2 その男は序幕を演じ、その女は悲しみに暮れる
「婚約破棄を受け入れます。アルバン、ベッティを連れて帰りましょう。」
私はベッドを降りた。
「アリーシア、考え直しなさい。アレクサンダーの事は私が陛下に相談して処分を下します。だから引かないで良いのよ?」
「そうです、愚弟の処分について仰っていただければ出来る限り考慮します。」
私は皇后陛下とクリストフ殿下に微笑んだ。
「私の一存では決めかねる事ですので…両親に相談させてくださいませ。」
「そ、そうだな、それが良い。きっと今は気が動転されているだろうから。」
「アルバン…お迎えを呼んで来てもらう時に、担架を貸してもらいましょう。」
「だ、大丈夫です…歩けます。」
「無茶ですよ!」
治癒師さん達が起きようとするアルバンを慌てて止めた。
「ついさっきまで生死の境目にいらしたんですから、ここはアリーシア様の仰るように担架で…」
「大げさじゃなくても本当に危ないですよ!」
治癒師さん達に叱られてアルバンは私を見た。
「お嬢様…大変ご迷惑をおかけします。すみませんが、ライター家の御者と担架をここまでお願いいたします。」
アルバンが言うと、クリストフ殿下の取り巻きの1人が呼びに行ってくれた。
「本当に…本当にすまない!」
「もう謝らないでください。」
「そうだな、謝った所で許される事ではない。だが、せめてもの償いに…!」
これ以上謝らせると…私が悪い存在に思えてしまう。ただでさえ惨めなのに、図々しさや醜さまで付加されるようで…自分が嫌になってくる。
「…妹様。そのご様子だと旦那様と奥様はご存知のようではないですね。」
「えっ…そうに決まってるじゃない!だって、お姉様に悪いでしょ?」
「妊娠までしておいて、お嬢様への罪悪感がなおもあったとは…」
「アルバン!」
慌てて止めた。
「やめてください。」
「お嬢様、殿下には言いづらくとも、妹様には仰られて良いと思いますよ。旦那様も奥様も、必ずお嬢様の味方となりましょう…なぜならこれは、両陛下と旦那様・奥様との間で決められた縁談ですので。お嬢様に非はございません。」
「でも…」
「お嬢様、気が動転されておいでなのですね。分かりました、私が全て申し上げておきます。」
やめて。
「妹様、アレクサンダー殿下にレイプされたのであればあなたには罪はありません。」
「っ、アルバン!」
「良いんだ、アリーシア殿。アルバン、続けて。」
クリストフ殿下が仰ると、皇后陛下も私に微笑まれた。良かった…王族の悪口って不敬罪だからね?
「しかし…真実の愛ならば違いますよねぇ?お2人の同意の上での行為だと。」
「そうなの!だから私が悪いの!」
「いや、ベティーナは悪くない。」
殿下を庇うベッティ、そのベッティを庇う殿下…私は殿下を庇ってきたし、フォロー(尻ぬぐい)をしてもお礼の一つも言ってもらえなかったけれど、それが信頼を置かれているんだって思っていた。でも、違うのですね。殿下は私ではなく真実の愛で結ばれた女性を庇うのですね。だから私からは何もフォローされたくなかったのかもしれない。
さしでがましい真似をしてしまった…。
「うっ…」
「アリーシア様?!」
また泣いてしまった。カルロッタ様が慌てて私を抱きしめる。
ああ、もう姻族ですらない方にここまで心配をかけてしまうだなんて…。
それからどうやって帰ったのかよく覚えていない。
気づくと、屋敷の前にいた。皆は殿下の誕生日パーティーに向けて最後の総仕上げをしていて忙しそうだった。なんだかそれでまたむなしさがこみあげて来た。
「皆さん!妹様のおかげでライター伯爵家は明日、妹様のみの出席となります!旦那様と奥様そしてアリーシアお嬢様の準備は今すぐやめて良いのです!」
アルバンが高らかにエントランスで宣言した。
「あ、アルバン…?」
ベッティが戸惑ったようにアルバンを見上げる。さすがにお父様とお母様は出席すると思っているのだろう。私だってそう思っていたんだから。
「さあ、今からはベティーナ様のご懐妊祝いとアリーシアお嬢様の慰安を致しましょう!なあに、罪はアレクサンダー第二王子が真実の愛とやらで被られるそうですので思いっきり殿下を叩いて構いません!」
「ちょ、ちょっと!」
使用人たちが立ち止まって私達をぎょっとした表情で見た。
「ほ、本当なのですか、アルバンさん?」
「あの、ベティーナ様の不貞って、どういう…」
「なぜ旦那様と奥様とアリーシア様はご出席なさらないのですか?」
「ベティーナ様が妊娠されたので、恩赦がございます!!」
アルバンは楽しそうに叫んだ。ベッティもさすがに青い顔だ。
「さあさあ、旦那様と奥様に報告いたしましょう!ベティーナ様の事を!お嬢様、今宵は解放を祝してぱーっとやりましょう、ぱーっと!」
「え…」
アルバンは私を抱え上げ、お父様の執務室へスキップで向かう。
「あ、アルバン?!」
「アルバンってば、倒れたんじゃなかったの?」
ベッティが小走りでアルバンに付いてくる。
すれ違う使用人の人達がアルバンの奇行を二度見してくる。
それでも気にせずにアルバンはとうとう、お父様の執務室をノックした。
「旦那様、奥様。アルバンでございます。ただいま、お嬢様とベティーナ様をお連れ致しました。」
テノール歌手が歌うように彼が告げると、中からさあっと不穏な空気が流れる。
無理もない。ベッティや中級以下の使用人は知らないだろうけど…アルバンが私以外に対して上機嫌な時は大体とんでもない事を考えているからだ。
「アルバン、何か今日、変よ?」
ベッティの中ではただただ沈着冷静なアルバンのイメージ崩壊が起こっているだけなのだろう。
「…入りなさい。」
「はい、失礼いたしま~す。」
アルバンは執事のロードが開けたドアから滑り込むようにして入り、踊るようにターンしながら私をそっと降ろした。
全ての所作が貴公子顔負けの優雅さである。動きが綺麗な人って、顔もだんだん綺麗に見えてくるよね。まあ、アルバンは元々整ってるけど。
ベッティはポカンとしており、対照的に私達の両親とロードは唇をわなわなと震わせた。表にはっきりと恐怖心や不安を出さない所が一流貴族とその関係者だと尊敬してしまう。
「ご機嫌麗しく。」
アルバンはお父様とお母様に会釈した。
「あっあっ、アルバンよ…な、なな何があったのだ?」
アルバン史上3本指に入るほどのあからさまな上機嫌ぶりに、さすがのお父様も慌てている。
「ご報告は3点ございます。まず、ベティーナ様がご懐妊なさっています。次に、ベティーナ様のお腹にいる子供の父親は、アレクサンダー殿下でございます。最後に、アレクサンダー殿下がお嬢様との婚約を破棄なさいました。全て、皇后陛下・第一王子と皇太子妃の前であった事です。」
両親とロードは意外にも反応が薄かった。額を押さえてため息をつくだけ。
「…ベティーナ、どうするつもりだ。」
「どうするも何も、お姉様が婚約破棄を受け入れてくれたので、そのまま婚約者を入れ替えるだけですわ。」
「っ、ベッティ!」
ベッティを見ると、彼女は私にニッコリとほほ笑んだ。
「だって、そういう事でしょう?お姉様は、アルバンが私を責めるのを止めて、婚約破棄を受け入れると言ってそのまま迎えを呼んだじゃない。」
「それは…」
「ベッティあなた、何を言っているか分かっているの?!アリスにこんな事をしておいて…」
ちなみに私は両親や親友など身内で呼ばれる時はアリーシアを略して「アリス」と呼ばれている。
「アリスが何も言わないのを良い事に、許されたと都合の良い解釈をするな、馬鹿者が!」
「どうしてお父様もお母様もお怒りになるの?ここで困るのはお姉様だけのはずでしょう?」
「ああっ…ベッティ、どうしてそんな風に育ってしまったの?」
お母様が悲しそうな目をしている。
「お父様、お母様、確かに私のした事は許される事ではないわ。でも!私達は真実の愛で結ばれた運命の」
「もう良い!」
私は耐えきれずに部屋を飛び出した。