宝満川の悪鬼
「秀包もとうとう大名になったのねぇ。母も嬉しいわ」
「3万7千石の小さな領地だけどね」
秀包は久留米城に母である乃美を呼んだ。
城持ちの大名になれた姿を見せたかったのと、一緒に暮らさないかと提案する為だ。
二人の兄達は既に嫁と子を持っていたが秀包はまだである。
秀吉と隆景が相手を考えている様だが、まだ決定はしていないらしい。
完全なる政略結婚であるので、自分の意志が通るとは思っていない。
「ここが久留米の町だよ」
「立派な町じゃないの!」
同居が決まり、領地を案内した。
久留米の町は筑後川沿いに広がり、福岡と熊本を繋ぐ街道上にある。
古来より人の行き来が多く、賑わっていた。
通りの人々が平伏する中を進む。
気恥ずかしさと申し訳なさから止めてもらう様に景俊に言ったが、秩序を乱す方が良くないと強く反対され、そのままとなっている。
他の大名が街道を進む事もある。
平伏せずに雑談でもしていようものなら、無礼だとして問題となりかねないからだ。
「秀包様! お聞き届け頂きたい事がございます!」
平伏している人々の列から一人の男が進み出て来た。
真剣な顔で秀包を見つめている。
「何用だ! 控えぬか!」
景俊が一喝する。
しかしその男は怯まない。
「どうか村の者の命をお救い下さい!」
そう言って頭を地面に擦り付けた。
命と聞いては無視する事は出来ない。
尚も下がらせようとした景俊を止め、尋ねる。
「一体どうしたの?」
秀包の言葉にその男は感激し、大声で言った。
「宝満川の祟りです!」
「宝満川の祟り?」
何のこっちゃという顔をした。
男は医者であった。
「橋本伯寿と申します」
「お医者さんがどうして?」
伯寿は暗い顔で説明する。
「私では全く歯が立たない病なのです……」
「でも、僕は医者じゃないよ?」
「秀包様のご高名は噂となっておりますので……」
「でも、あれは医術じゃないからね?」
病院で色々な病気の患者を見てきたが、勿論診察も治療もした事はない。
生半可な知識で手を出して良いとは思わなかったし、その覚悟も無かった。
しかし当時は栄養の知識にすら乏しく、迷信からくる間違った予防法や対処法ばかりであったので、出来るだけ正しい知識の普及に努めていた。
それは家庭の医学程度の情報であったが、むくみに悩む母親へ醤油の使用を抑え、漬物を食べ過ぎない様アドバイスし、運動を推奨して症状が改善した事が噂を呼び、評判となっていた。
「秀包様ならばこの病魔の事をご存知ではないかと思ったのです。それに秀包様は太閤様と御懇意とお伺いしました。太閤様であれば、全国から腕の良い医者をお呼び出来るのではないかと思ったのです。どこかに、この奇病を治せる医者がいるのではないかと」
「成る程」
国内の移動も気軽にはいかない当時、どこかに有名な医者がいても、診察の為に来てもらう事は困難だった。
「こちらです」
伯寿は村外れの建物へと案内した。
その小屋は瓦の間から草が生え、今にも崩れてしまいそうなボロ屋であった。 案内されて足を踏み入れる。
「こ、これは?!」
「何と酷い……」
中は輪廻転生の六道における餓鬼道を再現している様だった。
「この病は手足が痩せ細っていき、肌は黄色く変わり、重症になると腹が膨れてきます。一度腹が膨れてくると助かる者はいません……」
小屋に寝かされていた者の手足は枯れ木の様に細く、皆お腹がパンパンに膨れ上がっていた。
苦し気に呻き、絶望と諦念に染まった目を秀包に向ける。
居たたまれなくなって小屋を出た。
「どんな悪い虫がこんな事をしているというの?」
沈痛な面持ちで乃美が口にする。
当時は体の中に入った虫が悪さをするから病気になると考えられていた。
「虫?」
乃美の言葉にある事を思い出す。
それは現代知識無双の為、ネットで情報収集をしていた時だった。
異世界での感染症や寄生虫被害に備え、勉強していた時に見つけた日本の風土病に関してのモノだ。
しかし確証はないので確かめていく。
「この病気は人に移るの?」
「幸いな事に、この病気が他人に移る事はありません。でなければ秀包様をここにお連れする事はございません」
これで感染症の可能性はなくなった。
「病気は何か分かっているの?」
「水腫張満とは言いますが、原因は全くの不明です。昔からこの辺りにはあの病気がありましたが、宝満川に住む鬼の祟りだと専らの噂です」
「それで……」
迷信となるのも已むを得まい。
「病気の広がり方に何か特徴はある? 例えば久留米全体に広がっているとか」
「不思議な事に、この病気に罹る者は宝満川周辺にしかおりません。宝満川はお城の辺りで筑後川と合流しますが、筑後川の上流に患者はいませんし、下流にもいないと聞きます」
「成る程……」
これで一層予想に近づいた。
決定的な確証を得る為、患者の多い村の川へと向かう。
秀包は川辺に立ち、水回りを調べた。
川の中には入らない様に注意する。
「何をお探しですか?」
「巻貝だよ」
探し物はとある貝だ。
「タニシですか?」
「ちょっと違うかな」
説明しつつ探す。
「これじゃないかな……」
タニシとは見た目が大きく違う、細長く小さな巻貝を見つけた。
予想が正しいのなら直接触れるのは危険かもしれないと、椀を借りて掬い捕る。
「この貝に名前はあるの?」
伯寿に見せた。
予想が正しければミヤイリガイの筈だ。
しかし伯寿の答えは拍子抜けするモノだった。
「カワニナの子供ではないのですか?」
「え?」
予想と違う回答に面食らう。
「ミヤイリガイかと思ったんだけど……」
「ミヤイリガイですか? 聞いた事のない名前ですね」
秀包は知らない。
ミヤイリガイを発見したのは後世の宮入慶之助であり、この当時にはカワニナと区別が付いていない可能性を。
生態や外見の特徴を正確に分類し、種の同定を行う様になるのはまだまだ先の話である。
「その貝がどうかされたのですか?」
不思議に思った伯寿が尋ねた。
「多分なんだけど、あの病気は住血吸虫によるモノだよ」
「じゅうけつきゅうちゅうとは何です?」
聞いた事のない病名であった。
「文字通りに虫が、とても小さな虫が体内に入り込み、体のあちこちで悪さをする病気だよ」
「何ですって?!」
秀包の言葉に周囲は飛び上がって驚いた。
「この病気をご存知とは流石は秀包様です!」
「いや、まだそうと決まった訳じゃないよ」
住血吸虫の発生地は甲府盆地や筑後川など、日本では6地域のみと覚えている。
しかもお腹が膨れる症状からそうだろうとは思うが、何事も決めつけては良くない。
「もしもこの病気がその住血吸虫だとして、治療法はあるのですか?」
期待を込めた目で伯寿は秀包の答えを待った。
しかし秀包は悲しそうに首を振る。
「ゴメン、この病気は僕には治せない」
「そ、そうなのですか……」
薬で虫を殺せる事は知っているが、その薬が出来るのは遥か先の話である。
「どこかに治せる医者はいないのですか?」
「薬がないから多分無理だと思うよ」
「そ、そんな……」
伯寿は打ちひしがれた顔をした。
秀包は申し訳なさで一杯になる。
そして、領主として出来る事を思いついた。
「僕はこの病気を治せないんだけど、これ以上の患者を出さない様にする事は出来ると思うよ?」
「本当ですか?!」
思わぬ秀包の言葉に顔を上げる。
そんな伯寿に告げた。
「まずは村の人がどんな生活をしていて病気に罹ったか調べないといけないね」
「どうやって調べるのですか?」
「病気が出た村の人の生活を聞き取って、何が原因かを探るんだ」
川の水に触れれば感染すると告げるのは簡単であるが、秀包が言っただけでは半信半疑だろう。
罹患者の生活行動を知れば自ずと悟る筈だ。
そう考え、村人への聞き取り調査を提案する。
こうして秀包と橋本伯寿の、住血吸虫との長い戦いが始まった。
※九州征伐後の配置図
NAISEI回はほぼ病気との戦いとなります。
唐入りまで残り5年ですので、駆け足で進めます。




