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怪物は月に哭く  作者: 氏 抹茶
一章 来訪者 Visitors
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来訪者.3

 夏の日差しが降り注ぐ村の空気には、さまざまなものが入り混じっていた。肥溜めやエール醸造時に発生する発酵臭、家畜の鳴き声や農民の笑い声、水車のきしむ音、おだやかな風。村には藁ぶきの家が立ちならび、その周りには、わだちだらけの道で区切られた畑が広がっていた。小麦の収穫はすでに終わっており、坊主頭のような広い畑では子どもや老人が落ち穂拾いにいそしんでいる。その横の休耕地では、黒やまだら模様の牛たちがのんびりと草を食んでいた。


 村の中心にある石造りのマナーハウスや教会の周囲では、男たちが泥だらけの服をまくり上げ、忙しそうに麦束の乗った手車を押して、高い鼠返し(ねずみがえ)のあるサイロに向かっていた。どこからか陽気な歌が聞こえてくる。


 シーナはエルディンについて歩き、西の村はずれへ向かっていた。ここ二週間は日照りであり、農道の乾いた土は踏みしめるたびにザクザクと音を立てた。


「ねえ、エルディン。クリフォードさん、すごく疲れた顔をしてたけど、大丈夫なのかな?」


 ふと、シーナはエルディンを見上げて訊いた。


「……大方、娘のことで頭がいっぱいだったんだろう。人の親ならよくあることだ」


 やっぱりそうだよね。シーナは相槌を打った。


「狩り、するんでしょ? でも弓はジージェンに置いてきちゃったし、どうするの?」


 そういった時、シーナの頭にいいようのない悪い予感がよぎった。魔女の力――シーナは生まれながらにして魔法の力を持っており、そのおかげか彼女の勘はよく当たる。つい先日、立ち寄った都市で彼女の力を狙う追手にエルディンが腕を斬られた時もそうだった。  


「そうだな……」


 エルディンは放浪の剣士であり、金になるなら何でも引き受ける。鋳掛(いかけ)や雑用仕事、時には賞金首や怪物を殺したりと、誰もやりたがらない仕事をすることもままあった。もちろん、狩猟に関しての心得も持ちあわせている。彼が今日クリフォードを手伝うことにしたのは、懐を温めるためと、ほんのわずかな親切心だった。


「まずは、狩人のジョアンの家に行くぞ。クリフォードの話だともうすぐのはずだが」




 しばらく歩くと、狩人の家が見えてきた。家は南西――クリフォードの家は反対の北西にある――の村はずれにある。穴が開きかけた古い家だ。戸のすぐ横に小動物の骨を梯子状に結び合わせた狩人のお守りがあったので、ふたりはここが狩人の家だとすぐにわかった。家の後ろには鬱蒼とした木々が広がり、大きなオークの木の横には、足跡のついた小道があった。


 エルディンは戸口に立ち、軽めにノックをした。コンコンと軽快な音が響く。十秒、十五秒と経ち、もう一度、今度は力をこめて拳を打ち下ろそうとした時、突然ドアが開いた。


「どちらさま?」


 出てきたのは、老け顔の中年女だった。しわだらけの顔に太い眉が特徴的で、着ている赤色の服はまだ新しい。さすがに、シーナはこの女が狩人には見えなかった。


「あー、エルディンという者だ。クリフォードの使いで来た。ここに狩人のジョアンが住んでいると聞いたんだが、あんたの旦那か?」

「よそ者かい? あの医者に頼まれて薬を持ってきたのかい?」

「いや、違う――」

「なら帰っとくれ。あんたらと話すことなど何もないよ」


 そういって女は口を開けたままのエルディンをよそに戸を閉めようとした。その時、


「待て待て! 母さん、彼を中に入れてくれないか?」


 と、家の中から男の声が響いた。


「はあ、わかったわ」


 女はぶつくさいいながら、扉の横に立って手招きした。


「ふたりともお入り」


 シーナはお互いに気難しい表情をしているふたりがおかしくて、思わず吹き出しそうなった。




 家の中はクリフォードの家と比べると清潔とはいい難かった。藁を敷いた床に、隅に置かれた炉、それら囲む汗と獣の臭い。棚には丸められた毛皮や鹿の角が収められており、壁には首もとに血のついた兎が吊るしてあった。先ほどまで笑いかけていたシーナだったが、部屋に入って一番にそれを見てしまい、少し気分がわるくなった。


 狩人はシーナが思っていたよりずっと若かった。部屋の中央にはテーブルがあり、そこに毛皮の肩かけを羽織った十代後半くらいの男が座りこんでいた。母親と似ている野暮ったい眉以外は好青年といった出で立ちだ。


 男はふたりに向けて会釈した。


「ジョアンだ。そっちはエルディンだな? さっきはうちのお袋がすまない。親父が亡くなってから人当たりがわるくなっちまってね。ささ、そこに座って」


 ジョアンにうながされるまま、ふたりは席についた。


「クリフォードさんの使い、ってことはあれだろ? 薬の材料を取りにきたんだろ? 見りゃわかると思うが、今はないよ」


 と、ジョアンは添え木されている右手を指差した。それを見て、エルディンは頭をかいた。


「わかってる。だから代わりにとってきてほしいと頼まれたんだ」

「ああー、なるほど。そういうことか」ジョアンは人差し指を宙へ向けた。「つまり、道具がないから貸してほしいと?」

「そういうことだ」

「残念だけど、弓を貸すつもりはないよ。あれは僕の宝物だからね。くくり罠ならあるが、使うかい?」

「それでいい。一日中ずっと山を歩き回るよりはましだろうからな」


 たしかに、そのほうが怪我にもいいかも。とルーフェは思った。


「しかし、ずいぶんと気前がいいな」エルディンはいった。「普通、よそ者に道具は貸さないだろう?」


 ジョアンは笑って答えた。


「クリフォードさんと親父は仲がよかったからね。二人ともこの村の出身じゃなくて、よそ者同士気が合ったみたいなんだ。で、ちょうど――お嬢ちゃん、名前は?」

「えっ? ああ、シーナです」


 シーナはいきなり話を振られて声が上ずってしまった。


「シーナちゃん、ね。ちょうど、僕が君くらいの時に、よくブランカと遊んだりしてたんだ。だから、彼女が病気になった時はかなり心配したよ。それで、クリフォードさんが薬を見つけて、僕が材料を取ってくることになったんだ。律儀な人だよ。いいっていってるのに、毎回お金を持ってくるんだ」

「ブランカちゃんの病気って、どれくらい前からなんですか?」シーナが()いた。

「二年くらい前かな。薬を飲めばだいぶ症状は軽くなるみたいだよ。ただ、ボニーさん、ブランカのお母さんが行方不明になって以来、塞ぎこんでしまったみたいでね」

「そんなことが……」


「なるほどな」エルディンが立ち上がった。

「もう行くの?」


 きょとんとした表情のシーナをよそに、エルディンは帯を締めた。


「ああ、そろそろ行かなくては。感謝する」

「ああ、いいさ――」ジョアンは後ろを指差した。「外の納屋に道具が入ってる。狩りの健闘を祈るよ」


 エルディンとシーナは一礼して、腕を組んでむくれているジョアンの母を尻目に戸口から出て行った。ジョアンは爪で机を弾きながらふたりを見送った。



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