表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/101

想い出の記念に


 国境の牛小屋はまだ健在だったが、見ないうちにすっかり荒れたようだ。屋根は風で枝が引っ繰り返っている上、地面はぬかるんで泥に浸かったようになって、小屋も少し傾いている。


「ボロボロみたい……」


 アフラがそう言うと、アルノルトが泥の中を小屋の中まで歩いて行った。


「泥が溜まって小屋の中もドロドロだ。水捌けが悪いんだ」


 マリウスも小屋を一周見て回って言った。


「ホントにドロドロー。やっぱり屋根はダメダメだったね。でも僕等がやったんだった!」

「僕もやったな。もっといい屋根の作り方を習っておきたいね」

「そう言えば僕、布を屋根に投げて雨漏り少なくしてたんだ。それも飛んじゃってる」


 イサベラが思い出すように言った。


「確かにそうなってたわ。あれはそういう事だったのね。私が後で戻したのだけど。それも想い出ね」


 マリウスは「あんまりいい想い出じゃないね」と笑った。

 イサベラもそれに答えるように笑い返した。


「いい悪いだけじゃないわ。あの時、ゼンメルの治療の為の小屋を作ればいいと私が言い出して、無理と言われたけど、ラウフェンブルクの方々が土地を貸して下さって、この小屋を作るのにウーリのみんなが協力してくれた。ほんのひとときだったけど、私はゼンメルを護ることが出来た。皆の協力を得られた事も素晴らしかった。そんな全部のことを少しだけ誇らしく思うわ。全部が想い出なのよ」


 イサベラは思い出深そうに小屋を見ていた。

 マリウスも言った。


「僕も。僕も屋根の葉っぱを取って集めたり、紐で結んだりした。まあ雨漏りは酷かったけど……。ウーリから藁を届けたのも初めての仕事だったんだ。その時は友達のポリーも一緒に僕の馬車で来てね。もう忘れられないよ。ここが無くなっても、ずっと想い出だね」

「マリウス君にも想い出になって、とても嬉しいわ」


 イサベラがとてもいい笑顔になったので、アフラが言った。


「想い出がいっぱいね。マリウスは始めの日、私の為に一緒に来てくれたのよね。その日来るときに私、牛に突かれて怪我しちゃって……」

「じゃあ、あの時にはもう怪我をしてたのね?」

「ええ。痛いのを我慢してたの。ここへ来るまでにも色々あって、りんごやお菓子貰ったりして、それを皆でここで食べて。ここには本当に想い出がたくさん。これももう撤去してしまうのね……」


 アフラがしみじみとそう言った。


「牛に餌を与える人に祝福を……か。これはもう外した方がいいね」


 看板を見て、アルノルトがそう言った。


「そうね」


 イサベラがそう言うと、アルノルトは釘で留めた看板板を引っこ抜いた。それはアルノルトが形の悪い丸木を薄く割って平らにし、イサベラが字を書いたものだ。


「それ、私に下さるかしら?」

「いいよ」


 アルノルトは釘を石で打って外してから、看板をイサベラに渡した。


「想い出に取っておくわ」

「これを? 少し重いよ?」

「いいの」


 イサベラはそう言って、それを大事そうに抱えた。


「ブルグントに行く時に荷物にならないかい?」

「私には優秀な護衛達がいますもの。でも、乗る人も多いから、馬車が一杯になってしまうかしら?」


 イサベラの目がピエールに向けられ、ピエールは思わず目を反らした。

 騎士が亡くなり、その遺体を運ぶためにオーギュストが別の馬車を手配していて、もうこちらへは帰らない事は、まだ知らないはずの事になっている。


「まあ、何を持って行くかは自由だ。どこか壁に飾ってしまえば邪魔にはならなそうだし」


 アフラが手を打つようにして言った。


「どうせなら、記念に皆で名前を彫っておきましょう!」

「まあ。嬉しい! 寄せ書きね」

「僕も書くよ。僕が割った板だし」


 そう言って順番に、看板の木に名前を彫り始めた

 エルハルトはその間、国境の看板を見に行っていた。

 元の国境の場所には今や立派な立て札が立っている。

 エルハルトはその立て札の前で、その国境を出たり入ったりしてウロウロしていた。


「何をしてるんです?」


 クヌフウタとペルシタがそこへやって来た。


「ああ、ここはウーリとニートヴァルデンの国境でね。ウーリに入ったと思うと心が落ち着いたもので、ちょっと出てみたんですよ」

「出たらどうなります?」

「ええ、やっぱりちょっと不安になります」

「国境でそんなに変わるものなんですね。私はどうかしら?」


 クヌフウタとペルシタもそれを同じようにやってみて、「変わりませんね」と首を捻るのだった。


「兄さーん! クヌフウタさんも! こっちで書いて!」


 アフラがそう叫んで呼びに来た。

 そしてエルハルトも、そして小屋を建てた時にはあまり関係の無かったクヌフウタ、ペルシタも板に名前を刻んだ。

 イサベラが書き終わった板を眺めて言った。


「書いてくれてありがとうございます。大事にします」


 それから、アルノルトは肝心なことを思い出した。


「ところでだ。アフラはエンゼルベルクからいつ帰る? 迎えがいるのか?」


 アフラはモジモジと肩を揺らした。


「いつにしよう。しばらく帰りたくない……怒られる……」


 その途端、エルハルトが怒って言った。


「世の中には帰りたくても帰れない人だっているんだ! 怒られるのくらい判ってたんだろう! それでもやるんなら、自分で最後まで通して責任を持てる行動をしろ!」

「はいぃ!」


 アフラはエルハルトがいつになく怖い顔だったので、怖くて縮み上がった。それでもエルハルトは行ったらダメだとは言ってない。アフラはしっかり前を見て、もう一度考えた。


「私、クヌフウタさんに薬草のこと習いたいの。これは今しか出来ない事だわ。確かクヌフウタさんは、簡単な事なら三日って言ってましたね?」


 クヌフウタは頷いた。


「ええ。三日あれば基本的なことは教えられます」


 そう言われるとエルハルトは頷かざるを得ない。

 出来れば自分もクヌフウタに教わりたいくらいだったからだ。


「三日だな。父さんにはそう言っておく」

「ありがとう……あと、お迎えもお願いします!」


 アフラはエルハルトを見て言ったが無理そうだったので、すぐにアルノルトに縋るような目を向けた。

 アルノルトは頭を悩ませつつ言った。


「一週間後には僕の怪我の抜糸に行くから、三日後に迎えに行くとまた行ったり来たりだな……まともに仕事に復帰出来ない……」


 エンゼルベルクとウーリの間には高山が横たわっていて、馬車で行くには半日がかりで道を大回りするしかない。天候次第では一泊が必要な程だ。近道するには相当な高地の峠を越えるより無かった。

 傍で聞いていたクヌフウタが言った。


「じゃあ、こうしませんか? 三日目は実地の勉強で薬草を採りに峠まで行きますから、そこでアフラを迎えて貰うというのは?」

「ああ、それは良さそう! 放牧ついでに行けるし」

「良かった。では、三日間、ご家族はしっかりお預かりしますね」


 エルハルトが言った。


「妹をよろしくお願いします。クヌフウタさんもローマへ行く準備があるのに、すみません」

「そうですね。その準備もしませんと。イサベラさんもここを離れる事ですし、少ししたらゲシェネンへ行ってみようと思っているんです」

「ラッペルスヴィル家の領ですね」

「ええ。その道の途中ですし、その時にアルノルトさんの抜糸には、こちらから伺いましょうか?」

「いいんですか?」とアルノルトは喜んだ。

 エルハルトも礼を言う。


「助かります。そのお礼と言っては何ですが、うちに泊まって準備を調えるといいですよ。山越えに必要な大抵のものは揃いますから。ゲシェネンは既にかなり山の中ですからね。道は大丈夫そうですか?」

「頂いたガイドマップ通り進んで行けば、歩いても行けそうな気がしてるんですが」


 そう言ってクヌフウタは腰布からガイドマップを取り出す。


「その地図を少し見せて貰っていいですか?」


 エルハルトはそのガイドマップを開いて道を辿ってみた。


「巡礼道はザンクトゴットハルト峠じゃなく、ジュネーブの方、もっと西のブルグント側の道ですね」

「あら? そうなんですか? イサベラさんの方?」


 イサベラがそれを聞いて一歩近寄った。


「領に入る辺りかもしれません。途中まで一緒にいらっしゃいます? でも距離は遠くなりそうです?」


 イサベラは首を傾げ、地図を覗き込む。

 エルハルトは地図を指さしつつ言った。


「距離ならこう迂回するより、ここからまっすぐ山を越えた方が遙かに近い。山さえ越えてミラーノまで出れば、あとは地図に沿って行けそうですね」

「そうですか。帰りもありますし、近い方がいいですね」

「ただ、山を越えるまではヴィンテルトゥールからここまで来たくらいの距離がありますから大変です。しかも泊まる所も少ないアルプス越えの山道ですしね。今日のように盗賊が出る危険もありますから、護衛がいる集団に加わって一緒に行く方がいい。戻ったら一緒に行ける人を探してみますよ」

「本当に助かります」


 クヌフウタは小さく礼を取った。

 アルノルトはマリウスの背を叩いた。


「そうと決まれば、さあ、馬車に乗れ」

「あれ? ボクは帰るの?」

「当然だろう。マリウスは行く理由が無い」

「ちょっと見たい……」

「ダメー。帰って父さんに成り行きを説明しろ」

「ちぇー」


 マリウスは幌馬車の御者席の真ん中に乗り、アルノルトはその横に座った。

 アフラがマリウスに声を掛けた。


「そうだ! マリウス。お父さんが怒らないよう、自分から付いて行ったって言ってよね。旅はいい勉強になったってしっかり言っておいてね」

「うん。判った。いい旅だったよ。城にも入ったし、自慢出来る」


 そうして、エルハルトも馬車に乗り込むと、「じゃあまた」と手を振り、あまりにあっさりと馬車を出し、そのままウーリへの帰路を取った。

 見送るイサベラとアフラ、そしてクヌフウタ達も、やがて馬車に乗り込み、逆方面のエンゲルベルクへと戻っていった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ