天下布武
前話、前前話の秀吉の言葉遣いを修正しています。
秀包は生前、異世界で無双する事を夢見ていたが、戦国時代に過去転生し、いざ本物の刀を持ったら血の気が引いた。
ずっしりとする重さに狼狽え、刀身の鋭さに身震いがした。
構えただけでも膝がガクガクとしてくるのに、刀を抜いた相手と正対すればまともに立っていられない。
鍛錬として景俊が相手をしてくれたのだが、大丈夫だと分かっていても体が言う事をきかなかった。
ブルブルと震えて身動き一つ取れないままだった。
以来、刀を持っての鍛錬はまともにやった事がない。
身を守る為にもと景俊が執拗に迫ってきたが、ならば逃げ足をと言って逃げてばかりであった。
その甲斐あって逃げ足だけは一人前になったが、未だに己の刀を抜いた事すらなかった。
そんな秀包が戦に行きたい筈がない。
全力で回避したいと思っていると、察したのか秀吉が言う。
「官兵衛の息子長政も来るでよ。長政はおみゃーの一つ下の歳けどが、立派に戦働きしてるだぎゃ。負けたままでえぇだぎゃ?」
「えぇと、負けで結構です……」
そんな事で競う気持ちはこれっぽちもない。
「うぅぅ、嫌だよぉ」
醤油煎餅を作りながら秀包がこぼした。
戦に備えて大量に作る様にと秀吉から言われている。
戦場での腹ごしらえに丁度良いと考えたのだろう。
「一体どうしたのじゃ?」
それを手伝っている茶々が尋ねた。
姫君がする必要は全くないのだが、団子作りで食べ物を作る事に嵌ったのかもしれない。
黙々と手を動かし、煎餅をひっくり返し続けている。
「戦に来いって……」
秀包も手を止めず、答えた。
「今度の戦じゃな」
「そうだよ……」
茶々にとって信雄は従兄弟であり、見知ってもいるが、事がこうなっては最早どうしようもない。
「それが嫌だと申すか?」
「そうだよ……」
「戦働きは男の本懐ではないのか?」
「他の人にはそうなのかもしれないけど、僕は嫌なんだよ……」
二人共変わらず手は止めない。
茶々が焼いた物を秀包が醤油に漬けていく。
焼いた煎餅が醤油を吸い込む音が響いた。
「死ぬのが怖いからか?」
「違うよ。死ぬのは怖くないよ」
怖くないのは既に一度死んでいるからだが、その答えに初めて茶々の手がピクリと止まった。
しかしそれも一瞬で、直ぐに動き始める。
「では、何が嫌なのじゃ?」
「まず痛いのがゴメンだし、誰かに殺されるのも、誰かを殺すかもしれないのも嫌なんだよ」
「ふぅむ、確かに痛いのも殺されるのも御免蒙るのう。じゃが、敵を殺すのに躊躇う必要はなかろう?」
二人共手は淀みなく動かし続けている。
「敵なんているの?」
「どういう事じゃ?」
茶々は視線だけをチラリと動かす。
「この前までは同じ陣営だったんじゃないの?」
「それはそうじゃが、仲違いした以上仕方あるまい?」
「そして手打ちになったらまた同盟を組むの?」
「可能性としてはな」
「それって喧嘩の末に丸く収まる傍迷惑な夫婦みたいだよね?」
「ぷっ! 確かにそうじゃな!」
言われてみればその様にも感じる。
「じゃが、戦が夫婦喧嘩に似ておるのならこうとも言える。黙って不満を貯め込む方が不健全じゃとな。互いの主張を戦わせて完全に仲違いをし、離縁なり別居するもよし、問題を解決して元に戻るのもよかろう。とはいえ、仮に片方だけが我慢をしていては、貯め込んだ不満はいつかは爆発するじゃろう」
「それは言えてるね」
子供ながらに見てきた事だ。
「夫婦の口喧嘩くらいなら笑って見れない事もないけど、戦は人が死ぬよね?」
「夫婦喧嘩を侮るな。痴情のもつれで人は死ぬぞ?」
「まあ、激昂しやすい人は何をしでかすか分からないからね」
病院で刃物を振り回す事件があった。
入院中の旦那が看護師と浮気をしたと勘違いし、奥さんが怒り狂ったのだ。
「夫婦喧嘩の原因もさ、片方の誤解かもしれないよね?」
「思い込みが激しいとその可能性もあるのぅ」
「今回の諍いもさ、始まりは誤解かもしれないじゃん?」
「夫婦と違って頻繁に会う事はないので、ちょっとした事が行き違いになりやすくはあるじゃろう」
通信手段の発達していない時代、ほんの些細な情報の錯綜から戦になる事もある。
「でも、始まりは誤解かもしれないのに戦をするの? 勘違いが解ければ元に戻れるかもしれないのに?」
「じゃから敵はいるのかと問うたのか?」
「そうだよ」
尚も続ける。
「それにさ、戦に参加する一人一人に帰る家があって、帰りを待つ家族がいる訳じゃん?」
「そうじゃな」
「誰も死にたくない筈なのに、どうして殺し合わないといけないのさ? その原因が上に立つ者の勘違いとか思い込みだと、従う者は堪ったものじゃないよね?」
「まあ、だからこそ上に立つ者には大きな責務がある訳じゃが……」
他の者もいる中で、秀吉の批判に取られかねない発言は不味い。
茶々は話を変えた。
「しかしじゃな、戦だと張り切っておる者もおろう?」
「喜んで戦に参加する人もいる事は知ってるよ。手柄を立てられれば出世出来たり褒賞が貰えるかもしれないし、米を腹いっぱい食べられるからって。それに、鎧や兜は売れるしね」
「落ち武者狩りもあるしのぅ」
兵として戦に参加しない農民も、落ち武者狩りで稼ぎ時となる。
明智光秀は農民に狩られたという。
「でもさ、それもやっぱり危ないでしょ?」
「まあ、全く安全という訳ではないじゃろうな」
「田畑を耕して平和に生活出来る方が良くない?」
「領主次第じゃな。砂糖を買う為に重い年貢を課せられたら敵わんぞ?」
「そ、それはそうだね……」
秀家の領民の事を思った。
みたらし団子に味を占め、備前の年貢が重くなったりしたら申し訳ない。
「みたらし団子は砂糖が高価だから難しいかもしれないけど、醤油煎餅とかだったら導入は難しくないよね? その地の名物になれば量を作るのに人手が要るから、お金のもらえる仕事が増えるよね?」
「確かにそうじゃな」
今現在自分達がやっている事である。
売り物にするなら沢山の人手が必要そうだ。
「危険な戦に態々行かなくても、お金を稼ぐ方法はあるよね?」
「それは主だから言えるのじゃろう? 皆が皆、主の様に金を稼ぐ術を知っている訳ではないぞ?」
「アイデアはまだまだあるんだけどね……」
「あいであとは何じゃ?」
「あ、いえ、こっちの事です……」
口をついて出た言葉を誤魔化した。
「何にせよ、戦はしない方が良いと言いたい訳じゃな?」
「そ、その通り!」
茶々の言葉に全力で頷く。
そんな秀包に呆れた顔を浮かべ、言った。
「主は色々と甘い男じゃのぅ」
「え?」
「今回の戦は起こるべくして起きた事じゃ」
「ど、どういう事?」
意味が分からずに問い返す。
「戦の経緯は理解しておるのか?」
「経緯って?」
「駄目な奴じゃのぅ……」
茶々はヤレヤレという風に説明した。
「伯父信長が本能寺で斃れた後、秀吉がその仇を討ったな?」
「う、うん」
「その後、織田家の今後を決める清洲会議があったが、織田家を継ぐのは信忠の嫡男三法師で、信雄と信孝は後見人となった。仇を討った秀吉は堀秀政、池田恒興、丹羽長秀を抱き込んで家臣筆頭となり、それまで最も有力だった柴田勝家は落ちぶれた。秀吉の台頭に危機感を感じた信孝は勝家、滝川一益と組み、反秀吉連合を形成したが、謀反であるとして秀吉は勝家を賤ケ岳の戦いで倒し、織田家の家督を信雄に継がせる手筈としたのじゃ。それは良いか?」
「は、はい……」
冷や汗を流しながら秀包は頷いた。
「秀吉によって家督を継ぐ事が決まった信雄であったが、その秀吉によって安土城から退去させられ、二人の関係は悪化する。そして頼ったのが徳川家康で、秀吉が懐柔しておった三人の家老を処刑した事が決定的となり、怒った秀吉が今回の戦を起こした訳じゃ。経緯は理解したか?」
「はい……」
何も考えずにのほほんとしていたが、その様な事が起きていたとは知らなかった。
「誰が正しいと思う?」
「うーん、良く分からないけど、信雄さんじゃないの? 織田家の家督を継ぐんだよね?」
感じた事を述べた。
「主も伯父上と同じ過ちを繰り返すつもりか?」
「え?」
その言葉にギョッとする。
「伯父上は将軍義昭を擁立して幕府の権威を高めようとしたが、義昭はその器ではなく、逆に天下を混乱させただけじゃった。能力のない者が上に立つ事の危うさは、主が指摘した事であろう?」
「そ、そうですね……」
どこの義昭さんなのかは分かっていない。
「信雄がやった事は、織田家の内紛問題に家康を巻き込んで状況をより複雑にしただけと言えるし、逆にすっきりさせたとも言えるじゃろう」
「複雑にしたのにすっきりさせた?」
言っている事が全く理解出来なかった。
「信長亡き後、天下は誰の物かという事じゃ。この戦でそれが判明するじゃろう」
「秀吉さんか、家康さんかって事?」
「そういう事じゃ」
茶々は言い切った。
しかし秀包が問いかける。
「話し合いで解決出来ないの?」
「出来る訳がなかろう!」
即座に否定した。
「でも、戦になったら大勢死ぬよ?」
「白黒つけねば納得しない者ばかりなのじゃ!」
「でも、納得するもしないも、それは上の者だけだよね? 下々は決まった事に従うだけなんじゃないの?」
いい加減にしろと茶々は怒った。
立ち上がり、秀包に言い放つ。
「そんなに戦が嫌なら伯父信長が目指した天下布武を成せ!」
「てんかふぶ?」
「そうじゃ! 天の下に武を布くのじゃ!」
「武を布く……」
言葉を重ねる。
「武とは力による支配に非ず!」
「力に依らない?」
「そうじゃ! 七徳によって天下を治める事を言う!」
「七徳……」
「暴力を禁じて戦を止め、大義を保って論功行賞を定め、民を安んじ衆を和し、財を豊かにする事じゃ!」
「暴力を禁じて……」
言うだけ言って部屋を出ようとする。
最後に言った。
「伯父上が目指した天下布武に一番近い男が秀吉じゃ。戦がそんなに嫌なら秀吉の天下取りに協力するが良い。それが戦を無くすのに一番早かろう」
秀包の反応も見ずに立ち去る。
茶々の言葉が脳裏にコダマした。
※1854年 小牧・長久手の戦い前
七徳の武において、大を大義と解釈しました。
勢力図を修正しました。
越中と飛騨を空白とし、伊勢と伊賀を織田家にしています。




