立花道雪
立花道雪は史実では1585年に病気で亡くなっていますが、この作品では生きています。
秀包は住血吸虫対策として、ミヤイリガイの生息が確認された川や用水路に入る事を禁止した。
湿田は埋め立てなどを順次行って畑とし、醤油用の大豆や麹用の麦を育てる。
ミヤイリガイは見つけ次第に捕殺する事とした。
生活には井戸水を使い、井戸がなければ費用を負担して掘らせた。
上流の清浄な川から生活用水を引く事も決める。
収穫物を失った農民には城に蓄えられた備蓄米を放出する事とし、大規模な醤油蔵を建てる計画を立て、土地を失った農民の雇用先を確保した。
また、川の水でも沸騰させれば大丈夫だという事を実験によって証明し、生活が不便になり過ぎない様にもした。
村々に共同の炊事場、風呂場を作って効率を高め、燃料には筑前から出る石炭を用いて費用の増大を防ぐ事とする。
隆景にも協力してもらって石炭を運ぶ街道の整備を進め、馬に荷車を曳かせて迅速な大量輸送を可能にした。
それらの費用は全て秀吉から借りた資金である。
川の水に触れない事の徹底は効果てきめんだった。
それまでは途切れなく住血吸虫の重篤患者が出ていたのだが、原因を周知してからはめっきりと減っていた。
ゼロにならなかったのは病が慢性化してしまっていたからだろう。
それまでは何とか大丈夫であっても、体調の悪化などで倒れてしまうのだ。
また、やって来た備後、甲斐両国の医者に事の経緯を説明し、原因と対策などの詳細を包み隠さず伝えた。
両国の医者も初めは信じられないと言いたげな顔をしていたが、お腹の膨れた、自分達も見知った患者の姿に驚愕し、特定の地域にのみ広がる病だと実感、解剖の見学によってその知見の正しさを理解したのだった。
「でも、やっぱり川の消毒が必要なんだよね……」
宝満川を眺め、秀包は呟いた。
日の光を浴びて煌めく川は、入った者を死へと追いやりかねない、恐ろしい寄生虫が潜んでいるとは思えない。
濁りのない澄んだ水は、そのまま飲んでも大丈夫なのではとさえ感じられた。
「一番良いのは新しい川を隣に作ってミヤイリガイを日干しにする事だけど、日数も費用も大きくなりすぎるよね……」
それにそんな大工事は技術的にも難しい。
「薬を撒くなら川を堰き止めて確実に効かせたいし……」
流れる水では薬剤も流れていき、効果が十分に発揮されない。
「でも、川を堰き止める工事なんて、今の技術だと難しいよね……」
セメントや鉄製の水門などがなければ無理なのではないかと思う。
「しかし、貝を殺すなどという薬があるのですか?」
秀包の呟きを聞いていた景俊が尋ねた。
「硫黄を大量に投入すれば生き物は住めないよ」
それはテレビで見た、温泉地の酸っぱい川の映像である。
一切の生き物が生息しない、死の川であった。
「塩を入れまくって海水より濃くしてもいいかも」
「それは費用が掛かり過ぎますぞ!」
塩も安くはない。
「何にせよ、川の生き物の大量虐殺だよね。人の安全には換えられないから仕方ないけど……」
「魚は捕らえて溜池に逃がす事は出来ますな」
「でも、全部は無理だよ?」
「まぁそうですな」
池の水を抜く場合、魚を捕まえて他の池に移す事も出来るが、川の場合は不可能だろう。
「たとえ宝満川の生き物を全部殺しちゃても、時間が経てば筑後川から戻って来るとは思うんだけどね」
「気にし過ぎではありませぬか?」
「うーん、そうなの、かなぁ……」
その辺りは意識の違いであろうか。
虫は自然に湧いてくると考えられていた時代だ。
「それはそうと、下流の柳川を治める立花道雪から苦情が出ませぬか?」
景俊が懸念を述べた。
硫黄を撒くにしろ塩にしろ、下流域に住む者にとっては堪ったモノではないだろう。
「硫黄の場合は石灰で中和すれば大丈夫っぽいけど……」
それもテレビで見た。
「殿のお決めになる事なので構いませぬが、予め道雪めに一言言っておいた方が宜しいのでは?」
「そうだね」
秀包は頷いたが、ふと気になる。
「どうして苦々し気なの?」
立花道雪の名を口にする景俊の顔は苦りきっていた。
「今は病床にあるという噂ですが、柳川を治める立花道雪は毛利家にとっての疫病神ですぞ」
「疫病神?」
不穏な単語に訝しむ。
「秀包様の御父上元就様も御養父隆景様も、大友宗麟の家臣であった道雪には、戦場で何度も煮え湯を飲まされております」
「そ、そうなんだ……」
「大戦を37回、小さな戦においては百余回繰り返し、自身が率いる戦では負けた事がないと聞いた事があります」
「えぇぇぇ? 本当なの?」
俄かには信じられない数字である。
「あくまで噂です。しかし、元就様も隆景様も道雪を相手にして勝った事がないのは事実です。そんな風なので、ついたあだ名が軍神とか。また、戦場を縦横無尽に駆け回る様から雷神とも、雷を切ったとも言われております」
「雷を切ったた? 嘘でしょ?」
雷を斬るなど漫画の世界である。
「嘘か真か千鳥の太刀で雷を切り、それ以後は雷切と呼んでいるとか」
「えぇぇぇ?! 千鳥に雷切? それって元ネタがあったの?!」
「もとねた?」
「あ、いや、何でもない!」
秀包は慌てて誤魔化した。
あのコピー忍者の雷切に、そんな由来があったとは思わなかった。
「と、兎に角、柳川城に直接行って説明してくるよ!」
本物の雷切が見れるかもと、ちょっとだけワクワクし、秀包は柳川に向けて馬を走らせた。
(育て方を間違うてしもうた……)
道雪は病床で悔やんでいた。
2年前の柳川城攻めの陣中で病気となり、以来寝たきり状態となってしまっていたが、胸に去来するのは娘への思いばかりである。
今、自分の寝ている場所が、病に倒れた時に攻める筈だった柳川城というのが何やら皮肉めいているが、それ以上に娘の在り方こそが皮肉に感じた。
「親父ぃ、早く良くなれよな!」
その胸中を知らず、娘の誾千代が父道雪を励ました。
胡坐をかいて座り、ガハハと笑っている。
病床の父を手厚く看病する心の優しさがあるが、立ち振る舞いは男その物であった。
(息子が生まれなんだから誾千代を男として育てたが、まさか心までも男になってしまうとは思わなんだ……)
跡取りがいないからと、娘を息子として厳しく育ててきた。
(優しい子じゃで、儂に気を使うて男の振る舞いをしてくれとるもんじゃと思っておったが、どうやら違うとったらしい……)
違和感は娘に婿を取った時だ。
自分の後継者に相応しい男を見つけたと、知り合いの息子を半ば強引に婿養子に迎えたのだが、誾千代は一向に興味を示さなかったのだ。
(婿でも取れば女に戻ると思うとったのにのぅ……)
自分を喜ばせる為に男の振りをしてくれていると思っていたのに、そもそも男に興味がない様に見えた。
(無理を言うて紹運の嫡男を婿にもろうたのに、手を触られる事さえ嫌がるとは……)
未だに手すら繋いでいないのではないかと思う。
(婿殿にも紹運にも申し訳ない事をした……)
忠義に篤く、情けも知恵も深く、武にも通じていた名将紹運。
昨年、島津との間に起きた岩屋城の戦いで、奮戦空しく戦場の露と消えてしまった。
(子でも出来れば違う筈なのじゃが……)
道雪がいくらそう思っても、当の誾千代は宗茂の手が触れるだけでも嫌がる現状、二人の間に子など望める筈がない。
(しかし誾千代だけでも難しいのに、婿殿は婿殿で)
「道雪様、久留米から小早川秀包様がお見えです」
考え事を遮り、家臣から報告が入った。
小早川と言えば道雪には馴染みの名である。
「小早川隆景の養子のか?」
「はい」
「確か毛利元就の九男じゃな」
「仰せの通りです」
道雪が仕えた大友家と、長年に渡る激戦を繰り広げてきた仇敵毛利。
秀吉が九州を平定し、立花家は大友家から離れて秀吉に仕える事となった今、最早憎むべき相手ではなくなってしまった。
「何の用だと申しておる?」
「それが、宝満川に硫黄を撒いて貝を殺したいのだそうです。それをすると筑後川の下流である我らに迷惑を掛けるかもしれないから、一言挨拶をと言っております」
「宝満川は筑後川の支流じゃったな?」
「その通りです」
頭の中の地図から久留米の地理を思い出す。
「硫黄を撒いて貝を殺す? 一体何のためじゃ?」
しかし、その意図にはさっぱり見当が付かない。
「まだ道雪様のお耳には入っていない様ですね。宝満川での秀包様の振る舞いの顛末は、ここ柳川で大変有名になっております」
「それは一体なんじゃ?」
病床にある道雪には届いていなかった様だ。
家臣が事の詳細を説明していく。
「あの奇病の原因が川に棲む虫とはのぅ……」
道雪は半信半疑な顔で呟いた。
宝満川の周辺に広がる正体不明の奇病の事は耳にしていたが、その正体が虫とは俄かには信じられない。
虫が体に入り込んで悪さをすると世間で言う。
つまらぬ迷信だと道雪は取り合わなかったのだが、まさか本当に体の中に虫が入り込むとは驚きだ。
「死んだ者の体の中に、実際に虫がいたそうですぞ」
「いや、見た者を疑っている訳ではない。迷信も馬鹿に出来ぬと思っただけじゃ」
多少は世間の事を知ったつもりでいたが、まだまだ知らぬ事は多い様だ。
「しかし、領民の為に自らの身を以て証明しようとは! 謀将の息子とは思えぬ見上げた心根じゃ!」
それは素直に称賛したいと思う。
「それで虫を滅する為に貝を殺したいと言うのじゃな」
「その様です」
合点がいった。
「それなら会うしかあるまい。ここへ通せ」
「畏まりました」
道雪は秀包と会う事にした。
「御気分が優れないにも関わらず、私めの為にお時間をお取り頂きまして誠にありがとうございます」
「堅苦しい挨拶は無用じゃ」
道雪に促され秀包は頭を上げた。
「ほう?」
噂に聞く通りに男前である。
と、誾千代と婿の宗茂が部屋に姿を見せた。
「どうした二人共? 今は客人がいるのじゃぞ?」
男の客の前に姿を見せる誾千代ではない。
どうしたのかと問いかけた。
「ちゃ、茶だ!」
その手にはいつもの誾千代には似つかわしくない、来客用の茶と茶菓子があった。
「飲め!」
ぶっきらぼうに茶を勧める。
「ありがとうございます。頂きます」
「礼などいらん!」
秀包に微笑みかけられた誾千代は顔を赤らめ、そっぽを向いた。
そんな娘を、道雪は口をあんぐりと開けて見つめる。
この様な素振りの娘は初めて見た気がした。
そして宗茂も何やら思いつめた顔をしている。
(これは使えるやもしれぬ……)
歴戦の勇将は、ある企みを思いついた。
※柳川
次話はコメディーチックとなります。




