エルフを蝕む病
フィアに引っ張られるように連れられた俺は、フィアの家へとたどり着いた。
落下防止の手すりやロープがあるとはいえ、宙に浮いている梯子や板を走って渡ったのは中々肝が冷えたものである。皆怖くないのだろうか?
ちなみにヤックは疲れたのでその辺を散歩してくると言って途中で別れた。さっきの遊びが相当疲れたのであろう。
「パパ! ママ!」
「あら、フィアお帰り。それにフェリスやジェドさんもいらっしゃい」
フィアが勢いよく木製の扉を開け放つと、室内には鍋を手に持ったフィアの母親がいた。
柔和な笑みを浮かべて歓迎してくれるフィアのお母さんに、俺は軽く頭を下げる。
樹木をそのまま切り抜いて造り上げた室内には、生活感のあるテーブルや椅子が並んであり、奥には小さいながらもいくつかの部屋があるようだった。
これが基本的なエルフの民家である。家具などはほとんどが木製で、室内には樹木の柔らかい香りが満ちており、心を落ち着かせる雰囲気であった。
「ママ聞いて!」
「そんなに急いでどうしたの?」
フィアの叫ぶような声に、フィアのお母さんが目を丸くする。
「どうしたんだい?」
フィアの大きな声を聞きつけたのか、奥にある暖簾から顔を覗かせるフィアの父親。
「ああ、フェリスにジェド君だったかな? いらっしゃい。狭い家だけどゆっくりしていって――」
優しげな笑みを浮かべて歓迎してくれる父親だったが、その言葉は途中でフィアに遮られた。
「パパとママ聞いて! お婆ちゃんの身体が良くなるかもしれないの!」
両腕を硬く握りしめて力いっぱい叫ぶフィア。
突然の大声によってフィアの両親が数秒間固まる。
やはりフィアの身内が怪我もしくは病気を患っているようだ。とすると、今朝暗い表情をしていたのもそのせいなのだろう。
そんな事があると知っていれば早く治療していたというのに。フェリスはどうして言ってくれなかったのか。
そんな思いを込めて隣にいるフェリスへと視線を向けると、どことなくバツが悪そうな、諦めたような表情をしていた。
エルフの内情を関係のない人間に知られたくなかったという事だろうか。
まあ、俺が回復魔法を使えると知っていたら言ったのかもしれないな。
「……身体が良くなるかもしれないってどういう事なんだい? フィア」
硬直から回復した父親がフィアの下へやってきて腰を下ろし、穏やかな口調で問いかける。
それから母親が手に持った鍋を一旦テーブルに置いて手袋を壁にかけた。
「あのね、ジェドが身体を良くする魔法を使えるの! だから、ジェドの魔法があればお婆ちゃんが元気になれると思って!」
「身体を良くする魔法だって? そんな魔法が人間にはあるのかい?」
フィアの言葉を不思議に思った父親が問いかけるように視線を向けて来る。
「はい、光属性の回復魔法というものです」
「そんな便利な魔法が本当にあるのですか?」
胸元で手を握りしめた母親がおずおずと尋ねてくる。
それには俺の代わりに、フィアが答えてくれた。
「さっき外で遊んでいた時に転んだんだけど、ジェドが回復魔法で治してくれたの! 見て! フィアの膝何ともないでしょ!」
先程擦り傷のあった右膝を見せて得意げに語るフィア。
そんなフィアの様子はとても微笑ましいものであったが、回復魔法の存在など全く知らず、見た事もない両親はどことなく戸惑っている様子だ。
「本当なのかい? 身体が良くなるっているのは」
そりゃそうだ。いきなり身体を良くする回復魔法が使える人間を連れて来たとして納得できるはずがない。
それに連れてきたのが幼い少女のフィアなのだ。間違いだったという事もあり得る。
どうしよう。このままだと両親が質疑応答を重ねるはめになり、フィアが「どうして信じてくれないのバカ!」と出ていってしまう事もあり得る。
どう説明したものか。ここは回復魔法を見せるために自分の指を少し斬ってみるか?
幼い子供がいる手前もあるし自分の身体を傷付けるのは嫌なのだが、これが一番納得できるんじゃないかと思う。
心の中で俺がそう決断した時、ずっと口を閉じていたフェリスが口を開いた。
「本当よ。ジェドの魔法はフィアの傷を瞬時に治してみせたわ。その力があればもしかしたら……」
フェリスのその言葉を聞いて信憑性を持ち始め、両親が驚いたように顔を見合わせる。
「本当なのかい?」
「むー! だからフィアがさっきからそう言ってるじゃない!」
「あはは、ごめんごめん」
父親の態度の違いがわかったのか、フィアが頬を膨らませて父親の胸をポカポカと叩く。
「治る可能性が少しでもあるのならば早速診てもらいましょう。貴方」
そんな二人の様子を見かねて母親が、早速とばかりに父親を促す。あのままだと二人だけののんびりとした空間が出来上がるからな。この父親は結構フィアに甘い性格なのかもしれない。
まあ、フィアちゃんは可愛いからその気持ちは分からなくもない。俺にもあんな妹がいれば絶対に溺愛するに決まっている。
「そうだった。早速ですけど私の母を診てやってくれないでしょうか?」
「はい、確実に治るかどうかは保証できませんが、一応少し知識があるので診させて下さい」
俺がそう答えると、フィアの父親はどこかホッとしたような表情をして奥への部屋へと案内してくれる。
そんなもう大丈夫だ。これできっと治るみたいな表情をされると、もしもの場合があった時に困る。
まあ、回復魔法はそれなりに使えるのだから余程の怪我ではない限り大丈夫だと思う。
案内されて奥にある小さな一室へと入ると、そこには布団の上で寝転がるエルフのお婆ちゃんがいた。
室内には穏やかな日の光が差し込み、お婆ちゃんの静かな寝息だけが響いている。
静かに眠るお婆ちゃんの傍らには、寄り添うように水色の光を放つ精霊が一匹漂っていた。
ただの光を放つ精霊なのだが、その姿は酷く悲しく儚げに見えた。
恐らくあれはお婆ちゃんと長年を過ごした精霊なのだろう。
「さっき眠ったのですが起こしますか?」
「いえ、そのままで大丈夫ですから」
父親を制止して、俺はお婆ちゃんの近くへとゆっくりと寄っていく。
顔には無数の皺が年輪の如し刻まれており、長い時を生きたエルフなのだとひと目でわかった。
身体を悪くしているせいか顔色が酷く悪く痩せこけているのがわかる。
そして何より気になるのは身体中に巻かれた包帯だ。頭や腕、首や胸元といった見える所ほぼ全てに包帯が巻かれている。
一瞬火傷なのかと思ったが――違う。
包帯を見ても血が滲んでもいないし皮膚が爛れた様子が全くない。
通常、全身を苛むほどの火傷を負えばもっと悲惨な状態になるものなのだが、このエルフの肌は正常なものであった。
だが、よく見れば包帯から飛び出した緑色の痣のようなものが見える。
「この緑色の痣は?」
「はい、もう何年も前から発症しているものです。最初は腕や足だけだったのですが、徐々に全身を蝕むように広がっていって……。痣に包まれた場所は感覚がなくなり動かす事すらできなくなるのです。そしてそれが喉にまで達すると……」
息ができなくなって死んでしまうと?
おいおい、これって怪我じゃなくて病気じゃないか! 回復魔法じゃ治らないじゃん!
怪我ではなく何かしらの病気だという事を知らされた俺は焦る。それはもうかなり。
俺が心の中でそんな事を思っているとは思わない父親が、病気について説明をする。
「もう何世代ものエルフが原因不明の病で亡くなっております。幸いにしてこの症状にかかるのはどうやら歳を経たエルフだけなのですが、稀にそれほどの歳を経ていないエルフも罹る事があります」
フィアの父親の説明を聞くと、インフルエンザのような感染力の強いウイルス性のものではないらしい。もし、そうであればとっくにウイルスが蔓延してエルフは絶滅していただろう。
一先ずは空気感染もなさそうなので安心する。
「幼い子供達が罹らないのがせめてもの救いですが、いつかは子供にまで病気が及ぶのではないかと怯える事もあります」
母親が不安そうにフィアを背中から抱きしめてそう呟く。
「先祖のほとんどが長い時を生きた末にこの病で亡くなっているのです」
老人になるまでは問題ないとはわかってはいるが、絶対に訪れる病があるというのは恐ろしいものだ。誰だって病気で死にたいなんて思わない。皆が幸せ生きて安らかに眠りたいと心から思うはずだ。
いくら長寿を誇るエルフでもその気持ちに変わりはないだろう。将来必ず訪れるとわかって暮らす日々はどれだけ不安か。だから暗い表情をしているエルフがいたのか。包帯に包まれたエルフは、皆この病を患っていて……。
この集落を捨てて外に出ようにも外には人間の世界が広がっている。ひっそりと人目を逃れて暮らす事は不可能であろう。必ず人間に見つかりトラブルが起きてしまう事だろう。
絶滅したと言われるエルフが平穏を保って暮らせているのは、何人足りともの侵入を阻む結界があってこそだ。
逆に、長寿のエルフだからこれまでそんな行動を取らずに済み種が続いてきたわけで、人間の集落であればとっくに滅びているであろうな。
それにしても治せないって言いづらいな。最初に診てみないと分からないと言ったものの、期待させてしまったのだ。
その気持ちを裏切るのは忍びない……。
「どうしたのジェド? フィアの時みたいに回復魔法でパーッと治らないの?」
俺が回復魔法を使わない事を不思議に思ったのか、フィアが疑問を投げかける。
その純粋な気持ちは裏切りたくないが嘘はつけない。その方が遥かに悪い事なのだから。
「……ごめんねフィア」
「……えっ?」
「回復魔法は病気には効かないんだ。だから、フィアのお婆ちゃんを治す事はできない……」
俺が素直に真実を告げると、フィアが信じられないというような顔をする。
「……そうですか。病は治せませんか」
両親も過度な期待をしていなかったとはいえ、少しの期待もあったのであろう。
顔を俯かせて暗い表情をしていた。
「……そんな。回復魔法は身体を良くする魔法なんでしょ?」
「大抵の怪我なら治せるけど病気ばかりはそうはいかないんだ。……ごめんね」
呆然として見上げてくるフィアに謝る事しかできない。こうなるんだったら、連れてこられる前にきちんと話を聞いておけば良かった。あと、回復魔法の説明も足りなかった。
そうすればフィアも辛い思いをする事にはならなかったであろう。
やがて回復魔法ではどうにもならないとフィアは悟ったのか、見上げる瞳を潤ませる。
そして涙をこらえきれなくなったフィアは外へと駆け出した。
「フィア!」
それを追いかけるように母親も家を飛び出す。
「あはは、すいませんね。うちの娘が……」
「いえ、俺が悪いんですよ」
俺達がそんな風に頭を下げ合っていると、フェリスが口を挟んだ。
「私とフィアがきちんと回復魔法について聞かなかったのが悪いのよ。ジェドが謝る必要はないわ」
フェリスが俺のフォローをしてくれるとは珍しいが、その言葉を聞いても胸の中のモヤモヤが晴れる事はなかった。
何か治す手段はないのだろうか。
「喉が渇いたでしょうし、お茶を用意しますね」
「あっ、すいません」
俺がそんな風に考え込んでいると、フィアの父親が悪い空気を払うかのように台所へと向かった。火の精霊を使役したのか、炎が燃え上がる音が聞こえる。
俺達の前ではお婆ちゃんの水精霊が寄り添うようにジッとしている。
「この病気を治す薬とかはないんだよね?」
「ええ、森にある様々な薬草を使ってみたけれど効果はなかったわ。今でも色々なものを試しているけど効果はないみたい」
「そっか……」
森の恵みで生活するエルフの知識でさえもどうにもならないのか。
俺も冒険者なのだし最低限の知識はあるがエルフには遠く及ばないだろう。
そんな中で俺にできる事といえば、あとは動物達に聞く事くらいか。
可能性があるとしたら長生きしているヤックかペガサスだろうか?
しかし、あいつらがそんな事を知っているだろうか。
あまり期待できない気がするな……。
「誰かエルフの病を治す方法を知っている人がいないものか……」
『私、知ってる』
俺が何とか力になれないかと考え込んでいると、涼やかな声が聞こえてきた。
「え? 本当に?」
「何を一人で喋っているのよ?」
俺の呟いた声を疑問に思ったのか、フェリスが訝しげな表情で尋ねてくる。
「え、いや、今知ってるっていう声が聞こえた気がしたから――」
『私の声が聞こえるの!?』
慌ててフェリスに弁明をしていると、俺の目の前にずいっと水精霊がやってきた。
視界一杯に広がる水色の光がとても眩しい。
心無しか精霊の興奮を現すように輝きが強くなっている気がする。
「……えっと、実は聞こえていたりします」
『本当に!? これでフィオナも助かるわ!』
涼やかな声に喜色が混じり、嬉しさを現すかのように点滅する。
フィオナというのはフィアのお婆ちゃんの事だな。
「それよりも、これでフィオナお婆ちゃんも助かるってどういう事?」
「えっ? ジェドこそ急にどうしたのよ?」
俺が水精霊に尋ねるとフェリスが疑問の声を挟んでくる。
この理解してもらえない感じ。エーテルの街の冒険者みたいで懐かしいな。
って、懐かしんでいる場合じゃない。今は大事なところなんだ。放っておいてほしい。
「さっき知ってるって言ったよね?」
俺が改めて尋ねると、光り輝く水精霊が落ち着きをみせる。
『ええ、言ったわ。この病気を治す方法を私達精霊は知っているもの。けれど私達の言葉はエルフにも届かないからずっと歯がゆい思いをして見送っていたわ。何故貴方が私の言葉をわかるのかは知らない。けれど、ようやく伝えることができるのね。ようやくエルフ達を救える……』
感情が一気に流れ出すかのような声と切実な願い。
俺はその言葉に黙って耳を傾ける。
『……エルフ達の病は精霊樹と呼ばれる樹木が原因。そして、この病を治すには賢者の木の中にある樹液が必要なの』
ちょっとシリアス気味ですが、何だかんだで最後はいつも通りの予定です。
手紙のやり取りくらいの笑いはあるかと。
『俺、動物や魔物と話せるんです』
11月25日に発売!
よろしくお願いします。
結構な書き下ろしをしているので、web版を読んでいる方でも楽しめると思います。ええ、かなり修正しましたよ……。違いが結構ありますので、今後の展開なども大きく変わるでしょう。(白目)