浅霧百々目と真田みく
俺は、幼いころはヒーローに憧れていた。
きらめく光で、奮い立つ炎で、大きなその背中で、きっと誰もを救う英雄になれるのだと、理由もなく確信していた。
でも、気づくはずだ。
誰だって平凡で、一部の天才が目立っているだけなんだって、自分には駄目だって。
周りには自分より優れたやつがいっぱいいて、自分はドンケツをとぼとぼ歩く敗者。
そんな幻影を、そんな絶望を、知ったはずだ。
いつからか、そんなものだとあきらめてしまっている自分がいる。
手に入れることはないと見上げるだけの希望を、口にするだけの毎日を。
極めるだけの情熱もなく、すべてを投げ打つ覚悟もなくただ与えられることを待つ死んだような日々を、見ている景色の意味も考えず、聞いた音の叫びに震えず、ただ心臓を動かすだけの日常を食いつぶす。
自分とはその程度の存在なんだと、知ってしまっている自分がいる。
だから、せめて自分は……その程度の自分は。
――理想を、否定してやろうと心に決めた。
だからこれは、英雄譚じゃない。
自分……、俺が生きるこの道は、希望を否定する物語に違いない。
ハッピーエンドなんかない、終わらない明日を生きる絶望の物語だ。
あの日の俺を殺せるように、今日の俺は俺を殺そう。
*
桜が、散る。
いやなに、別に感慨深くもない。
「桜が散った」それだけのことである。
桜の木というものは咲けば散るし、そのあとには葉桜になり、冬になればその葉を落とし、また春に咲いて散る。
そういうサイクルで生きる細胞で、そういうサイクルを刻まれた二重螺旋に過ぎない。
四月も終わり、五月になろうかという初夏手前、もしくは春終わりくらいの季節。
無感動で日常的な世界を歩いて、俺は高校へと歩みを進める。
一月も生活すれば物珍しさもなくなり、そこにあるのはただの予定調和に過ぎない。
周りの1年生も別に景色を見ているわけじゃなく、携帯のゲームアプリに興じ、また同級生と他愛もない会話をしている。
華の高校生活といえどそんなものだ。
高校に入ったらロマンスがあるとか、新生活には出会いと期待が、なんてことはありえない。
あるとしたら、それは「このロマンスと新生活の充実は高校に入ったからに違いない」という錯覚に過ぎない。
要は、教育の専門性における育成過程の人間を入れる入れ物の変更である。
そこではその入れ物に沿った行動が要求されることをフィクションによって俺たちは植え付けられている。
つまりロマンスを行い、新生活の恩恵に感謝するとともに新たなスキルの獲得を謳歌せよという言外の要求をこなしているのだ。
だから、そこらでいちゃつく制服カップルは勘違いした精神疾患の患者だし、ギターケースを背負った茶髪もまた調子乗った一時のアイデンティティを求める有象無象に過ぎない。
ひがんでいるわけじゃない、本当だ。
別に、高校時代に彼女を作ってウハウハ楽しい生活をしなければ生きていけないわけじゃないし、ギターを背負い髪を染め、あのバンドはどうだこうだと言わなければ死ぬわけじゃない。
だったらやらなくてもいいじゃないか。
変化しない今日を、変わらない明日を望むことに何の罪がある、現状維持だって立派な戦略だ。
どうせ届かない目標ならば、手を伸ばさない方が体力は温存できる。
「おはよう、今日も灰色の顔で、何をひねくれていたの?」
背後から肩を叩かれた。
緩慢な動きで相手を見やれば、そこには黒髪を紐で結わき、三つ編みを肩に垂らした楕円メガネの女がいた。
「灰色の顔ってなんだよ、せめて土気色と言え」
「あはは、自分が生気を感じさせない自覚はあるんだ」
そう苦笑するこの女、何を隠そう入学1月で友人の一人もいない俺に話しかける唯一の学友で、幼稚園からの幼馴染で、名を真田みくという。
腐れ縁で10年以上付き合える相手というのはかなり相性がいいか、他との相性が最悪に違いない。
「いやいや、私はドドメと違ってけっこう社交的だから、むしろドドメが私に感謝するポイントだと思うよ?」
「そうは言うけどな、俺はひねくれているだけで取り柄もない、言うとおりに感謝するとすれば、真田が悪趣味であることに感謝することになる」
このとおり、俺とこいつはそれなりに仲がいい。
間違っても恋人だとか、そういうロマンスには発展しないけれど。
「またそういうー、昔みたいに『みくちゃん』って呼んでくれてもいいんだよ?」
微笑みを浮かべる真田に、俺は「本当に悪趣味ですねサナダさん」と告げて歩みを速めた。
この根暗女は昔からそうだ、事あるごとに昔を引き合いにしてからかってくる。
こういう時、俺は少しこいつが嫌いだ。
思い出したくもない過去なんて誰にだっていくらでもあるし、ことさら俺の場合黒歴史が大きすぎる。
「ちょっと、悪かった! 悪かったって! もー謝ってるでしょ?」
猫背気味の背をさらに丸め早足に坂道を登る俺に追いつくと、へらへら笑いながら真田は俺の背をぽんぽんと叩く。
「お前の悪いところは思ってもないことを平然と言うところだ」
「ふふ、それを言うならドドメもだよ」
真田がそう言って立ち止まるものだから、驚いて俺も振り返る。
「……何の話だ」
「わかってるでしょう? 私が君と一緒にいる『理由』」
ああ。
俺は知っている。
この女が俺を見ている訳を、俺がこいつに見せた過去を。
「わかってるよ、くだらないことだ」
わかっているのだ、この悪趣味な女と自分は相当に相性がいい。
きっとこの女は俺をみて面白がっているし、また俺はそれを拒むつもりがない。
この腐れ縁はきっと切れない、この悪趣味で不健全で絶望的なまでに毒々しい関係は、彼女が死ぬか、俺が死ぬかのどちらかでしか終わらない。
「案外気に入ってるくせに」
「うるせぇよ根暗女」
再確認するかのような言葉の後に再び歩き出す。
他愛もない会話と、腐れ縁と、少しの特別。
人として最低限の変わらない今日を過ごすための『約束』に、俺はまだしがみついている。
*
桜の舞い散る様子を見て、やはり彼は何も感じないのだろう。
私は猫背の彼の制服の肩に乗る桜を見てすこし微笑みつつ、そんなことを考える。
彼は穴があったら入りたい、そして誰か良ければ土をかけてくれ。
というような人間で、言うなれば『死にたがり』である。
そのくせ優しくて、そのくせ強がりだ。
私はそんな彼が気に入っている。
彼が喜ぶさまを見たいし、彼が落ち込むさまも見たい。
人は彼を「死体」と呼ぶけれど、私はこうも思う。
きっと彼は花火なのだ。
丹精に作りこまれ、火をつけられるときを待っている。
鮮やかに燃え、華やかに散る。
きっと、いい死に方をしなかったと、バッドエンドだと言われようと、彼はきっとそう生きる。
確信めいたときめきを胸に感じ頬が自然に上がる。
その生き方を、その散るさまを、誰より近くで見つめたい。
きっとそれは美しくて、そして醜い唯一無二の華にちがいないから。
彼はドドメ。
浅霧百々目。
あの日交わした約束によって私たちは繋がれている。
次回更新未定です




