宣教師
イエズス会士のルイス・フロイス(55)を連れ、マセンシアと乃美が佐賀に現れた。
乃美は景俊に言われて秀包を諫める為であり、マセンシアの方は夫の秀包をフロイスに引き合わせ、同じキリシタンにする目的である。
フロイスにとっては、自己犠牲の精神に富んだ秀包の行為はキリスト教徒の模範にこそ相応しく、新たなキリシタン大名を得る事によって日本での布教活動を円滑にしたい狙いがあった。
伴天連追放令が下された今、表だっての迫害こそ受けていないが、様々な形で難儀をしている。
巷の名声を一身に集めている秀包を信徒に迎え入れる事が出来たなら、日本での布教活動に大いなる後押しとなるだろう。
マセンシアの話を聞くに、メシア(救世主)の教えを理解して受け入れてくれそうな予感がしていた。
「正直それどころじゃないんだけどね」
「そんな事を仰られず、どうぞ神父様とお会いになられて下さい」
「そうです! 痘瘡の事は今は忘れるのです!」
マセンシアの強い勧めでフロイスに会う事を決めた。
乃美の態度には驚いたが、秀包がいない間に牛痘を試し、その安全性を確かめようというのが景俊の策略である。
病気に罹った牛の皮膚を体内に埋め込むと聞き、多くの者が牛になってしまうのではと恐れた。
実際に景俊もそう思ったのだが、いやいや大丈夫だと言い聞かせて準備を進めていくのだった。
「秀包様のお噂は長崎にも届いておりマス」
日本滞在歴の長いフロイスの日本語は巧みである。
彼は信長にも面会し、信任を得ていた過去があった。
「それで、信者になれって事?」
単刀直入に秀包が問いかける。
「それは秀包様のご決心にかかっておりマス」
フロイスが曖昧に答えた。
「でもね、僕には救いが必要ないんだよ」
「どうしてでございマスカ?!」
思ってもみなかった秀包の告白にフロイスは狼狽する。
キリスト教の教えは、神の子イエスの救いの福音を伝える事に外ならない。
それが必要ないとされれば布教が始まらないのだ。
彼が焦るのも無理はない。
「理由を言っても理解出来ないよ」
「そこを押してお教え願えまセンカ?」
「うーん、やっぱりいいや。僕は救われた、それが全てだよ」
「そ、そうデスカ……」
取り付く島もないとはこの事だ。
「秀包様が救われたのは分かりマシタ。では、その救い主の事にご興味はございまセンカ?」
何とか会話の糸口を探ろうとフロイスは試みる。
「あぁ、天の父ってヤツね」
「そうデス! 天にまします我らが父デス!」
興味を持ってもらえたことに喜ぶ。
「天の父なる神が人類に遣わしたのが、全ての罪を背負ってゴルゴダの丘で磔にされたナザレのイエスでしょ?」
「秀包様は我らの教えに造詣が深いのデスネ?!」
「まあ、ね……」
前世の母がプロテスタント系の新興宗教に嵌り、入院中の自分も洗脳されかけた事を思い出した。
入院中であったので監禁はされず、延々と話を聞かされるだけだったが、長期入院仲間の尽力によって助かった過去がある。
彼らの信じる神についての知識は十分に備えているつもりだ。
「じゃあ宣教師であるフロイスさんに聞きたい事があるんだけど、いい?」
「どうゾ」
待ってましたとばかりに応える。
秀包が真面目な顔で質問した。
「旧約聖書のジェネシス(創世記)で、天地創造を記録したのは誰さ?」
「ヘ?」
フロイスは呆けた顔で変な声を上げた。
質問が分からなかったのかと思い、補足して言う。
「神が光あれって言うヤツだよ」
「そ、そこまでご存知なのデスカ? 一体どこでお知りになったのデス?」
秀包の知識に戸惑いが沸く。
「そんな事はどうでもいいよね? 質問に答えてくれるの?」
「そ、それは勿論!」
フロイスは慌てて説明した。
「ジェネシスは神の霊性が人の身を借り受ケ、書き残した物デス」
「ふぅん」
ありきたりな答えだなと感じた。
知っている範囲のモノでしかない。
「何で神の霊性がそんな事を書き残させるのさ?」
「人に神の御業の奇跡を教える為デス」
記憶にある日本語の単語を必死で捻り出しながらフロイスは答えていく。
そんなフロイスの努力を無にするが如く、秀包は質問を重ねた。
「だからそれはなんでなのさ? 神って自分の行った事を人に讃えて欲しいと思っているの? 功績を自慢したいだけなの? この国だと、そんなのは本当の善行じゃないって言われるよ?」
「神がその様な事をお思いになられる筈がございマセン!」
フロイスが即座に否定する。
「神の尊い御業、御心ヲ、我らが計る事など出来マセン!」
「ふぅん」
それも想定内だ。
「じゃあさ、フロイスさんは重い病気になった事はある?」
「ありマス」
秀包は質問を変えた。
「病気で寝ている時、天の父に快復を祈った?」
「ハイ。天の父に祈りマシタ」
「こうしてここにいるのは病気が治ったからだよね。助かったのは祈りが届いたからだと思う?」
「当然デス。天の父が私を生かしたのデス」
「そう」
それは信徒にとっては明白な事だろう。
「じゃあ、治らずにそのまま死んだ人は祈りが足りなかったからなの?」
「そうではありマセン。天なる父の御心としか言えマセン」
「ふぅん」
祈りが足りなかったとは言える筈もない。
「じゃあさ、信者が祈りを捧げに集まった教会で地震が起き、多くの犠牲者が出た場合は? 死んだ人は祈りが足りなかったの? それとも、その場合でも神の御心なの?」
「神の深い御心ハ、我ら如き卑小な人間には計れマセン」
「成る程ね」
そう言う事も分かっていた。
「だったら、異教徒が教会に火を点けて殺した場合は?」
「それは異教徒の責任デス! 神への祈りとは関係ありマセン!」
「ふぅん」
秀包は気のない返事をし、佐賀城の者に願う。
「誰か火縄銃と火薬、弾を持ってきてくれない?」
武器庫にあった火縄銃が届けられた。
秀包は火縄に火を点け、弾と火薬を込め、火蓋を切る。
流れる様な作業で無駄がなく、手練れである事が知れた。
何をするのかと見つめるフロイスに狙いを定める。
ギョッとして身構える宣教師に言った。
「これからこの火縄銃でフロイスさんを撃ち殺すけど、いい?」
「ハ?」
その顔は無表情で、目には何の感情も見えない。
フロイスは秀包の意図が分からず困惑したが、徐々に恐怖心が沸いてきた。
本気なのかもしれないと思えてきたからだ。
先程までの問答を思えば脅すだけなのだろうと想像出来るが、何せ相手はこの間まで激しい国内戦を繰り広げていた、戦国の世を生きる武将である。
滞在経験から無闇な事はしないと分かっていたが、何があっても不思議ではない事も知っている。
フロイスがこれまで見てきた世界の諸民族の中で、とりわけ礼儀正しく、余りに野蛮で、深い好奇心の塊であり、論理を重んじて義理人情に篤く、どこまでも戦闘狂なのが、目の前で自分に銃を向けている民族だ。
「駄目だと言っても撃つんだけど、こんな時に神に祈って助かると思う?」
ああやっぱりかとフロイスは口を閉じる。
「火縄が消えるのを祈る? 火薬が暴発する事を祈る? 祈りが通じて火薬が暴発したら、怒った景っちが多分フロイスさんを殺すよ? 火縄はまた点ければいいし、僕が殺そうとするのを止めないとフロイスさんは殺されちゃうんだけど、どうする?」
やはりフロイスは答えない。
「僕の意志を前にして、神に祈っても意味がないよね?」
似た事は、かつて謁見した際の織田信長も口にしていた。
「どうせ撃ちはしないと高を括ってるの? それは甘いんじゃない?」
感情の見えない目に、その真意は掴めない。
「伴天連追放令は出ているから、布教活動を理由にしてフロイスさんを処刑する事は出来るんだよ? 罪なんていくらでもでっち上げられるからね」
彼らならやりかねない事も知っていた。
その恐怖と戦いながら、異国での布教活動を続けてきたとの自負はある。
未開な土地に出向き、迷信深い民族の中で神の威光を説く危うさは、やった事のない人間には理解出来ないだろう。
幸いな事にこの国の人間は大らかだが、偏狭な慣習に縛られた部族は世界の中でまだまだ多い。
遠い異国に派遣されたイエズス会士の兄弟達で、一体何人が残酷な方法で殺されてきたというのか。
神の愛、神の奇跡を説く為に遣わされたこの身である。
ここで死ぬ事は本望でさえあるが、それを伝えられない事は無念だ。
「十字架を踏んだら助けてやろうと言いたいけど、それだと誰かの猿真似になっちゃうかな?」
意味の良く分からない事を口にした。
「踏んだ所で神は沈黙したままだよね? だってこれまでの長い祈りの中で、神はフロイスさんに一度でも応えてくれた? 悪い事をした人間に神は罰を加えた事があるの? 僕は戦場で敵兵を殺したけど、今もこうやって生きているよ?」
「神は私の心の中におりマスシ、見返りを求めてはなりマセン。神は罪人もお許しになられマス。大切なのは神への祈りデス」
フロイスは答えた。
「祈りなんて死の恐怖に直面すれば誰でもするよ。でも、そんな事に意味はないんだよ」
「神は我らの祈りを聞いておられマス」
ここで火縄が燃え尽きた。
それに気づき、秀包は銃を下げる。
その冷静さに、フロイスは秀包に敵意がない事を知った。
「神を信じるのは構わないよ。だって僕はその神に実際に救われたんだからね。神の存在は、僕がここにいる事で証明されているんだよ」
「どういう意味デス?」
フロイスの問いには答えない。
「でも、僕が本当に苦しい時を救ってくれたのは神じゃない。神はそんな便利な存在なんかじゃないんだよ。僕を死の恐怖から救ってくれたのはラノベだし、のたうち回る痛みから解放してくれたのはモルヒネだからね」
「ラノベ? モルヒネ?」
聞いた事のない単語にフロイスは混乱した。
「神は存在しているんだよ。最終的には僕を救ってくれたしね。でも、人の世界の事なんて気にかけてやしないんだよ。祈って救ってくれるなら、痘瘡で死ぬ人なんている筈がないからね」
今回の犠牲者を思い、秀包は言った。
救えない命ばかりなこの現実を恨めしく思う。
何も出来ない自分の無力さを呪った。
チート魔法でもあればと心より願う。
「信仰を持っている人にキツイ事を言ってゴメンね。でも、フロイスさんの母国や周辺の国がやっている事って、神の前で誇れる事なの?」
「それはどういう事デス?」
フロイスの白々しい問いに秀包は言った。
「人を奴隷にして売買しているよね? 同じ信仰を持った者同士で戦をして殺し合っているよね? 異教徒は殺しても犯しても土地を奪っても構わないんだっけ? そんな事でいいの?」
「許されない事デス。しかし、人は弱イ。だからこそ神に祈るのデス」
「祈るだけじゃ意味がないでしょ……」
分っていた答えだが、秀包は脱力した。
「もういいよ。どれだけ神の奇跡を語ってもらった所で、既に救われた僕には必要ないんだよ」
「秀包様は神の救いを信じていらっしゃるのデスカ?」
「既に救われたって言ってるでしょ! 神の実在は自明なのに、今更信じる必要はないんだよ!」
秀包はフロイスにそう言い残し、景俊の下に向かった。
乃美らが慌てて後を追う。
「もう?!」
現れた秀包の姿に景俊が驚き叫ぶ。
その叫びに秀包は面食らう。
「あれ? 牛痘を接種して本当に牛になっちゃった?」
「皆が不安になる事を仰らないで下され!」
我に返った景俊が抗議した。
景俊を含め、その場にいた誰もがその事を心配していたのだ。
「なんだ、まだなんだ。じゃあ、僕が先に接種して安全を証明するよ」
「だからそれを止めなさい!」
乃美が堪らず叫んだ。
こうして乃美らの妨害工作は無駄に終わった。
神学論争に詳しければもう少し深い舌戦が出来るのでしょうが・・・
オマケ
「貸しなさい!」
「母上?」
「私がやります!」
乃美は秀包の持っていた種痘を奪い、己の腕に突き刺した。
周りは固唾を呑んで見守る。
「も」
「も?」
乃美が何事か呟きかける。
秀包は母の身を案じた。
「もおぉ~」
「母上?!」
突然牛の様に鳴き始め、四つん這いになって辺りを歩き回る母の姿に秀包は肝を潰す。
見守っていた周りは恐慌し、恐怖で泣き叫ぶ者が出る始末。
「冗談よ」
「母上・・・」
何事もなかったかの様に立ち上がり、ペロッと舌を出す乃美に秀包はガックリと肩を落とした。




