森で出会った少女
穏やかな日差しが差し込む森の中を軽やかに駆ける一人の少女。
その背には狩りをするための木製の長弓が、腰には矢筒が提げられており、ベルトやポーチにはナイフの柄がのぞいており、少女が狩猟者だという事がわかる。
細くすらりと伸びた脚は力強く地面を踏み締めており、少女の重心がぶれることはない。
森の地面は勿論平坦ではない。
盛り上がった部分もあれば、へこんだ部分もあり不規則に木々や植物が生えている。
それに足をすくわれる事なく、避けて進む事ができ少女は明らかにこの森に慣れている。
「……確か南の森の方って言っていたわね」
ポツリと少女が呟いた。
その間にもまばらに生えた木々の間を通り抜けて、張り出した枝を掻い潜る。
もちろん、その時に間抜けにも服が引っかかって破けるなどというような事にはならない。
その気になれば慣れたこの道など目をつぶってでも駆け抜ける事が少女にはできるであろう。それだけ少女の走りには迷いが無かった。
しかし、少女の言葉は迷いなく動く足とは違い、不安げである。
「それにしてもお祖母ちゃんったら急に言い出すんだから」
そこで少女は周囲を見渡す。
過ぎ去る緑や茶色の景色。そのほとんどが木々であり、微かに鹿などの動物が見受けられるくらい。その中に魔物の姿はいつも通り無い。
走りながら念入りに辺りを確認して、少女は唇から息を漏らす。
「いつも通り何も変わらない森よね」
流れる視界の中で、おかしな様子は見られない。
いつも通り少女の知る穏やかな森だ。
それに安心しつつ少女は半信半疑の様子でぼやく。
「本当に外から人間が入ってきたのかしら? お祖母ちゃんの間違えじゃないかしら?」
とにかくまずは南の様子を見てみよう、そう思い少女は金色の髪をなびかせ続けた。
× × ×
「ほら見ろ! 俺の言った通りちゃんと先に進めたろ?」
俺は隣を歩く、ヤックに向けてどや顔で言ってやった。
現在俺達は祠へと戻ってきてしまう現象を突破して、天高くそびえる大樹の下へと目指している。冷静に考えると、俺って今誰も来たことがない場所を冒険している事になる。
ここから先は全てが未知であり、世界樹の誰もがどうなっているのか知らない事だ。そう考えると胸が高鳴るのを感じる。
興奮を抑えるように空を見ると、足を進めるごとに大樹が空へと侵食するようにじわじわと大きくなっているのがわかる。いくら歩いても届かなかった大樹へと確実に近付いているのだ。
『ぬ、ぬぬ。確かに進めている』
ヤックが悔し気に顔を少し歪める。
おいおい、可愛いらしい顔が台無しだぞ。
いや、一周回ってこっちの方が可愛らしいかもしれない。
『だったら、さっきの言葉が本当に合言葉だったのか?』
「そうだよ」
『祠に書いてあった字は読めなかったんじゃないのか?』
「読めなかったよ?」
『じゃあ何で合言葉がわかったんだよ!』
全く、これをヤックに説明するのも何回目であろうか。
「だからさっきの光が教えてくれたって言っているじゃん」
『はあ? ジェドってば、あの光に当てられて頭が可笑しくなったのか? 光が喋るわけないだろ?』
眉の部分を寄せて、俺を馬鹿にしたように言って来るヤック。こいつのこの仕草が凄く腹立たしく思える。
「いや、それはあれが動物か魔物だからだろ? 多分魔物じゃないけれど」
反論してみようと試みるが、自分でも理解できていないので言葉が弱々しくなる。
思い返してみるも、アレに関してはぼんやりと光る丸い何かとしか言いようがない。勿論手や足も無かったし、見えなかった。
『……あんな動物がいて堪るかよ』
いやいや、魔物がいる時点で俺の中ではあんな変わった動物がいようが不思議ではないのだが。ひょっとしたら蛍のように発光する生き物なのかもしれない。
でも、明らかにヤックの腕をすり抜けていたよな? ひょっとして幽霊か? 幽霊とかこの世界にもいるのだろうか。
「まあ、この世界なら何が出ても不思議ではなさそうなんだけれどな」
『この世界?』
意外にもヤックが俺の呟いた、普通から聞くとおかしな言葉の部分を指摘してくる。
こいつ意外と鋭いな。口調はやや乱暴だけれども頭がいい動物なのだろうか。
「何でもない。お前みたいな奇妙な生き物がいるんだ。光が喋ってもおかしくないだろ」
『おいコラ! 奇妙な生き物って何だ! 俺様にはヤックルバンクっていうカッコいい名前があるんだよ!』
うん、やっぱりヤックだな。簡単に誤魔化す事ができた。少し煽ってやると、見事に激昂してくれた。
今、ヤックには奇妙な生き物という言葉を俺に訂正させる事しか頭にないであろう。もうさっきの会話も忘れているに違いない。
『大体ジェドは俺に対して敬意ってもんが足りないね。俺だって――ひいっ!?』
俺へと顔を上げながら歩いていたヤックの目の前に矢が突き刺さる。
ヤックは突然の出来事に尻もちを着いて後ろへ転がる。
こんな奴に敬意なんて払えるかと思いながらも、俺は反射的にバックステップで距離を取る。
ちなみにヤックが逃げ出さないなと思ったのだが、最初の矢にビビッて気絶してしまっただけのようだ。ひっくりがえった状態で今も固まっている。情けない。
奇襲ができたというのにわざと外し、足元に矢を放ったことから警告と見るべきなのだろうか。
俺は鞘に手をかけて身構え、矢が飛来してきたであろう前方を睨みつける。
しかし、相手に反応は一切なく、矢が飛んでくることもない。
矢を放った後に、気配を消して移動したのであろうか。
後ろに回りこまれるのも困るので、俺は警戒しながらゆっくりと位置取りを変える。
「そこの人間! それ以上進むと撃つわよ!」
前方からの鋭い女の制止の声と同時に、俺の足元に矢が突き刺さった。
「いや、もう撃ってるじゃん!」
何という襲撃者の冗談ですまないボケであろうか。思わずに突っんでしまう俺。その時、俺は声のする方向へと視線を向けた。
そこは木の幹の上であり、襲撃者の姿が俺の目に入る。
腰にまで伸びた金髪に海の輝きのような青い瞳。端正な顔立ちをしているが少し丸みを帯びていて幼げだ。おそらく同い年くらいであろうか?
緑と茶色を基調としており、とても動きやすそうな服装をしている。
村長やヤックの言っていた通り、幻惑の森に人間がいた。それもとびっきりに美しい少女が。
「……人間がいた」
「……えっ? あれ仲間?」
その少女と言えば、何故か俺の声を聞くなりポカンとした表情をして言った。
静かな森の中と、少女の声が透き通るような声という事もあったので、それは離れている俺の所にまではっきりと聞こえた。
最初の凛とした表情はどうしたのやら。
「まあ、同じ人間なんだから分類的には仲間かな?」
「や、やっぱり人間ね! どこで私達の言葉を知ったのよ!」
俺が答えると、少女は柳眉を逆立てて矢を番える。少女の青い瞳には明らかに敵意が含まれていた。一体俺が何をしたというのか。少女と俺は確か初対面のはずだが。ここまで敵意を向けられる理由がわからない。
「ええ!? 何で君が怒るのさ! 君も同じ人間だろ?」
「違うわ! 私は人間じゃないわ!」
「じゃあ何さ!?」
意味がわからない。彼女が人間でなければなんだというんだ。
もしかして魔物か? この世界には、あんなに綺麗な少女の姿をした魔物が存在するとでもいうのだろうか? 人型の魔物なんて存在したのか? それとも高位の魔物? それでもこんなに人間に似た姿をするなんて聞いた事がない。
俺の頭の中が疑問で埋め尽くされる中、少女はゆっくりと答えた。
「私はエルフよ!」