神童?
「才菊丸ちゃん、お腹が空いたの?」
柔和な笑顔で乃美が尋ねた。
才菊丸の目は既に見える様になっており、乃美が母だと分かっている。
優しそうな人が母親で良かったと思う。
それに比べ、父親を見た時には驚いたものだ。
初めはお爺さんとばかり思っていたからだ。
そんな事を思っていたからだろうか、母親の問いかけに無意識的に応じてしまう。
(違うよ、悲しかっただけだよ)
顔をフルフルと振って否定した。
「嘘?! 私の言ってる事が分かるの?!」
(ヤバい! ついやっちゃった!)
自分の迂闊さを呪う。
首も座っていない赤ん坊がそんな事をしたら、一体全体どんな騒ぎになるか分からない。
(気のせい! 気のせいだよ!)
腕と足をばたつかせ、首も動かして偶然だと必死に誤魔化そうとする。
そんな才菊丸の心情など知る由もなく、乃美は才菊丸をしっかと抱き、大喜びで廊下を駆け出した。
「元就様! 才菊丸ちゃんは神童ですわ!」
夫である元就の下に詰めかけ、喜色満面の笑みで訴える。
我が子の反応は自分の言葉に応えた様にしか見えなかった。
普通なら、こんな赤ん坊がそんな筈はないと思うのだろうが、母親というのは我が子は特別だと思いたがるモノである。
「一体どうしたのだ?」
元就は乃美の興奮した様子に何事かと尋ねた。
「お腹が空いているのという私の質問に、首を振ってお返事したんです!」
乃美は先程のやり取りを身振り手振りで実演した。
そんな妻の様子に元就は苦笑する。
「これ、何を言っておる? 才菊丸はまだヨチヨチ歩きも出来ん赤ん坊ではないか。たまたま首を振っただけであろう?」
「違います! 確かに私の質問に答えて首を振りました!」
夫の言葉に必死に反論した。
疑いの眼差しを向ける夫に、論より証拠とばかり才菊丸に話しかける。
「ねー、才菊丸ちゃん? 私の言っている事が分かるんだもんねー」
乃美に言われ、才菊丸は困ってしまう。
(ど、どうしよう?)
真剣な眼差しを向けられ、無視するのは心が痛んだ。
しかしここで答えてしまっては、騒ぎになるのは目に見えている。
心を鬼にし、ぽかーんとしただけの顔を向けた。
「あれ?」
「ほれ見なさい」
元就が言う。
親馬鹿だと言うつもりはないが、子に期待し過ぎるのは子が可哀想だとも思う。
「さっきは確かにお返事したんです……」
しょんぼりとして乃美が呟く。
そんな妻に元就は言った。
「夜泣きもぐずりもしない子だとあれだけ褒めておっただろう? それ以上を求めるのは酷ではないのか?」
赤ん坊に夜も昼もない。
お腹が空けば真夜中だろうが泣くし、機嫌が悪いのかオムツが気持ち悪いのか何かが良くないのか、ぐずり続けて母を困らせるのが普通である。
しかしこの才菊丸は、そんな事が一切ない。
これまでに2児を育てた乃美にとって、才菊丸は大変に育てやすい子供であった。
夫の言葉を聞き、乃美は思い直す。
「そ、そうですわね! 私が間違っておりました」
「いや、間違ってはおらぬ。子の成長を喜ぶのが親だからな。しかし、今回はちと早とちりが過ぎたというだけの事だ」
「はい……」
乃美は赤ん坊を連れ、己の部屋へと帰る。
「私の勘違いだったのかしら……」
元就にはああ言ったものの、何となく納得がいかない。
お腹を痛めて産んだ子の母として、勘違いでは説明出来ない確信めいた思いがあった。
この子は普通ではないと。
それを上手く言葉に出来ず、乃美は堪らなく悲しかった。
そんな母の様子に才菊丸は居たたまれない。
彼は前の母親に孝行というモノをした事がなかった。
幼い頃から病気がちで病院暮らしの方が長かったせいもあり、心配は掛けても喜ばせる事をした記憶が曖昧である。
母の顔を笑顔にした経験が皆無に近かった。
そうであるので悲し気な母の姿を見るに、自分に出来る事があればやりたいと痛切に思う。
(ちょっとくらいならいいよね?)
そう感じ、未だ思い通りには動かない手を頑張って動かし、母の腕を軽く叩いた。
「才菊丸ちゃん、どうしたの?」
気づいた乃美が自分を見つめる。
元気づけたい一心で笑ってみせた。
「もしかして元気付けてくれているの?」
それには応えず、ただ笑う。
我が子の笑顔に母の顔はパッと明るくなった。
「やっぱり才菊丸ちゃんは私の言っている事が分かるのね!」
そう言ってニッコリと笑う。
母の笑顔に才菊丸の心は和んだ。
「そうと分かればもう一度元就様の所へ!」
(えええぇぇぇ)
唖然としている間に再び廊下へ出ようとする母の服を掴み、引っ張る。
「え? 行ったら駄目って言いたいの?」
いい加減にしてくれとばかりにコクコクと頷く。
バレるとかそういう場合ではなかった。
我が子に反対されて乃美は落ち込む。
「そんなぁ……。折角才菊丸ちゃんの頭の良さを自慢出来るのに!」
心底残念がっている様に見えた。
ちょっとだけ心が痛んだが致し方あるまい。
(駄目だよ!)
とばかり、首を左右に振った。
「目立ちたくないの?」
コクンと返事をする。
「そっかー。才菊丸ちゃんは奥ゆかしいんだねぇ」
一人合点し、ウンウンと頷いて喜んでいた。
(悪魔とか狐に憑かれてるとかで、火あぶりにされるのを恐れてるだけだけどね……)
無邪気な笑みの裏で、そんな風に思っているとは夢にも思うまい。
「そんな才菊丸ちゃんを他の人には任せられないわね!」
通常であれば乳母がつき、乃美の代わりに養育する。
しかし乃美は決心し、自らが才菊丸の教育係までもこなす事を決めた。