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住血吸虫

患者の遺体を解剖するシーンがありますので、ご注意下さい。

 久留米の屋敷に戻った秀包に、伯寿が聞き取り調査の結果を伝えてきた。


 「大急ぎで調べて参りました! 宝満川の水に浸かる回数と時間の多い者程、病気になっている傾向がございます!」

 「やっぱり……」


 患者の数を記した地図を見せ、伯寿は興奮気味に口にした。


 「それに伴い、昔からこの辺りで言われてきた、貧しい者ばかりがあの病気になるという意味も分かりました!」

 「どういう事?」


 秀包が問う。


 「貧しい家の者は湿田ばかりを耕しているのです!」

 「湿田って?」


 言葉の意味が分からず、振り返って景俊に尋ねる。


 「湿田とは低湿地などで水はけが悪く、常に湿った田の事です。冬の間は田の土を乾燥させた方が米の収量は上がるのですが、湿田ではそれが出来ないので収量が低くなりがちとなります」

 「二毛作が出来ないから貧しくなってしまうって事?」

 「概ねその捉え方で宜しいかと」

 「分かった。ありがとう」


 そして再び伯寿に向き合い、尋ねた。


 「どうして湿田だと病気になりやすいの?」

 「湿田は泥が深いので、腰まで浸かって作業しなければならないのです!」

 「という事は……」

 「はい! 泥が深いので移動するだけでも大変で、小さな田に苗を植えるだけでも他の田に比べて時間が掛かってしまいます!」

 「そういう事か……」

 「それだけではありません!」

 「どういう事?」


 説明する伯寿の顔は苦し気であった。


 「というのも、泥で汚れた体を洗うのに川に浸かります。念入りに洗えば必然的に水に浸かる時間が他の者よりも増え、一層病気に罹りやすいモノと思われます……」

 「成る程……」


 住血吸虫が川の中全体に隙間なく充満している訳ではない。

 仮に多発地帯で川に入る事があっても、偶々虫に出くわさない事もあるだろう。

 しかし、水に浸っている時間が長ければ、それだけ住血吸虫に遭遇する可能性は上がってしまう。


 「そして、貧しいから滋養のある物を食べる事が出来ず、元々の体の抵抗力も弱いって事だね……」

 「はい……。貧しい者は他の病にも罹りやすく、薬を買う金もなく、治らないまま死んでいく者が多いです……」

 「悪循環だね……」

 「まさしく……」


 二人して暗い顔をした。

 秀包が切り出す。


 「合わせて調査した事があるんだけど……」

 「一体何をですか?」


 秀包は景俊に一枚の地図を持って来させた。


 「あの貝がどこに棲んでいるのか調べさせたんだ」

 「どういう事ですか?」


 関連が分からず伯寿は首を傾げた。

 そんな伯寿に地図を見せる。


 「これが貝のいた地域だよ」

 「これは?!」


 秀包から渡された地図を見て伯寿はギョッとした。

 貝のいた場所を示す点の分布に見覚えがあったからだ。

 気づいたらしい伯寿に秀包が言う。


 「病人が出た地域と被っているでしょ?」

 「まさしく!」


 貝の生息域と患者の発生分布図は似通っていた。


 「つまり、あの貝が病気の原因だと?」


 真剣な面持ちで伯寿が質問した。

 宝満川の川辺に住む者全員の、長年に渡る疑問が明かされようとしていたからだ。

 しかし秀包の答えは予期していたモノではなかった。


 「正確には違うよ」

 「違うのですか?!」


 てっきりそうだと思ったので全くの意外である。

 しかし秀包が付け加える。


 「あの貝、ミヤイリガイが直接の原因じゃないんだけど、中間宿主だから病気の原因とも言えるね」

 「中間宿主? それは一体どういう事ですか?」


 訳が分からず尋ねた。

 秀包が説明する。


 「あの病気の直接の原因である住血吸虫は、卵から孵ると川の中を漂い、ミヤイリガイの体の中に侵入するんだ」

 「え? それでは我々と同じではないのですか?」

 「そうだよ。住血吸虫は一度ミヤイリガイに寄生し、ミヤイリガイの体の中で半分まで成長するんだ。そして貝から出て再び川の中を漂い、今度は川の中に入ってきた人の体に入り込み、卵を産める様になるまで人の体の中で成長するって訳」

 「その様な虫がいるとは……」

 

 まるで聞いた事がない。

 秀包が続けた。


 「住血吸虫はミヤイリガイがいないと成長出来ないし、成長出来ないなら人の体に入り込む事も出来ないんだ」


 それは朗報であった。

 伯寿が顔を綻ばせて尋ねる。


 「つまり、あの貝を全て殺してしまえば病気も無くなるという事ですか?」

 「そうなるね」

 「ありがたきお言葉です!」


 畳に額を擦りつけんばかりに平伏して喜びを表した。


 「話はまだだから元に戻ってね?」

 「誠に申し訳ございません! 余りの嬉しさに!」 


 平伏したままの相手とは話辛い。

 頭を上げさせた。 


 「聞き取りの結果だけど、病気の出ている地区の中で病気に罹っていない人はいた?」

 「は、はい! 川の水は何となく汚いから嫌だと、生活水に井戸水を使っている者は病気にあまり罹っていない様です!」

 「あまりという事は、罹っているって事?」

 「農業以外の職に就いている者は罹っていない様です。やはり、田が問題なのだと思われます!」

 「成る程ね……」


 病気の予防には井戸水を使い、畑作にするのが有効に思われた。

 そんな時に伯寿を呼ぶ者が現れる。


 「伯寿先生!」

 「どうした?」

 「清兵衛さんが亡くなりました……」

 「そうか……」


 闘病中の患者の一人が亡くなったのだった。

 その報告を受け、秀包は改めて住血吸虫撲滅の決意を固める。

 まずは城の者を集め、宝満川周辺で発生している奇病の原因とメカニズム、その対策として川に入る行為の禁止と井戸水の使用の徹底、併せてミヤイリガイの生息地域では水田を廃止して畑にする命令を下した。

 畑では大豆を生産し、大規模な醤油蔵を建て、年貢を納められなくなった農民を雇用する計画だ。

 秀吉の命令である事と、資金の援助も取り付けている事を説明する。


 しかし、いきなりその様な事を言われても、奇病の原因が宝満川に棲む虫だという話を信じられなかった様だ。

 ましてや小さな貝を媒介とした、寄生虫の成長サイクルなど意味不明であろう。

 九州を平定した秀吉の命令なら仕方ないという空気であったが、納得出来ていない者が多数派の様だった。


 「仕方ない……。病気で亡くなった清兵衛さんの遺体を調べよう……」


 秀包は住血吸虫を証明する為、亡くなった患者の体を解剖する事を決める。

 しかし景俊が待ったを掛けた。


 「腑分けをすると言うのですか? 家の者が反対するに決まっています!」


 当時は戦で首を切る事に躊躇いはなかったが、腹を裂いてしまう事を極度に恐れた様だ。

 しかしそれしか方法はない。


 「頭を下げてお願いするしかないよ」


 秀包は清兵衛の家に自ら赴いた。


 「二度と同じ苦しみをする者が出ない様に、清兵衛さんの御遺体を調べさせて下さい!」

 「私からもお頼み申す!」


 伯寿と共に頭を下げる。

 突然の領主の訪問に清兵衛の家族は飛び上がらんばかりに驚いた。

 領主自らが農民の家を訪れる事などないし、遺体を調べるという事も良く分からない。

 慌てて土間に駆け下り、震えて頭を下げる家族に向かい、秀包はその目的と意義を懇切丁寧に説明した。

 一家の大黒柱を死へと追いやり、多くの近隣の者を苦しめている病魔を、清兵衛の体を使って白日の下に晒すのだという秀包の言葉に、悲しみに暮れていた家族は勇気付けられた。

 二度とこの地で同じ病に苦しむ者が出ない様にするとの領主の言葉に、清兵衛の家族だけでなく、周辺の住民の多くが涙を流した。


 「清兵衛さんは僕が責任を持って火葬にし、供養します!」


 そして久留米にいる医者を集め、病気の説明と命令に納得出来ていない者達の目の前で、宝満川の鬼の祟りとして言い伝えられた奇病の原因を究明する、世紀の解剖実験が始められた。


 漢方医しかいない当時、医者も解剖などした事はない。

 牛や馬の解体に就いている者を担当者とした。

 初めは人の体に刃物を入れる事を嫌がっていたが、病の原因を究明する為と頼み込み、どうにか引き受けてもらっている。

 秀包自身が立ち合い、細かく指示して解剖を進めていく。


 「まずはこの場にいる者全員で、奇病に苦しんだ清兵衛さんの冥福を祈り、合掌!」


 秀包の音頭に全員が手を合わせた。




 「こ、これは!」


 解剖が進み、血管の中からウネウネとうごめく無数の小さな虫が摘出された。

 そんな虫が人の体内に棲んでいた事実におぞましさを感じ、多くの者が気持ち悪さを堪え切れず、胃の中の物を吐く。

 秀包もある程度は覚悟していたが、全身が粟立つのを感じた。


 「これでもまだ反対するの?」


 解剖が終わり、秀包が静かに問いかける。


 「宝満川の周りに住んでいるというだけで、領民に同じ苦しみを味合わせるの?」


 下を向き、秀包の視線から逃れる様に顔を逸した。 

 とここで、何かに気づいたのか疑問の声が上がる。


 「さ、されど、川の水に触れたからとて、それで病気になると決まった訳ではないのでござらんか? 病気の者の体内にあの様な虫がいる事は事実だと認めるでござるが、それが川に浸かったからだとは、軽々しく断定出来ぬと思われるのでござる。他の理由からかもしれないでござろう?」


 尤もな質問に思われた。


 「言われてみれば確かにそうだね」


 ネットの知識で知っているからそうだと分かっているが、初めて聞けばそう思うのも無理はない。


 「だったらそれを実証してみるしかないね」

 「どの様にござる?」


 秀包の言葉に問い返す。


 「僕に考えがあるよ」


 そう言って秀包は場所を移した。




 「ここはミヤイリガイが多くいる、病人を多数出している地域だよ」


 それは宝満川の周辺域でも、特に住血吸虫被害の大きい地区であった。


 「実証は簡単な事で、川に浸かったら本当に病気になるのか、それを確かめればいいんだ。重症者は治る前に何度も水に浸かり、繰り返し感染したから重症化したんだけど、初期症状は頭痛や発熱、下痢なんだよ。それはやがて快復するから分かると思う」

 「しかし、どうやってでござるか?」

 「まあ、見ててよ」

 「まさか秀包様?!」

 「秀包! お止めなさい!」 


 景俊と乃美は嫌な予感がして叫んだ。

 秀包の顔には、ある種の覚悟が浮かんで見えた。

 景俊にとってのそれは、初めての攻城戦の際、単身で突撃して敵の視線を一身に集め、味方の勝利を導いた時の秀包に思えた。

 乃美にとっては、自分が我慢すればいいという、息子の優しさから出た無鉄砲に見えた。

 止め様とした二人の前で、秀包はバシャバシャと川へと足を踏み入れる。


 「実証は僕の体ですればいいんだよ」

 「秀包様!?」


 突然の秀包の行為に家臣や農民達は唖然とした。

 引き戻す為に川に入ろうとする景俊と乃美を手で制し、言う。


 「僕一人で十分だから、二人は川に入らないで!」


 有無を言わせぬ強い口調であった。

 そして袴を捲し上げ、己の足を指さす。


 「ほら! 赤くなってきた! これが住血吸虫に感染した証拠だよ!」


 秀包の言う通り、その白い足は水面を境に赤くかぶれてきていた。

 その言葉に近辺に住む農民達は互いの顔を見合い、大いに頷く。

 川に入って赤くかぶれると病気に罹ると経験的に知っていたからだ。


 「だったらもう十分でしょう! 早く川から上がって頂戴!」

 「そうですぞ!」


 景俊と乃美が悲痛な顔をして訴える。

 秀包ももう十分と思ったのか、素直にそれに従った。

 涙を流した乃美が駆け寄り、息子を抱きしめた。


 「もう! この子は無茶をして!」

 「心配させてゴメンなさい、母上」

 「軽率過ぎますぞ! 大事な御身に!」

 「景っちには川に入るなと言ったのにね」


 その身を案ずる二人に謝った。


 「だけどそこまで心配する必要はないよ。この病気は一回感染したくらいじゃ命に別状はないから」

 「どうしてそう言い切れるのです!」

 「そうですぞ!」


 その軽口に二人は怒った。


 「伯寿さんの聞き取り調査でもそれは分かっているんだよ」

 「本当なの?」


 二人して伯寿を振り返る。

 鬼気迫るその顔に、伯寿は冷や汗を流しながら説明した。


 「それは本当です。暫く気分が悪い日が続きますが、やがて治ります。静養出来る者で症状が重篤化し、亡くなった者はいません」

 「それなら良いんだけど……」


 乃美らは少し安心した。


 「だから住血吸虫で命を落とす人がいるのは、僕達為政者の責任なんだよ」 

 

 秀包が言い含める様に言う。 


 「それはどの様な意味で?」


 景俊が問い返す。


 「聞き取りの結果で見たでしょ? 重篤化した人は皆、気分が悪くても川に入ったり、田の仕事をやり続けたって」

 「はぁ……」


 お腹が膨れていた者の多くが同じ様な生活をしていた。


 「それは他ならぬ僕達がやらせているんだよ」

 「我々が、ですか?」

 「そうだよ。年貢として米を集める為、米以外の栽培を許さないのなんてその典型だよ」

 「そ、それは……」


 図星であった。

 米の代わりに大豆をと言われ、受け入れられないと言った者達が俯いた。


 「奇病が出ているのならそこから離れればいいのに、為政者が許可しないから出来ない。畑なら病気が出ないのに水田にして米を作れと強要される。この病気で死者が出ているのは、全部僕達為政者の責任なんだよ」


 その言葉は集まった農民達に染み入った。


 「だから僕の身で実証しないといけなかったんだ」


 そして一ヵ月後、宣言通りに秀包は熱を出し、腹を下した。

 体調変化の経過を聞いた住血吸虫多発地帯の者は、皆その症状に心当たりがあり、秀包の体を張った行為に涙した。

 こうして秀包の決定に異議を差し挟む者は一人としていなくなる。


 「でも、根本的な解決にはミヤイリガイを絶滅させるしかないんだけどね……」


 後日、宣言通りに快復した秀包が難しい顔で呟いた。

 川の近くに住みながら、川の水に触れもしない生活など難しい。

 貝を殺す薬剤のない当時、それこそが一番の問題であった。


※住血吸虫のライフサイクル(ウィキメディアコモンズより)

挿絵(By みてみん)

http://www.dpd.cdc.gov/dpdx/images/ParasiteImages/S-Z/Schistosomiasis/Schistomes_LifeCycle.gif

腑分けや解剖に対する意識は江戸時代のモノです。

当時の意識は分かりませんでしたので、間違っていたらすみません。

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