愉快な天井裏の幽霊達
俺がこの世界にて生を受けてから丁度十カ月。
何とか最近は1人で歩くことができるようになった。
数カ月前には、ジュリア姉さんが扉を開けっ放しにした時があった。
これは丁度いいと思い。はいはいを母さんに披露して驚かせようと、廊下に出たらメイドさんに踏まれそうになってしまった。
あれは危なかった。そのせいでメイドさんが運んでいた壺を落として割ることになってしまった。
赤子のうちは無理はしないと心に誓った瞬間であった。
なお、俺の部屋を開けっ放しにしたジュリア姉さんは結構なお叱りを受けてしまったらしい。
そんな事件を繰り返さないためにも、俺は大人しくこの部屋にいることにした。
本当は一刻も早く歩けるところを見せて、褒めてもらい屋敷内を歩き回りたいが。
と考えていたところで、廊下のから足音が聞こえてきた。
お? 母さんか? いや、足音が複数聞こえる。
また母さんとジュリア姉さんのコンビであろうか?
しかし、俺の考えは外れた。
廊下からは男の声が聞こえてきたからだ。
「お前たちの弟なんだ。剣を振ったり、部屋に籠ったりしていないで弟のジェドともっと遊んでやれ」
「……はい」
「えー」
父さんの声だ。それに二人の男の声。恐らく兄さん達だろう。
俺と遊ぶのが面倒なのか、自分の時間を奪われるのが嫌なのだろうか。二人ともえらく不満そうだ。
兄さん達は気まぐれなジュリア姉さんと違い、俺の部屋には数えるくらいしか訪れていない。
まあその気持ちはわかる。
赤子はとにかく繊細だから触れたり近づいたりしただけで泣いたりしてしまったら困るしな。万が一の事でも起こってしまったら、殆どの男は狼狽えてしまうことだろう。
やがてゆっくりとドアが開き三人が部屋に入ってくる。
「ジェドは起きているな」
父さんが一番に入り、兄さん達が窺うようにして入ってくる。
一番上の兄さんはグラディス兄さん。
父さんの血を色濃く継いでいる、ジュリア姉さんと同じく七才の少年。恐らく双子なのだろうか。髪の色は違えどその整った顔立ちといいどこか面影がある。短く揃えた髪に動きやすそうなゆったりとした格好をしている。外に出れば今すぐにでも剣を振り出しそうだ。
この家は伯爵家のわりに、皆ラフな格好をしている。それらしい服装をしているのは父さんくらいであろう。
もう一人の面倒くさそうな態度を見せる男。
次男のギリオンだ。年は一つしたの六才。
眼鏡をかけて前髪もあり、短めの髪の毛をしている。ただその顔はグラディス兄さんや父さんと違い知性的だ。眼鏡をかけているからではなく、切れ長で涼し気な瞳のせいだろう。
こちらは白のカッターシャツに黒の長ズボンと一般的だ。もっとこう豪華でタキシードみたいな服を想像していたのだけれど。
うちの家。クリフォード家が金欠という訳では無いと思うのだが。
まあ、誰もが想像するようなオホホな世界、いわゆる堅苦しそうな家では無くて安心できるからいいのだが。
「泣いたりしないよね?」
「……俺にはわからん」
ギリオンが情けない声を上げ、グラディスが力強く答える。
「情けないなお前たち」
「じゃあ父さんは抱っことかできるの?」
「ぐッ! それはまあ……やったこと無い」
「父さんだって同じじゃないか!」
偉そうにしていた父さんの痛いところを、兄弟が攻め立てる。
「ならやってみせようじゃないか!」
「えー? 止めておきなよ。父さん力任せに何でもやるし」
「……何かあったら母さんに怒られる」
「大丈夫だ。俺に任せろ!」
何て単純な父さんなんだ。子供に煽られてその気になるとは。
父さんが手を伸ばし、ベビーベッドに座っている俺の脇の下から持ち上げる。ごつごつとした大きな手がいとも容易く俺を持ち上げる。
ちょ、ちょっと! 父さん痛い! 持ち方はいいけど握力が! 腕がつぶれちゃうよ!
「あ、あうう」
思わず顔をしかめて、不快気な声を出す。
「ちょっとジェド泣きそうになってない?」
「父さん。ジェドが嫌がっている」
「え? え? まじか?」
グラディス兄さんの慌てた声と、ギリオン兄さんの非難気な言葉に、父さんは慌てて俺をベビーベッドに戻す。
「ほら、持ち方がおかしいとか、力をこめすぎたりしているんじゃないの?」
「そうかー? めちゃくちゃ気をつけたつもりなんだが。もう一回試すか。今度は大丈夫だ。今ので加減はわかった」
「いや、ばっちりアウトだったじゃん」
「……肩が少し赤くなっている」
俺のグラディス兄さんが俺の袖をめくり確認する。そして赤くなった肩を全員が確認する。
「ほら! やばいって!母さんにばれたら怒られるよ!」
「間違いない」
「ええ!? それは困る! クレアは怒ったら怖いし長いんだ!」
「黙っとくにしろ、何かあったらまずいんじゃないの?」
「素直に白状した方が身の為」
まあただ一時的に赤くなっているだけで大丈夫なんだけど。
そんな俺の状態に気づくはずもなく、兄さん達と父さんはパニックに陥る。
「あうう」
俺の漏れた言葉により、騒がしく会話していた三人の動きが止まる。
「どうしたんだ? ジェド?」
「やばいよ。今になって痛んで泣き出したりするんじゃないの?」
「早く母さんを呼ぶべき!」
「しかし、クレアを呼んだら――」
『私を呼んだら何?』
「「「…………」」」
俺の部屋の空気が凍てついた。騒いでいた三人は母さんのプレッシャーにより言葉を出すことすらできない。
母さんそんな声出せたんだ。すごい笑顔なところが何か怖い。
「いや、これはその」
「こっち来て」
「……はい」
父さんが何とか振り返り、言い訳をしようとしたが無駄であった。すごすごと歩くその背中は絞首台へと連れて行かれる罪人のようだ。
「リーナ。ジェド君を見ていて。男たちに任せると碌なことにならないから」
「かしこまりました奥様」
母さんの言葉にメイドがうやうやしく頭を下げて返事をする。
この屋敷の真の主は母さんなのだろうか。
メイドさんが入ってきて、それと入れ替わりで兄さん達が部屋を出ていく。
扉が閉まり、母さんと父さんの姿が見えなくなる。
「いや、クレア聞いてくれよ」
「全部聞いていました。あれだけ大声で騒いでいたんだから当然よ」
「……え。いや、俺だってなジェドを抱っこしてやりたくて――」
やがて小さくなっていく二人の会話。母さんの強気な声にたいして、父さんの声はどこか弱気だった。
× × ×
そしてその日の深夜。
屋敷の皆が寝静まる時刻。俺の部屋に月の光が差し込む、辺りは青蒼い闇に包まれている。窓の外から聞こえる奇声に俺は目を覚ますことになった。
『ヒャッハー! 夜だぜ夜! 俺達の時間だー! 太陽なんてクソ喰らえだぜ!』
ちらりと外に視線をおくるが、赤子の俺では空しか見ることができない。
月のみの光量の中で見えたのは、一匹の鳥らしき黒い影のみ。
鳥が叫ぶ訳なんてないし、ご近所さんでもいるのであろうか? しかしこの辺りにはうちの屋敷のほかには、少し離れて使用人用の宿舎があるのみ。後は木々に囲まれているくらいであろう。
母さんや父さん、兄さん達も誰も聞こえないのであろうか?
やっぱり俺が変なのかな?
しばらく起きていたが、それ以上奇声が聞こえることはなかった。
その日も不思議に思いながら俺は寝た。
× × ×
「ねえ、あなた。最近ジェド君がずっと天井を見ているような気がするの」
「ジェドが? 天井に何かついているのか?」
「何もないはずだけど。ジェド君の部屋は念のために隅々まで綺麗に掃除しているし」
「うーん、何か面白い模様でも見えるんじゃないか? たまに木とか変な模様しているやつとかあるし」
母さんと父さんが俺の目の前で相談をしている。
「でもこの部屋の天井は真っ白よ?」
父さんはあまり気にしていない様子だが、母さんはそうではない様子だ。
訝しんだ表情で天井を眺めている。
そうなんだ。たしかに俺は天井を見つめている。それも模様なんてない真っ白の天井を。
しかし俺が気にしているのは、そのさらに奥だ。
そう微かにだが聞こえてくる声の方向。
『おい! どこなんだここ?』
『飯! 飯は?』
『というか歩きづれえなここ。もっと俺達が歩きやすい造りにしろよな』
『こんな所にチーズなんかあるのかよ』
『チーズ!? あるの? どこ?』
『チーズ? んなもんこんな所にはねえだろ』
『はあ!? てめえがここにチーズがあるとか言ってただろ!?』
『ねえ? どこなの?』
『ちょ、お前ちょろちょろすんな! というか尻がでけぇ邪魔だ! チーズ? チーズなら一階の厨房に決まってんだろうが』
『はあ!? じゃあ俺達何のためにここにいるんだよ?』
『新しい食料の探索か?』
『探索探索!』
んー……天井裏に幽霊でもいるのだろうか。幽霊ってチーズ食べるのか?
よくは分からないが、まあ暇つぶしにはなるので聞いているわけだ。
「……確かに上を見ているな」
気付けば父さんが俺を凝視していた。
父さんは首をかしげた後に、部屋から出ていった。
しばらくすると、父さんがメイドを一人連れて部屋へと戻ってきた。
父さんの手にはメイドの箒を借りたのか、長い箒が握られている。ちょうど父さんが持てば天井に届きそうだ。
父さんは俺を一瞥してから、俺の視線が向かっていた辺りに向かって、箒で天井を小突く。
『うわあ!? 何だ何だ? 地震か!?』
『うわっ! 助けて! 落ちちゃうー!』
『やべぇ! 探索は中止だ! づらかるぞ!』
面白いように慌てた声が聞こえてくる。幽霊さんは随分と小さいのだろうか。
「あ、ジェド君が喜んでいる」
「む!? 本当だ。何か分からんがこれが面白いんだな」
笑顔の俺を見て、母さんと父さんが喜ぶ。
父さんはそのまま何回も天井を箒で小突きだした。
『うおおお! やべえ! 動けねえ!』
『ひいいい!』
『うおおお! 柱にしがみつけえ!』
『なんだってんだよおおおおおおお!』
その日を境にしばらく天井から声が聞こえることは無くなってしまった。
それが俺には少し残念だった。
ありがとうございました。