屋に入ってきた。
「お嬢様、お茶を淹れましょう。」
「…ありがとうございます。」
アルバンはいつものように優雅にお茶を淹れて、ケーキを切り分けてくれた。
「アルバン、具合は大丈夫なのですか?」
ふと思い出したけど、アルバンは重体なのだ。
「ただ意識を失っただけでございます。」
「それ、『ただ』で済ませる事じゃないですよね?」
「お嬢様の鈴を鳴らすようなお声に呼ばれた瞬間、全回復いたしました。」
あからさまなウソをつかないでほしい。
「無理しないでください。」
「無理をされていらっしゃるのはお嬢様の方です。」
アルバンが手でメイド達を部屋から追い出した。
「アルバン…私、とんでもない勘違いをした、痛くて醜い女なんですね。」
「そんな事はございません。」
「だって…殿下は今まで私のした事にお礼を仰ってくださらなかったし、私が何かをしてしまった時に庇ってくださらなかったでしょう?でも、ベッティにはそれを迷いなくしていた。だからね、私、やっとそれで分かったんです、私のする事全てが殿下にとって苦痛だったんだな、って。ここまで嫌われていてもはっきり言われないと分からなかったんです。」
ダメだ、また涙が…。
「お隣失礼いたします、お嬢様。」
アルバンが私の隣に座った。肩をぴったりとくっつけ、反対側の肩に手を回される。
「お嬢様は…私といる事が苦痛ですか?」
「そ、そんな事はありません!」
断じて!
「私もお嬢様とご一緒するのは苦痛ではございません。」
「良かったぁ…」
「ただ、お嬢様とお会いしたばかりの頃はつらかったですね。」
「え…」
ま、まあ…ベッティの方が良かったでしょうね。さすがに二度目の失敗はしない。
よく考えずともアルバンのような仕える人間にとっても、私より見た目も性格も華やかなベッティの方が良いに決まっている。
「ただ、誰とご一緒しても辛いのなら、辛さが最も軽くなるお嬢様のお傍にいようと思っただけでございます。」
「誰でも一緒…そっか、アルバンは万能ですからそもそも人の言いなりになる事もないですよね。」
そもそもの話、そうだよな。
「ええ、昔の私はどこまでも自由でした。しかし、自由過ぎるが故に生きるのに苦痛を伴いました。それを解消するために誰かに仕える事にしたのです。」
「自由に…苦痛か。責任が重かったって事ですか?」
「あの頃の私のなす事には、誰も責任を負えない程の重みがございました。しかし、厄介払いをせずに傍に置いてくださるお嬢様には、その重みを負わせてはいけないと思うようになりました。それが私の感じた事もない苦痛を生み出し、私をがんじがらめに縛り、自由から遠ざけ、自由の渇望という快楽を生み出したのです。」
ちょっと何を言ってるか分からないのだけれど。
「私はそれまで自分をサディストだと思っておりましたが、お嬢様と出会って実はマゾヒストにも適性があるのではないかと感じております。」
「いや、アルバンはどこからどう見てもドSですよね。」
「はい。」
自覚あるんだな。
「ですので、嗜虐欲を一切そそられないお嬢様が虐げられているのを見ると、ムカつきます。私は精一杯あなたを慰めて差し上げたい。まったく、あのような豚どもにお嬢様を虐げる権利など無いのに!」
「…ベッティは太っていないでしょう?」
「わがままボディ。」
もうそれについては何も言うまい。
「とにかく、私は…お嬢様が、あのバカ第二王子に変な風に下手に出る必要はないと申し上げたいのです。堂々と被害者面をしましょう?」
「でも…私にだって非は」
「ございません!」
「アルバンはそう言うけど…」
「まあお嬢様!私よりあの男を信頼するというのですか?!」
アルバンが口元を両手で押さえる。
「そんな事は…」
「では私を優先的に信じてくださっても良いでしょう?殿下と妹様は、自分たちに有利に事を進めるために同情を誘うような演技をしているだけなのですから。」
「…そうかもしれないです。」
「絶対そうです。皇后陛下やクリストフ殿下がいらっしゃらなければ絶対してないですよ、あんな事。陛下たちがいらしてからのあの態度の変わり様はお分かりいただけたでしょう?」
私はうなずいた。
「でも、私達だって最初…そういう事だって知らずにベッティが何かやらかしたのかなと思って殿下1人ぐらいなら上手く言いくるめようって思っていたでしょう?」
「はい。」
「だからね、その態度の変わり様については何も思わないのです。臨機応変って大事ですから。」
アルバンはスッと目を細めた。
「何か面白かったですか?」
「いえ…お嬢様を懐柔しようだなんてあの男も愚かだな、と。自らが下衆に徹した方が何百倍も抱える傷は浅くて済むのに。」
「どういう事ですか?」
アルバンが私の肩に頭を預ける。
「お嬢様を敵に回してはいけない、という事です。」
「そ、そんな大した存在じゃないですよ、私は…」
「何を仰いますか、この私をこれだけサボらせる事が出来るのはお嬢様のやんごとなきカリスマの証明でございます。」
「やんごとなきカリスマ」って何なの。
「そんなお嬢様は第一王子ならまだしもあの第二王子の相手をするには人材の無駄遣いに思えます。ま、クリストフ殿下ほどの実力だったとしてもこの私が許しませんが。」
「アルバン、もう慰めなくて良いです。」
「慰めではございませんよ?」
アルバンが立ち上がって、私の手からカップを受け取っておかわりを注いだ。
「ふふっ…」
「何が可笑しいのですか。」
「お嬢様とゆっくり出来そうだな、と思って。この所、働き詰めで休む間どころか一時も気を抜けなかったでしょう?お疲れ様です。」
そう言われてみればそうかもしれない…。
「ねっ、お嬢様?」
アルバンはいたずらっぽい笑顔でカップを私の手に戻した。
「明日のパーティーには出席しません。」
「ええ、そのように手配しておきました。明日はゆっくりなさってくださいね。」
「…はい!」
自分が慕っていた殿下にことごとく嫌われていたというショックで忘れていた…私はこれまで殿下を支えるべく一生懸命に頑張ってきた。
その努力が無駄になる事は無い。その努力の末に身に着けた力を持ったまま、それをフルに発揮する事を求められなくて済むのだ。
殿下をお慕いする気持ちはまだ残っているけれど、初めて知ったあの辛い業務から解放された安心感の存在に気づくと、心が楽になった。
そっか、だからアルバンは嬉しそうなのか。
「ありがとうございます。ふわぁ…」
「今日はお疲れでしょう、そのままお眠りになっても構いませんよ。」
アルバンが私の手から半分のお茶を飲んでいないカップを優しく受け取った所で私は意識を手放した。
だから、その後にアルバンが私の枕元で媚薬と眠り薬を同時に焚いて部屋を後にした事も、私の部屋に「お嬢様は傷心でいらっしゃいます」という口実で誰も近づけなかった事も分からなかった。
アルバンは「異常に」上機嫌だったのに、すぐ安心してしまうだなんて私はよほど傷心だったのかもしれない。
「…ふぅん、1.3杯か。意外と粘りましたね。ここまでの毒物耐性があるだなんてカルロッタ様だけでなく直系の王族である両陛下も真っ青ですね。」
お茶の入ったカップを見ながら彼がそうつぶやいてカップの中身を中庭に捨て、ポットのお湯ですすいでから拭いた布巾を暖炉に投げ入れた事だって、もちろん知らない。
翌朝までには灰となって全て消えたのだから。