ジェド=クリフォード
七カ月目になると一人座りが可能となった。
何分暇な時間が多いせいで、暇を見つけては適度に腕を動かしたり、足を動かしたりしていた。
まだお披露目はしていないが、はいはいもできるはずだ。
ちなみに俺の家は大きな屋敷であった。この間母さんが抱っこで俺を部屋から出してくれたおかげで、いくらかの情報が入ってきたのだ。
俺の家系はどうやら貴族であるらしい。
そう。あのヨーロッパなどであった貴族。爵位はなんと伯爵だ。
最上位というわけではないが、結構な高い地位だ。
屋敷内には多くのメイドさんや、執事さんまでいたので驚きであった。
屋敷内を母さんに抱えられて探検する間、俺は終始興奮していたはずだ。
外には出してはくれなかったのが残念であったが、仕方がない。楽しみにしておこう。
そんな順調に育っている俺なのだが、最近一つ気がかりなことがある。
それは、たまに声がどこからともなく聞こえてくるのだ。
最初は父さんや母さんの声かと思ったのだが違う。
俺には二人の兄と一人の姉がいるのだが、それでもない。
明らかにあの声は使用人や、メイドの声ではない。
もはや聞き間違いとか、気のせいでは済まない頻度で声が聞こえてくるのだ。
ある時は窓を開けたときに。ある時は屋根裏から。ある時は夜に。
その声は聞こえてくる。
もしかして俺は痛い子なのだろうか。霊的な能力でも持っているのであろうか。
いや、俺の能力は『全言語理解』だけだ。そんなものはない。
死者の言葉が聞こえるとか、この屋敷が呪われているとかであったら怖いな。
部屋で一人悩んでいると、廊下から人の足音が聞こえてきた。
母さんがいないから、メイドさんが代わりに面倒でも見に来てくれたのかな?
しかしそれは瞬時に違うとわかった。
それは扉が大きな音をたてて、勢いよく開けられたからである。
母さんやメイドさんなら、赤子である俺を気遣ってゆっくりと大きな音をたてないように入ってくるからだ。
「こらジュリア! 大きな音をたてないの。ジェドがびっくりするじゃないの」
「あ、ごめんなさいーい」
「本当にわかっているの?」
「次からは気をつけまーす」
叱責する母さんと、可愛らしく返事をした少女が近付いてくる。
そう。この母さんのようなグラデーションがかった赤い髪の毛をした少女が俺の姉である。
母さんと違い、髪は全体的に長く毛先が少しカールしていて可愛らしい。
七才と元気真っ盛りの年頃なのだが。
「ジェド君元気―? 美人で優しい姉のジュリアだよー? ジュリア姉さんは可愛い。ジュリア姉さんは可愛い。ジュリア姉さんは可愛い……」
ジュリア姉さんは元気に挨拶をすると、何回も同じ言葉を繰り返し語りかける。
爛々とした瞳が少し怖い。
「……ジュリア何をやっているのよ」
母さんがジュリアを半目で見る。
「こうやってね、小さい頃から私の良さを言い聞かせておくの!」
何て恐ろしいことを無邪気に言う少女なのだ。生後七カ月ほどの赤子に洗脳をする気だ。
俺は動物じゃないんだぞ。
そう、ジュリア姉さんはこの通り、黒いのである。
真っ黒と言うわけではなく、こうなればいいな。ああなれば楽しいなと愉快犯な部分があると思う。
将来が美女になること間違いなしの容姿から、相当な悪女になりそうである。
「あなたって子は……そんな考えどこから思いついたのよ」
頭が痛そうな様子で母さんが呟く。
「アンナお婆ちゃんから教えてもらったの! 弟は生意気になるから早く調教? しておきなさいって」
ジュリアがこんな風になったのはアンナお婆ちゃんのせいなのね!
というか七才の子供に何て言うことを教えているんだ!
アンナお婆ちゃんには注意しておこう。
「またお婆ちゃんね! もう! 余計なこと言わないでって言ったのに!」
母さんも大変そうだな。
大丈夫。大きくなったら俺がたくさん親孝行してあげるからね。
その後もジュリアお姉さんは、俺を眺めたり、つついたりして遊んでいたが少しすると飽きたのか部屋から出て行ってしまった。
本当に気まぐれだな。まあ子供だからこんなものであろう。
子供は外で元気に遊ぶのが一番だ。
それからしばらくすると、今度は母さんの様子がおかしい。
母さんは部屋の扉を少し開けると、誰も人がいないか確認するようにキョロキョロすると扉を閉めた。
一体どうしたのであろうか?
母さんはそのまま俺の元へとやってくると、俺の瞳を真っすぐと真剣な眼差しで見つめる。
美しい深紅の瞳には、赤子の顔をした俺が映りこんでいる。
な、なに?
母さんはゆっくりと息を吸い、口を開けると――
「クレア母さんは可愛い。クレア母さんは優しい。クレア母さんは綺麗。ジェド君はクレア母さんが大好き。ジェド君はクレア母さんの言う事を素直に聞くようになる。ジェド君は――」
あんたもやるんかいっ!
しかもジュリア姉さんよりも性質の悪い洗脳だと思う。
そう心の中で突っ込みを入れる間にも、母さんは必死に言葉を紡いでいく。
「ジェド君はお料理が好きになる。ジェド君はクレアお母さんのお手伝いが大好きになる。ジェド君は――」
何か途中から母さんの願望みたいなものが混ざっているように聞こえる。
よしよし。一緒にお料理もしましょう。お洗濯に、肩もみ、マッサージまで甲斐甲斐しくやってあげますよ。
大学生活中は、一人暮らしだったんです。任せておきなさい。
それはそうと母さん、必死過ぎて怖いです。
普通の赤子なら泣いていますよ?
「ジェド君聞いてよー。ジュリアが言う事聞いてくれないの。母さん女の子ができたら一緒にキッチンでお料理とかしたかったのに……ジュリアはお料理に興味がないし、グラディスは剣ばっかり。ギリオンも魔法の事にしか興味ないし……」
そして母さんの願望は愚痴へと変わった。ベビーベッドに体を預け、距離がより近くなる。
うんうん。だから俺が大きくなったら一緒にお料理してあげるから。
それから母さんは愚痴を吐き出すと眠くなったのか、愚痴や願望が聞えなくなり、代わりにスース―と寝息を上げ始める。
俺の体が大きければ背中に毛布でも掛けて上げたかったのだが、赤子の俺には出来ない。
それでも何かしてあげたくなり、俺は母さんの頭を撫でる事にした。
「……ううん……ジェド……君」
俺が大きくなるまで少し待っていてね。母さん。