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怪物は月に哭く  作者: 氏 抹茶
一章 来訪者 Visitors
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来訪者.2

「つまり、あなた方はシーン山脈を越えてきた、と」


 クリフォードの問いに、先ほどの少女――シーナと名乗った少女がうなずいた。ふたりがこの村の裏手にある今は使われていない山道を通ってきたといったので、クリフォードは心底驚いた。

 

 クリフォードはごつごつした山の稜線(りょうせん)を思い出した。リーベン村がある半島をリール山脈と呼ばれる山が縦断しており、村はその東にある裾野の終わりに位置している。山脈は最高峰という訳ではないが、それでも超えるのに数日はかかる険しい道だ。


 クリフォードは煮えたぎる鍋に糸や布を入れながら振り返った。エルディンが服を脱いでベッドに腰かけ、筋肉質な上半身をさらしている。腕には血のにじんだ布が巻かれていた。その横では、椅子に座っているシーナが棚にならんだ医術書や乾燥させた薬草を好奇心に満ちた目でながめていた。


「しかし、この村に旅人とは珍しいですね。商人たちは北にある大きな街道を使いますし、ここはフェリシアからも離れている。なぜあの道を?」


 クリフォードの質問にシーナが口を開こうとした。その時、エルディンが彼女を目でたしなめて、


「すまないが、それについては聞かないでくれ」


 といった。刺すような視線だった。


 妙な組み合わせのふたりだ。硬骨な顔つきに瘢痕(はんこん)だらけの男。それに不釣りあいなうら若き少女。親子というには歳が近すぎるし、兄妹というには歳が離れすぎている。かといって恋人同士という雰囲気でもない。親戚同士だろうか。いや、それも違う気がする。

 

 クリフォードはかぶりを振り、余計な詮索は野暮だと思い直して治療に専念することにした。


 クリフォードは手を洗い、ひとこと断りを入れ、エルディンの腕に巻かれている布を解いて患部を露わにした。そこには剣でつけられたであろう鋭い切創があった。傷はそれほど深くはなかったが、傷口が開き、そこから一筋に血が垂れている。患部周辺は腫れてはいるが化膿はしていない。しっかり洗浄されている患部周辺や、布からただようアルコールや薬草のにおいを考慮するに、しっかりと応急処置が施されているのは明らかだった。


「これは君が?」


 クリフォードは感心して、自分の手もとを見つめているシーナに()いた。


「はい」シーナは答えた。「水で洗って、お酒とオオバコの軟膏をぬって、布で縛って、でも何度も傷が開いちゃって……。だから、ちゃんと縫わなきゃって思って……」


 彼女の表情は曇っていた。


「応急処置が適切なおかげで化膿してない。これなら、縫合して十日もすれば抜糸できるだろう。君はいい腕を持ってるね」


 クリフォードが微笑みかけると、シーナの顔がぱっと明るくなり、「よかったね」と、エルディンに白い歯を見せた。だが、エルディンはそれを軽くあしらい、早くしろと言いたげに、不愛想な視線をふたりに向けた。


 急かされたのならしかたないと、クリフォードは押し黙り、濡れた綿でエルディンの傷を拭くと、鍋から糸を取りだして針に通した。そしてひとこと合図を送ると、その肌に手早く針を突き刺した。エルディンは皮膚に針が通るたびに顔をゆがめたが、声は上げなかった。


 糸をむすんで縫合が終わると、エルディンは大きく息を吐いた。その横で、シーナが縫合のやり方を手で真似していた。それを見て、クリフォードはおだやかな気分になった。応急処置といい、彼女はこういったことに関心があるようだ。


「すごくはやいですね! 本物のお医者さまが施術しているところなんて、わたし初めて見ました!」シーナがいった。

「それはよかった」

「やっぱり、大学で医術を勉強したんですか?」

「ああ、そうだよ。私は商家の末っ子でね、兄が家を継ぐから、私は外に出ざるを得なかったんだ。大学でいろいろ勉強したよ。幾何学とか、古代史とかもね。私は中でも人体と植物学について興味があったし、それにある出来事があって医学の道を志そうと思ったんだ」

「ある出来事って何ですか?」

「それは――」


 その時、エルディンが咳払いをした。


「談笑中申し訳ないが、服を着てもかまわないか? そろそろ風邪を引いてしまいそうだ」

「ああ、すいません」クリフォードはいった。「まだ動かないでください。すぐに包帯を巻きますから」


 クリフォードは血が付着した手を洗うために袖をまくった。その時、シーナが「あっ」と声を上げた。


「その傷、どうしたんですか?」


 シーナはクリフォードの左手に釘づけになっていた。それもそのはず、彼の手には大きな瘢痕(はんこん)がある。瘢痕は二の腕から手首にかけて縦に二本はしっており、かなり目立っていた。


「ああ、これは……、むかし、軍医だった時にできた傷だよ」


 と、クリフォードは答えた。


「十八年前の戦争で、私は軍医として戦場に行ったんだ。野営地で怪我人の手当てをしていたんだけど、そこで運わるく――前線の兵士はもっと不幸だと思うけど――敵の襲撃にあってね。命からがら逃げることはできたんだけど、その時にざっくりと斬られてしまって。おかげで腱が傷ついて、指が三本、うまく動かないんだよ。まあ、縫合程度ならそこまで支障はないけどね」


 クリフォードがそういって振り返った時、寝室を仕切っているいる垂れ布の隙間からブランカが部屋を覗いているのが見えて彼は驚いた。さっき寝たばかりなのに、話し声でおきてしまったようだ。


 ブランカは仕切り布をわけて出ると、シーナとエルディンに礼儀正しく頭を下げた。


「患者様……ですか? ……こんにちは、わたし、ブランカといいます。」


 エルディンは鷹揚(おうよう)に挨拶を返したが、シーナはかなり面食らったようで、しどろもどろになっていた。


「え、あ、わたし、シーナです。よろしくお願いします。……あの、しんどそうですけど、大丈夫ですか?」

「いえ、お気になさらず。……ゆっくりして下さいね」


 見たことのない人物、それも同年代の子を見て、ブランカは少々浮足立っているようだった。


 ブランカはほかの子どもと交流がない。病気になる前は友達もいたのだが、病に(かか)って床に()せるようになると、誰も彼女を気にかけなくなった。

 

 ゆえに寂しいのだろう。それはクリフォードも重々承知していたが、病気のブランカをあまり人目にさらしたくはないとも考えていた。


「あの、おふたりは旅人なんですか? よかったら、少し話を聞きたいです」


 と、ブランカは愛想よく微笑んでいた。


 そんなブランカを見て、クリフォードは勃然と焦れこんだ。


 ――どうしてそう無理をしたがるんだ。


 少し前にも、ブランカは山の向こうへ行きたいといって泣き出したことがあった。日がな一日、無言で窓の外をながめていたこともある。裏の薬草畑をいじるのもやめようとしない。ことの原因は明白だった。しかし、それが反抗期なのか、憧憬(しょうけい)か、それとも自己嫌悪の裏返しなのか、クリフォードにはブランカの心情がわからなかった。夕暮れに一人で泣いているブランカを見て、クリフォードはずっと苦心していた。


 クリフォードは苛立つ心を抑えながら、ブランカに詰め寄った。


「ブランカ、寝てなさいといったろう。まだ治療中だ。早くベッドに戻りなさい」

「でも……」

「でもじゃない。お前のためなんだ。まったく、どうしていつもそうなんだ? あまりお父さんを困らせないでくれ。ほら!」


 クリフォードは小さな背中をそっと押した。ブランカは口をもごもごとさせながらしぶしぶうなずいて、目の前のふたりに一礼すると、肩を落としながら部屋に戻っていった。その背中にクリフォードは言いようのない寂しさを覚えた。部屋にはラベンダーの香りが残った。


「お騒がせしてすいません。治療の続きをしましょうか」


 間がわるくなったので、クリフォードは振り返って、うしろのふたりに微笑みかけた。シーナは憮然(ぶぜん)とした表情を浮かべていたが、


「あの、娘さん……ですよね? 体調が悪そうでしたけど、大丈夫なんですか?」


 と、奥の寝室を見つめながら訊いた。


 酒が染みこんだ綿と清潔な布を取り出しながら、クリフォードはふっと短く息を吐き、病のことは話しても問題ないと判断した。


「娘は消渇病(しょうかつびょう)という病気でして、不治の病で――」

 

 説明している内に、クリフォードは包帯を巻き終えた。治療自体はつつがなく終えたのだが、途中でブランカが出てきたせいで心労が溜まってしまった。朝からつのる焦燥感と相まって、今すぐでも床に座りこみたい気分だった。


 シーナは難しい表情で、いまだに寝室を見つめていた。エルディンは腕を触って具合を確かめ、腕をしきりに回していたが、不意に動きを止めた。


「助かった。……しかし、あんたも大変だな」


 そういって、エルディンは目の前の医者に薄笑いを浮かべた。相変わらず読めない表情だが、彼の雰囲気は心なしか柔らかくなっているようだった。エルディンの瞳には、自分に向けたものなのか、ブランカに向けたものなのかはわからないが、同情の色が宿っているように見えた。


 その時、クリフォードの頭にある考えが浮かんだ。もしかしたら、数日前から頭を抱えている問題を解決できるかもしれない。少なくとも、家の中で手をこまねいているよりはいいはずだ、と。


 エルディンは服を着て、すり切れた革のベルトをしめ、懐をまさぐりながらいった。


「いくらだ?」


 それを聞いて、クリフォードは(ほぞ)を固めた。


「それについてなんですが、折り入って相談したいことがあります。じつは――」


 クリフォードはちらりと後ろを見て、ブランカが居ないのを確認してから声をひそめた。


「娘の、ブランカの薬の材料を取ってきてほしいのです。そうしてくださればお代は結構ですし、もちろん報酬も払います」


 エルディンは無言のまま眉をひそめ、クリフォードを見つめた。


「……いいだろう。詳しく話してくれ」

「ありがとうございます。娘の病気は先ほどいった通りなのですが、じつは薬が切れかかっているのです。それで薬の材料を取ってきてほしいのですが、その材料というのが少々特殊でして、動物の膵臓が必要なのです」

「動物の膵臓? それが薬になるんですか?」


 シーナが訊いた。


「原理はわからないけど、動物の膵臓から取れる油で病の症状をやわらげることができるんだ。小さいと必要量が採取できないから、鹿や猪みたいにある程度大きな動物が必要なんだけど、ちょっと前に狩人が腕を折ってしまってね」

「へぇ、そうなんですか」

 

 クリフォードはエルディンに頭を下げた。


「彼以外に狩りをできる人はいませんし、あなたしか頼める人がいないのです。どうかお願いできないでしょうか?」


 エルディンはクリフォードと寝室を交互に見たあと、長い前髪から覗く鋭い瞳でクリフォードを見据えた。


「わかった。できるかぎり善処しよう」


 ――よかった。クリフォードは胸をなで下ろした。


「ありがとうございます。ああそれと――」クリフォードは手を叩いた。「モーリュという薬草も、見かけたら取ってきていただきたいのです」 

「モーリュ? それは確か……」エルディンは首をかしげた。

「あ、知ってる! 気つけや強心作用のある薬草ですよね? 確か、フィータルが原産の珍しい植物だと聞いたことがあります」

「おや、よく知ってるね」


 クリフォードがいうと、シーナは誇らしげな笑みをうかべた。


 クリフォードはエルディンに向き直った。


「モーリュは白い花弁と黒い根が特徴の薬草です。数年前に南西の山道を登ったところにある小人の住居跡で見かけたという話を聞きましたが、今は何か変なものが住み着いているそうで、狩人はそこに行ってくれませんでした」

「変なもの?」と、エルディン。

「ええ、なんでも女の子の声が聞こえるとか。幽霊じゃないかといってましたよ」

「小人の幽霊なんざ聞いたことがないな。――まあいい、そのふたつを取ってくればいいんだな?」

「ええ、お願いします」

「わかった。で、報酬はいくらだ?」


 エルディンが抑揚なくいった。


「五十ノルンほどでいかがでしょうか?」


 少なくとも二十日は食べていける額だ。エルディンはうなずいた。


「ありがとうございます。――最後にひとつ。北の森には怪物が住み着いているのそうなので、近寄らない方がいいですよ」


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