来訪者.4
罠の設置は順調に終わることになった。シーナたちはスナバエが飛びかう山道を歩きまわり、足跡などの動物の痕跡を探し回った。のしかかるような暑さの中、ふたりは立ちならぶクヌギの合間を抜け、道をそれて落ち葉だらけの地面をかきわけた。遠くでは木々のざわめきに混じり、かすかに鷹や鹿の甲高い鳴き声が聞こえている。
エルディンは土を手袋や首筋に擦りつけて極力においが残らないように心がけながら、小さな痕跡を見逃さないように歩いた。シーナは土を塗ることを強要されずにすんだものの、山を歩きなれているエルディンとは違って体力がなかったので、しばらく歩くと汗をだらだらと流しはじめ、「早くお風呂に入りたい」と何度もぼやいていた。
エルディンは沢を見つけた時、僥倖だと喜んだ。枯葉の中に浮かぶ沢は、木漏れ日を反射してきらきらと輝きながら、南の方角へとゆるやかに流れている。のどが渇いていたので、シーナはその水をすくって飲んだ。ひんやりして気持ちがいい。
「あんまりそのへんの物に触るなよ。この沢には多くの動物がくるはずだ。水場は補給線だからな」
といいながら、エルディンはいくつかの獣道に狙いを定め、土を掘って跳ね上げ式のくくり罠を埋めた。
そして埋めた罠を近くの木につなげ終えると、ひたいに流れる汗をぬぐった。
「終わった?」
シーナが後ろから声をかけた。
「ああ、もう少しかかると思ってたがな。沢を見つけられて幸運だった――っ!」
エルディンは怪我をしている左手を押さえた。
「傷、痛むの? ごめんね、わたしが治癒魔法を使えてたら――」
「気にするな」
「でも」
「気にするなといっただろう。このくらい何ともない。油を売ってないでさっさと行くぞ」
「……わかった。じゃあ次は――」
「薬草だな。もう少し奥に行くか」
そういってエルディンは手についた土を払うと、シダが広がる森の奥へと歩を進めた。
しばらく歩くと、少し開けた場所に出た。木々の間隔はまばらになり、その合間に積み上げられた石の基盤や垣根の跡が残っていた。苔むした長方形の石段や、みがかれた丸い石が重々しい雰囲気を放っている。捨てられた石はあちこちにあり、細長く積み上げられていたり、敷き詰められていたりしていた。それはむかしの集落の営みを思いおこさせ、何ともいえない哀愁がただよっていた。
「ここが小人たちの集落跡か……」
と、エルディンが噛みしめるようにいった。
「寂しい感じ、だね。ここも……五百年前の戦争で、みんないなくなっちゃったのかな」
苔の青いかおり。閑寂とした空気が染み入ってくる。一面緑の広場にはもう何も残っていない。シーナは無常観を覚え、静寂の中で大昔の隆盛と斜陽への思いを馳せた。
色とりどりの服を着て、とんがり帽子をかぶり、小人たちは集落の真ん中で火を囲む。笛を吹き、皆楽しそうに踊り、髭は朱色に染まって、輪っかになって歌いだす。騒ぎを聞いて、仲間たちが顔を出し、木の上から、あるいは三角の家から飛び出してくる――
「おい、何やってんだ」
しばらく物思いにふけっていたシーナだったが、いきなり肩を叩かれて飛び上がってしまった。
「ひゃっ、ごめんなさい!」
「いつもの考え事か? ――まあいい、何か、声が聞こえないか?」
シーナはエルディンの真剣な顔を見てすぐに気を取り直し、彼が指さした方角へ耳をかたむけた。すると、草花の揺れる音に混じってかすかに声が聞こえてきた。
「ほんとだ」
風が止むと、今度ははっきりと聞こえた。
「女の子が……歌ってる? どうしてこんな所で?」
声は二層の旋律を持ち、のびやかに、楽しげに歌い上げていた。小さな、幼児のようにつたない声。幽霊だ、なんていっていたけど、はしゃぐような歌声に邪なものは感じられない。
ふたりは声に近づいた。すると、だんだんと歌詞が聞き取れるようになった。
"くいしんぼうのマンチキン
木の根をむしゃむしゃたべちゃった
それを見ていたドワーフは
どんどんむしゃくしゃはらたてた
さてさてふたりはなぐりあい
あたりはぐちゃぐちゃちらかった
見かねたノームのおじさんが
ふたりをめちゃくちゃぶったのさ"
木の向こうにいる声の主に近づきながら、エルディンは思わず苦笑した。
「ひでぇ歌だ」
「これ……たぶん妖精だと思う」
森の奥にある女の子の声。――状況を考慮して、シーナは確信した。以前に妖精に会った時も、同じように歌っていた。たぶんピクシーの仲間だろう。親指くらいの大きさで、子供の姿をしている。緑の帽子をかぶり、透明な羽があって、何人かで集会を開く。気まぐれでいたずら好きだけど、純真な人間や贈り物をくれる人間には利益をもたらすという。
「……行く? たぶん大丈夫だと思うよ」
面倒くさそうなエルディンをよそに、シーナはおもむろに木の向こうへと周りこんだ。
まず視界に飛びこんできたのは、大きな白い花だった。瑞々しく生命力にあふれた緑の茎と、丸まった花弁が真っ直ぐ太陽に向けて伸びていた。その花が腐葉土の中に十本ほど咲いていて、さらに、その周りの地面を木の枝が囲っており、さながら小さな花園だった。
次に目に飛び込んできたのは、囲いの上に座って歌を詠んでいるふたりの妖精だった。シーナの想像通り妖精たちは緑のナイトキャップとドレスを着ており、幼いブロンドの少女のような見た目をしていた。
妖精はふたりしかいなかった。まったく同じ容姿のふたりが、枝の上で透き通るような羽をばたつかせながら歌っていた。やっぱりピクシーだ。こんな人里近くにいるなんて。とシーナは思った。
その時、シーナの足もとががさがさと鳴り、妖精たちは短い悲鳴を上げて枝の向こうに隠れてしまった。
「だれー?」「だれかきたのー?」
同じ声だった。妖精たちは枝からぴょこぴょこと顔を出し、やってきた闖入者を見つめた。
シーナは妖精たちを脅かさぬよう、にこにこと柔和な笑みをうかべ、おだやかな声で答えた。
「驚かしちゃってごめんない。とっても素敵な歌声が聞こえたから」
「にんげんだー!」「ほんとだー!」「おんなのこだー」「ほんとだー」
妖精は飛び上がり、シーナの周りをくるくると回った。
「なにしにきたのー?」「たからさがしー?」」
「宝探しじゃないけど、ちょっと探し物をしてて――」
その時、うしろで草のゆれる音がした。シーナが振り向くと、木陰から仏頂面のエルディンが姿をあらわした。
妖精たちは悲鳴を上げた。
「わっ、けんをもってる!」「こわいかおだー!」
エルディンは何も言わず、勝手にしろとばかりに木へ寄りかかった。
ピクシーは悪い性質ではないが、怒らせたり怖がらせたりすると大変なことになる。それを承知しているシーナは、我関せずといったエルディンを睨みつけながら妖精たちに弁明した。
「この人は悪い人じゃないよ。変な顔してるし剣も持ってるけど、妖精を傷つけたことは一度もないからね」
「ほんとにー?」「うそじゃないー?」
「本当。だから安心して」
目線をあわせ、人懐っこい笑みをうかべるシーナを見て、妖精たちはぱっと飛び上がった。
「じゃあざがしものってなあに?」「ぴかぴかのおたから?」
シーナは妖精たちのうしろにある花を見た。白い花。あれがおそらく件のモーリュ――むかし本で見たものと同じだった――だと思った。
「その、いいづらいんだけど……わたし、あなたたちのうしろにある花を探してて、一本でいいからくれないかな?」
「えーだめだよー」「このおはなは、わたしたちがたいせつにそだてたんだよー」
シーナは何度か頭を下げたが、妖精たちは頑として首を縦に振らなかった。囲いの上に仁王立ちして、美しい花の守護者たらんと目いっぱいに両手を広げた。
「うーん」シーナは考えこんだ。妖精たちは口をとがらせて威嚇しているが、取りつく島もないというわけでもない。シーナは幼少時に妖精と遊んだことがあり、彼女たちについては人一倍くわしかった。
「あっ、そうだ」シーナは妙案を思いつき、後ろで腕を組んでいるエルディンに振り返った。「エルディン、一つお願いがあるんだけど、銀貨を一枚くれないかな?」
「はあ、何のために?」
「いいから!」
釈然としない表情のエルディンの手から銀貨をもぎ取ると、シーナはもう一度妖精たちの前にしゃがみこんだ。
「じゃあ、交換ってのはどう? あなたたちのお花と、わたしの持っているこのお宝……はら、ピカピカ光って綺麗でしょ?」
シーナの手の中で銀貨が木漏れ日に反射して光るたび、妖精たちは感嘆の声を上げた。
「しかたないなあ」「いっぽんだけだからね!」
妖精たちは飛翔すると、摘んできたモーリュの花をシーナの前ポケットに差しこんだ。そして、シーナの手に飛び乗って銀貨を抱えると、はしゃぎながら輪になって飛び回った。緑生い茂る深い森。綺麗な白い花と、穏やかで温かい光に包まれて踊る妖精たち。その光景を見ていると、シーナは何となく懐かしい気分になった。
「やれやれ」
手柄顔で駆けてくるシーナをみて、エルディンは呟いた。
「やった! ほら見て!」
「中々やるじゃないか」
「でしょ? エルディンひとりじゃ、今ごろ馬にでもされてたと思うよ。まあでも、それはそれで見てみたいかも。おもしろそうだし」
「ふん、馬鹿いえ」
太陽は西の空へと向かい始めていた。ふたりは村に戻ることにした。シーナは行きしなとは違って上機嫌で岩の段差や小道に転がる枝を飛び越え、ひたいに流れる汗もそのままに山を駆け降りた。