崩壊.5
クリフォードは急ぎ足で広場へ入った。クリフォードが噂を初めて聞いたのは。畑の横で世間話をしている老女のそばを通りすぎた時だった。旅人が行方不明者を探すために北の森に入ったと、老女たちはひそひそと話していた。村中がその噂でもちきりだった。それを聞くたびクリフォードの胸に不安が広がっていった。杞憂であるように。そう念じながら、クリフォードは広間の奥にそびえる白いマナーハウスへ向かった。
マナーハウスの玄関を開けると、中にはエルディンとシーナに囲まれ、バスチアンが険しい顔で書類をにらんでいた。
クリフォードが彼らに近づくと、そこにいた全員がそろって顔を上げた。
「あ、クリフォードさん。こんにちは」
シーナが笑顔でいった。クリフォードはにこやかに返すと、バスチアンにいった。
「昨日頼まれた子牛ですが、先ほど薬を飲ませておきました。しばらく休ませておけば食欲も戻るでしょう」
「ああ、ご苦労」
「そういえば、行方不明のふたりは見つかったのですか?」
バスチアンは目をそらしながら答えた。
「マートとニックスは死んだ。怪物の仕業だ」
どくん、クリフォードの心臓が脈打った。――見つかったのだ。
「怪物? ということは死体を見つけたのですか?」
「ああ、ひどい有り様だった」と、エルディン。
「……それで、怪物とは、どんな?」
沈黙。エルディンは真顔でバスチアンを見つめ、シーナは顔を伏せた。重々しい雰囲気のなか、バスチアンが口を開いた。
「――調査中だ」
今の間はどういうことだろう。クリーフォードは訝しんだ。すでに、怪物が人狼だということを知っているのだろうか。いや、間違いなく知っている。村に無用な混乱がおきぬよう、口をつぐんだに違いない。――なら、どこまで知っている? まさか、もう正体がばれてしまったのか?
いや、落ち着け。クリフォードは息を吐いた。正体が判明していたら、彼らはすでに行動しているだろう。まだ、怪物の正体はわかっていないはずだ。慌ててはいけない。
クリフォードは情報を探るべきだと考えた。だが、バスチアンから聞き出すのは骨だった。役人気質の彼の口は固い。クリフォードはどうするべきか思案した。
「……そうですか。では死体はどこに? 検分すれば何かわかるかもしれません」
「まだ森にある。先ほど衛兵に場所を伝えた。もう向かっているはずだ」
「わかりました。では、死体が戻り次第、解剖して検査しましょう」
「そうか、では頼んだよ。そちらの旅人も、怪物を始末したら報奨金を出すと約束しよう」
そういってバスチアンは書類へ視線を落とすと、さらさらと手紙をしたため始めた。
バスチアンが書いているのは派兵の申請書だ。クリフォードはすでに怪物の首に賞金がかかっていることを察した。数日もすれば、都市から人員が送りこまれるだろう。
だが、その前にエルディンが嗅ぎまわるはずだ。往々にして、賞金稼ぎというのは手柄を独り占めしようとするものだ。経験豊富そうな彼ならば、しばらくは誰の助けも得ずに調べ回るはずである。バスチアンもエルディンが怪物を見つけることに期待しているだろう。なぜなら、そのほうが払う金が少なくてすむからだ。クリフォードが旅をしていた時も同じようなことがあったため、彼は賞金稼ぎについてある程度は知っている。エルディンから情報を手に入れるのが好ましいだろうと、クリフォードは考えた。
クリフォードはしかめ面をしているエルディンに耳打ちした。
「すいません、エルディンさん。よろしいですか?」
「何だ?」
「少し、話したいことが」
そういってクリフォードは玄関へと向かった。
正午の日差しは強い。扉を開けると飛びこんできた眩しさにクリフォードは手を仰いだ。クリフォードはマナーハウスのそばに生えているブナの下まで行き、そこで振り返った。まぶしそうに顔をしかめているエルディンが扉から出てくる。続いて、シーナが小走りで出てきた。
「それで、話とはなんだ?」
エルディンは木陰に入って腕を組んだ。
「ええ。おふたりなら、もしかすると怪物の正体を知っていると思いまして」
「なぜそんなことを聞く?」
エルディンは怪訝な表情をうかべた。
「私は医者ですよ、エルディンさん。怪物が毒を持っているのなら、解毒剤を用意しないといけません」
エルディンは目をつぶって考えている。
その時、シーナがエルディンの袖を引っ張った。
「ねえ、エルディン、話しても大丈夫だと思う。クリフォードさんはお医者さまだし、もしかしたら、あとでまたお世話になるかもしれないよ?」
それを聞いて、エルディンはしばらく逡巡していたが、やがてこくりとうなずいた。シーナがクリフォードにいった。
「あのね、人狼が出たんです。村の人たちには内緒ですよ? みんな混乱するかもしれないし」
人狼。実際に聞くと、クリフォードは剣を突きつけられたような恐怖を感じた。一年間も隠していた秘密がこうもあっさりばれてしまったのだ。にわかに足が震える。彼は激しく脈打つ胸をおさえ、絶望にふらつく視界をどうにか正した。問題は、どこまで知っているかだ。
「じ、人狼ですか。ということは村の誰かが怪物に変身しているわけですよね? それは誰なのか……知っているのですか?」
クリフォードは祈るような気持ちでエルディンに訊いた。
「いや、それはまだだ。だがまあ、すぐにわかるだろう。なにせ、この騒ぎで一番焦っているのは人狼本人だろうからな。いずれボロを出すはずだ」
クリフォードはエルディンの冷笑に戦慄した。自身の狼狽を見透かされたような気がした。クリフォードは平静を装い、震える手を隠すために後ろへ回した。
「……では、怪物が誰だか判明したら、そのあとは? あなたが……殺すのですか?」
「もちろん」エルディンはさらに顔をゆがめた。「怪物は殺す。金にもなるしな。変身する前に縛り上げて、変身した瞬間に首をはねる。これが一番スマートだな」
「エルディン」と、シーナ。
クリフォードはエルディンの腰に下がっている剣を見つめた。あの剣で首をはねるのだろう。鮮血の光景が目に浮かぶ。足もとに流れる血。クリフォードはきつく拳を握った。――どうすることもできないのだろうか?
シーナは何かいいたそうにエルディンを見つめた。クリフォードはぼうっと考えこんでいた。エルディンはそんなふたりを気にも留めていないようで、話は終わりだとばかりに鼻で笑った。
「俺はそろそろ行く。お前はどうする?」
「わたしは……疲れたし村に残るよ」と、シーナ。
「そうか」
エルディンは歩き出した。クリフォードは安堵と不安の混じった目でそれを見つめた。
「ああそうだ――」
だが、エルディンは突然足を止めてクリフォードへ振り返った。クリフォードは思わずぎょっとした。自分の態度でばれたのかと思った。
「狩った動物はお前の家に持っていけばいいのか?」
エルディンが訊いたのは薬の材料ことだった。クリフォードは胸を撫で下ろした。
「え、ええ、そうですね、お願いします」
クリフォードが答えると、エルディンはうなずいて、人もまばらに広間へと消えていった。彼が歩いたあとには、鉛のようによどんだ地面が見える。照りつける太陽が何もかもを干からびさせているようだった。クリフォードの背中は冷たかった。
いやな汗を感じながらクリフォードは考えた。
どうする? 逃げるしかないのだろうか? だがブランカの病気ではかなりの負担があるだろう。耐えられるかどうかなど、わからない。薬も手に入るかどうかわからないのだ。クリフォードはじっと目を閉じた。坂道を転がっているような気分だった。
クリフォードは胸がかっと熱くなるのを感じた。崩壊。すべてが音を立てて崩れてゆく。苛立ち。どうしようもないのだろうか。いくつもの悲観的な考えが頭をよぎる。クリフォードはそれを遠いところから客観視していた。いやにはっきりと見えるその光景が、どこか他人事のようだった。




